←戻る           『漢方の臨床』41巻5号590-592頁、1994年5月

目でみる漢方史料館(72)

漢蘭折衷の解剖書−『解体発蒙』       解説    真柳  誠


 漢蘭折衷派といえば華岡青洲をまず想いうかべるが、同時代にユニークな漢蘭折衷の解剖書を著した三谷公器(一七七五〜一八二三)の名も忘れることはできない。

三谷公器は近江西山村の人。名を樸、号を筌洲、通称を祐吉といい、公器はその字。父の益安から京で医を業とした。公器も医を継ぐが、小野蘭山に物産を学び、その塾頭となる。性格は俶儻・豪邁で博覧強記、学生は頗る多い。『内経』に精通して発明も多く、肺を木、肝を金に配するに至っては千古の眼目を一新。ほか経方・本草・解体にも通じた。のち帰郷して近江の八幡に住む。文政六年九月二十一日に享年四十九で没した。(宇津木昆台『日本医譜』より)
  さて一八〇二年十二月、荻野元凱門下の中逵・若村両名は官許で男屍解剖(壬戌解視)を主宰した。これに公器も参加し、その記録から著したのが『解体発蒙』全四巻・付録一巻で、一八一三年の刊行。また橘南蹊が一七八三年に解剖した『平治郎臓図』と、三雲環善が小石元俊の支援で一七九八年に解剖した『施薬院解男体臓図』からも諸器官の重量・寸法を記録する。さらに『解体新書』『医範提綱』や西洋解剖書も参照し、賀川流の奥劣斎からは秘蔵の女性性器図を提供されている。

  本書の真骨頂は西洋解剖学と『素問』『霊枢』の臓腑説を、自己や日本の解剖所見から融合せんとしている点にある。現代からみれば牽強附会もあろうが、必ずしも一笑に付せない論は多い。たとえば図1のように、動脈・静脈を経脈・絡脈と解釈し、その詳細な議論は静脈を刺す刺絡にも及ぶ。

 図2は「三焦総説」の図で、右はアナトミイに拠るとあるので西洋解剖書、左は杉田玄白『解体約図』からの引用。そして古来から議論の絶えない三焦について、上焦府をゲールペイプ(ゲール管)つまり胸管、中焦府を『解体新書』の大キリイルつまり膵臓、下焦府をゲールカキュウ(奇縷科臼)つまり乳糜槽にあてる。上焦・下焦もさることながら、脾臓を中焦としないところに公器の理性が窺われよう。

 図3の「液道帰入骨空図」は『解体新書』による。しかし『新書』がセイニュを神経と訳したのは「経旨にかなわず」と賛成せず、霊液の脈道として「液道」の訳語を提唱。蘭学はこれが脳・脊髄より出るというが、実際は入ると説く。公器が神経伝達物質や免疫の話をきけば、さぞや合点したに相違ない。
 

 

 図4の脳には一から十までの「液道」が記される。この解説では、蘭学で脳に精神があるというのは『素問』脈要精微論の「頭者精明之府」に合致し、その証拠に魚は頭を打ち砕けば即死するが、腹を割いてもまだ水に浮遊すると説く。

  なお中国の王清任(一七六八〜一八三一)も公器とほぼ同時代で、やはり解剖所見から臓腑説を唱えた。その『医林改錯』は同様に脳の精神機能を説くが、『解体新書』以降の知見を踏まえた公器の論説に一日の長があるのはいうまでもない。
 

(北里研究所東医研・医史学研究部)