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真柳誠『漢方一話  処方名のいわれ16−桂枝加朮附湯」『漢方診療』13巻9号39頁、1994年9月

漢方一話  処方名のいわれ16 桂枝加朮附湯

真柳  誠(北里研究所東洋医学総合研究所)


 3世紀の張仲景が原本を著したとされる『傷寒論』『金匱要略』には、多くの桂枝湯加減方がある。桂枝加朮附湯も方名のように蒼朮・附子を加えた処方なので、桂枝湯加減には違いない。しかし張仲景の処方ではない。日本で独自の発展をみた古方派の泰斗、吉益東洞(1702−73)が臨床経験から創方し、のち日本で広く用いられてきた処方である。

 このような由来で、本方の出典はふつう「吉益東洞経験方」と記される。あるいは日本の経験方なので、中国に対する日本の雅称の本朝をつけ、「本朝経験方」と記されることもあるが、正確な表現ではない。

 ただし経験方とはいっても、東洞が漠然と創方した訳ではない。例えば『傷寒』『金匱』の桂枝湯加減には、桂枝加附子湯・桂枝附子湯・桂枝附子去桂加白朮湯・桂枝去桂加茯苓白朮湯・烏頭桂枝湯などがある。それらには附子(烏頭)や白朮が加えられており、おおむね疼痛を伴う証に用いられる。この白朮・附子に甘草が加わった『金匱』の近効方朮附子湯、さらに桂枝が加わった『傷寒』『金匱』の甘草附子湯も疼痛を伴う証に用いられる。つまり白朮・附子の組み合わせには鎮痛作用が期待されるので、桂枝湯証の疼痛症状に桂枝加朮附湯が創方されたものといえよう。

 しかし東洞は本方に白朮ではなく、なぜ蒼朮を用いたのだろうか。『傷寒』『金匱』の処方をよく見ると蒼朮は一切なく、すべて白朮が配剤されているにもかかわらずである。

 ところで『傷寒』『金匱』等は、12世紀の改訂出版で朮の名を白朮に統一されたことが論証されている。他方、東洞の『薬徴』を見ると、朮は主に利水して傍ら鎮痛し、利水は白朮より蒼朮が優れているという。それで東洞は蒼朮を常用し、本方にも蒼朮を用いたと理解できる。本方は『傷寒』『金匱』の方意を発展させつつ、歴史的根拠も認められる処方といえよう。