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真柳誠「消息 Chinese Medicine: A Visual History(中国医学史図像国際会議)」『日本医史学雑誌』51巻4号665-667頁、2005年12月
Chinese Medicine: A Visual History(中国医学史図像国際会議)
標記の会議が二〇〇五年九月十五・十六日の二日間、北京郊外の香山にある香山飯店を会場に開催された。これは欧米を中心に近年盛んになってきたイコノロジーを中国医学史研究に応用することを目的にした会議で、イギリス最大製薬会社によるウェルカム財団から前後一日を含めた宿泊と全飲食が提供された。ちなみに大英図書館は所蔵のスタイン敦煌文書を研究するために敦煌プロジェクトを近年立ち上げている。うち医薬文書についてはウェルカム財団の支援でロンドン大学およびニーダム研究所と、中国中医研究院の中国医史文献研究所のメンバーが共同研究を進めてきたことも本会議が開催された背景にある。
主催は北京にある中国医史文献研究所とロンドン大学ウェルカム基金医学史研究センター。名誉会長は医史文献研究所の馬継興教授、会長は医史文献研究所の柳長華所長とウェルカム財団医学史研究センターのHal Cook主任、実行委員長がロンドン大学のVivienneLo医学史研究センター長と医史文献研究所の王淑民教授というメンバーで行われた。当然ながら会議の公用語は英語と中国語。参加者は中・英の事務担当者を含めて六三名で、所属機関の国・地域別では中国三〇、イギリス一七、アメリカ五、台湾・日本各三、イスラエル二、韓国・フランス・ドイツ各一だった。
十四日は登録と夜の歓迎宴があり、会議自体は十五日と十六日に計四六演題について集中して行われた。
十五日の午前は以下の特別講演が行われた。
Vivienne Lo「会議の方針と概要」。HalCook「医学史が全地球化されるとどう見えるか」。王淑民「豊富で多彩な中国古医書の挿し絵」。Paul U.Unschuld(ミュンヘン大学)「十八世紀から二十世紀早期の中国医書における疼痛の美観」。栗山茂久(ハーバード大学)「医学の全地球史はどのようになるか」。馬継興「炎帝薬学文化の歴史図像」
以上の講演の後、二会場に分かれ、一人ごとに二〇分の発表と一〇分の討議が二日間にわたり、約二時間おきのコーヒーブレイクを挟み行われた。
十五日午後
第一会場
鄭金生(中国医史文献研究所)「本草書の写実的と芸術的な挿し絵論」。RoelSterckx(ケンブリッジ大学)「郭璞から李時珍に至る動物の挿し絵」。肖永芝(中国医史文献研究所)「『補遺雷公炮製便覧』の新増薬物炮製図の研究」。蔡景峰(中国医史文献研究所)「チベット医学マンダラ図における解剖図譜の重要な意義」。甄艶(中国医史文献研究所)「チベット医学の触覚表現方法」。Ronit Tlalim(英・ワーブルグ研究所)「チベット医学占卜図一幅についての解釈」。
第二会場
黄龍祥(中国中医研究院針灸研究所)「針灸図像と針灸史料の解読」。AsafGoldschmidt(イスラエル・テルアビブ大学)「規範医学経典―北宋時期における医学集成図書の挿し絵」。ElisabethHsu(オックスフォード大学)「チベット画は中華文献の脈診関連内容を反映できるか」。AlainArrault(仏・極東学院北京センター)「敦煌具注暦中の日遊・人神法における治療関連の選択」。酒井シヅ(順天堂大学)「日本における中国解剖図の影響」。ShinDongwon(ソウル国家大学/カリフォルニア大学ロサンゼルス分校)「朝鮮伝統医学史中の図解と挿し絵図総評」。曹暉(国家中薬現代化システム技術研究センター)「民族薬物学観点による明代本草彩色絵図の検討」。
十六日
第一会場
陳明(北京大学)「異域の形象―『本草品彙精要』中の胡人図」。王進玉(敦煌研究院)「敦煌文物における医学衛生図像の研究」。張其成(北京中医薬大学図書館)「五臟六腑補瀉図の解説」。廖育群(中国科学院自然科学史研究所)「説話図を見る―峨嵋天罡指穴法の故事紹介と歴史思考」。梁永宣(北京中医薬大学)「朝鮮通信使に由来する朝日医家の交流」。胡曉峰(中国医史文献研究所)「中国外科・傷科書の絵図略論」。馬堪温(ウェルカム医学史研究センター)「中国古代名医の故里・古跡調査」。李尚仁(台湾・中央研究院)「中国人とその糸虫病図表現に与えたパトリック・マンソンの研究」。RobertaBivins(英・Cardiff大学)「針灸の形象化―アジア医学技術の形象化と西洋化」。張哲嘉(台湾・中央研究院)「『婦女雜誌』の薬品広告図像」。Volker Scheid(英・Westminster大学)「新たな現実性の創造―現代中国医学における工程図と図解」。JudithFarquhar(シカゴ大学)「現代アニメーション中の中国医学」。周遜(ロンドン大学)「建康と美―現代中国における医学と健康の図像」。
第二会場
朱建平(中国医史文献研究所)「図説中国古代健身史」。MeirShahar(テルアビブ大学)「医学、宗教、それとも武術?―清代少林拳図釈」。梅川純代(大妻女子大学)「春画と房中術の関係」。SabineWilms(米・Paradigm出版)「中国中世の養胎法―『医心方』の妊娠十ヶ月図解」。真柳誠(茨城大学)「『産経』妊娠図と『明堂図』の研究」。呉一立(米・アルビン大学)「『医宗金鑑』における肖像画の性別区分法」。万芳(中国医史文献研究所)「小児痘疹文献の図像が持つ診断価値の重要性」。梁嶸(北京中医薬大学)「舌診図に表現された中国医学の病因学」。Nancy HolroydeDowning(ロンドン大学)「舌の謎」。張家瑋(北京中医薬大学)「中国医学文献の歴史図像からみた形神論」。PaulaHung(ロンドン大学ウェルカム医学史研究センター)「台湾で推進される中華自然療法」。張瑞賢(中国中医研究院中薬研究所)「現存最古の石刻医書」。劉国正(中国中医研究院図書館)「中国医薬珍善本古籍の多媒体データベース構築の建義」。
なお十七日午前に予定されていた総括と論文集出版の検討会議は十六日夕方に変更して行われた。また催し物として、十五日夜の夕食時に中国武術・伝統音楽・五禽舞等の実演があった。十六日夜は中国医学科学院薬用植物研究所内にある薬膳レストランで晩餐宴が催され、ホテルの単純な食事に飽きていたため干天の慈雨ではあった。翌十七日午前は近くにある頤和園の散策と園内の宮廷レストランでの昼食があり、のち解散となった。
当会議は馬継興・馬堪温・蔡景峰・酒井シヅ・Paul U.Unschuld各氏を除く全員が五〇代までで、中心は三〇代と四〇代の若手という年齢構成。しかも中国の参加者は中医研究院を中心とした北京の研究者のみ、台湾も台北の中央研究院の研究者のみだった。そこにはニーダム研究所(ケンブリッジ)・中医研究院(北京)・中央研究院(台北)・国際日本文化研究センター(京都)の線で結ばれた、新たな東アジア医学史研究の潮流がある。一方、ハーバードの栗山氏を加えても日本人の発表は四題しかなかった。参加のアナウンス方法や中国をテーマとすること、また日本語を使えないという問題があるにしても、日本の医史学研究層の厚さからすると、少なすぎるというのが正直な印象だった。
とはいえ比較的少人数の会議ゆえ、各方面・各国の研究者が新たな親交を結ぶこともできた。また考え及びもしなかった研究発表もあり、多方面において実り多い会議だった。この場を借りて本会議開催の実務を担当されたVivienneLoと王淑民両氏の労をねぎらい、多大なご後援をいただいたウェルカム財団にも深謝申し上げたい。
(真柳誠)