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眞柳誠・高津孝「第十一囘國際東アジア科學史會議」『東方學』第111輯138-146頁、2006年1月

第十一囘國際東アジア科學史會議

眞柳 誠
高津 孝


  二〇〇五年八月十五日から十九日にかけて、ドイツ・ミュンヘン市のドイツ博物館でInternational Society of theHistory of East Asian Science, Technology, and Medicine (ISHEASTM)國際東アジア科學技術醫學史學會による11th International Conference on the History ofScience in East Asia  (ICHSEA 2005)第十一囘國際東アジア科學史會議が開催された。主催はミュンヘン大學醫史學硏究所所長・敎授のPaul U.Unschuld博士で、著名な科學史家・中國醫學硏究者として知られ、ドイツ語・英語を含めた著書は數多く、『黄帝内經素問』『難經』の英文譯注書もある。當會議の事前情報はウェブページhttp://www.igm.med.lmu.de/aktuell/ichsea.htmlに載っている。またISHEASTMのページはhttp://www.nri.org.uk/ISHEASTM.htmlである。これらに補足する形で報告したい。

  ドイツ博物館はドイツを代表する自然科學・工業技術の總合博物館で、地下一階地上七階建て、總牀面積四萬五千平米の廣大な空間に一萬七千點を越える展示品が並び、特に自由に觸れることができる帆船・潛水艦等の實物展示や簡便な實驗裝置等が特徴的である。まさしく今囘の科學史會議にとって最もふさわしい場所が提供されたと言えよう。早く希望した參加者には博物館の清潔なゲストハウスも一泊二八ユーロほどで提供され、會場に近くて至極便利だった。

  會議には世界各國から一二七人が參加し、うちISHEASTMの會員が七〇名、非會員が五七名だった。これを參加者の國・地域別でみると、中國二五、ドイツ二三、アメリカ一七、臺灣十五、日本一四、イギリス九、韓國八、フランス七、オランダ・スイス各二、オーストリア・カナダ・イタリア・シンガポール・スペイン各一の割合となる。以上はウンシュルト敎授からいただいた數字だが、歐米の機關に屬するアジア人も少なくなかったので、どうも參加者の國籍ではなく、所屬機關の國別數字だろう。

  レクチャーを除く一般發表は三會場でほぼ並行して行われた。抄錄集によると、レクチャーを含めた全演題は計一〇三(うち少なくとも一題は缺演)に及ぶ。それらを各發表の筆頭者が所屬する組織から國別に集計すると、ドイツ二三、中國二一、アメリカ十二、臺灣一一、日本一〇、イギリス・フランス各七、韓國四、オランダ二、スイス・スペイン・イタリア・オーストリア・カナダ・シンガポール各一となる。

  また各演題が主な對象とした國・地域でみると、中國五九、臺灣三、中國―西洋一三、中國―アラブ一、中國―琉球一、中國―日本二、臺灣―日本一、日本六、日本―西洋四、韓國―日本一、韓國二、韓國―西洋一、韓國―中國一、ヴェトナム三、ヴェトナム―西洋一、東アジア三、アラブ一だった。さらに各演題テーマの分野を無理に大別すると、醫藥五一、天文・曆學一二、機械・技術八、數學七、生命倫理五、科學全般・西學各四、工藝・地理・道敎各二、人類學・計量・物理・農學・植物・考古學各一となる。

  以上の參加者・演題内容から、いかに多樣な發表が行われたか、また大きな傾向もご理解いただけるであろう。なお東方學會関係では、眞柳誠と高津孝が以下の發表を行った。

  眞柳は中國周辺國の古醫籍調査に基づき、各國醫學の形成過程と特徴を述べた。各國の共通點は第一に、中國醫書から自國に適した部分を引用した臨牀醫學全書を約十八世紀まで編纂していたこと。第二に共通した明代の臨牀醫學全書を十九世紀後半まで復刻し續けていた點。第三に漢字交じり自國語譯本も共通している。以上を基礎に自國化を成し遂げた共通傾向がみえた。他方、日本だけに特異な現象もある。中國醫學古典とそれらの中國硏究書は日本で一〇〇囘以上復刻されていたが、朝鮮で一點、ヴェトナム・モンゴルには一點もみえない。また日本人による中國醫學古典の硏究書が江戸時代だけで七六〇種ほど現存するが、朝鮮では一點のみ、ヴェトナム・モンゴルには一點もみえない。これらは日本のみ島國である點に主に起因するだろう。日本では中國人から直接學ぶ機會が極端に少なく、古典まで自ら硏究した。かつ日本だけ長期にわたる中國との戰爭や被支配の經驗がなく、その强い影響を意識的に排して自國文化を强調する必要がない。それゆえ中國文化に深く親近感を持ち、古典まで硏究した。他方、朝鮮・ヴェトナムでは中國臨牀書を利用するが、臨牀にあまり關係ない中國醫學の古典硏究などありえなかったらしい。類似現象が他分野の漢籍でも見出される可能性は高い。

  高津は、ミュンヘン大學敎授アンゲラ・ショッテンハンマー博士と共同發表を行った。ショッテンハンマー敎授は、中國史學の専門家であるが、廣く東アジアの科學技術史、醫學史にも造詣深く、中國淸朝の醫學書『琉球百問』を中國醫學の東アジア的展開の一部として硏究されてきた。『琉球百問』は、琉球の醫師呂鳳儀からの質問に對して、中國人醫師曹存心が囘答すると言う形式の特殊な醫學書である。琉球人患者の病歷と囘答を分析することにより、琉球と中國との醫學交流の實態、當時の琉球、中國の醫學知識、醫療技術の問題が明確になる。ところが、質問者である琉球人醫師呂鳳儀が如何なる人物であったかについて、これまで全く不明であった。高津は、調査の結果、この人物が、當時、琉球で最も著名な醫師渡嘉敷通寛であると推定されることを見出した。渡嘉敷通寛は琉球王の御典醫で、『御膳本草』の著がある。呂鳳儀が渡嘉敷通寛であることが判明することで、『琉球百問』を琉球醫學史に位置づけることが可能になる。發表は、『琉球百問』の内容と、東アジアにおける醫學交流の實態、呂鳳儀の人物同定、琉球人醫師渡嘉敷通寛の醫學的業績と『琉球百問』との關係を述べた。

  會議は、レクチャーと一般發表の二つに大別されるが、レクチャーに近い宴席でのスピーチも二題あった。レクチャーは、四〇分の發表時間と二〇分の質疑應答からなり、會議の意義づけにあたるオープニング・レクチャーを始め、七つのレクチャーが準備された。また、一般發表は二〇分の發表時間と一〇分の質疑應答からなり、配布された資料に基づくと七つのパネルに二八發表とその他の六三の發表からなる。以下に發表題目を示す。

Opening Lecture(八月十五日)
・Dieter KUHN(ドイツ・ヴュルツブルク大學)「東アジア科學史の現狀と意義についての内省」

Plenary Lecture
八月十五日 ・Christopher CULLEN(英國・ケンブリッジ大學)「古代中國における數學的知識の創造と傳承―『算數書』に關しての比較考察」
八月十六日 ・Catherine JAMI(フランス・國立科學硏究所)「西洋科學と中國淸朝初期における帝國の學問の構築」
八月十六日 ・KIM Yung Sik(韓國・ソウル國立大學校)「朝鮮の科學、中國の科學と東アジアの科學―朝鮮科學史の硏究における中國の問題」
八月十八日 ・Harm BEUKERS(オランダ・ライデン大學)「日本江戸時代の西洋醫學紹介における圖畫の役割」
八月十九日 ・Donald HARPER(米國・シカゴ大學)「古代中世の寫本を通してみた中國醫學」
八月十九日 ・中山茂(日本・神奈川大學)「中國の惑星理論と太陽中心説。藪内淸―中山茂「授時」プロジェクト」

Table Speech(八月十七日)
・Hans-Ulrich VOGEL(ドイツ・チュビンゲン大學)「發明・革新と普及―中國とヨーロッパの鹽產業史」

Evening Speech(八月十八日)
・劉鈍(中國科學院自然科學史硏究所)「軍艦・大砲とX線」

パネルⅠ(八月十六日)「變化を乘り越えて―後期植民地時代とポスト・コロニアル時代におけるカンボジア・ヴェトナムとフランス植民地醫學」
・Michele C. THOMPSON(米國・コネチカット州立大學)「一九二九~六四年、ヴェトナムにおける健康管理と佛敎敎團との關わり」
・Laurence MONNAIS(カナダ・モントリオール大學)「植民地ヴェトナムにおける藥物療法への依存―二〇世紀前半における健康管理への利用可能性の變種」
・Annick GUENEL(フランス・國立科學硏究所)「ナショナリズムと「ヴェトナム醫學」、一九三〇~五〇年」

パネルⅡ(八月十八日)「敦煌文書における中世中國の醫學」
・Donald HARPER(米國・シカゴ大學)「中世の醫學と科學技術―敦煌文書(S.5614)についての硏究」
・Ute ENGELHARDT(ドイツ・ミュンヘン大學)「醫學における食物と藥物―『食療本草』の敦煌文書(S.76)」
・Sabine WILMS(米國・パラダイム出版)「中世中國の寫本における女性病理學と治療」
・Vivienne LO(英國・ウェルカム・トラスト醫學史センター)「敦煌の夜叉(藥叉)像と戰う僧侶?」

パネルⅢ(八月十六日)「東アジアの科學・技術・醫學の歷史を形成するコレクション、文書館、百科全書の歷史についての事例硏究」
・Marta E. HANSON(米國・ジョンホプキンス大學)「帝國の醫學における實證的學問、史料編集、地域主義―乾隆時代の『醫宗金鑑』と『四庫全書』」
・Andrea BRÉARD(フランス・パリ第七大學)「『萬寶全書』と中國明代後期における確率論についての無視された實踐」
・Florence BRETELLE-ESTABLET(フランス・パリ第七大學)「『近代中醫珍本集』―『四庫全書』と比較して基準に從った原本選擇か?」

パネルⅣ(八月十六日)「轉換期における權威―古代中國における時空に先立つものについての宇宙的、時間的含意」
・Maria KHAYUTINA(ドイツ・ミュンヘン大學)「西周時代の時間槪念」
・Constance A. COOK(米國・リーハイ大學)「宇宙と周代の威儀の實踐」
・David W. PANKENIER(米國・リーハイ大學)「早期帝政中國における天文學のパラダイム轉換」
・Vera DOROFEEVA-LICHTMANN(フランス・國立學術硏究所/社會科學高等硏究院)「宋代地圖學における黄河の源の表象に反駁する」

パネルⅤ(八月十六日)「信仰、身體、力」
・陳秀芬(臺灣・國立政治大學)「醫師が怪物に出會った時―十五~十八世紀中國における「惡魔つき」に對する敎養ある醫者の態度についての槪觀」
・金仕起(臺灣・國立政治大學)「自己と宇宙の結合―傳統中國のオカルト資料における「禁術」の起源と規則」

パネルⅥ(八月十八日)「歷史的科學技術―書かれた資料と實際の應用」
・呉秀傑(ドイツ・ベルリン工科大學)「合理的照明か?中國農村部における照明技術の文化的モデルと日常的慣習」
・張柏春(中國・中國科學院)「中國科學技術における幾つかの實用機械と古代の科學書中の對應する記述」
・Dagmar SCHÄFER(ドイツ・ヴュルツブルク大學)「科學技術的内容に關する理論の效果―『天工開物』と『論氣』」
・Martina SIEBERT(ドイツ・ヴュルツブルク大學)「テキストと現實―砂糖とその製造技術に關する『天工開物』の章」
・CHUNG Hyung-min(韓國・ソウル國立大學校)「『奇器圖説』の圖について」

パネルⅦ(八月十九日)「倫理學」
・施曉亞(中國・中國人民解放軍總醫院/軍醫進修學院)「古代中國における價値の倫理と遺傳槪念との關係」
・Ole DÖRING(ドイツ・ルール大學)「中國における性決定の倫理的問題及び倫理と歷史の間の規範的對立についての所見」
・楊瑞松(臺灣・國立政治大學)「近代中國の優生學的言説における傳統と近代性」
・Heiner ROETZ(ドイツ・ルール大學)「近代の生命倫理と倫理的傳統。東アジアの生命倫理的言説についての所見」

パネルⅧ(八月十九日)「注釋として注釋を讀む」
・Karine CHEMLA(フランス・パリ第七大學)「數學文獻(『九章算術』)に由るとき、我々は注釋から何を學ぶか?」
・Michael PUETT(米國・ハーバード大學)「聖人との對話―中國古代後期のテキストと注釋」
・鄭金生(中國・中國中醫硏究院)「『神農本草經』の明淸代注釋者たちによって追求された目的」

一般發表

八月十五日
・Ellen WIDMER(米國・ウエスレヤン大學)「明代後期、南京の唐家・周家による醫書の出版―予備的調査」
・Angelika C. MESSNER(ドイツ・キール大學)「十七世紀中國における醫學的アイデンティティの構成」
・張大慶(中國・北京大學)「中國における近代醫學についての中國醫學委員會(ロックフェラー財團派遣)の醫學調査の影響」
・方小平(シンガポール・シンガポール國立大學)「継承と再組織―中國農村における共同醫療制度、一九五二~六五」
・Sascha KLOTZBÜCHER(オーストリア・ウィーン大學)「中國農村における醫學的健康管理―「大躍進」の經驗とその影響」
・張淑卿(臺灣・中央硏究院)「一九四九~七〇年の臺灣における海外からの援助と結核制御」
・雷祥麟(臺灣・淸華大學)「アイデンティティを確立せよ―民國時代中國における結核とその具體的解決策の枠組み」
・JUN Yong Hoon(韓國・ソウル國立大學校)「一八六〇年代、朝鮮の學者によって讀まれたハーシェルの天文學」
・桑原雅子(日本・桃山學院大學)・後藤邦夫(日本・桃山學院大學)「日本における近代科學と言語的文脈」
・Hermann TESSENOW(ドイツ・ミュンヘン大學)「身體における氣の循環―『黄帝内經靈樞』『黄帝内經太素』に見られる異なる理論」
・Guje KROH(ドイツ・ミュンヘン大學)「史料編集の比較―『梁書』と『南史』における陶弘景の傳記」
・馬伯英(英國・杏林中醫硏究生院)「人類學的方法論を用いた中國醫學史の硏究」
・Bas AARTS(オランダ・ライデン大學)「徐鳳(『徐氏鍼灸大全』)による時間的鍼灸療法」
・柳長華(中國・中醫硏究院)「知識ユニットの槪念に基づく中國醫學古典籍の情報表示方法」
・Iwo AMELUNG(ドイツ・チュビンゲン大學)「四大發明の發見―二〇世紀前半、中國における科學史の發展に對する西洋の作用」
・Hans Ulrich VOGEL(ドイツ・チュビンゲン大學)「傳統中國における水井、鹽井、火井、油井の科學技術」
・Geoffrey REDMOND(米國・健康調査センター)「『易經』――ライプニッツと二進法」
・姜生(中國・山東大學)「歷史の中の道敎と科學」
・Mareile FLITSCH(ドイツ・ベルリン工科大學)「十九世紀中葉までの中國における日常工藝品と科學―硏究方法、收集、調査」
・Roslyn Lee HAMMERS(米國・ホイットマン大學)「技術的問題における圖像性の價値―王禎『農書』と宋代の先例」
・倉持基(日本・東京大學)「日本各地に殘る幕末明治期の「歷史寫眞」の比較と硏究」

八月十六日
・Harald GROPP(ドイツ・ハイデルベルク大學)「中國における地圖學と十五世紀西洋の地圖學」
・Anthony BUTLER(英國・セント・アンドリュース大學)・John MOFFETT(英國・ケンブリッジ大學ニーダム研究所)「「靑蒿」の治療的特徴」
・Ayo WAHLBERG(英國・ロンドン大學)「自然の有する危險性について―東洋と西洋の藥草療法を近代化し責任あるものとすること」
・Angela SCHOTTENHAMMER (ドイツ・ミュンヘン大學)・高津孝(日本・鹿兒島大學)「十九世紀初頭における醫學分野での中國・琉球關係―渡嘉敷通寛と呂鳳儀」
・Wolfgang MICHEL(日本・九州大學)「十七世紀日本における西洋の蒸留技術とヨーロッパ―日本間の植物學的相互影響」
・加藤茂生(日本・早稻田大學)「一八九〇年代から一九三〇年代にかけての植民地臺灣における精神病院とその治療」
・Rudolf PFISTER(スイス・私立學校)「古代及び中世の中國資料における女性の體液射出」
・王敏東(臺灣・銘傳大學)「醫學用語「腺」から始める臺灣における醫學史の發展軌跡の探究」
・Alicia GRANT(英國・杏林中醫硏究生院)・馬伯英(英國・杏林中醫硏究生院)・鄭金生(中國・中國中醫硏究院)「鍼治療は中國で生まれた。有史以前のチロル地方の氷漬け遺體の入れ墨は最古の鍼治療の證據ではない」
・張嘉鳳(臺灣・國立臺灣大學)「患者が醫者になったとき―明・黄承昊『折肱漫錄』についての事例硏究」
・關增建(中國・上海交通大學)「西學東漸と中國度量衡の發展」
・徐光臺(臺灣・淸華大學)「身體としての「四象」とその機能としての「五行」―邵雍『皇極經世』から利瑪竇『乾坤體義』に至る歷史的轉換」
・土田健一(日本・東京大學)「『正梧雜志』に描かれた坪井正五郞の靑年時代における人類學的學問の始まり」

八月十八日
・Barbara VOLKMAR(ドイツ・ハイデルベルク大學)「刻舟求劍―萬全(一五〇〇~一五八五?)によって提供された病歷における徴候と解釋」
・Paul U. UNSCHULD(ドイツ・ミュンヘン大學)「勇氣と忍耐の問題―上海の祝味菊と彼の著書『傷寒質難』の予期せぬ再出現」
・Mercedes RIEGEL(ドイツ・中國傳統醫學硏究センター)「中國醫學史における糖尿病」
裘儉(中國・中醫硏究院圖書館)「中國醫學についての古籍抄本とその硏究意義」
・毛傳慧(フランス・コレージュ・ド・フランス)「フランス全權公使ラグルネの使節に隨行した通商代表團とアジアの織物技術硏究」
・李佳嬅(日本・東京大學)「西洋數學の十九世紀日本への傳播―翻譯された數學テキストの硏究」
・林倉億(臺灣・臺灣師範大學)・洪萬生(臺灣・臺灣師範大學)「一七二三~一八二〇年の中國淸朝における二つの幾何學的方法(借根方と天元術)の相互影響」
・張藜(中國・中國科學院)「科學の國家化―一九五〇年代中國における科學と國家の關係」
・李志平(中國・ハルピン醫科大學)「確立と探究―一九四九~七九年の中國醫學システム」
・Beatriz PUENTE-BALLESTEROS(スペイン・マドリッド・コンプルテンセ大學)「適應政策としての醫學―エディフィアンテスの手紙を通じて見るフランス・イエズス會と中國醫學」
・SONG Sang-yong(韓國・韓國科學院)「ピョンヤンでのジョセフ・ニーダム」
・Elena C. CAPRARI(イタリア・個人硏究者)「中國醫學文獻と西洋の著作に見出される無原則な「骨董品」」
・洪萬生(臺灣・臺灣師範大學)「朝鮮王朝における數學の歷史―槪觀」
・洲崎悦子(日本・廣島大學)・安嶋紀昭(日本・廣島大學)・片岡勝子(日本・廣島大學)「江戸時代日本(一七九二)で製作された最古の木製骨格標本「身幹儀」」
・月澤美代子(日本・順天堂大學)「日本の明治初期におけるドイツ醫學の導入と人體解剖模型の製作開始」

八月十九日
・Nigel WISEMAN(臺灣・成功大學)「中國醫學の西洋における受容―歷史と文化をその正統な場所に調和させることに失敗」
・白華(中國・中國中醫硏究院)「中國醫學の古典籍硏究と日中醫學交流の歷史」
・Benno VAN DALEN(ドイツ・フランクフルト大學)「中國におけるイスラム天文學―囘囘曆法についての硏究方法の現狀」
・韓延本(中國・中國科學院國家天文臺)・喬淇源(中國・中國科學院國家天文臺)「古代中國における日食の記錄と地球自轉の變動」
・鈕衛星(中國・上海交通大學)「漢譯佛典に保存されたノーモンの影について」
・呂凌峰(中國・中國科學技術大學)「歷史文獻に隱された現象―中國淸朝における西洋天文學の實際的效果」
・LEE Eun-Hee (韓國・ユンセイ大學天文臺)・AHN Young Sook (韓國・國立天文臺)・OH G.S.(韓國・國立天文臺)「澁川春海の日本星圖と石刻朝鮮星圖(一四三三年)の關係」
・馮錦榮(中國・香港大學)「徐光啓と十七世紀中國における西洋の日晷の製作」
・石雲里(中國・中國科學技術大學)「スモグレンスキー『天步眞原』についての詳細な檢討」
・眞柳誠(日本・茨城大學)「周辺國における中國醫學受容の歷史傾向―現存する古醫籍の硏究から」
・甄橙(中國・北京大學)「十八世紀における中國醫學と西洋醫學の比較硏究の意義」
・馬曉彤(中國・淸華大學)「中國醫學近代化の目標と道筋」
・久保輝幸(中國・中國科學院)「Lichen の翻譯と「地衣」の起源」
・Andrew E. GOBLE(米國・オレゴン大學)「中世日本における「業病」パラダイム―梶原性全のハンセン氏病への關與」

  今回の會議は筆者らにとって初めての參加だったが、その多彩な演題と數の多さに壓倒された。と同時に各國、とりわけヨーロッパの硏究者が東アジアとくに中國の醫學史・科學技術史に大きな關心を持ち、真摯に硏究している現況がつぶさに理解できた。これは主催したウンシュルト敎授が所長を務めるミュンヘン大學醫史學硏究所關連の發表が多いばかりでなく、ケンブリッジのニーダム硏究所やロンドン大學東洋アフリカ學部の中國科學醫學史部門が近年、ウェルカム財團の支援によりきわめて活發に硏究活動していることの反映であろう。

  講演・發表は相互にいささか離れた三會場でほぼ同時に行われたにもかかわらず、皆が移動を厭わず會場を行き來し、いずれの會場でも發表後に質疑應答が制限時間いっぱいまで交わされていた。むろん一部には耳や目を疑う發表や、失笑をかった質問もあったが、筆者の見聞範圍では最新の硏究成果が歐米の硏究者からも多數發表されていた。いささか殘念だったのは中國からの參加者のかなりが、自らの發表時以外は會場にあまり姿を現さなかったことである。歐米人の中國硏究はレベルが低いという声も彼らから聞こえたし、英語だけの發表・討論に不慣れなことや、觀光に出かけたい氣持ちも少しは理解できる。しかしあまりに失禮と思えたので、中國の一友人に夜郞自大ではないかと、つい嫌みを言わざるをえなかった。

  會場の運營は實にスムーズで、發表時間のずれこみなども一切なかったのは、座長の任をウンシュルト敎授や彼の硏究所員とご家族で主に擔い、時間を嚴格に管理したことが大きい。また各會場とロビーにはテクニカルスタッフもいて、發表用パワーポイントファイルの受付と試驗放映をしたため、會場で放映畫面がフリーズするような困った場面は見なかった。

  會議以外にも初日を除いた每晩、會場や出し物に趣向を凝らした懇親會があり、ビールやワインで晝間の緊張をいやすことができた。レジデンツ(バイエルン王家の宮殿、ネオ・ルネッサンス様式)の一室と中庭を借りての宴席もあったが、特に印象的だったのはドイツ博物館長の招待宴で、何と博物館の飛行機史展示會場で開催された。メッサーシュミット戰闘機やロンドンを爆撃したV1・V2ロケットまで現物が展示してあり、宴席の頭上には樣々な飛行機が天井から吊され、ドイツの工業力をまざまざと實感できる。いささか驚いたのは招待宴の冒頭にあった中國科學院自然科學史硏究所所長・劉氏のイブニング・スピーチだった。主旨は淸朝末期におけるドイツを含む八國連合軍の侵略や日淸戰争の敗北が近代軍事技術の輕視に起因したこと、いま中國人はこの歷史敎訓を忘れていない等だったため、展示物と相まって會場が凍りついたように感じられた。中國人の間からもTPOをわきまえないとの意見が後日あったほどである。

  會議の中間にあたる十七日は全日の小旅行としてアルプス山麓のBerchtesgadenまで大型バス二臺で行き、十七世紀から始まったという岩鹽採掘場を見學した。獨特なトロッコに乘って全體が一種の博物館になっている過去の坑道奧深くまで入り、採掘技術史等の説明を受け、まさに科學技術史の會議にふさわしい見學會であった。しかも晝食のレストランでは、食事が出てくるまでの間にHans-UlrichVOGEL氏による中國とヨーロッパの鹽產業史に關するテーブルスピーチまである。會議場でも四川省の井鹽採掘場寫眞(自貢市鹽業歴史博物館)と『四川鹽法志』(一八八二年)の図が展示されており、實によく配慮された會議だったといえる。

  以上のように會議の五日間は朝から夜まで盛りだくさんのスケジュールに追われ、心身共に疲れたというのが本音である。歸國後は時差もあって丸一日寝込んでしまった。しかし當會議では小さなトラブルすら見かけなかったし、連夜の素晴らしい懇親會を含め、かくも周到に準備された国際會議は初めて體驗した。仄聞によるとウンシュルト敎授は各種財團から五萬ユーロを調達し、この數ヶ月は本會議の準備だけに費やしたという。この場を借りて氏の熱意と努力に感謝申し上げ、勞をねぎらいたい。

  なお、発表題目の訳出にあたって、早稲田大学人間科学部加藤茂生氏の協力を得たことを記して、感謝を表す。