編者の南小柿寧一(みながき やすかず、1785〜1825)はオランダ医学を桂川甫周(1751〜1809)に学んだ淀藩(現京都市)の藩医。絵図に秀で、杉田玄白の高弟・大槻玄沢(1757〜1827)の『重訂解体新書』(1826刊)の附図制作も担当した。
彼は日本人の手による初の本格的な解剖図で、杉田玄白の弟子・小石元俊(1743〜1808)が指導した『平次郎臓図』(1783)に感銘したという。前後40数人の解剖に参加し、小石氏の書やヨーロッパ書の絵図も参照、漢名にない諸臓器等の名は『解体新書』と『医範提綱』から採用して詳細な絵図を作成し、本書の原本(慶應義塾大学所蔵、重要文化財)を文政2(1819)年に完成した。同9(1826)年、シーボルト(1796〜1866)はこの原本を見て、「この解剖学図は非常なる勤勉さで完成された。故に大いなる賞賛を獲得する」と賛辞を寄せている。
展示の本書は桂川甫賢(1797〜1844)の所蔵本を天保13(1842)年に模写したもので、西尾市岩瀬文庫にも模写本がある。本書には墨筆に彩色で上巻に43図、下巻に40図が載せられ、各々の要所に臓器名等と解説があり、書末に文政5(1822)年に行った妊娠サルの解剖4図を付す。上巻に桂川甫賢の序と南小柿寧一の付言、下巻に大槻玄沢・宇田川玄真(1769〜1834)・杉田立卿(1786〜1845)ら当時の著名な蘭学者が跋を寄せている。本書は江戸解剖学の到達点を如実に示し、世界の医学史上でも意義が大きい。