鄭金生(真柳誠訳)
司会:こちらにいらっしゃるのが鄭金生先生です。今年の1月から茨城大学の真柳先生の研究室に来られていまして、年内いっぱい研究されておられます。詳しい人物像に関しましては、この「薬学人物」という昨年の『中国薬学雑誌』に詳細に紹介されています。
簡単に説明しますと、鄭金生先生は江西中医学院を卒業されまして、その後、母校の方剤学の教研室に入られました。のち北京中医研究院の中国医史文献研究所の大学院に入られて、そこで学位を取得されています。そのまま研究所に残られて研究をされておりまして、96年に教授になられています。現在、中国薬学会の薬学史の主任委員、中国薬学会の理事会の常務理事などの重責を担われております。
出版されている本は数多く、たくさんありますけれども、たぶんこういう本も見受けられたことがあるかもしれません。『歴代中薬文献精華』という非常に優れた本もありまして、これは中国の国内にある図書館を50位、1人でしらみつぶしに歩いて、成果をまとめた本です。その他にも『本草綱目』を縦横に引けるようにした辞典なども最近出版されています。また『中国薬典』にも非常に影響を及ぼすような研究発表をしていまして、90年の『薬典』では胸しか使っていなかった亀板を、彼の研究成果に基づいて、背中も使おうよ、ということをやったりですね。
あるいは人工牛黄の研究に基づいた論述ですとか、数限りなくあるわけです。それについては、この写真入りのものを見ていただければ、おわかりいただけると思います。ということで、後は真柳先生に通訳を。ちなみに今日は当研究会のボランティアをかって出てくださいまして、タダで酒を飲ませてくれればやるということで、こんなにありがたいことはない。ということで、今夜は甘えたいと思います。
鄭金生:皆さん、こんばんわ。今晩、皆さんにお話ししたいことは、本草の効能の変遷という内容です。今日、薬の品種そのものの変化というのは、皆さんずいぶん研究されて注意しているのですが、その薬の効能の変化、あるいは歴史的変遷というのはまだ、それほど皆さん注目されておりません。皆さんが一般的に考えられているのは、一つの薬物の効能というのは古い時代からずっと変化がなく、ずっと認められてきた。皆そういうふうに信じているのが大部分でしょう。実際のところ、その効能というものの認識は変化しているわけです。
中国の清朝までの本草書に書かれている薬物というのは、だいたい3000種類です。一般に日常の臨床に医者が使うのは、だいたい2〜300種類です。この2〜300種類というのは、よく使う薬物、すなわちそれだけ効果はあるわけです。じゃあ、それ以外というのはそんなに効果がないのだろうか。このよく使われる薬物というものの、本草の効能記載というのは本当に信頼できるのか、ということです。今日、その2〜300種類の薬物効能のことについてお話したいというのは、一つは実際の臨床に大きく影響してくるわけです。もう一つは無駄な薬物を使わない。すなわち、医療費ということにも関連してくる問題です。
皆さん考えることは、そういう薬物に効能があるかないかというのは動物実験で確かめられるからいいじゃないかということですが、必ずしも話はそう簡単ではありません。というのも、日常の臨床というのは薬物を組み合わせた処方として使うわけですね。ですから動物実験というのは、処方でやったところで、単独の薬物の効能・効果はそうはっきりするわけではない。もう一つの問題は、今日私がお話しすることなんですが、あるタイプの薬物というのは社会的、あるいは文化的な影響から認識されてきたものです。そういう社会的・文化的なものを動物実験で明らかにするのはどうも無理でしょう。
私は医薬文献学と医学史を専門とするものですから、今日はそういった角度から薬物の効能がどのようにでき上がってきたかをお話したいと思います。文献的な視点からいいますと、本草に記載がある薬物の効能というのは本当にそのとおりなのか。例えば『神農本草経』に書かれているのは、本当にそのとおりの効能があるのか、信用していいのか、という問題です。
例えば中国にはたくさんの本草書がありますが、さまざまな本草書に同じような効能記載がある。その一点でその効能を信用していいのか、という問題があります。ですから、私はさまざまな歴史書などを含めた文献の記載を各方面から検討し、その効能が本当にあるのかないのかということを見極めるということを研究しております。
まず私は二つの例をあげて、その薬物の効能が変化しているということからお話したいと思います。まず一つの例として合歓をお話します。このプリントの2頁目の頭の左上に書いてます。今の中薬学の教科書はほとんど、この合歓に「安心解鬱」(心を安んじ、鬱を解く)という効能を記載しています。鬱というのは憂鬱の鬱ですね。本草の記載から見るなら、この安心解鬱という効能のは疑問視するに足らないわけです。
最も早い『神農本草経』に次のような記載があるからです。すなわち「五臓を安んじ、心志を利し、人をして歓楽せしめ、憂いをなさしむを主る。久しく服せば身を軽くし、目を明らかにし、欲するところを得る」という記載があります。この中の「心志を利す」あるいは「憂いをなさしむ」という記載が「安神解鬱」になるわけです。抗鬱作用があるということです。
現在、使われている『神農本草経』はそのまま伝わったわけではなく、西暦500年位に陶弘景が整理編纂して伝わっています。さらに、その時に陶弘景が注釈を付けております。それは以下の部分で、『神農本草経』の経文とはまったく話が違うわけです。陶弘景の注釈というのは、配布プリントに宋朝体の文字で書いてある部分です。「稽康『養生論』に云く・・・」というところの下の二行目に、「合歓に至りては俗間にこれを知る者少なし」といい、ふつうは誰も知らないということです。これによると、ほとんど病気を治す効果がないと陶弘景はいっているわけになります。結局、『神農本草経』の記載が正しいのか、陶弘景の見解が正しいのか、その辺りのことは少し考証してみないと判らないわけです。
2000年前のことですが、中国の古い民俗伝承に、次のような歌があります。「人に憂いなくを欲するは、則ち贈るに丹棘を以てす。丹棘の一名は忘憂。人に忿さざる欲するは、則ち贈るに青裳を以てす。青裳、一名合歓」、と。忿は怒りですね。世界中で愛情を表すのに赤い薔薇を贈るのと同じように、中国古代では同じバラ科の植物のマイカイ(和名はハマナス)の花を贈ることがありました。
昔は自分の感情を植物を贈ることによって表すのは多々ありまして、一つの例に芍薬があります。人とお別れするときに芍薬を渡すことがそうです。芍薬の別名に「何離」があり、つまり「何ぞ離れん」という意味なので、どうして離れなければいけないの意味になるからです。
あるいは帰って来てほしい場合に当帰を贈る。当帰は「まさに帰すべし」に意味がとれるからです。真柳補足:当帰には「まさに嫁ぐべし」の意味もあります。「帰」という字には、若い女性が主人の家に帰属する、嫁ぐという意味があり、本来はその意味なんです。ただ、一般の場合にはそういうふうに捉えないで、帰ると理解するので、「帰っておいで」という意味で当帰を贈ったりします。
それは他にも例がありまして、例えば中国では梨を食べるときに、決して割らない。梨と離れるの字は発音が「リ」で、まったく同じです。離れて別れてしまうのを離開といい、この発音は梨が割れる意味にも聞こえます。だから梨は決して割って食べないのですね。しかし中国では林檎は割って食べることができます。
ところで薔薇の花、マイカイの花を贈るというのは、どうぞ食べて下さいといったわけではない。それの意味を解って欲しいということです。その薔薇の花を煎じて飲んで下さい、というのはではないのです。ですから合歓を贈るというのは合歓を贈ることによって、あなたどうぞ怒らないで下さいと伝えているのです。合歓を煎じて飲めば、怒りが止みますよというので贈っているのではないのです。
確かに『神農本草経』には「人をして歓楽せしめ、憂いなさしむ」と書いてあるのですが、この『神農本草経』というのは現在の『薬局方』のように、皆で研究した上で書いてあるものではないのです。いい加減といえばいい加減、まして作者がわからない。いろいろな人の合作であるわけです。確かに『神農本草経』というのは現存する中国最古の本草書ですし、それゆえに経典としてずぅっと考えられてきています。しかし、だからといってその記載が全て正しい、信用していいかというのは別問題です。しかも『神農本草経』のこういう記載に対して、陶弘景が西暦500年位に反論を出しているのです。しかし陶弘景がそんなことをいっているのを、その後1500年の間に誰も注目しないで相変わらず、この『神農本草経』の「憂いをなくす」というのを信用しているわけです
次に「合歓」という植物について考えたい思います。すなわち合歓という植物名は「合い歓ぶ」わけですね。人を楽しくさせるから合歓という植物名、薬物名があるのか。あるいは逆にこの合歓という名前があるから、人を楽しくさせるという効能を考えついたのか。どちららなのかを考えてみたいと思います。
この合歓という植物の薬効記載が唐の時代にすでにあります。しかし、それは人を楽しませるという効能ではなく、肺廱つまり肺膿瘍のような疾病に対して合歓の樹皮を使うという記載が唐代の『外台秘要方』にあります。『外台』では「合昏」という文字で記載されています。『新修本草』や『証類本草』の記載を見ますと、唐から宋の間で合歓の別名に「合昏」「夜合」「黄昏」という記載があります。この黄昏はタソガレの意味ですね。これはマメ科の植物ですから、夜になると葉っぱがぺたっと収まる。それで眠くなっちゃったというふうに、それが合昏の意味です。
真柳補足:「昏」という字は今この字を書いているのですが、元の字は「民の下に曰」です。唐の皇帝に李世民という人がいまして、この民という字が使えないのです。それで民の字から一角減らして氏に変えたのです。以前は全部これを使っていたのですが、唐代に民の字に欠筆を行ったので、この「氏」の字になってしまったのです。ですから、これは唐以降の字でありまして、唐以前の古い字「民の下に曰」が正しい字です。
唐代の記載でも、葉っぱが夜になると両方からペタッと畳むといい、マメ科にはこういう葉があります。それで合昏という。宋代にもこういった記載がありますが、今は省きます。ですから「合歓」という名前は「合昏」あるいは「夜合」という名前から派生してきた名前です。
もう一つはHな話です。あまり言いたくはないのですが、この「合歓」というものは夜になると一緒になるという意味もあって、これが合歓ですね。合昏から合歓というのは音の変化ですね。昏と歓が似た発音のため、合歓の字に変化したのです。それから合い歓ぶというHな意味を兼ねて、夜になるとペタッと重なるということから夜合になった。つまり両方の意味があるのです。
したがいまして合歓の抗鬱作用・精神安定作用のようなものは、この合歓という名前があるから出てきたので、効能があるからこの名前が付いたのでは決してない。命名からいえば全然話が違う。これは個人的な意見で、私が言うのは自由です。しかしながら現在の実験からいいますと、利尿とか瀉下とか発汗作用はそれなりにデータが出せるわけです。けれども、あなたの気持を楽しくさせるというのを実験するのは難しい。こういったことは動物実験では判らないので、文献学的な方法から考えてみるしか今のところ方法がないのではないでしょうか。
二つ目の例として、亀甲、亀の甲羅をあげてみたいと思います。妻が少し前に来日したので、二人であちこち出かけました。私が見る限りでは、日本の池とかそういう所には大体、亀がいます。自由に泳いでいて、日本の亀は本当に幸せだなーと思いました。しかし中国の亀はそんなに幸せではありません。大体、池になんか泳いでいない。いるのは食品売り場です。もし池にいたなら、即刻捕まえられ、食べられてしまいます。
どうして亀は中国では食べられてしまうのか。亀が長生きという伝承は日本にもあるわけですが、結局、亀は長生きという理由から食べられるわけですね。もう一つ、亀は「四霊」という動物、霊的な動物の一つです。四霊とは麒麟・鳳凰・亀・龍ですね。四霊のうち、鳳凰も龍も麒麟も現実的には存在していない、ただ亀だけが現実に世の中に存在している。この亀というのは中国では、一つに長生きで、もう一つに霊的である。それゆえ中国の亀はどうしようもない運命に陥ってしまった。
中国の上古、殷の時代なんかには亀甲を卜占に使っていたわけですね。甲骨文字のあれに使っていたわけですが、その他に薬物としてもかなり早い時期から書かれていて、晋代の『抱朴子』に書いてあります。「その甲を剥ぎ取り、火で炙り方寸匕にて服す」とあります。方寸匕は正方形の一辺が一寸の平らなスプーンですね。こういう四角い板ですくって、その粉末を飲む。一日三回、これを飲み続ければ、千歳まで生きられるというようなことが『抱朴子』に書いてある。『抱朴子』は大体4世紀の本ですね。320年位でしたでしょうか。それくらいの著作です。
『神農本草経』にもまた「久服すれば身を軽くし、飢えず」、という記載があります。身体が軽くなってきて、お腹が空かない。ものを食べなくても生きていかれるようになるというような『神農本草経』の記載があるのですが、亀というのは寿と霊ですね。これは寿つまり長生きするということと、霊的であるというのに起因した記載です。また『神農本草経』の陶弘景の注でも、亀の甲羅は薬用にすることができて、あるいは仙用されるという。つまり道家達の神仙術・不老長寿の方法にも使うことができるという。また亀の肉というのは羹(あつもの)、すなわち肉入りのお吸い物、亀肉入りスープにして、飲むと身体を大いに補って、神霊的な効果があるという記載を陶弘景がしております。
他にも『神農本草経』の記載がいつくかありますが、それをまとめてみますと、一つの治療効果というのはチョウカ・積聚、堅いしこりができる、チョウカとか積聚を治すというのが亀の効能記載の一つです。この亀甲の効能記載と鼈(ベツ、別)甲の問題があります。
真柳補足:日本では鼈甲というと、江戸時代から別のタイマイの甲羅になってしまいましたけど、実質的に鼈というのはスッポンです。スッポンの効能の記載と亀の甲羅の記載は基本的には同じです。
この腹の中のしこりを取るという効果が、スッポンにしても亀にしても甲羅にあるというのは象形比類、形によって類推していくという方法です。共に土の中に穴を掘って行く、泥水の中を行くというのに由来した発想です。
もう一つに亀甲に痔核を治す効果があるというもので、馬王堆出土医書にも記載があります。これは亀やスッポンの頭の形と、外痔核の形の連想であるといわれています。
さらに、新生児の頭の縫合がくっつかない、開いているというのを、この甲羅が治すという効果があります。この縫合がくっつかないというのに亀板、亀甲を使うというのは、私の推測では亀の甲羅、特におなかの方ですが、がっちりと縫合しているのが見えます。そこからの連想ではないかと考えています。
もう一つの効能は骨折を癒合させる、骨接ぎの効果があるということで、宋代から明代いずれも記載があります。それゆえ明代の話では、骨折するとすぐに亀の肉を食べる。
今まで私が話したことは、それほど皆さんよく知っているというわけではない。そのような記載があるというだけのことです。
もう一つちょっと違う話ですが、占卜に使った甲骨です。(真柳補足:亀の甲羅に焼けた棒をこうやって当てると、ボクッという音がして卜の形のヒビが入る、だから卜なのです。本当ですよ。冗談ではありません)この占いは、殷から宋代位まで中国ではずうっとやっているのです。それの使い終わったものを「敗亀」という。亀の甲羅を焼け火箸で焼いて、割れ目を付けて、その割れ目で占っているわけですが、この割れてひびの付いた亀の甲羅を敗亀、またの名を「漏天機」というのですね。
これは天の意志を知らせる、天の機知を知らせることのできる効能があるということで、漏天機という別名があります。『名医別録』には、この漏天機には「資智」を増すという記載がある。この「資智」ですね。智を資する、智恵を増すというのは、当然ながら心を補うという効能に認識が変化してくるわけです。宋以前には今まで話しましたような、さまざまな亀甲の効能というものが本草に記載がありますが、現在はそんなもの全然忘れ去られているわけです。
一般的に亀甲は滋陰、陰を潤すという目的にも使われています。この滋陰は朱丹渓以降の説です。もちろん朱丹渓は元の時代の医者で、滋陰学説というのを大いに提唱したわけですから、さまざまな薬物に滋陰の効能があると考えています。スッポンもその一つで、以来、亀にしても滋陰という効能がずっと認識されているのです。ただ現在に至りまして、一般の人々は陰を潤すのか、陽を潤すのか考えなくなってしまった。要するに潤す、つまり強壮作用がある。それだけのために亀とかスッポンのことを考えてしまうために、中国の池には亀がいなくなってしまった。レストランにしかいない、可哀想な亀です。
私は今、二つの例を上げたわけですが、このことからわかるように薬物の効能認識というのは古い時代から現在まで、何度も何度も変化しているわけです。その変化というのは、あるものに関しては元々ないのに途中から出てくる。あるいは、あるものに関しては元々さまざまな効能が認識されたのが、ある時に、後世になって整理されてきている。この二種類のタイプの変化があります。
さて以下は、中国生薬の効能認識に変化に影響を与えている、いくつかの要素についてお話したいと思います。こういった影響を与える要因・要素というのは人文学的要素です。哲学・社会学・民俗学・文化人類学、および古代の巫ですね。シャーマン、あるいは道家、あるいは釈つまり仏教徒ですね。あるいは儒教等です。ここでは三つの要素についてお話します。
一つは巫医の用薬、シャーマンの薬の使い方です。皆さんご存知のように扁鵲の「六不治」は有名なのですが、紀元前の古い時代には医者と巫=シャーマンというのが混在していた時代です。したがいましてシャーマンの使う薬というものも、中国生薬のルーツの一つです。ただし時代が古い。シャーマンが使った薬というのは3000年前、4000年前かもしれない。その間にごちゃごちゃになってしまいまして、どこがシャーマン的な使い方なのかというのがはっきり分からなくなってしまっている。それで現在も使われているという例があります。
皆さんご存知の中国の医学経典の最古典であります『素問』の中にも、そういったシャーマンの薬物利用に関する記載があります。『素問』繆刺篇の記載ですが、尸厥という結核の進んだような状態には、病人の左側の髪を焼いて治療に使うという。まさに典型的なシャーマン用薬です。これが一つの例です。
後世に「血余炭」というのがありますね。髪の毛を焼いたものです。この「血余」というのは、『素問』の「左角の髪」という記載から派生してできたもです。1930年代に江紹原という人が『髪髭爪』という本を書いていまして、髪を使ったり、髭を使ったり、爪を使ったり、陰毛を使ったり、尿を使ったり、下着を使ったりという薬物は、全てこのシャーマン的な発想からきている、というふうに彼は云っております。
なぜそんなことを云うのかというと、シャーマン医者は「万物有霊」という。万物に霊があるので、人間の身体に密着しているもの、身体の部分、髭だとか爪には、その人の霊がある。その霊力によってその人の治療を行う、という発想がシャーマン医者にあるからです。皆さんもご存知のように医聖の張仲景が著わした『傷寒論』ですら、これがある。すなわち「焼コン散」です。女性には男のパンツを焼いた灰を、男性には女のふんどしを焼いた灰を与えるという治療が載っております。
1973年に馬王堆から出土した『五十二病方』という医書には、こういったシャーマン医者の使った治療処方がたくさん載っております。人体のさまざまな部分を薬物として使うというシャーマン的な発想というのは簡単に見分けることができるのですが、それ以外にも植物薬などにもシャーマン的な発想で使われている、残余・残渣みたいなものが効能の中には認めることができます。
そこで、私が一つの例として挙げたいのが桃仁です。皆さんもご存知のように、桃仁というのは活血化オですね。血のエネルギーを増して、オ血を除くというような効能があります。しかし植物学上あるいは形態的にも桃仁と非常に近接した関係にある杏仁には、活血化オの作用がもちろんなく、鎮咳作用で用いています。また桃仁と杏仁の化学成分というのはほとんど近接している。その上、この桃仁で咳を治すことも可能です。しかしながら皆さんは桃仁が咳を治すことができる、鎮咳作用があるということを忘れてしまって、活血化オのことばかりを考えている。私はそれについての考証をお話いたします。
ここに私は一つの発想を述べたいのですが、古い時代では桃の木によって邪気、あるいは鬼を追い払うという習慣がありました。この鬼というのは、なかなか打ち殺すわけにはいかない。なかなか死なないのです。ところが桃の木あるいは枝を使ってやりますと、鬼を征伐できるというのです。(真柳補足:桃太郎さんにもそのアイデアが転用されています)。中国の道士が持っている刀は桃の木で作ってあるのですね。道士は金属製品を持てない。代わりにこれで邪気を追い払う。あと中国の昔からの習慣で、桃の木の板を門の左右に貼り付けて、邪気を避けるという習慣があります。後世では、そこに漢詩を刻むのですね。両方に漢詩を刻んで対聯というのですが、左右に並べるという習慣に変化している。
それゆえ本草書の記載では桃に関係あるものは皆、邪気と関連した記載があります。例えば陶弘景の『神農本草経集注』の中に載っております桃の枝、桃、あるいは桃花。それから桃梟(キョウ)、これは桃の果実が熟さないで、地面に落ちて乾いたもです。それから桃蠹(ト)、これは桃につく虫ですが、いずれにも鬼の気を打ち払ったり、追い出すという効能が記載されています。
古い時代に鬼の気と関係する病気とは、どのようなものだったかというと、尸注・鬼注・・伝尸鬼気咳嗽というのですね。それから好魘というのかな。真柳補足:日本語で何といったっけ。夢でこぅ・・ぐぅっと呼吸ができなくなったりするのは。そう金縛り、この金縛りが、みな鬼に関係していると中国では考えているわけです。
では、『神農本草経』に書かれている桃仁の主治というものは、もしかしたら鬼と関係があるのでしょうか。『神農本草経』の記載では、神器霊物、神の祀り事をする時に使う道具。それで霊的なもの、例えば古鏡、古い時代の鏡ですね、青銅を磨いて使う鏡。あるいは竜骨・亀甲・太乙余粮・桃仁、それらには全て共通の効能の記載があります。すなわち、それは女性の月経停止、あるいはチョウカ(腹のしこり)です。それらを治すというのが、これらの霊的なものに共通した効能です。
これはどういうことかといいますと、昔は血閉・チョウカというのは、突然月経が止まりまして、お腹がどんどん大きくなってくる。妊娠かと思っていると十か月経っても、生まれないままで、ますます大きくなってくる。これは腹の中に鬼が住んでいるというわけです。腹の中に鬼が住んでいるというわけで、これに対しては、霊的な力のある鏡とか竜骨とかそういうものを使う。もちろん医学はどんどん発展していきますから、こういった女性のお腹が膨れてくる、それは決して鬼なんかが住んでいるのでなくて、?血であるという認識が当然ながら出てくるわけです。
すると桃に霊的な力があるということが忘れ去られてしまって、ただ桃はオ血を取り除く、お腹のしこりを取るということだけが印象として残るのですね。霊的な桃の力を借りて、鬼を追いだすという話は消えてしまって、今度は桃にはオ血を除くという効能が、逆に認識されてくる。それが『傷寒論』の桃核承気湯などです。
さらにオ血を除くということができたなら、もしかしたら堕胎・流産させてしまうのではないかと考えてしまう。したがって後世になってしまうと、「妊婦には桃仁を使ってはいけない」という言い伝えが生まれてくるわけです。しかし桃に堕胎とか流産の作用があるというのは全くの嘘でして、例えば北宋時代の『本草図経』という書物の記載があります。それを読みますと、「都下のマーケットでは桃仁の種を炒めて売っている、皆それを食べて元気が出てくる」と書いてある。アーモンドと全く同じく、今でも売っています。ですから昔のシャーマン的な発想から効能が生まれて、医者はそれを信用してきたわけですが、一般の民間ではそんなことは無関係に桃の種を炒めて食べているという現実があるわけです。現在では忘れ去られているのですが。
一方、桃仁には鎮咳作用があるという記載がありまして、それは双仁散という桃仁と杏仁を合わせて使う散剤です。もう現在は桃仁をせき止めに使うという人はいなくなって、忘れ去られているのですね。そして段々、桃仁=オ血というイメージが強調されていっている。私が中国医学がシャーマン医学から来ているのだというと、まるで中国医学を辱めるのではないか思われますが、そんなことはない。元々そういうアイデア・発想というのはどこにもあるし、それはあって当然なので、私だって祖先は猿でしょう。それと似たようなもので、昔から徐々に変化してきているもので、祖先は祖先であるということです。しかしシャーマン医者が用いた薬の効能ということを私達が認識することによって、現在使っている薬物の効能のどこまでが、こういう要素があってこういう要素があるということを考えるヒントになるわけです。
中国医薬に影響を及ぼしている思想・考え方にはシャーマン医者の話以外に、道家の要素が入ってきています。中国では漢代から隋代位までは道家達による煉丹服餌という一つの技法・修練方法が非常に隆盛でした。まさにこの時代、漢代から隋代というのは中国の本草が整理され、編纂された時代でもあります。その上に有名な道家達はまた、本草の編纂にも貢献しております。この『神農本草経集注』を編纂しました陶弘景も道家です。しかしながら道家が薬を用いるのと、医家が薬を用いるのとはまったく目的が違います。道家が薬を用いる目的は長生不死です。医者が薬を用いるのは病気の治療です。あるいは健康の維持です。目的がこのように違いますから、効能に対する認識も違います。
しかし、薬物がどうしてこういう効果を出すのかという認識、あるいは解釈というのは道家にしても医家にしても、さほど差はありません。また同時に道家の人達が本草書の編纂にさまざまな功績を行っていますので、現在、本草書の中に書かれている効能中、どれが道家的な薬の使い方なのか、どれが医家的なのかが判らなくなってしまっている。ごちゃごちゃに混ざってしまっているという状況があります。
そして明清時代になりますと、中国にも復古思想が芽生えてきます。ついで漢代のものは素晴らしいという考え方が出て来まして、人々は『神農本草経集注』あるいは『新修本草』などに書かれている効能・効果中の道家と医家の使い方の違い全く意識せず、ただありがたい、ありがたいといってごちゃごちゃにするのが始ってきます。
私はかつて『神農本草経集注』を詳細に検討したことがあります。そこで陶弘景は、はっきりとこれは道家のもの、これは医家のものと区別して記載しています。『神農本草経集注』の陶弘景注を見ますと、道家の用いているものに関しましては「仙経」にこうある、と区別しております。一方、医家の使う薬の使い方に関しましては「俗方」にはこうある、と区別しております。あるタイプの薬物に関しましては道家は用いるけれども、医家は用いないというような記載を陶弘景はしております。
一例に金屑があります。金箔のように金の削った粉だと思いますが、これを道家は液体化して服用する。実際にできるとは思いませんが(真柳補足:水銀を使った金アマルガムなら可能)、それによって体を金に変える。金は錆びない、腐敗しない、すなわち死なないというアイデアがありまして、道家は不老長寿の目的で金屑を使う。しかしながら医家に、これを使う人達はいない。なぜなら医家はこれに毒があるからだと考えている、という記載を陶弘景がしております。これに関しては道家と医家の考えは全く違うわけです。
一方の見方としては、道家の求める不老長寿の効能がないもの、同じ鉱物薬でも例えば石膏ですが、石膏にはそういう効能が認識されていない。したがいまして医家は石膏をたくさん、白虎湯のように使うわけですが。陶弘景は「仙経はこれを知らず」と書いています。道家はこの石膏の効能を認識していない、と陶弘景は記載しております。さらにたくさんの植物薬を医家は使うけれども、道家達はほとんど使わないという状況があります。
道家が主に使ったものは鉱物薬で、それらは例えば金にしても雲母にしても、腐敗したり錆びたりしないわけです。そういったものを服用することにより、自分の身体を錆びたり腐敗したりしない身体に作り変えていく、というのが道家の理想であり、目的です。したがって鉱物薬が多い。したがいまして、あるものは道家も医家も使うのですが、効能認識が違うということがあります。
そういった例の一つに車前が上げられます。陶弘景の注によりますと、当時の医家は車前つまりオオバコの葉を使っています。車前葉を使って精が漏れるのを治療し、甚だ効果がある、と記載しております。逆に道家の記載では葉ではなく種子、つまり車前子を使う。「車前子は人をして身を軽くし、岸谷を跳び越える効果があり、老いずして長生きする効果がある」と、全く違うことを考えている。
現在は、道家のいっている不老長生というのは、結局そんなものは不可能だというのがわかっているわけですけれども、本草書の中にはその記載がうんと残っていて、皆すぐそれを信用してしまう。
皆さんご存知の霊芝がありますね。マンネンタケ。この霊芝というのは元々は仙人の象徴でして、昔の仙人はそれを使って長生きしたといいます。木本状に大きくなるキノコですから、最初からカチカチに固まっているわけですね。朽ちない。それで道家は喜んで使っていたのですが、そんなものに効果はないでしょう。『神農本草経』に五つの霊芝が載っていますが、そんなものに効果はないと皆わかっていた。ところが今になって、また中国では大流行している。今、霊芝をありがたがっている人達は、道家が仙人用にありがたがっていたことを忘れてしまっている。そんなものはほとんど迷信に過ぎないということを忘れてしまって、ありがたがっているという状況が現在の中国にあります。
すでにシャーマン医者、それから道家の薬の効能認識の話をしました。では最後に一つ。では元々、本来の医者の使っていた薬の効能認識はそれでいいのか?正しいのかということも考えてみたいと思います。結論からいうと、医者の薬の使い方は必ずしも正しくない、といえます。医者だって人です。それぞれの当時の文化とか社会的な影響を当然ながら受け、それが彼らの効能認識に反映されことがあるのです。
その前にお話ししたいのが中国生薬の理論的問題です。宋・金元以前に理論というのはあるにはあるのですが、極めて簡単なものです。しかしながら金元時代に入りまして、薬性理論という一つのジャンルができて、そういった理論システムが徐々に形成されてきています。
この薬性理論は「内」と「外」から考えることができます。私が「内」といっているのは薬物そのものの本質を「内」といっているのでして、それは性味すなわち気味とか帰経とか効能・効果です。「外」といっているのは、もちろん外観のことも含んでいるのですが、「法象」のことです。これは張潔古以降の伝統的な表現です。この「法象」は外観すなわち大きさ、形、色、重さ、潤っているか、乾いているか、あるいは民俗的な影響がそのものに対して持っている概念ですね。そういったものが全て含まれます。
そして金元時代になり、性味に象徴されるもの、あるいは外・法象というもので、薬物の効能・効果を整理し、帰納して考えていくというシステムができ上がっています。ではこういった理論化に、どういった特徴があるのか、あるいは欠点があるのかといったことをお話します。
この長所、いいところというのは、この理論で薬の使い方を簡単に理解できる。例えば味が甘いものだったら補、補う作用ということだけ覚えればいいわけですね。甘草にしても大棗にしても甘い。だったら補だというふうに分かってくるわけです。こうすれば一つ一つの薬物の細かい作用というものを認識する必要はない。味さえ覚えておけばいい。あれは甘い、あれは苦いと覚えておけばいい。
欠点はどういうことかといいますと、こういう理論でどうしても帰納・解釈できないような効能・効果を捨ててしまう。その背景にあるものが一つあります。これは宋以降、科挙に受からなかった人間が医者になるという風潮が芽生えてきたということです。
宋代の記載ですが、「良相たらざれば、良医たれ」という話があります。官僚になれなければ、いい医者になればいいという話です。孟子の時代なんかですと、医療を行うというのは非常に小技でして、政治官僚に比べて小さなつまらない技術だとされ、医工といわれてました。単なる技術者という理解があったのですが、宋代以降になると科挙に受からなかった儒学関係の人が、堂々と医者になれるという雰囲気ができ上がってきます。儒を元々やっていた人間が医をやるということは、当然ながらいい影響もあるわけです。すなわち儒を学んだ人間は文章を書くのがうまい。物事を上手に整理することができる。しかし逆に悪い面もあったのです。それは朱熹に象徴される宋代儒学の「格物究理」の考え方、理気学の考え方が医学の中に反映されることです。ここで二つの例を上げます。
一つは升麻についてです。この升麻に関する『神農本草経』の記載はペーパーに書いてありますが、これを一つにまとめますと、結局「解毒」です。この升麻の効能は『神農本草経』にたくさんありますが、これは解毒の一言に尽きるというのを陶弘景がいっています。北宋の時代の朱肱は『傷寒論』に関する『傷寒類証活人書』を書いていますが、彼はもし犀角が無ければ升麻で代用しろという記載を残しております。あと『本草図経』を書いた北宋の蘇頌は、ともかく毒に関するさまざまなものは、とりわけ升麻に治療効果があるという記載をしております。このように升麻の効能というのは『神農本草経』から北宋の時代まで解毒というシンプルな効能が認識されていたわけですが、金元時代さらに現代になりますと、全く違う話になってくるわけです。
金元時代に何を言いだしたかというと、陽気を昇らせる昇陽の効果があると言いだした。升麻というのは性が微寒で、効能が解毒の薬物なのです。これと陽気を昇らせるというのは全く関係ないはずです。解毒というものがどうして陽気と関係するのか。誰が最初に言い出したかとというと、張元素(潔古)ですね。張潔古の出した「気味厚薄の理論」というのがあります。味とか気が薄いものは皆、上にフワフワと昇って行くということで、升麻もそうだと張潔古がいっております。これ以降、升麻には升陽提気、陽気を昇らせ、気を持ち上げるという作用があるとずーっと考えられて、現在も中国の教科書でそう書いてあります。皆がそう考えるようになったのは、さらに要因があります。
李時珍の『本草綱目』に「升麻の葉の形は麻に似て、その性は上昇する。だから升麻という名前がある」というふうに、升麻の名称の由来は効能と形態から来たと李時珍が「釈名」のところで述べております。しかし李時珍は明代です。16世紀の人です。どうして千年前の命名を彼がわかるのでしょうか。しかし私が今、話しましたように、『神農本草経』から『神農本草経集注』あるいは宋代の記載まで、どれ一つとして、「気を昇らせる」なんていう効能記載はありません。こういった儒学の思想の影響を受けた人達は、いずれもやたらと考えてしまう、やたらと理屈っぽくしてしまうという問題があります。「医者意也」というのですが、これも非常に古い言葉ですね。
この「升」という字から李時珍はこういう理屈をいっているわけで、あるいは張潔古もいっているわけです。またシツ藜(レイ)に関しても『神農本草経』に「升推」という別名の記載があります。では?藜(升推)に陽気を昇らせる作用なんて誰かいっているのか。補中益気湯になぜシツ藜を入れないのか。李東垣の補中益気湯には升麻が入っているわけですね。陽気を昇らせるという目的で、李東垣は入れているわけですね。
漢代の話ですが、この「升」という字には古い時代の書き方があり、こう書きます。私の解釈によりますと、この字体はまさに形状を表している。茎から葉が三叉に別れて出ている形状を表している。これが升の字の形です。もう一つ、漢代には升の字に穀物の収穫という意味があります。この升麻の花が咲く時期というのは、穀物が実る時期、穀物を収穫する時期です。升という字には、収穫するという意味があるから、升麻という命名をしたのではないかと私は考えています。このように升麻の名前由来には、いろいろな解釈方法がある。しかしなぜ一つだけ、升は昇るということだけで解釈してしまうのか。
でもこの私の説に対して反論する人がいるでしょう。升麻にもし陽気を昇らせる作用がなければ、どうしてたくさんの処方に陽気を昇らせる目的で升麻が配剤されているのか。そして、それに効果があるのか。ただし忘れてならないのは、こういう陽気を昇らせる処方、補中益気湯などが代表ですが、そういった処方には升麻が単独で配剤されているのではない。黄耆・甘草・白朮・人参といった陽気を昇らせるものが同時に配剤されている。ですから升麻単独の作用なんて、そこで出ているかなんて分かるわけはない。すなわちこれを言い出したのは、医者の中の儒医と称した人達ですね。この儒医という人達の理屈が交じりこんだ話です。
二つ目の話は鬱金です。皆さん、大陸の中薬学の教科書をどうぞご覧下さい。この鬱金に関しては、みな解鬱という作用が書いてある。ずーっと『神農本草経』からご覧になって下さい。この鬱金に鬱を治すという効能は全然探せないはずです。私がずーっと見てきたところ、結局この鬱を治すと言い出したのは誰か。元代の朱丹渓です。『本草衍義補遺』という本を朱丹渓は書いています。
これにどういうことをいっているかというと、「鬱金は特に、香り、味があるわけではないのだけれども、鬱金という名前からするならば、おそらく鬱を解くということを、昔の人は考えたに違いない」と推測しているだけです。朱丹渓は特に断定していたわけではないのですが、後世になって、徐々に鬱を解くのだとなってしまい、解鬱は鬱金だというふうに認識が完全に固定してしまった。
これは私が特に提唱したわけではなく、すでに清代の陳修園が指摘しています。陳修園はどういっているかといいますと、「現在の医者達がいっているのは二つ間違いがある。一つは生脈散の問題である。もう一つは鬱金である」、と。生脈散というのは元々、脈がなくなって死にそうな人に使う意味で生脈散といっているのではない。別な意味で生脈散といったのを、字面から脈を生かす、だから死にそうな人に使うというふうに使い始めてしまっている。これは大きな間違いである。もう一つは鬱金もそうである。鬱金も鬱金という名前から鬱を治すのだと考えてしまっている。これはとんでもない間違いだと陳修園がいっています。
時間がないので、あと一つだけお話します。私はかつて十八反という、要するに毒のある薬と組み合わせてはいけない、却って毒性が高まる、という理屈を調べてみました。その一つに、藜蘆には毒性があり、人参など五つの薬物と組み合わせたら藜蘆の毒性が強まるという記載があります。しかし、それが人参の「参」という字があるものに全部、後世、拡大され、三十いくつの「参」字がある薬物に対して、藜蘆と組み合わせてはいけないという記載がある。そういうふうに発展していってしまった。単に「参」という1字の発想からですね、何でもかんでもなってしまったということがあります。
今晩、私の話で御理解いただきたかったのは、薬の効能というのは古い時代から現在まで、常に変遷し続けている。したがって今後はさらにこういったものを明らかにしていくには臨床、それから文献・実験の三方面からやっていかなければならない、ということです。それには皆様方の御協力もいただかねばなりません。
司会:それでは、二十分ほど時間がありますので、御質問がありましたらどなたでもどうぞ。
A:すいません。道家の用薬のところで、道家が使った薬物というのはおそらく、鉱物薬も含めて毒物薬がほとんどだと思うのですが。
真柳:そんなことはないですよ。例えば、道家は山に行って朮つまりオケラを食べて、最後には穀物絶ちをするわけですね。その途中でキノコを食べ、さらにキノコ中毒でトリップし、仙人になったなんて思いこむのですね。
A:断食の仕方というのは医家が煎じて飲むのと同じような仕方なのか、それとも液体にする時に希釈をしたりするのか・・・
真柳:アマルガムなんか使っています。金アマルガム、つまり水銀で金を溶かすのですね。この金アマルガムを使って液体化して、服用したことがあるようです。
A:かなり濃いのを使うのですか。どうなんでしょうか。
真柳:『抱朴子』にはいろいろな記載がありますけどね。アマルガムを使う方法というのはメッキの方法など、かなり古い時代からあります。奈良の大仏なんかも金アマルガムを塗った後、中から加熱して水銀を蒸発させる。そうすると金が表面に着く。そういう方法は昔からあり、もちろん道家達が煉丹術の中で開発したものです。
平馬:ちなみに、彼女の質問は水銀のような毒性のあるものも、結構使うけれども、それはほんの微量を服用するのか、それとも結構な量を飲んじゃうのか、そういうことですか。
鄭:結局、これはややこしい話でありまして、用量の話ですね。現在に至ってもそうですが。多いか少ないかという問題は非常にややこしい話。同じ処方でも、これは道家とは離れた話ですけど、同一処方でも書物によっては十倍くらいの処方量に違いがあります。では十倍の量を煎じているのですけど、じゃあ一回で飲んでいるのかというと、そんなことはわからない。また水銀はかなり早い段階から、毒性が認識されています。その毒性を普通は外用薬で使うのですね。塩化水銀などで塗って、皮膚病なんかに使う。内服するというのは極めて少ない。しかし、まぁ自殺したければ水銀を飲めばいいのだけれど。古い時代にも水銀で自殺という記載はあります。朱砂つまり硫化水銀も二つの考え方がありまして、一つは朱砂は非常にありがたいものである。血液を象徴していて、ありがたいもの。もう一つは、これは毒性が強い、危ない。二つの全く相反した認識がされています。
小高:最初の「合歓」のところの、いいたいことがよく解らなかったので、もう一回確認をしたいのですが。『神農本草経』の「五臓を安じ、心志を利する」ではなくて「XX」ではないですか。
鄭:使った底本が違うのではないかと思います。私は『政和本草』の『神農本草経』の文章をみていますが。森立之のと違うというのでしたら、森立之が正しいに決まっています。
小高:ここで合歓のことを取り上げたかったのは、怒りを取り除くとか、心志を和らげるとか、我々が普段、日常的に使っている合歓皮、あるいは合歓花の使い方がなんだというのですか? ここのところで先生がわざわざ合歓を取り上げた理由がいまいち、よく解らないのです。
真柳:それはですね、この『神農本草経』の効能認識が、すでにそれ以前の民俗伝承から由来しているということです。伝承から名称がきて、効能ができてしまっている。その効能のために薬物として認識されたのではなく、名称から効能が生まれて、だからこれは薬物だとして記載されている。ということをいいたいのです。
小高:そうですかね。まぁちょっとそれに関しては反証の論拠がないから、何もいえませんけど。例えばもっと面白い話として考えれば、合歓皮の中に骨を接ぐ、接骨的な話が考え方が出てきますね、後世になって。それは葉っぱが付くからということから骨も付くとかね。そういう話の方が話としては面白いと思うのだけれど(爆笑)。升麻だけは経(?)の話の中で、陽気昇提の話というのは、先生ご自身はその薬効はあると思っていらっしゃいますか? それともそんなものはないと思ってらっしゃいますか。
鄭:私の考えでは無い。
小高:それでは合歓皮の中の、今の骨接ぎとかね、筋肉の痛みを和らげるとか、それからいわゆる解毒、特に肺の炎症を抑える。例えば『千金方』に先程、先生が書かれた「黄昏」と黄昏というのはタソガレですね。タソガレというので、咳を取って、微熱を取って、という、いわゆる肺膿瘍みたいなものを取るというのは唐の時代には認められているし、先程言った、骨接ぎみたいな働きとかあるのだけれど、あんまり一般的ではないですよね。それが今でもあると思いますか?
鄭:これは、あるも無いも言えないのだけれど、研究する必要があるでしょう。臨床的に確かめる必要があるでしょう。しかし、私は肺膿瘍には絶対使わない。もし使ったら、私は死んじゃう。
補中益気湯は甘温除熱、甘くて温かい薬物で、逆に身体の熱を取るというのが補中益気湯の有名な話です。この補中益気湯は慢性化した発熱性疾患で、正気が虚して、しかしまだ邪気があるという時に使い、それは補中益気湯の中の柴胡と升麻、ともに性が涼、微寒の作用によります。これが熱を取りながら、邪気を追い出すという作用です。これに升麻は効果があるというわけで、決して昇提作用ではない。ですから、私は升麻の昇提作用というのは認めないのですが、補中益気湯の中の升麻の役割というのは非常に重要だと思っています。
平馬:今の補中益気湯の話は全く同意見です。
C:例えば、補中益気湯を痰飲があるというのに使うと、痰が上がってきて詰まっちゃってるというのがあるので、使わないのですけど。それは柴胡と升麻のそれが、そうではないかと思うのですけど、今まで思っていたのだけれど、ちょっとびっくりしてカルチャーショックを受けているのですけど。
D:ちょっと補中益気湯に関して、元々どういう疾患に使われたか補足します。李東垣がてすね。最近、中国ではそういう症例もあるのですけど。それは元々ペストに使われたらしい。ペストはXX(シュイ)ですから、それに対して升麻も柴胡も強い解毒作用があって、特に升麻の作用が強調されて、それでペストの大流行にとってよく効いたという歴史的な考察があるのです。確かに鄭先生の研究と合致していると思います。
遠藤:あのぅ、犀角をどういうふうに理解しているかを伺いたい。いわゆるユニコーン、一角獣ですね、それとの関連で。西洋で常にこう、それの現実の動物が犀角だというのですね。それの一角獣の憧れみたいなものが犀角の薬効と繋がるのですよね。
真柳:それは彼に聞いてもわからないかもしれません。ヨーロッパの概念が中国の漢代位に既に伝わっていて、それで犀角の解毒作用というものができたのであろうかということを聞きたいのでしょうか。長くなりそうなので、それは二次会で筆談でやって下さいませんか。もう通訳は疲れました。