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川原秀城著『毒薬は口に苦し−中国の文人と不老不死』 書評−スケプティックが
解剖した中国医薬文化、負の遺産−(『和漢薬』52巻8号(通巻591号)14-15頁、2002年8月)

書評 スケプティックが解剖した中国医薬文化、負の遺産

茨城大学人文学部教授  真柳  誠

 私が授業の教材に『本草綱目』など中国本草書をよく用いるのは、それらを楽しむ学生が多いからである。本草書のいう効能・採取・加工・応用などに奇想天外なことがあまたあり、彼らはそれが面白いという。例えば「ネズミの歯は痔瘻にいい」とあるが、それはネズミが歯で壁に細い穴をあけるからに違いない。こうした連想ゲーム的アイデアが多々あり、そこに中国的発想や嗜好文化を発見し、オモシローイと楽しんでいる。

 現代も超能力や超常現象などトンデモない話が無数にあり、マジメに議論する人々は少なくない。一方、それらを外側から楽しむ愛好家がおり、トンデモの「と」にちなみ「と学会」と名のる集団が日本にある。さしずめ私の学生などは、「と学会」中国本草派だろう。さらにスケプティック(疑い深い人、懐疑派)という人々もいる。彼らは超常現象等を批判的・科学的に究明する立場から世界中で学際的に活勤しており、日本にもジャパン・スケプティックスという学術組織がある。

 そこで本題に入りたい。本書を一言で言うなら、人類共通の不老不死薬願望まで取り扱ってきた中国本草、つまり中国医薬文化の負の遺産を、まさにスケプティックの視点で解剖した書である。暴かれた史実は、現代まで影を落としているようにさえ思える。

 著者の川原氏は私の畏友で中国の科学思想が専門、東京大学大学院人文社会系研究科の教授である。この書を本誌に紹介するのは、第一に中国本草学の歴史が俯瞰できるから。第二に中国系医薬の世界に通底している不老不死願望、それに起因した薬禍の史実を白日のもとにさらしており、これは現代の風潮にも格好の反面教師だろうと考えたからである。

 さて本書のタイトル「毒薬は口に苦し」にはちゃんとした出典がある。意味は「良薬は口に苦し」と大差ない。というのも毒の字の上は「生」、下は「母」で、その会意文字としての毒は古く「生ませ母にする」、つまり強精薬の意味だったという説がある。これからすると、毒とは健常以上にさせる物質だろう。こうした語源説をみるまでもなく、毒薬を現代の医薬品と同じ意味に使う中国古代の用例は多い。かつ薬と毒は表裏一体との認識が古今東西にある。ともあれ本書はタイトルのごとく、薬であるかぎり必ず毒の側面があることを我々に喚起している。にもかかわらず、なぜ中国の知識人たちは危険な薬物の服用に走ったのだろうか。本書は二部構成からなり、その歴史背景と経緯が丹念にピックアップされ、検討されている。

 第一部は「『神農本草』−中国最古の薬物書」「『集注本草』と陶弘景」「本草学の道教的展開」の三章で、中国本草の通史としても十分な内容からなる。同時に、本草の初期からあった神仙思想に加えられた道家の色彩が、後世も批判されることなく踏襲されていたことを例証する。これが第一部の主眼であり、本草に潜む不老神仙願望の解剖といっていい。

 第二部は「寒食散と魏晋南北朝の風気」「皇帝と錬丹」「文人たちの仙薬狂想曲」の三章からなる。魏晋南北朝の文人たちが、毒性にも気づかず健康増進を信じて耽溺した寒食散。唐代の皇帝・文人が惨禍を知りつつも巨額の富をつぎ込み、追い求めた究極の金丹。にもかかわらず、悲惨に終わった多くの史実が列挙・分析される。それは絢爛たる中国文化の陰に花ひらいたサブカルチャー、中国医薬文化の負の遺産だった。

 私も本書第一部の歴史背景があって、第二部の史実が生じたことは否定できないと思う。いま時にひもとく中国本草書には、かつての薬禍をもたらした記載の多くが伝承されている。むろん私たちは合理思想に基づく十分な批判精神を持っているが、合理主義だけで伝統を取捨することの危険性も熟知している。本書が明らかにした悲惨な史実は、伝統に学ぶことが継続や踏襲ばかりでなく、歴史を現代に投影させて内省すべきことも私たちに強く求めている。

 なお本書が比較的安価なことはうれしい。ご一読を勧める所以でもある。

(大修館書店「あじあブックス〇三一」、A五判、目次九頁・本文三〇六頁、定価一九〇〇円:本体)