富士川『日本医学史』や宗田『日本医療文化史』のような大著はさておき、本書と前後するコンパクトな医学通史、また漢方医学史関係の日中の著述はこれまでもあった。あるものは他書の抜粋に終始する陳腐な内容が一目で分かり、購入を後悔し、のち二度と開くことはない。あるものは確かに斬新な視点と分析に富むが、いかんせん史料ではなく思想で語るために強烈な催眠作用があり、読了まで幾度も気絶させられた結果、とくに得るものは記憶に残らなかった。一方、あるものは刺激的な新見解の連続で、つい最後まで読んでしまったが、その間なん度も憤慨して反論を書きたい衝動に駆られた。
小曽戸氏の新著はそれらとまったく違った。まさに一気呵成に読了してしまったし、さすがだなと随所で感嘆し、幾度かメモまでとらせていただいた。かくも新知見にあふれたエッセンスを、ここまで平易にまとめた漢方医学史の書はかつてほとんどなかったように思う。ただ私は小曽戸氏と共に永く研究を重ねてきたので平易と感じたのかもしれないが、専門家以外にも難解な部分はまずないだろうし、漢方や医学史の研究者にも読み応えが十分あるに違いない。それは一に憶測を排し、豊富な原資料に基づき史実を明らかにする氏の研究姿勢によるが、また巧みな内容構成と文章力もあずかっている。
本書は「はじめに」で東洋医学と漢方・中国医学などの用語を説明した後、以下の十章からなる。一章:中国医学の形成、二章:よみがえる古代医学の遺物、三章:神農伝説と『神農本草経』、四章:『黄帝内経』と陰陽五行説、五章:張仲景の医学、六章:六朝隋唐医学と日本、七章:宋の医学と日本、八章:金元明清の医学と日本、九章:江戸時代の医学、十章:日本から中国へ。
このように全体は中国と日本の時代順ではあるが、医書と医人をキーワードに中国の医学と医療文化が日本でいかに受容・保存され、また発展してきたかが有機的に語られている。その一つ一つが氏独自の研究蓄積と広範な識見に裏打ちされているので、ツボを得た贅肉のない記述ばかり。また最新の氏以外の研究成果も幅広く紹介され、水を漏らすところもない。七〇をこす本書の図版でもそうで、簡単にお目にかかれないものばかりである。
とはいっても、本書はあくまで概説書ないし入門書だろう。それゆえ人名・書名索引や参照文献の詳細をあえて付けなかったものと拝察している。「あとがき」に述べられるように、研究利用には氏の先行書『中国医学古典と日本』、今回本書と同時に刊行された『日本漢方典籍辞典』、また近い将来刊行予定の『宋元明医籍考(仮題)』を見なければならない。しかしいずれも通読するタイプではないので、それらのエッセンスをまとめた本書は現日本の漢方医学史研究レベルを鳥瞰する絶好の書として、広く会員諸氏にご推薦申し上げたい。