一方、幕末から明治初期に活躍した名医の浅田宗伯、また宗伯とも交流のあった古方派の尾台榕堂はこの合方を柴陥湯と呼んで、臨床によく応用していた。宗伯の『勿誤薬室方函口訣』にも柴陥湯が記されている。ただし、宗伯はこの合方の例が『医方口訣』にあるとしか記していない。
『医方口訣』とは、長沢道寿の書に中山三柳と北山友松子が増補と注を加え、1681年に刊行された『増広医方口訣集』のことである。実際、本書の小柴胡湯加減方には小陥胸湯との合方が記されているが、それを柴陥湯とは呼んでいない。このようなことで柴陥湯という名称の出典が明らかにされていないため、本方はこれまで日本人の開発であろうと漠然と考えられ、「本朝経験方」とされていた。
金元四大家の一人・劉河間は『習医要用直格』を著し、これは1182年以前に刊行された。この初版は現存しないが、現存本で最も古いのは元代の1313年に刊行された『劉河間傷寒直格』という一種の叢書に収められている。東京の静嘉堂文庫にあるその原本を見てみると、『習医要用直格』巻2の結胸の項目に次の記載がある。
汗下の後、大便せざること五六日、舌乾きて渇し、日哺に少しく潮熱あり。心より少腹に至りて鞭満して痛み、近づくべからず。脈はなお沈緊滑数、或いはただ関の脈が沈緊の者は通ずるに宜し。大陥胸湯、或いは丸にてこれを下す。或いは脈浮の者、表いまだしりぞかざる也。これを下すべからず。これを下さば死す。宜しく小陥胸湯および小柴胡湯の類にて和解すべし。このように劉河間は結胸の病で脈が浮の者は小陥胸湯および小柴胡湯で和解するのがよいと述べ、この二つの処方を合方するとは明言していないが、ほぼ合方と同じ意味に理解することができる。この書を劉河間の弟子らしき人が増補したと思われる、『傷寒標本心法類萃』という書がある。13世紀頃の成立かも知れないが、明の1601年に刊行された『古今医統正脈全書』という叢書に収められ、現在に伝わっている。これには先の劉河間の文章にさらに追加し、「脈浮、下すべかざる者は小陥胸湯に小柴胡湯を合す」と両処方の合方を明言している。
小山氏から最近いただいた私信によると、これよりもっと古い合方の記載を発見され、『漢方研究』誌に投稿中とのことで、結果が楽しみである。
さて両処方の合方を柴陥湯と呼ぶ記載が、明の1575年に成立した『医学入門』にあることも小山氏は報告されている。すなわち『医学入門』巻2、傷寒用薬の賦には次のように記されている。
柴陥湯はすなわち小柴胡湯に小陥胸湯を合す。結胸の痞気の初起、表および水結、痰結、熱結等の症あるを治す。『医学入門』は江戸初期に初めて和刻本となり、江戸時代に計11回も復刻され流行した書である。したがって本書により、「柴陥湯」という処方名がわが国に知られた可能性は大である。
脚気で嘔逆、喘急するものは衝心の前兆であり、なおざりにしてはいけないが、しかしまた、これに似て非なるものがある。ある壮年の男が、脚が弱く脛が腫れ、喘満短気して熱が激しい。診ると疫邪が痰を挟んでいるので、柴胡陥胸湯(柴陥湯)に利水剤を兼用すると、すみやかに治った。古方派の尾台袴堂の『方伎雑誌』にも治験例がある。
16、7歳の女子が咳嗽、喀血を患った。寒熱往来して月経がなく、やせ衰えて心気鬱々とし、その症状は結核の初期のようである。しかし脈は数急というほどではなく、食欲はない。そこで難症であることを告げ柴陥湯に瀉心湯を兼用し、盗汗が出て動悸、口燥などがあるときは、柴胡桂枝乾薑湯に転じた。このようにして三ヵ月ばかり経過し、諸症は大変よくなった。柴陥湯の治験を数多く記しているのは浅田宗伯の『橘窓書影』である。これも紹介してみよう。
12、3歳の男児が鳩胸を患って数年を経過し、いろいろ治療したが効果がなく、私の診を乞うた。診ると胸骨が突出して両乳の間の肉が張って、饅頭を付けたようになっている。喘気があって、歩くと息切れし、ときどき痰沫を吐くが、他の症状は見られない。それで柴陥湯を投与し、滾痰丸を兼用した。さらにいくつかの外用剤を使ったところ、数ヵ月で普通の身体に復した。浅田宗伯はこれら以外にも多くの治験を残しているが、彼の『勿誤薬室方函口訣』には次の口訣を記している。
40余歳の酒飲みが、胃内停水の症があり、ある日、外邪を受けたのに入浴したため、邪気が内陥して気急促追、痰喘胸痛し、結胸状となった。柴陥湯を与えると、気急と胸痛がやや治まった。
19歳の男子が初め外邪を受け、発汗のあと咳嗽、胸痛、盗汗、食欲不振となり、脈は虚数、身体は痩せてほとんど虚労のようになった。私が柴陥湯に竹茹を加ええて与えると、胸痛がやや治まったので『聖済総録』の人参養栄湯に転じ、咳は8割がた減った。
柴陥湯は『医方口訣集』第八条に述べられているように、誤って下剤を用いた後、邪気が気虚に乗じて心下に聚まり、胸中の熱がさらに心下の水と結合するものを治す。この症でさらに重症の者は大陥胸湯の適応であるが、大抵の場合は柴陥湯で防げる。またジフテリアの初発時に竹茹を加えて用いるし、その他、痰咳の胸痛に運用する。現在の中国で柴陥湯がほとんど用いられないのに、却って日本でしばしば応用されるのは、以上のように浅田宗伯が口訣をまとめたからと思われる。
※追補:小山誠次「柴陥湯の出典B」『漢方研究』(1996.12)によると、柴陥湯の原型は朱肱『傷寒活人書』(1107年)にまで遡及しうる。