華岡流外科は、こうして今も世界の外科学史および麻酔科学史に燦然たる光を放っている。もちろん治療したのは乳癌に限らない。当時の外科は体表に病変が現れる様々な疾患を対象としたので、今の皮膚科領域の病も当然含まれる。これに彼が創意工夫し、のち広く応用されるようになった処方の一つが十味敗毒散である。
一方、幕末では本間棗軒が本方について記録を残している。棗軒は水戸の出身でまず水戸藩医の原南陽につき、ついでシーボルト・華岡青洲にも学び、のち水戸烈公の侍医や弘道館教授も任じた。1837年に自序を記し刊行された棗軒の最初の著作、『瘍科秘録』は次のように記す。「癰疽の治療は、発症時に発熱・悪寒・頭項強痛などの表証があれば、葛根湯・荊防敗毒散・十味敗毒散を選び、もっぱら発表すべきである」。
ところで幕末から明治にかけて活躍した浅田宗伯は、本方のルーツについて興味深い記述をしている。明治11年の1878年に初版が出た彼の『勿誤薬室方函口訣』に、「この方は、青洲が荊防敗毒散を取捨したもので、同方より力が優れている」と記しているのである。
浅田宗伯が本方のルーツと指摘した荊防敗毒散は、明代の{龍+共}廷賢が1581年に著した『万病回春』の巻8癰疽門に載る処方と一般に考えられている。この書は刊行後まもなく日本に舶来したらしく、江戸初期の1607年に木活字でリプリントされたのが和刻版の最初である。のち日本で大流行し、計19回も和刻版が出たので、青洲も『万病回春』を見ていたことはまず疑いがない。
この荊防敗毒散とはケイガイ(荊芥)・ボウフウ(防風)を主薬とし、化膿などの毒を敗退させる散剤という意味になるだろう。その構成薬味に『万病回春』は、ケイガイ・ボウフウ・キョウカツ(羌活)・ドッカツ(独活)・サイコ(柴胡)・ゼンコ(前胡)・ハッカ(薄荷)・レンギョウ(連勉)・キキョウ(桔梗)・キコク(枳殻)・センキュウ(川弓)・キンギンカ(金銀花)・ブクリョウ(茯苓)・カンゾウ(甘草)・ショウキョウ(生薑)の15味を記している。
一方、青洲の『瘍場科方筌』の十味敗毒散は、ケイガイ・ボウフウ・キョウカツ・サイコ・キキョウ・センキュウ・ブクリョウ・カンゾウ・ショウキョウ・オウヒ(桜皮)の10味から構成されている。つまり『万病回春』の荊防敗毒散より、ドッカツ・ゼンコ・ハッカ・レンギョツ・キコク・キンギンカの6味を除き、オウヒの1味を加えたのが青洲の十味敗毒散なのである。
ドッカツとゼンコ・キコクを除いたのは、各々の効能が似たキョウカツとサイコとキキョウがあれば十分との判断があったのだろう。ハッカ・レンギョウ・キンギンカを除いたのは、それらの消炎排膿作用をオウヒの1味で代用可能と青洲が考えたのかも知れない。
ちなみにオウヒとは桜の樹皮で、桜は日本固有の植物で中国に自生しない。したがってオウヒは中国にない生薬で、日本のみで用いられるいわゆる和薬である。でこぼこした桜の樹皮の様子がかさぶたに似るため、皮膚病に使い始めたとの伝説もあり、桜で有名な紀州の青洲が本方に応用したのは、なにか因縁を感じさせる。なお現在の十味敗毒湯は、青洲の散剤を湯剤、またオウヒをボクソク(樸{木+(嗽-口)})、キョウカツをドッカツに改めている。この変化は浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』から始まっているので、本方の出典は正確には『勿誤薬室方函口訣』とすべきだろう。
この『外科理例』は汪機の『汪石山全書』の一書である。『汪石山全書』は、江戸前期に舶来中国書を販売した二酉堂という唐本屋が1699年に刊行した売り立て目録に見える。したがって、それ以前に日本に伝来していた。しかし『外科理例』が日本で復刻された形跡はないので、青洲が知っていたかは分からない。
実は『外科理例』の荊防敗毒散にも、さらにルーツ処方がある。宋代の国定処方集で、1107年から10年の間に陳師文らが編集した『和剤局方』の初版で、傷寒門に収載された人参敗毒散がそれである。エンジン・ブクリョウ・カンゾウ・ゼンコ・センキュウ・キョウカツ・ドッカツ・キキョウ・サイコ・キコク・ショウキョウ・ハッカの12味からなり、そのショウキョウとハッカをケイガイ・ボウフウに換えると、『外科理例』の荊防敷毒散である。
『和剤局方』の処方は広く流行していたので、その人参敗毒散から『外科理例』の荊防敗毒散が作られたのは処方名からしても間違いないであろう。『和剤局方』の人参敗毒散は傷寒の処方であるが、調査を重ねればさらにルーツ的処方を見出せるかもしれない。ともあれ、十味敗毒湯の起源が12世紀初め頃の人参敗毒散までさかのぼることは確実といえる。
さらにそのオウヒをボクソクに、キョウカツをドッカツに、散剤を湯剤に改めたのが浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』に載る十味敗毒湯で、これを現在一般に用いている。
このように本処方は少なくとも700年以上にわたる4段階を経て、現在の処方となっている。まさに中国・日本の創意工夫で生まれた処方と言うべきであろう。