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日病薬誌、vol.32、No.1(1996)p.93-94 病院薬剤師のための漢方製剤の知識

柴胡清肝湯@ 古典的解説

北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部室長 真柳  誠


 本日は、いわゆる癇癪持ちの癇が強いといわれる小児の神経症などに用いられる処方・柴胡清肝湯について古典的解説をする。

1.方名の由来

 本処方は文字通りサイコ(柴胡)を主薬とし、肝の熱を清ますという意味で柴胡清肝湯と名付けられている。この方名あるいは類以した名の処方は、中国の明代16世紀以降の医書にあわせて10種類近くの記載が発見できる。しかし現在の日本で用いられている本方はそれら中国の処方を基礎にはしているが、日本で独自に創製されたものである。

2.処方の出典

 創製者は日本の漢方医学が最も暗黒の時代にあった明治後期から昭和の初期に活躍し、伝統の継承に尽力された森道伯先生である。森先生はいわゆる後世方系統の治療を行い、当時の東京ではほかに古方の湯本求真先生が活躍されていた。漢方が現在のように復興発展した出発点は、この両先生にあるといっても過言ではない。

 森先生はかつて師事した産科の名医・遊佐大蓁が遊佐一貫堂と称したのに因み、自らも一貫堂療院の看板を掲げている。この一貫は『論語』の「吾道一貫」に基づくが、一貫堂の一番弟子・矢数格先生は私の恩師・矢数道明先生の兄上で、もちろん道明先生も一貫堂の直門である。そして柴胡清肝湯は、この一貫堂で森先生が創製し応用した処方なので、一般に一貫堂方あるいは一貫堂経験方などと呼ぶ。

 本方の書物における記載は、昭和8年の森先生三回忌に矢数格先生が出版された『一貫堂医学大綱』で世に知られたのが最初かもしれない。本書は昭和39年に格先生が増補改訂し『漢方一貫堂医学』として出版されたので、今はこの書を柴胡清肝湯の出典とすることが多いようである。

3.本方と一貫堂の体質分類

 さて一貫堂では病人を3種の体質に大別し、治療方針を定めていた。一つは?血証体質で、この代表処方は通導散というかなり強い駆{ヤマイダレ+於}血剤である。もう一つは、臓毒証体質という風毒・食毒・水毒などが体内に蓄積した肥満型で、これにはもっばら防風通聖散を用いる。いま一つの体質は四物黄運解毒湯の加味方で治療するので、解毒証体質と呼ぶ。

 この解毒証体質は年齢に従い変化し減少するが、最も多い幼年期はいわゆる癇が強く、かつて腺病質と呼ばれた小児に該当する。そして、こうした小児が冒されやすい感冒・気管支炎・喉頭炎・咽頭炎・鼻炎などの炎症性疾患に広く応用されるのが、一貫堂の柴胡清肝湯なのである。また青年期のこの体質患者には荊芥連翹湯、女性や泌尿器疾患には竜胆瀉肝湯が用いられ、いずれも漢方医学での肝臓機能の異常が背景にあるとされる。

4.処方構成とそのルーツ

 ところでこの柴胡清肝湯は森先生の創製ではあるが、何の根拠もなく処方されたわけではない。矢数格先生が示唆されているように、大きくは二方面の背景が考えられる。本方を構成する15種の薬味からまずこれを考えてみよう。

(1)ルーツその1 −四物黄連解毒湯−
 本方のオウレン(黄連)、オウゴン(黄{艸+今})、オウバク(黄柏)、サンシシ(山梔子)の4味は有名な黄連解毒湯で、中国の唐代8世紀の『外台秘要方』に、7世紀の『崔氏方』から引用され、以後使われ続けてきた名方である。

 一方、明代1587年に著わされた『万病回春』の傷寒門には、さらにサイコとレンギョウ(連翹)が加わった6味の黄連解毒湯がある。本方にもサイコとレンギョウはあるので、『万病回春』の黄連解毒湯の存在を考えてよいであろう。『万病回春』の条文はつぎのようである。「傷寒ノ大熱止マズ、煩燥、乾嘔、口渇シ、喘満シ、陽厥極メテ深ク、蓄熱内ニ甚シク、オヨビ汗吐下ノ後、寒涼ノ諸薬ソノ熱ヲ退クコト能ワザル者ヲ治す」。

 一方、本方のトウキ(当帰)、センキュウ(川{艸+弓})、シャクヤク(芍薬)、ジオウ(地黄)の4味はすなわち四物湯で、北宋代12世紀初めの『和剤局方』第一版で婦人門に収載され、のち使われ続けてきた名方である。この四物湯も『万病回春』のいくつもの門に同一薬味で記載され、その補益門ではつぎのように記す。

血虚デ発熱シ、或ハ寒熱往来シ、或ハ日哺ニ発熱シ、頭目清セズ、或ハ煩燥シテ寝ネズ、胸隔脹ヲナシ、或ハ脇ニ痛ヲナスヲ治ス。
 ところで『万病回春』の血崩門には四物湯に4味の黄連解毒湯を合方し、温清飲と名付けられた処方もある。四物湯が温め、黄連解毒湯が清ますので、温と清を兼ねる意味で温清飲の名ができたと思われる。この温清飲の4味の黄連解毒湯を6味のものとし、つまり温清飲にサイコとレンギョウの加わった10味を一貫堂では区別して四物黄連解毒湯という。

 これを解毒証体質に用いる処方の基礎とし、さらにカロコン({木+舌}楼根)、キキョウ(桔梗)、ゴボウシ(牛蒡子)、ハッカ(薄荷)、カンゾウ(甘草)の5味を加えた処方を、柴胡清肝湯と呼んだ。これら5味が加ええられたのには、別の歴史的背景を説明せねばならない。

 (2)ルーツその2−明代の各種清肝湯−
 結論からいうと明代に開発された様々な柴胡清肝湯、ないし類以処方の方意を兼有させるためである。最も古いものは王倫の『明医雑著』に、薛己が1551年に増補した処方にある2種の柴胡清肝散である。一つは、サイコ、オウゴン、オウレン、サンシシ、 トウキ、センキュウ、ジオウ、ボタンピ(牡丹皮)、ショウマ(升麻)、カンゾウの10味からなる。これは1615年の『寿世保元』に転載され、それを浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』が再転載している。また甲賀通元の『古今方彙』火証門は薛己から直接引用している。

 もう一つの柴胡清肝散は、サイコ、レンギョウ、オウゴン、サンシシ、センキュウ、カンゾウ、キキョウ、ニンジン(人参)の8味である。これは同じ薛己の書で、その没後の1571年に刊行された『外科枢要』の附方にも載り、それを1575年刊行の『医学入門』の外科門と、日本の『古今方彙』瘰癧門が引用している。

 一方、李梃の『医学入門』外科門には、さらに二種の類以方がある。一つは、清肝湯といい、サイコ、サンシシ、トウキ、センキュウ、シャクヤク、ボタンピの6味からなる。いま一つは梔子清肝湯といい、サイコ、サンシシ、トウキ、センキュウ、シャクヤク、ゴボウシ、カンゾウ、ボタンピ、ブクリョウの9味からなる。さらにもう一種の柴胡清肝湯が、1617年に陳実功が著した『外科正宗』の鬢疽門にある。サイコ、レンギョウ、オウゴン、サンシシ、トウキ、センキュウ、シャクヤク、ジオウ、ゴボウシ、カロコン、カンゾウ、ボウフウの12味からなり、これは清代1742年の『医宗金鑑』に転載されている。

 さて以上の各種清肝湯類を記載した明代方書は、すべて江戸時代に復刻されている。それら和刻本を参考に一貫堂の柴胡清肝湯ができたに違いない。まず以上あげた処方の薬味で一貫堂の四物黄連解毒湯にないものをみると、ゴボウシ、カロコン、キキョウ、カンゾウの4味と、ボタンピ、ボウフウ、ショゥマ、ニンジン、ブクリョウの5味である。前の4味が一貫堂の柴胡清肝湯に採用され、後の5味が採用されなかったことになる。5味が不採用の理由は多々あるはずだが、主には解毒証体質には不適当であるからと考えられる。また以上の処方にないハッカが一貫堂の柴胡清肝湯にはあるが、矢数格先生の解説も言及せず、理由は推測の域を出ない。

5. まとめ

 このように本方は温清飲加柴胡連翹の四物黄連解毒湯および、明代の柴胡清肝湯類の二系統を大きなルーツとして創製された処方である。ただしルーツ処方が8味から12味で、各々薬量も多く作用が強いのに対し、本方は15味で薬量が少なく、おだやかな処方になっている。しかも本方の適応症、つまり解毒証体質幼年期の諸症状はルーツ的文献に一切ない。まさに本方を定めた森道伯先生の創見であろう。

 近年の中国で出版されている日本漢方の研究書がみな一貫堂処方を高く評価するのは、こうした理由がある。本日は柴胡清肝湯の古典的側面を解説した。

(日本短波放送 1995年9月27日)