真柳誠「『神農本草経』の科学技術と思想」『Journal of Traditional Medicines』30巻増刊号(要旨集)29頁、2013年7月29日
真柳 誠(まやなぎ まこと)
茨城大学大学院人文科学研究科
過去も現在も未来も,「くすり」の使用目的は治療・保健と不老長生にあるだろう.ヒトは有史以前から当目的にかなう薬物や食物を,個体や種を維持する本能から求め続けてきた.1世紀の『神農本草経』が収載した「くすり」には純然たる食物もあり,ヒトの本能に応えようとしている.本書は決して中国本草の萌芽などではなく,明確な意図をもって編纂された書とみなければならない.その科学技術と思想は総論12条と各論条文にみえる.
総論の第1~3条では365薬を上・中・下に分類したという.ここに君臣佐使の儒家思想,天地人の三才説,不老長生の神仙思想がみえる.365は前3世紀の中国暦で,1年を約365.25日と定めたことによる.これを生体への特性から3分類するのは,中国本草のヒト中心思想にもとづく.ほぼ同時期のギリシャ『ディオスコリデス本草』も附子などを収載するが,草・木などによる自然分類で,まったくちがう.第4条に君臣佐使論,5条に七情論があり,両者で処方論をいう.第6条は薬の本質としての五味と四気,また採取・加工・新旧・真偽をいう.五味は薬物自身の持つ栄養素-成分の象徴だが,品質鑑別も兼ねている.四気は普遍的病態の発熱・悪寒をめやすとする.これら五味・四気・毒の3概念は,薬物・病態と生体に対する特性より規定されている点で興味ぶかい.
第7条は一種の製剤論,8条は治療総論,9条は毒薬で治療する時の心構えをいう.第10条は病理に対応した薬理を述べ,薬学の視点が確立していたことを示す.第11条は病の所在に応じた服薬時期を空腹・満腹から述べ,医食同源の思想が垣間みえる.第12条は疾病認識を列記し,急性病の次に慢性病,さらに外傷・皮膚病・婦人病などに分け,『傷寒論』『金匱要略』に近い.
各論では,薬物ごとに①正名,②一名,③気味,④有毒・無毒,⑤出処,⑥主治が記され,全上薬と一部中薬には⑦不老長生の記述もある.本草の目的は第1に薬物の真偽と良劣を判別し,基原を解明することにあった.そのため同名異物などの考証と出典調査が要求され,のち名物学として発展した.これに応えるスタートラインが①②③の記載である.産地名や産出地の特徴と採取時期・部位→物産学,生態・形状の自然科学的観察→植・動・鉱物学,乾燥・加工・保存法→修治なども品質保証に必要だろう.そのため②③⑤の記載が後世発展し,歴代の記録が集積されてきた.第2の目的は作用を網羅し整理することだった.これには③④⑥が本書から用いられている.第3の目的は各薬物の具体的使用方法を指示することにあった.その指示は単味で投与する場合,⑥⑦が対応する.複合処方を投与する場合は⑥⑦と総論を原則としなければならない.
中国では『神農本草経』以来,他薬との相乗作用,病状に応じた製剤や服用法の指示が盛んに議論され,製剤方法は六朝時代までに精緻な技術が開発されていた.みな主作用の増強と副作用の軽減が目的で,現代も使われる仲景処方が後漢時代に開発されていた最大の要因といえよう.その科学技術と思想の嚆矢が『神農本草経』にみえる.
【略歴】
1950年札幌市生まれ.東京理科大学薬学部卒(1977),日本鍼灸理療専門学校卒(1980),北京中医薬大学進修課程卒(1983)をへて,昭和大学医学部(薬理学)にて博士(医学)(1992).前北里東医研医史学研究部・医史文献研究室室長.現在,茨城大学大学院人文科学研究科教授,日本医史学会常任理事,中国出土資料学会理事,東亜医学協会理事,日本薬史学会評議員,『中国科技雑誌』『中華医史雑誌』編集委員.
共編著は『和刻漢籍医書集成』(エンタプライズ,1988~1992),『小品方・黄帝内経明堂古鈔本残巻』(北里東医研,1992),『中国本草図録』(中央公論社,1992~1993),『〔善本翻刻〕傷寒論・金匱要略』(日本東洋医学会,2009)など45書.研究論文・調査報告は249篇