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真柳誠「北宋政府校正『金匱要略』小字本の出現」、『日本東洋医学雑誌』59巻別冊号
(第59回日本東洋医学会学術総会講演要旨集)191頁、2008年5月。2008年6月7日、一般演題、仙台国際センター。


127 北宋政府校正『金匱要略』小字本の出現

○真柳誠(茨城大学大学院人文科学研究科)


【目的】『金匱要略』は真柳が北京大学に元の鄧珍版(1340)を見出し、これに現存の全版本が由来することも近年明らかにされた。しかし鄧珍が基づいた版本系統は不明で、鄧珍版も字句に些か問題があるため、『金匱』のテキストには日中で共通認識が形成されていない。当問題の解決が目的である。

【方法】上海図書館所蔵の明初写本『金匱』を段逸山(上海中医薬大学)・鄒西礼(上海科技文献出版社)と共同で調査した。

【結果】本調査より以下の諸点が知られた。当本は宋版『中庸五十義』『大学会要』(共に佚書)の裏面に丁寧に筆写される。従来知られていた『金匱』諸版とは書式・構成・字句に大きな相違があり、完全に別系統だった。本文と同じ筆で一部に鄧珍版との校異が記される。書末に紹聖3年(1096)6月に国子監から小字本を施行する勅命文、治平3年(1066)3月19日に大字本を施行する旨と高保衡・孫奇・林億・銭象先の列銜、末尾に洪武28年(1395)呉遷(景長)の筆写跋がある。蔵印記は「呉遷景長/蘭室秘藏/醫書藥方/志之印章」「安樂堂/藏書記」「徐乃/昌讀」等がある。

【考察】蔵印記からすると当本は清康煕帝第13子・允祥(怡親王)の旧蔵で、1861年に怡親王・載垣が西太后の計略で自殺に処されて流出し、清末の蔵書家・徐乃昌が入手し、のち現在に至っている。宋版の裏面が使用され、筆写者・呉遷の印記もあるので、呉が1395年に筆写した原本と判断される。従来、大字本『金匱』の校刊は1066年、小字本『金匱』の刊行は1094年から数年後と推定されていたが、当本にはそれらの勅命文が月日まで記されるので、内容も偽作とは考えられない。すると当本は小字本系統の写本で、大字本・小字本の施行文がなく書式・構成・字句の大きく異なる鄧珍版以下の諸版本は大字本系統と考えられる。

【結論】北宋校正医書局は『金匱』の大字本段階のみならず、小字本段階でも大規模な校正を加えて刊行していた。両系統には一長一短があるので、『金匱』のテキストには鄧珍版と呉遷写本を併用する必要がある。他の宋改医書も大字本と小字本の問題が再考されねばならない。