コンピュータにある程度習熟すると、電子テキストによる全文の文字・字句検索と利用が容易かつ即座できることに驚く。古典籍研究のもっとも基礎作業であり、かつて大変な労力を要した索引作成から解放されたばかりでなく、より多面的な検索利用まで可能となったのである。その学問的波及効果は計り知れない。
漢字文化圏の古医籍についても、ここ数年で東アジアの動きが急速化している情況を昨年の本学会で猪飼氏らが発表している。一方、かつて電子テキスト化で問題とされたのは使用できる漢字の制限、および漢字にふられた番号が各国で異なるため、国境を越えた利用が困難なことだった。しかし最近は大きな問題がない範囲で解決可能となりつつある。とはいえ、古典籍を対象とするなら考慮せねばならない問題もまだある。
第1は電子テキスト化する際の底本選択。誤字や脱文などが多々ある通行の活字本などをテキスト化しても、その利用結果に一切信用がおけないことは言うまでもない。したがって版本書誌学がまず前提で、底本不明の電子テキストは研究に使用できない。
第2は漢字自体の問題。古典籍は使用漢字に規定がない時代のものなので、別字・略字・異体字が正字(旧字体)と混在している。一方、現日本の常用漢字・人名用漢字のうち新字体はすなわち略字・異体字や別字であるうえ、電子化に使用するJIS漢字には常用漢字・人名用漢字にもない独自の略字(異体字)がある。その理想的処理は漢字一切を正字に改める方法だが、誤字・別字・同字と俗字・略字・異体字・正字の関係は複雑で、判断は相当にむずかしい。便法は原則としてJIS漢字に改め、JIS漢字にない字のみ正字を使用する方法だろうが、やはり漢字に通暁した人間が終始関与しなければクリアーできない。
第3は漢文文献の場合。現段階で一二点やレ点を混在させた電子テキストは非現実的なので、少なくとも句読点がないと電子テキストが厖大な量になる将来、迅速で有意義な利用に支障をきたすだろう。日本の漢文著作はおおむね一二点や句読点があるので大きな問題はないが、白文の中国文献とくに古典に句読点を打つには相当な読解力が要求される。
いまインターネット等で公開されている古医籍の電子テキストのうち、上述の問題がほぼ解決されているのは小林氏による『素問』『霊枢』『神農本草経』『傷寒論』『金匱要略』等しか見当たらない。それゆえ、これらを除く中国古医籍の電子テキスト化が台湾などで進められている。しかし日本で最善本が利用可能な『脈経』『千金方』『千金翼方』『外台秘要方』『医心方』『和剤局方』等は、各国共同の電子テキスト化と公開を日本が率先して提唱すべきだろう。むろん日本の『近世漢方医学書集成』収録書についても、そろそろ大規模プロジェクトを計画すべきことは言うまでもない。