真柳 誠
多紀元堅(一七九五〜一八五七)は多くの研究書を著した。その研究業績は父・元簡と兄・元胤の著述とともに、江戸医学の頂点を示したといっていい。それらは明治期から中国に伝えられて注目され、復刻が開始された。
一方、その著作は学術性の高さゆえ、未刊行書や刊行前の自筆本・稿本とされる各種写本が多数保存されている。より正確に元堅の研究を理解・継承するには、こうした写本類も利用されねばならない。
これまで多紀元堅の著述や古医籍等の校刊については、森潤三郎・岡西為人・矢数道明各氏の紹介があった。しかし、たとえば森氏が調査したとき、後裔の矢の倉多紀家の崇徳氏が保存されていた元堅自筆等を含む書籍は、すべてが戦災で烏有に帰している。
他方、当時は所在や書名すら知られていなかった稿本や自筆等の写本、さらに中国での復刻版なども、近年は各種目録類の整備によりかなり掌握可能となった。くわえて最近は日本の伝統医学研究が一層深化し、復刻本も増加している。
そこで本年の生誕二百年に臨み、元堅の業績の顕彰とさらなる研究利用を期し、元堅の著述を調査・整理した。その詳細は郭秀梅氏との連名で『漢方の臨床』四二巻一〇号一二四七〜五五(一九九五)に報告したので御参照願いたい。
本調査結果を集計すると元堅の自著・共著とみなされたのは三二書あり、うち存否不詳は八書だった。現存二四書は一〇書について自筆本ないし稿本があった。また一一書に日本版、うち八書には中国版もあった。全書の版本総数は日本版が三一種、中国版が五七種だった。
元堅関連の書は一二あり、うち存否不詳は一書。現存一一書には二書について自筆本があった。また四書について日本版が六種あったが、中国版はなかった。
書名 | 成立 | 江戸刊(回数) | 明治以降刊(回数) | 中国刊(回数) |
金匱玉函要略述義 | 1842 | 1854 (1) | 近世本1979-84 (1) | 1884、1913、35、36、57、58、72、 83、93 (9) |
経籍訪古志 | 1856 | なし | 1916、35、79-84 (3) | 1885 (1) |
雑病広要 | 1856 | 1856、66 (2) | 1923、70、79-84 (3) | 1957、58、83 (3) |
時還読我書 | ? | なし | 1873、1926、71、79-84 (4) | なし |
傷寒広要 | 1825 | 1827 (1) | 1979-84、88 (2) | 1920、24、28、28、28、31、36、39、39、57、58、72、83、93 (14) |
傷寒論述義 | 1827 | 1838、43、44、51(4) | 1979-84 (1) | 1884、1913、31、31、35、35、36、 55、57、58、72、83、93 (13) |
女科広要 | ? | なし | 1895、1971 (2) | なし |
診病奇{イ+亥} | 1842 | なし | 1935、75、86 (3) | 1888、1931、35 (3) |
素問参楊 | 1843 | なし | 1988 (1) | なし |
素問紹識 | 1846 | なし | 1985 (1) | 1936、72、93 (3) |
薬治通義 | 1836 | 1839 (1) | 1979-84 (1) | 1884、1913、13、23、33、34、35、 35、36、72、93 (11) |
計 11書 | − | 5書9版 | 11書22版 | 8書57版 |
書名 | 成立 | 江戸刊(回数) | 明治以降刊(回数) | 中国刊(回数) |
金匱要略方論二劉合注 | ? | なし | 1988 (1) | なし |
登門録(存誠薬室弟子記) | ? | なし | 1995 (1) | なし |
扁鵲倉公伝彙攷 | 1810 | 1849 (1) | なし | なし |
保嬰須知(医学質験保嬰須知) | 1848 | 1848 (1) | 1979-84、86 (2) | なし |
計 4書 | − | 2書2版 | 3書4版 | 0 |
総計すると元堅の現存著述類は計三五書あり、うち半数弱の一五書が刊本となっている。さらに刊本となった一五書のうち、七書については江戸時代に計一一回の刊行がなされていた。これら刊本となった元堅著述を出版の年代・回数と国別に分けて示したのが表1・2である。さらに日本版と中国版の総数を年代別にグラフ化してみた。
このように元堅の書はすでに著述当時から研究書として高い出版需要があった。それが百数十年後の現在も継続している。事情は中国でも同じだったが、日本より需要が高く、『内経』『傷寒論』『金匱要略』研究書にやや偏り、出版ブームと政治状況に関連性があるなど特有な傾向もみられた。
元堅の学問がかくも時代と国境をこえてきたのは、きわめて高水準かつ普遍的であるからにとどまらない。研究目的そのものが伝統医学の王道に則っているからである。今、これに学ばなければならないと思う。