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曲直瀬玄朔『食性能毒』における『本草綱目』の取捨
加藤伊都子・真柳誠

Citation from the "Bencao Gangmu" as seen on the "Shokusei Nodoku" by Gensaku Manase
Itsuko KATO, Makoto MAYANAGI

 江戸期の食物本草は少くないが、刊本となり普及した嚆矢は曲直瀬道三・玄朔による『日用食性』である。本書は古活字版やその一六三一年重刊本をはじめ、一七一二年までに計一一版本の存在が確認されており、本書が江戸期の食物本草に占める位置は大きい。

 一方、玄朔は渡来したばかりの『本草綱目』を即座に利用し、一六〇八年に『薬性能毒』を著している。当時、最新中国医学の受容と日本化が進む中、食物本草もその例外ではなかった。『日用食性』の一部である玄朔の『食性能毒』も、収載品の項目分類や配列順まで『綱目』を底本としている。そこで『食性能毒』と『綱目』を比較検討し、中国本草学の受容の玄朔の編纂視点を考察することにした。

 まず『能毒』の分類項目と各収載品目数、および( ) 内に『綱目』の同分類項目からの採用率(%)を算出し、率の高い順に示すと次のようである。

穀部三八品目(五二・一)、禽部三四品目(四五・三)、鱗部四〇品目(四二・六)、果部三五品目(三九・三)、菜部三八品目(三六・二)、介部一六品目(三四・八)、獣部一八品目(二〇・九)、草部九品目(一・五)、木部二品目(一・二)。
 採用率が最も高いのは穀部である。当時の日本と中国の食生活では、穀部の差が最も少なかったことの反映と考えられ、すでに平安時代の『医心方』巻三〇(食物本草部分)にも同傾向が見られる。他方、草部・木部は食品としての性質が低いことから採用率が低い。

 以上を除き動物食品に注目すると、鳥類や魚類の採用は高率であるが、獣類の採用率が最も低い。すなわち豚・狗・羊・牛・馬・虎・野豚・熊・羚羊・鹿・猫・狸・狐・狼・兎・水獺(カワウソ)・鼠・〓猴(サル)のみが採用されている。当時日本に生息していない虎が採り上げられているのは、文禄の朝鮮出兵に従軍した玄朔が、虎の食用効果に興味を抱いたためかもしれない。なお『綱目』にある乳製品や驢・駝・獅・象・膃肭獣(オットセイ)などは採用されていない。以上のことから、当時の日本で摂取可能な品目のみ本書に採り上げていることがわかる。

 次に玄朔が『綱目』のどの項目から、如何なる内容を本書に引用しているか検討した。『綱目』は各薬物ごとに釈名・集解・気味・主治などの項目をたてているが、本書への引用は共通して「気味」「主治」からが主で、他からはきわめて少ない。かつ食品にもかかわらず「気味」から味のみは一切引用せず、玄朔の見識が窺える。「主治」からは、食用効果と過食の副作用のみに焦点を絞って引用されている。この点からは、『綱目』の博物面を排して臨床応用を主眼とし、本書を簡潔に編纂した玄朔の意図が察知される。

 一方、当時新渡来の食品を『綱目』から即座に採用していることが注目された。例えば玉蜀黍(トウモロコシ)・焼酒(焼酎)・葡萄酒・沙(砂)糖などで、特にトウモロコシは植物形態が例外的に説明されている。

 トウモロコシは天正年間(一五七三〜九一)に伝来。焼酎の伝来は不明であるが、一五九七年版の草子に原始的製法が見られる。葡萄酒は室町末期に南蛮船で輸入されたと言われている。砂糖は奈良時代に薬品として渡来しているが、食品としての再渡来は天文年間(一五三二〜五五)という。ただし南瓜も同じく新渡来品で『綱目』に記載されるが、本書に採用されないのは、当時まだ普及していなかったからに相違ない。

 採用された新渡来品は砂糖を除きすべて穀部に属していることも、前述のごとく穀類の摂取が日中間の食生活で最も差が少なかったことを裏付けている。また玄朔が意欲的に新渡来食品を採用したことは、それらの食用効果の知識が当時要求されていたことの反映と考えられる。

  以上の検討より、玄朔は『綱目』を底本に、簡便かつ新渡来品の知識普及も織り込んだ、日本向けの実用的食物本草を目的に本書を編纂したと考えられる。それゆえ本書は数多く版を重ね、江戸期における食物本草流行の端緒を担ったといえよう。

(北里研究所附属東洋医学総合研究所・医史文献研究室)

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