真柳 誠
後漢末から魏晋間頃の成立と考えられる「張仲景医書」に由来し、現代に単行本として伝存するのは、『傷寒論』『金匱要略』『金匱玉函経』の三書のみである。しかも北宋政府校正医書局がこの三書を校刊する以前の伝承経緯は極めて不明瞭なため、各書に成立当時の旧態がどの程度保持されているかは常に疑問視されるところである。だがこの問題については、目録学的研究に加えて、歴代の文献に記録されている佚文との校勘を行えば、ある程度まで推察することが可能である。もちろん、そのためには、成立と現伝の経緯が明らかで、宋以前に「張仲景医書」の佚文を引用した文献が必要である。
『図経本草』は北宋の嘉祐六年(一〇六一)に大常博士の蘇頌が完成し、翌嘉祐七年に刊行された薬図と解説からなる全二〇巻の勅撰本草書である。本書そのものは現伝していないが、そのほぼ全書は『証類本草』に転録されたので、現行の『政和証類』や『大観証類』からその内容が知られる。だが、本書所引の「仲景医書」とその佚文については、いまだ満足すべき検討がなされていない。そこで『図経本草』全文を調査した結果を報告し、これに予備的考察を加えてみたい。
まず「張仲景傷寒論〜」と書き出す文であるが、五箇所の記載がある。その内320上b(1)と393上bはこれを書名として挙げるのみで引用文はない。148下bは処方名四首のみだけで、いずれも『傷寒論』(以下『傷寒』と略)『金匱要略』(以下『金匱』と略)に共載のもの。処方・主治文が完備するのは87下bと416下aで、前者は『金匱』に、後者は『傷寒』に対応文がある。同様に「張仲景傷寒方〜」が87上bに一箇所で、これは『傷寒』所載の処方名二首を挙げるのみ。また「張仲景治傷寒〜」が一二箇所、「(張仲景治雑病〜)治傷寒〜」が一箇所で、その内の201下aだけは処方名を挙げず、他は『傷寒』『金匱』共載方・『傷寒』方・『金匱』方・両書未収方の四タイプの処方が挙げられている。
次に「張仲景治雑病方〜」と書き出す文が三箇所、「張仲景治雑病〜」二箇所、「劉禹錫伝信方云張仲景治雑病方〜」が一箇所で、全てに『金匱』方のみが記されている。なお、207下aには「仲景治雑病方〜」があるが、そこに処方・主治文等の引用はない。
また「張仲景治〜」と書き出す文が一九箇所あり、その内一五箇所に『金匱』方、三箇所に『傷寒』『金匱』共載方がが記され、258上b一箇所には『金匱』方の要旨のみが略述されている。さらに「張仲景方〜」が295上bに、「張仲景〜」が254上bの各一箇所に見えるが、いずれも『金匱』方の記載である。
この他、「続伝信方著張仲景〜」が160上bと372下aにあるが、いずれも『傷寒』『金匱』未収方である。
さて上述の表記中、恐らく書名と思われるのは「張仲景傷寒論」である。処方と主治文がそろった実質的な佚文はわずか二回の引用しかないが(2)、その記述から現『傷寒』『金匱』二書にわたる内容を持つ書であった可能性が示唆される。『外台秘要方』に引かれる「(張)仲景傷寒論」も『傷寒』『金匱』両書の内容なので、これは特に不思議ではない。ならば、同様に両書の内容が引文中に見える「張仲景治傷寒」なども、あるいは「張仲景傷寒論」と同類と考えられる。また表記形式に注目すると、これらは全て「張仲景」として書き出されている。『隋志』には「張仲景十五巻」、『旧唐志』『唐志』には「王叔和張仲景薬方十五巻」が著録されているので、この系統の伝本から「張仲景〜」として援引されている可能性もある。ともあれ、蘇頌は少なくとも『張仲景傷寒論』と『(王叔和)張仲景(薬)方』のいずれかを参考に解説を著したことは、ほぼ疑いなかろう。
ところでこれら所引文中には理中湯とせずに治中湯としたり、桂枝や白朮とせずに「桂」「朮」と記すなど、明らかに古態と見なすべき字句が比較的多い。またそれらは、『千金方』『千金翼方』『外台秘要方』などに所引の「張仲景医書」佚文から再引されているわけでもない。つまり『図経本草』所引「張仲景医書」の佚文は、今後『傷寒論』『金匱要略』の校訂資料として、より重視・研究されるべき価値を有していると考察される。
注
(1)320上bとは『政和証類』(人民衛生出版社本)の三二〇頁・上段・左側に記載があることを指す。
(2)墨蓋子下であるが、200上bには『傷寒類要』に「張仲景傷寒論」の佚文が引用されている。
(北里研究所附属東洋医学総合研究所・医史学研究室)
参考資料
張仲景傷寒論〜:87下b(3-19b), 148下b(6-23b), 320上a(13-14a), 393上b(18-11a), 416下a(24-14a)
張仲景傷寒方〜:87上b(3-19a)
張仲景治傷寒〜:91下a(3-27a), 93下b(3-31b), 156上a(6-47a), 196下a(8-8a), 200上a(8-18b), 201下a(8-23b), 207上b(8-41b), 223上b(9-15a), 247上b(10-15b), 251上b(10-25b), 289下b(12-4a), 328下b(13-33b)
張仲景治雑病〜治傷寒〜:162下a(6-66b)
張仲景治雑病〜:342下a(13-23b)
張仲景治雑病方〜:341上b(14-6b), 428下b(21-11a), 434上b(21-22a)
劉禹錫伝信方云張仲景治雑病方〜:444下b(22-12b)
仲景治雑病方〜:207下a(8-41b)
張仲景治〜:146上b(6-16a), 161下b(6-64a), 191下a(7-54a), 202下b(8-25b), 204下a(8-32a), 210下a(8-54a), 211下b(8-59a), 226下b(9-25b), 245下a(10-11b), 248上b(10-18a), 257上a(10-40b), 258上b(10-43b), 318下b(13-9b), 323下b(13-21a), 342上b(14-8b), 360上b(14-51b), 392下a(18-9a), 398下a(19-3b), 483上b(24-5a)
張仲景方〜:295上b(12-15a)
張仲景〜:254上b(10-32b)
続伝信方著張仲景〜:160上b(6-59b), 372下a(16-11b)
仲景〜:160上b(6-59b)
(参考)200上b(8-18b)は唐慎微の墨蓋子下に引く「傷寒類要」に「張仲景傷寒論」を引用。72上b(2-39b)は掌禹錫の『嘉祐本草』に「傷寒論薬対」を引用。