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真柳誠「『医心方』所引の『神農経』『神農食経』について」『日本医史学雑誌』31巻2号258-260頁、1985
日本医史学会第86回学術大会、1985年4月


『医心方』所引の『神農経』『神農食経』について

真柳 誠

 『医心方』[1]には『神農経』と『神農食経』から引用された佚文が、それぞれ十条と二条みられる。この佚文と他の医薬書の記載を比較・検討し、それらとの関連および来歴について考察を加えてみたい。まず当佚文十二条を以下に引用しておこう。

@神農食経云。飽食、誤多飲水及酒、成痞癖、酔当風(29-13b[2])。
A神農食経云。生魚合蒜食之、奪人気(29-21b)。
B李……神農経云。微温・無毒、不可多食、令人虚(30-13ab)。
C杏実……神農経云。有熱人、不可食、令人身熱、傷神寿(30-13b)。
D桃実……神農経曰。飽食桃、入水浴、成淋病(30-14a)。
E栗子……神農経云。食療腰脚煩、炊食之、令気擁、患風水人、尤不宜食(30-15a)。
F梨子……神農経云。味甘・無毒、不可多食、令人委困(30-15b)。
G芋……神農経云。不可多食、動宿冷(30-21a)。
H冬瓜……神農経云。冬瓜、味甘・無毒、止渇、除熱(30-38a)。
I葵菜……神農経云。味甘・寒、久食、利骨気(30-39b)。
J生薑……神農経云。令少志少智、傷心性、不可過多耳(30-40b)。
K蕪青……神農経云。根、不可多食、令人気脹(30-41b)。

  これらは『神農(食)経』として引かれるが、陶弘景が『本草経集注』に収録したいわゆる『神農本経』とは全くちがう。一方、これらと酷似した文が『金匱要略』[4]第二十四・二十五篇、および『千金方』[5]巻二十六に記載される。すなわち『金匱要略』にはBDGKと同一ないし酷似文があり、『千金方』には@ABDEFGIJKと同一ないし酷似文がある。両書にみえないのはCHの二条だった。

 ちなみに『金匱要略』第二十四・二十五篇と、『千金方』巻二十六を比較すると、『金匱要略』中には『千金方』と同一ないし酷似した文が八十六条あり、『千金方』では五十一の食品の条に『金匱要略』と同一ないし酷似した文が記述される。したがって『医心方』所引の『神農(食)経』と、『金匱要略』二篇および『千金方』巻二十六に引かれる文は、三者相互に関連する由来のあることを推定し得る。

  多紀元簡はその著『金匱玉函要略輯義』第二十四篇の注で、「案漢書芸文志、神農黄帝食禁十二(ママ)巻、此篇所載、豈其遺歟」と述べる。馬継興は「医心方中的古医学文献初探」で「『神農黄帝食禁』……。其佚文散見『金匱要略』巻下、及『千金要方』巻26食治篇等処、主論食物禁忌事宜。在『医心方』中雖不見此書之名、但所引『神農食経』2条・『神農経』10条。其内容多与上述佚文相同或類似、実即将『神農黄帝食禁』改称者」と元簡の説を発展させ、『医心方』所引の二書は『漢書』芸文志著録の『神農黄帝食禁』七巻の書名が改変されたものと判断している。

 事実、『千金方』でこれら食物の宜禁をいう巻二十六の巻頭には、「仲景曰。……聊因筆墨之暇、撰『五味損益食治篇』云々」と記されている。ならば『千金』巻二十六は、仲景撰『五味損益食治篇』や他書を参考に編纂されたのであり、『金匱要略』第二十四・二十五篇は『五味損益食治篇』と同系であろうと推測できないことはない。

 他方、『千金方』巻二十四解食毒第一の巻頭に、「論曰。……今述『神農黄帝解毒方法』、好事者可少留意焉」とある。山田業広は『千金要方読書記』で、これに「宋史芸文志神農食忌一巻、漢書芸文志神農黄帝食禁七巻」と注する。さらに『千金』巻二十六で食品の宜禁をいう全百五十四条中には、「黄帝云」の引文が五十二、「扁鵲云」が八、「胡居士云」が四、「華陀云」が三、「張仲景云」「名医云」「諺云」「一云」が各一あり、『金匱要略』との類似文の多くは「黄帝云」所引文だった。かつて渡辺幸三が考察したごとく、この百五十四条中の主体は『本草経集注』からの引用文である。つまり『神農本経』との混乱を避ける目的で、『神農黄帝云々』という書名が「黄帝云」と改称された可能性も否定できない。

  だが『千金方』巻二十六に見られる『医心方』所引『神農(食)経』の同類文十条中、「黄帝云」と引かれるのはわずかADの類文だけであり、他は@の類文が「扁鵲云」、Jの類文が「胡居士云」、そしてBEFGIKの類文は特に引用を示さず記されていた。ならば『千金方』『金匱要略』間の類文と引用書名から、『神農(食)経』も『神農黄帝食禁』を改称したものと単純に類推するのは無理だろう。『日本国見在書目録』や正史芸文志・経籍志に『神農(食)経』の書名は見えない。ところが『医心方』以前の『本草和名』や『和名抄』には『神農食経』が引用されている。したがって十世紀頃の日本に本書が伝存していたのはまちがいない。その酷似文が『千金方』や『金匱要略』に見えることから、本書が唐代前の「食経」書に由来するであろうことも推測できる。本書と『神農黄帝食禁』との関連については、単に書名の類似だけでなく、今後より広範な文献の比較考察が必要だろう。

[1]江戸医学影刻半井本『医心方』(一九七三 東京・日本古医学資料センター影印)による。
[2] 29-13bは巻二十九第十三丁裏のこと。以下同。
[3]『重修政和経史証類備用本草』(一九八二 北京・人民衛生出版社影印晦明軒本)による。
[4]中医研究院影鈔元刻『新編金置方論』(北里東医研蔵)による。
[5]江戸医学影刻宋本『備急千金要方』(一九八二 北京・人民衛生出版社影印)による。

(北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究室)