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真柳誠「趙開美『〔翻刻宋板〕傷寒論』の問題」『日本医史学雑誌』61巻1号49頁、2015年3月20日


趙開美『〔翻刻宋板〕傷寒論』の問題
Some Problems on So-called Song Edition Shanghan Lun Reprinted by Zhao Kaimei

真柳 誠
Makoto MAYANAGI
茨城大学大学院人文科学研究科

 

 明の『仲景全書』(以下,『全書』)に前付の趙開美「刻仲景全書序」(1599)には,張仲景『金匱要略』(『金匱』)と成無己『注解傷寒論』(『注解』)の彫板後に宋板の仲景『傷寒論』を入手したので合刻し,宋雲公『傷寒類証』(『類証』)も付録した,とある.しかし開美の『〔翻刻宋板〕傷寒論』(『翻宋』)が宋版の旧をどの程度保持しているかは,従来ほとんど検討されていない.

 開美の『脈望館書目』と父の『趙定宇書目』は蔵書の宋元版に宋板・元板を付記するが,宋板『傷寒論』は著録されない.ただし『全書』自序に「復得宋板傷寒論」,総目録に「翻刻宋板傷寒論」,巻末の多くに「世譲堂/翻宋板」などが明記される.『翻宋』の書頭には北宋治平2年(1065)に大字本を施行した高保衡ら列銜とともに,元祐3年(1088)の小字本施行文と関与した官吏の列銜があり,これらは『翻宋』以前の記録にみえない.『翻宋』には南宋に始まる丸→圓の嫌名改字や,薑→姜の当て字もみえない.したがって開美は北宋の小字本系を翻刻した,ともおもえる.一方,宋諱の欠筆や版心の刻工名が一切なく,いわゆる仿宋版ではない.そこで『翻宋』さらに『全書』の諸面を検討したところ,開美による以下の付加ないし改変をみとめた.

 『全書』総目第一に『翻宋』の篇目を羅列した①総目を付加するが,仿宋版『脈経』・呉遷本『金匱』と現『甲乙経』からすると,10数巻以内の北宋版医書に総目はなかっただろう.毎巻頭の書題下でも②「仲景全書第幾」を付加する.撰編者の林億は「臣林億等校正」(南宋版『千金方』)と記すべきだが,「宋」を付加した③「宋 林億校正」に改める.その以下には④「明 趙開美校刻」なども付加する.本文には⑤句点を刻入するが,管見の及ぶ宋元版にはなく,明後期から徐々に流行し,明末清初から刻入が一般化する.声調で字義がことなる破読字には⑥声点を付刻するが,同例は管見範囲にほとんどなく,むろん宋版にはありえない.鄧珍本『金匱』は半葉13行・行24字だが,これを底本とした『全書』本『金匱』は⑦10行・行19字に改変している.宋代の小字本医書は半葉12行・行24字(大字本は8行・行16~18字)が標準と推定されるので,『翻宋』も⑦の版式に改変していた.以上の①~⑦は『全書』の4書に共通し,半葉匡郭もB6弱で統一されている.

 管見範囲の宋版医書は条文毎に改行し,条末が行末にあって次行の別条と区別できなくても無視する.ところが『翻宋』は条末が行末になる5-8b-2・6-2a-10・7-10a-3・9-3a-3・10-9b-7・10-10b-2で,符号⑧「∟」を条末下に付加して区別する.脱文の補入などで条末の余白に次の条文を取りこんだ2-5b-4と2-5b-10では,条文間に符号⑨「―」を付加していた.いずれも開美によるだろう.

 『全書』の『翻宋』『注解』は処方条文末尾に通し番号を篇毎に付記し,例外を除き両書で一致する.北宋では『傷寒論』の処方番号への言及がどうもみえず,南宋初期の許叔微『本事方』『傷寒九十論』(1132~42)で処方条文に「第幾証」と記し,『全書』の番号とほぼ一致していた.番号は北宋小字本を南宋初期に覆刻した際の付記かもしれない.処方の証を病門別に類編した『類証』(1163)の処方番号も一致していた.なお北宋版にもとづく成無己本来の『注解』に番号がなかったことは,『注解』の元版2種にないことでわかる.『全書』本『注解』の番号は『類証』と完全に一致するので,開美が『類証』から付加したのだろう.

 『翻宋』の各篇では,篇題と本文の中間に⑩低一格で処方条文が抜粋され,文末に「第幾」と小字双行の〔幾味〕が付記される.類例は他医書にないので,『類証』で検索した処方の原文を即座に一覧できるよう,開美が付加したらしい.小字本を南宋初期に覆刻した際に付加してもいいが,うまく理由を説明できない.以上の改変をくわえたのが『翻宋』だった.

【追記】
 南宋初期に官刻の小字本『千金方』『外台秘要方』は,林億等序に「新校」「校正」を冠し,序中で敬畏すべき「主上」などを平抬とする.ところが『翻宋』は⑪序名に冠称がなく,⑫序中の敬畏平抬もない.また北宋以前は桃人・杏人・麻子人と表記していたが,『翻宋』は⑬桃仁・杏仁・麻子仁に作る.南宋版医書でも「人」に作るのが大多数だが,「仁」に作るのは南宋紹興年間の官刻『和剤局方』福建版からみえ,元代から一般化する.ただし開美があえて⑪⑫⑬の操作をする理由は想像しがたい.

 すると処方の通し番号および⑩⑬は南宋初期(王継先らによる?)小字本『傷寒論』の所改,その元初翻刻版で⑪⑫の改変がなされた.この元初版を開美が南宋版と誤認し,①~⑨の改変をくわえて『翻宋』を出版した,と推測すべきだろう.すなわち北宋小字本→南宋改変本→元初改変本→開美改変『翻宋』の過程をへており,『翻宋』の①~⑬と処方番号は北宋版にありえない特徴と判断できる.