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馬継興・真柳誠・鄭金生・王鉄策・肖永芝・梁永宣編『日本現存中国散逸古医籍的伝承史
研究利用和発表(第報)』28-44頁、北京・中国中医研究院中国医史文献研究所(2000, 3)

中国古医籍佚存状況の集計と考察


真柳  誠* ・王  鉄策**・鄭 金生***

*茨城大学人文学部中国科学史/北里研究所医史学研究部
**黒龍江中医薬大学医史教研室 ***中国中医研究院中国医史文献研究所






1.緒言

 佚存書とは、自国で亡佚したが他国に現存する古籍を謂う。その用例は江戸後期の儒者で、大学頭の林述斎(1768-1841)が編纂した『佚存叢書』60冊(1799-1810刊)が最初らしい。当叢書は中国に歓迎され、のち魯迅も佚存の語を書信に用いるなど、学術用語として定着した[1]。我々はまさしく、この佚存書を中国古医籍について研究してきた。

 当研究の最終目的は、日本等で保存されてきた佚存中国医籍を、原姿を失わない形で故国に還流させることにある。すでに、ほぼすべての佚存医籍について複写が完了し、昨年には第1輯として計15書を一括して影印出版することができた[2]。故国で亡佚してしまった貴重な文化財が、日本から再び帰国できたことはご同慶に堪えない。

 さて、これら佚存中国医籍の大多数は日本にあり、その現存状況と分析をこれまで二回に分けて報告してきた[3][4]。しかし欧米にも佚存書はある。さらに佚存地域を、かつては台湾を含む中国と他国に分けて報告してきたが、台湾には大陸で亡佚した書が少なからず所蔵される。したがって、より正確に佚存状況を掌握するには、大陸と台湾の蔵書も区別すべきと考えられた。

 一方、調査・研究の進展にともない、佚存書か非佚存書かの判断に苦しむいくつかのタイプのあることが、例外的ながら徐々に明らかになってきた。それらも包括して整理するには、佚存現象の判別基準と佚存書に含まれる範囲も考慮する必要がある。

 以上の経緯により佚存書を類別して定義した。また中国を大陸地区と台湾地区に分けた上で、調査が可能な限りの各国蔵書を全面的に再検討した。この結果、全体の佚存状況は既報と同傾向を示したものの、判明した佚存書の種数および部数の増減は少なくない。さらに未調査の機関や目録等が出現するなら、当結果も当然増減しようが、もはや根本的な数字に大きな変化はないと考えられる。

 よって本報では既報と重複する範囲もあるが、全世界の調査結果を集計し、考察を加えることにした。
 

2.佚存書の範囲・類別

2-1 書物の範囲と区別

 本研究は中国古医籍についてであるから、その佚存書とは上述のように中国国内で亡佚したが、国外に現存する書である。しかしながら文字の記された素材でも、いかなる場合を書物と判断するかは、時代・国家・所蔵機関・個人等によって見解の相違が相当に大きい。

 それが筆写物で、書物の体裁をなさないほどの小文や断片だったり、あるいは書名や著者が不詳、内容が不統一な備忘録などの場合はなおさらである。中国ではこのような文献を一般に書物としないが、出土文献や著者が有名人の場合は書物として目録等に著録する。しかし日本では一般に著者の有名・無名や公開の意図や文量にかかわらず、さらに著者や書名のないものでも、形態が書物であれば写本や仮綴じ本であろうと一書として著録する。

 別の問題もある。書名等の形式上では典籍の注本・注疏本だが、実際はほとんど注や疏のない書を、本来の書から独立した別な書とすべきだろうか。新編・新増・増広・増補などを書名に冠しても、原本と大差ない書は数多い。こうした以外にも、著者・書名・内容などの仮託・偽撰・盗作等の書は本来の書と同一とするのか、あるいは別書とするのかなど、困惑する例は多々ある。

 これらを諸現況をふまえ、本集計では佚存書を峻別する目的で、以下の基準に各々合致する書物を同一書とし、合致しなければ別書と判断した。

(1)所蔵機関が目録等に著録する文献を書物とし、各目録の著録基準は問わない。

(2)書物の著編者・書名・内容が一致すれば、版本の相違と刊本・写本の別を問わず同一書とする。

(3)注疏本・増訂本等で内容に増補が認められれば別書としたが、文章を校訂した程度の場合は原本と区別せず同一書とする。

(4)著編者や書名が別、また新編・新増などが書名に冠されていても、内容が同一と判断されれば単行本・叢書ともに同一書とする。

(5)叢書・全書等から一部を抜粋したのみと認められた書は、原本と区別せず同一書とする。

(6)亡佚書の佚文を集成した輯佚書は、輯佚者の相違・国籍を問わず同一書とする。

2-2 非佚存書の範囲

 上掲2-1の基準をふまえ、以下の条件にひとつでも該当する書物は佚存書としなかった。

(1)叢書・単行本、あるいは書名・著者・編者の如何を問わず、同一の書物構成・内容の書が中国に現存する場合。

(2)中国の現存書と、版本・字句や刊本・写本の相違しかない場合。

(3)叢書・全書等からの抜粋本で、抜粋原本の同一書が中国に現存する場合。

(4)原本が中国に現存しなくとも、その全文が中国内外を問わず影印ないし活字等で公刊されている場合。

2-3 佚存書の範囲と類別

 上掲2-2の非佚存書条件に該当しない各書を集計・検討の対象とし、さらに佚存状況の相違に従い、以下の佚存書(広義)と未詳書に類別した。

2-3-1 佚存書(広義)

 広義の佚存書を、さらに佚存書(狭義)・半佚存書・その他の佚存書に類別した。

(1)佚存書(狭義)

 中国に同一と判断される書の所蔵が認められず、かつ非佚存書条件に該当しない書は、当該書が残欠本(残本・欠本)であっても佚存書とする。なお上述条件に該当するなら、叢書収録本の一部ないし全体が当該叢書以外の単行本・叢書本として中国に現存していても、叢書はそれ自体も独立した書なので佚存書とする。

(2)半佚存書

 中国に残欠本のみ現存する場合、それを補える残欠本ないし全本(完本・足本)を半佚存書とする。中国内に同一書の所蔵は認められないが、当該書の一部が中国内外を問わず影印ないし活字等で公刊されている場合も半佚存書とする。

(3)その他の佚存書

 日本では江戸時代後期になって、『外台秘要方』『医心方』『証類本草』『医方類聚』所引の佚文を材料に、すでに亡佚した中国古医籍が数多く輯佚された[5]。これら輯佚書の多くは明治以降に中国へ伝入している。しかし、まだ日本にのみ所蔵される書もある一方、輯佚材料の『外台秘要方』等はすべて非佚存書である。さらに輯佚書の原作者は中国人で、輯佚者は日本人であるが、基本的には中国書といえよう。したがって中国に所蔵が確認されない書はその他の佚存書に分類したが、集計では輯佚書として計上した。

 他方、1種2部の和刻本が日本にのみ現存するにすぎないが、偽作の可能性も疑える中国医書がある。ただし偽作とも非偽作とも断定する資料がなく、偽作としても中国作か日本作かも判然としない。したがって本書もその他の佚存書に分類したが、集計では「偽作?」として計上した。

2-3-2 未詳書

 未詳書は本来、広義佚存書の(1)(2)(3)のいずれかに該当するが、判断を保留すべき要因がある書で、現段階で1種の江戸写本が日本と台湾に各1部ある。本書は非医学の個人全書から医学部分を抄出しているが、その全書自体の亡佚・現存がいまだ確認できていないため、未詳書として集計した。
 

3.集計の単位と方法

3-1 「種」による集計

 上掲2-1の基準で同一書と認めた諸書を一「種」と規定し、これを個々に1種・2種と集計した。この場合、書名・版本・刊写・字句等の相違があっても、同一と認められた書は全部一種となる。そもそも佚存・半佚存等の判断は「種」の段階でなされるので、佚存等の本質的種数を掌握するのには都合がいい。なお、これを示す概念の正式用語は日中の書誌文献学にないため、かつて筆者は既報などで「書目」と表記してきた。しかし、「書目」は概念が相当に異なる図書館学用語のTitleと紛らわしいので、本報では一律に「種」で計上した。

 一方、佚存書の年代をいうとき、その原内容が著された成立年代と、現存書物の形態が作製された刊行・筆写年の二類がある。成立年代と刊写年代の両者は、佚存書の稀少度や価値を客観的に判断するための一基準といっていい。しかし「種」では版本や刊写の相違を無視して一種とするため、成立年代では集計可能だが、作製年代では集計できない欠点がある。

3-2 「部」による集計

 よって「種」より下位の単位で、個々の書物を一つ一つ数えるための「部」でも佚存書を集計した。「部」は冊より上位の単位で、書物以外を数えるときの「点」や「件」に相当する。この「部」で集計することにより、佚存書の具体的数量ばかりでなく、成立年代と刊写年代の双方を併存させた状況の把握も可能となる。

 つまり書物の集計単位は上位より順に、冊子本なら「種−部−冊−葉」、巻子本なら「種−部−巻」となる。ただし巻・冊の数は同一書でも製本や編集方法により変化し、葉数は複写や影印の費用計算に必要なのみなので、いずれも佚存状況を集計する単位に適さない。以上の理由で、我々は「部」を集計の最小単位に使用した。

3-3 集計方法

 本研究では全佚存書の所蔵状況を種・部の双方で集計した。当結果の概略は後述するが、種・部の集計意義は重複する部分もあり、詳細の全容を報告するのは繁に過ぎる。そこで主には、状況の把握と考察に有利な「部」の集計結果を報告することとし、これを個々の機関・地域ごとに表1〜8に整理した。ただし二次元の表では刊写年代と成立年代しか採用できないので、佚存・半佚存等の図表化は割愛した。

 他方、台湾地区を加えた世界全体の所蔵状況は相当に複雑で、同一種が数地域に重複して所蔵される現象もあった。もちろん個々の書をいう「部」が複数地域に同時に所蔵されることはありえず、「部」では当状況を本質的に集計できない。

 よって当状況を並列して比較するために「種」で集計した。また佚存・半佚存等の区別も「種」のレベルで判断されるので、両集計を併用して表9図1に整理した。

 ところで本報でいう佚存書とは、中国内になくて中国外にある中国古医籍をいう。とするなら中国大陸になく、台湾など大陸外の地域ある書をどう表現すべきだろう。我々はこれに佚存書と同一の概念規定を援用し、大陸亡佚書と呼ぶことにした。
 

4.佚存状況の集計結果

4-1 台湾地区現存の大陸亡佚書

 まず台湾の所蔵状況から報告しよう。既報では台湾地区の蔵書に言及しなかったが、台湾には大陸亡佚書の所蔵が少なくない。インターネットによる古籍検索も最近可能になり[6]、以下の3機関に大陸亡佚書の所蔵を見いだした。

 種数が多いのは台北の国家図書館で、ここは最近まで国立中央図書館の名称だった。当館は民国時代の北平図書館旧蔵書を中核とするため、善本古籍に富む。大陸亡佚書は18種18部が所蔵され、その中には2種2部の半佚存書が含まれる。また14種(14部)は台湾だけにある大陸亡佚書で、4種(4部)は日本にもある大陸亡佚書だった。

 これにほぼ匹敵するのが台北の故宮博物院図書文献館で、以前は故宮博物院図書館の名称だった。当館は明治初期に来日し、厖大な量の善本古籍を購入した楊守敬の観海堂蔵書をほぼすべて収蔵しており、それゆえ日本関連の大陸亡佚書が多い。その数は16種22部で、この中には2種4部の輯佚書と1種1部の未詳書が含まれる。また3種(4部)は台湾だけにある大陸亡佚書で、13種(18部)は日本にもある大陸亡佚書だった。

 さらに台湾最大の総合研究機関である中央研究院では、その歴史語言研究所の傅斯年図書館に1種1部の大陸亡佚書があった。当書は日本にも同一種がある半佚存書である。

 以上を単純に集計すると、全台湾で35種41部の大陸亡佚書があることになる。ただし台湾だけにある1種は、台北故宮と台北国家図書館の双方に所蔵されるので、実際の数は34種41部となる。また日本と重複する18種(23部)を除くと、台湾のみにある大陸亡佚書は16種(18部)あることになる。この41部、および日本との重複を除いた18部について、各書の刊写年代と成立年代を表1に整理した。
 

表1 全台湾所蔵 大陸亡佚書 形態・年代別部数
( )内は日本所蔵種との重複を除いた部数
刊写年代\成立年代  宋代 金元  明代 清代 不詳   計
明刊   - 1(0)  9(5)  -  - 10 (5)
明写    -  -  2(2)  -  -  2 (2)
清写   -  -   - 6(6) 1(1)  7 (7)
江戸刊  1(0)  -   -  -  -  1 (0)
江戸写 13(2) 2(0)  1(0) 2(0)  - 18 (2)
不詳写   -  -  1(0)  - 2(2)  3 (2)
 14(2) 3(0) 13(7) 8(6) 3(3) 41(18)

 表1を日本との重複を入れた数でみると、成立年代では宋代の書が14部と最多で、そのうち13部までが江戸写本だった。この大多数は故宮の楊守敬旧蔵書で、中国で亡佚した宋代の書という点に彼が注目して日本で購入したのだから、当然の傾向といえよう。ついで明代の13部、清代の8部となるが、書物形態の総合でも江戸写本は18部と最も多い。

 一方、日本との重複を除いた数でみると、形態では清写本が7部で最多、年代でも明代の7部についで清代は6部と多い。それらの多くは台北国家図書館の蔵書や、非楊守敬旧蔵書という特徴がある。

 つまり台湾にある大陸亡佚書には大別して、主に楊守敬が日本で購入した書と、本来は大陸にあった書の2グループが存在することになる。中国書の保存に果たした日本の役割、数奇な歴史経緯を物語る興味深い現象といえよう。

4-2 日本現存の佚存書

 前述のように日本にある佚存書は、内閣文庫本[3]とその他機関の所蔵本[4]の二回に分けて報告した。しかし台湾現存本を集計から外していたこと、また再調査をした結果もあり、既報をより詳細にした結果が得られた。ただし全体傾向に変化はないので、集計の分析と各所蔵機関の概略等は省略する。

4-2-1 内閣文庫所蔵書[7]

 国立公文書館内閣文庫所蔵の佚存書137種198部におよぶ。さらに別の14種(24部)が台湾所蔵の大陸亡佚書と重複しており、これを加算すると151種222部の大陸亡佚書が内閣文庫にある。
 

表2 内閣文庫所蔵 佚存書 形態・年代別部数
( )内は台湾所蔵種との重複を加えた大陸亡佚部数
刊写年代\成立年代 宋代 金元   明代  清代 不詳    計
元刊 0 (1)  -    -   -  -   0  (1)
明刊 0 (1)  -   81(85)   -  -  81 (86)
清刊   -  -   3  (3)  9 (9)  -  12 (12)
清写   -  -   1  (1)  1 (1) 1(1)   3  (3)
朝鮮刊 1 (1)  -   4  (4)   -  -   5  (5)
室町写   - 1(1)   0  (1)   -  -   1  (2)
江戸刊   - 1(1)   9  (9)   -  -  10 (10)
江戸写 1 (8) 4(6)  59 (66) 15(16) 7(7)  86(103)
 2(11) 6(8) 157(169) 25(26) 8(8) 198(222)

 当151種222部のうち13種24部は半佚存書で、そのうち台湾にもある大陸亡佚書は4種(7部)、また未詳書1種(1部)も台湾にある大陸亡佚書だった。この佚存書198部および大陸亡佚書222部について、各書の刊写年代と成立年代を表2に整理した。

4-2-2 その他の日本機関所蔵書

 前報[4]では内閣文庫以外の13機関に佚存書が所蔵されると記したが、さらに調査を重ねた結果、計19機関に中国亡佚書ないし大陸亡佚書が見いだされた。それらの概要を以下に記す。

(1)宮内庁書陵部[8]
 当部には16種16部の佚存書があり、これに台湾との重複本5種(5部)を加えて計21種21部の大陸亡佚書が所蔵されている。当21種21部のうち半佚存書は2種2部、輯佚書は1種1部あった。

(2)武田科学振興財団杏雨書屋[9]
 当書屋には15種25部の佚存書が所蔵され、これに台湾との重複本2種(2部)を加えて計17種27部の大陸亡佚書がある。当17種27部のうち、半佚存書は3種3部、輯佚書は2種2部だった。

(3)京都大学附属図書館[10]
 当館には9種9部の佚存書があり、これに台湾との重複本3種(5部)を加えて計12種14部の大陸亡佚書が所蔵されている。当12種14部のうち半佚存書は1種1部、輯佚書は3種5部、偽作?は1種1部あった。

(4)龍谷大学大宮図書館[11]
 当館には7種9部の佚存書が所蔵されが、台湾との重複種はない。このうち半佚存書は2種3部だった。

(5)京都府立総合資料館[12]
 当館には4種4部の佚存書が所蔵されるが、台湾との重複種はなかった。このうち、半佚存書が1種1部だった。

(6)九州大学医学図書館[13]
 当館には3種4部の佚存書が所蔵され、台湾との重複種等はなかった。

(7)大阪府立中之島図書館[14]
(8)尊経閣文庫[15]
(9)早稲田大学図書館[16]
 上記3機関にはそれぞれ3種3部の佚存書があり、ともに台湾との重複種等はない。

(10)東北大学附属図書館[17]
(11)鶴見大学図書館[18]
 上記2館には各々2種2部の佚存書が所蔵され、いずれも台湾との重複種等はなかった。

(12)国立国会図書館[19]
(13)名古屋市立大学図書館[20]
(14)静嘉堂文庫[21]
(15)成簣堂文庫[22]
(16)西尾市岩瀬文庫[23]
(17)伊丹市博物館[24]
 上記6機関にはそれぞれ1種1部の佚存書が所蔵があり、ともに台湾との重複種等はない。

(18)名古屋市立蓬左文庫[25]
 当文庫に佚存書はないが、台湾と重複する1種(1部)の大陸亡佚書がある。

(19)慶應義塾大学北里記念医学図書館[26]
 当館にも佚存書はないが、台湾と重複する1種(1部)の大陸亡佚書があり、これは輯佚書でもある。

 以上の19機関に所蔵される佚存書は計86部、大陸亡佚書は計100部となったが、これでも内閣文庫一所の半分にもおよばなかった。これらの刊写年代と成立年代による分布状況を表3に整理した。
 

表3 内閣文庫以外日本19機関所蔵 佚存書 形態・年代別部数
( )内は台湾所蔵種との重複を加えた大陸亡佚部数
刊写年代\成立年代 唐前 宋代 金元  明代 清代 不詳   計
元刊  -   - 2(2)   -  -  -  2  (2)
明刊  - 0 (1) 1(1) 22(24)  - 1(1) 24 (27)
明写  -   -  -  2 (2)  -  -  2  (2)
清刊  -   -  -  4 (4) 3(3)  -  7  (7)
清写  -   -  -   - 2(2) 1(1)  3  (3)
中国写  -   -  -   -  - 1(1)  1  (1)
朝鮮刊  - 1 (2)  -  2 (2)  -  -  3  (4)
室町写  - 0 (1) 1(1)  1 (1)  -  -  2  (3)
江戸刊  - 0 (3) 2(2) 18(18)  -  - 20 (23)
江戸写 2(2) 1 (7) 1(1) 10(10)  - 1(1) 15 (21)
日本写 1(1)   -  -  5 (5)  -  -  6  (6)
不詳写  -   -  -  1 (1)  -  -  1  (1)
 3(3) 2(14) 7(7) 65(67) 5(5) 4(4) 90(104)

 さらに19機関所蔵本に内閣文庫本も加え、全日本に所蔵される佚存書計294部と、大陸亡佚書計322部を集計し、それらの形態と年代で表4に整理した。
 

表4 全日本所蔵 佚存書 形態・年代別部数
( )内は台湾所蔵種との重複を加えた大陸亡佚部数
刊写年代\成立年代 唐前 宋代 金元   明代  清代 不詳    計
元刊  - 0 (1)  2 (2)    -   -   -   2  (3)
明刊  - 0 (2)  1 (1) 103(109)   -  1 (1) 105(113)
明写  -   -   -   2  (2)   -   -   2  (2)
清刊  -   -   -   7  (7) 12(12)   -  19 (19)
清写  -   -   -   1  (1)  3 (3)  2 (2)   6  (6)
中国写  -   -   -    -   -  1 (1)   1  (1)
朝鮮刊  - 2 (3)   -   6  (6)   -   -   8  (9)
室町写  - 0 (1)  2 (2)   1  (2)   -   -   3  (5)
江戸刊  - 0 (3)  3 (3)  27 (27)   -   -  30 (33)
江戸写 2(2) 2(15)  5 (7)  69 (76) 15(16)  8 (8) 101(124)
日本写 1(1)   -   -   5  (5)   -   -   6  (6)
不詳写  -   -   -   1  (1)   -   -   1  (1)
 3(3) 4(25) 13(15) 222(236) 30(31) 12(12) 294(322)

4-3 欧米現存の佚存書

 中国以外の地域で我々が調査におよんだのは、所蔵中国書を目録等で検証可能な日本・韓国・アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・ドイツの、計7国の各所蔵機関にすぎない。しかし日本は例外としても、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツの4国5機関からも佚存書が見いだされたのは、いささか驚きを禁じ得ない。以下、これを各所蔵機関ごとに紹介しよう。

(1)米国Harvard大学Harvard-Yenching(哈仏燕京)図書館[27]
 当館には4種4部の佚存書があり、うち1種が日本所蔵種と重複していたが、台湾との重複種等はなかった。

(2)米国Princeton大学The Gest Oriental(普林斯敦葛思徳東方)図書館[28]
 当館には2種2部の佚存書があり、2種とも日本所蔵種と重複していた。台湾との重複種はなかったが1種は半佚存書である。

(3)英国Oxford-Bodleian図書館
(4)仏国Paris国家図書館
(5)独国Wolfenbuttel市August der Jungere, Herzog公爵(1579-1666)記念図書館
 上記3館には同一の佚存書が各々1種1部所蔵されており[29]、日本・台湾・その他欧米所蔵種とも重複していなかった。つまり、この3館のみに計1種3部が現存する。本書は3巻本だが、現存本はともに残欠しており、3部を合わせても巻1前半のみは欠けている。

 以上の欧米5機関所蔵佚存書は計7種9部で、日本所蔵種との重複を除いた欧米のみ所蔵の佚存書は4種6部となる。それらの刊写年代と成立年代を表5にまとめた。
 

表5 欧米所蔵大陸亡佚書形態・年代別部数
( )内は日本所蔵種との重複を除いた部数
刊写年代/成立年代 明代
明刊 8(6)
清写 1(0)
 9(6)

 表5のように欧米の佚存書は数量が少ないせいもあるが、日本の所蔵書や台湾所蔵の大陸亡佚とはいささか傾向が違う。形態・年代ともに金元以前の書がないのは、ヨーロッパ中国間の本格的な直接接触が大航海時代、つまり明代から始まったことによろう。また日本刊本・写本がないのは、それらが日本を経由せずに収蔵されたことを表している。例えばPrinceton大学のThe Gest Orienta図書館は、Guion Moore Gest氏(1864-1948)が1918-1948年に北京で購入した蔵書を中核とする[30]

 にもかかわらず、表5のように明代成立の書しかなく、日本所蔵の大多数が表3のように明代の書だったこととほぼ同じ傾向を示した。これは日本や欧米がとりわけ明代の書のみ重視・保存したのではなく、中国でとりわけ明代の書が亡佚したからに他ならない。この所以を既報の内閣文庫蔵本の分析では次のように考察した[3]

 すなわち内閣文庫本は江戸医学館など江戸時代の蒐書ゆえ、時代が重なる明清代に著された書や明版・清版が当然多く、しかも政府機関が蒐集・保管したのでほぼ全体が伝承された。他方、中国ではとりわけ医書について江戸医学館に相当する政府機関がなかったため、後世に評価や復刻がなされなかった医書、とくに明代までの書が佚書となったが、清代の書は数多く伝承された。この双方の事情により、内閣文庫に伝承された中国佚書の大多数が明代の書、ないし明版の比率が高いと理解された。

 さらに前報[4]では以下の要因の介在も推測した。一般論として明代の医学は、南宋代の『和剤局方』流医学と金元のとりわけ李東垣・朱丹渓流医学が融合し始めた時期のものといえる。この融合のために先駆的な書が多数著され、また出版された。しかし融合の試みはまだ荒削りだったため、例えば人参・黄耆の補益論のように議論が重ねられて修正され、清代にはより完全な融合が達成されていったように思える。一方、明代には盗作・改作のうえ書名や作者名を改めた悪質な出版物がとりわけ多い。こうした背景のため、明代の書の一部は清代に価値がなくなって散佚していった過程が推測可能である。

 以上のように、欧米所蔵の佚存書は数量こそ少ないものの、日本所蔵佚存書に明代の書が顕著に多かった背景を例証するものともいえよう。

4-4 佚存書と大陸亡佚書の全容

 以上、台湾地区・日本・欧米の3地域ごとに集計結果を報告したが、この全体ではどうだろう。ただし台湾地区も含めて集計するなら、当然それは佚存書ではなく、大陸亡佚書であることを予めことわっておきたい。

 さて、この大陸亡佚書は日本に322部、台湾に41部、欧米に9部あり、計372部となった。これを刊写年代で表6に、成立年代で表7に整理した。
 

表6 日本・台湾・欧米所蔵 大陸亡佚書 形態別部数
刊写年代\所蔵地域 日本 台湾 欧米  計
元刊   3  -  -   3
明刊 113 10  8 131
明写   2  2  -   4
清刊  19  -  -  19
清写   6  7  1  14
中国写   1  -  -   1
朝鮮刊   9  -  -   9
室町写   5  -  -   5
江戸刊  33  1  -  34
江戸写 124 18  - 142
日本写   6  -  -   6
不詳写   1  3  -   4
 322 41  9 372

 表6に示されるごとく、日本にある大陸亡佚書は明刊本と江戸写本で大多数を占め、当傾向は表2の内閣文庫、表4の日本全体における佚存書でも同様である。ところが表3の内閣文庫以外の日本機関では、明刊本・江戸写本の他に江戸刊本も割合が高い。これは内閣文庫における江戸写本の部数が多いからに他ならない。内閣文庫本のかなりが江戸医学館旧蔵書であることを考えれば、医学館を主宰した多紀氏一族が優れた文献書誌学の知識により、いかに意図的に稀少本を筆写していたかが分かる。

 当傾向は表6で台湾の蔵書にも出現しており、台湾所在大陸亡佚書の約半数が日本からもたらされたことを如実に物語ろう。と同時に、それらをもたらした楊守敬が優れた書誌鑑定眼を以て、明治初期まで活躍して多紀氏一門の最期を飾った森立之を介し、やはり稀少本を意図的に購入していたことも示している。
 

表7 日本・台湾・欧米所蔵 大陸亡佚書 成立年代別部数
成立年代/所蔵地域  日本 台湾 欧米  計
唐以前    3   -  -   3
宋代   25   14  -  39
金元代   15    3  -  18
明代  236   13  9 258
清代   31    8  -  39
不詳   12    3  -  15
  322   41  9 372

 他方、表7でみると大陸亡佚書の中心は明代の書であることが明瞭に出ている。台湾所蔵本だけは宋代の書がやや多いが、表1をみるとそれはすべて江戸写本と江戸刊本で、楊守敬が宋代の書の希少性で入手したためと分かる。

 この表6表7の地域を度外視して、大陸亡佚書の刊写年代と成立年代で整理したのが表8である。
 

表8  日本・台湾・欧米所蔵大陸亡佚書 形態・年代別部数
刊写年代\成立年代 唐前 宋代 金元 明代 清代 不詳 計
元刊  -   1   2  -   -   -   3
明刊  -   2   2 126   -   1 131
明写  -   -   -   4   -   -   4
清刊  -   -   -   7  12   -  19
清写  -   -   -   2   9   3  14
中国写  -   -   -  -   -   1   1
朝鮮刊  -   3   -   6   -   -   9
室町写  -   1   2   2   -   -   5
江戸刊  -   4   3  27   -   -  34
江戸写  2  28   9  77  18   8 142
日本写  1   -   -   5   -   -   6
不詳写  -   -   -   2   -   2   4
  3  39  18 258  39  15 372

 この表8により、江戸写本が幅広い時代の書について作製されていたことが如実に理解されよう。当傾向は全日本の表4でも窺えたが、当表で今は台湾に所蔵される江戸写本も一括されたため、一層はっきりとなった。

 明刊本と並んで大陸亡佚書の中心を占める江戸写本は、明代の書ばかりでなく唐以前から清代の全時代の書について作製されていたのは、それらの希少性ゆえと単純に理解すべきではないだろう。また臨床が目的で、かくも多方面の写本が作製されるはずもない。こうした写本のかなりの部分が江戸医学館旧蔵書だったことを考えるなら[3]、それらは医学館の多紀氏らが医学考証学、およびその基盤の文献書誌学の研究利用のために作製していたと判断すべきである。

 さて以上は部数の集計のみで検討してきたが、種数では大陸亡佚書にどのような傾向が窺えるだろうか。これを地域ごとに重複する種も分けて集計してみた。その結果、台湾のみ所蔵が16種、日本・台湾に共有が19種、日本のみ所蔵が153種、日本・欧米共有が3種、欧米のみ所蔵が4種で、総計195種が大陸亡佚書だった。また台湾を含めた中国全体で失われた佚存書は、153+3+4で計160種であることも知られた。

 一方、今回の集計対象としたのは狭義の佚存書だけでなく、半佚存書・輯佚書・偽作?・未詳書も含まれている。したがって集計の厳密さを考えてそれらを除去するなら、台湾のみ所蔵が16種、日本・台湾に共有が11種、日本のみ所蔵が137種、日本・欧米共有が2種、欧米のみ所蔵が4種で、総計170種が狭義の大陸亡佚書となる。また台湾を含めた中国全体で失われた狭義の佚存書は、137+2+4で計143種と分かる。

 さらに以上を個々の数字ごとに表9に整理した。この中でとくに興味深いのは、日本・台湾を合わせて7種ある輯佚書だろう。江戸後期から幕末にかけて江戸医学館の学者たちを中心に輯佚された書は44種まで判明しているが[5]、この7種はもちろん彼らによる輯佚であった。一度は亡佚した書を輯佚という形で復元させた彼らの営為は、本研究目的と重なる面がある。中国古医籍の研究において、今後はより注目されて然るべきだろう。
 

表9 日本・台湾・欧米所蔵 大陸亡佚書 状況別佚存書種数
所蔵状況/佚存状況 佚存書 半佚存書 輯佚書 偽作? 未詳書  計
台湾のみ所蔵   16    -   -   -   -  16
日台共通所蔵   11    4   3   -   1  19
日本のみ所蔵  137   11   4   1   - 153
日欧米共通蔵    2    1   -   -   -   3
欧米のみ所蔵    4    -   -   -   -   4
  170   16   7   1   1 195

 さらに全体の総括として、各地域ごとに所蔵される大陸亡佚書の種数をみてみたい。すなわち相互重複を含めた全195種のうち、19+153+3の175種が日本に、16+19の35種が台湾に、3+4の7種が欧米に現存している。今後の研究により佚存書の部数はある程度の増加が予測されるものの、種数についてはもはやさほどの増減はないものと推定している。

 それでは、こうした佚存書あるいは大陸亡佚書と現存書は、数量上どのような比率にあるのだろうか。まず大陸現存の書種であるが、『全国中医図書聯合目録』は現存書のみを著録しており、見出し書名は12124件ある[31]。この見出し書名は我々の規定した「種」ほど厳密ではなく、また当目録には多数の日本書と少なからぬ朝鮮書も著録する。以上から推すと、大陸現存書はおよそ10000種程度だろう。日本では中国医薬書の蔵書数最大の内閣文庫に、956種1632部11591冊が所蔵[3]されるので、全日本で1000種を少し越す程度かと思われる。台湾は故宮[32]と国家図書館[33]の所蔵善本医書数から300種ほど、韓国および欧米は根拠の少ない推測で計200種ほどのように思う。

 現存書種を以上のように推計した上で、今回集計した大陸亡佚書を模式図としたのが図1である。本図により、我々が調査した範囲と結果が理解されるであろう。

 我々は当研究の一環として、佚存書すべてについて複写を完了した。今後は個々の書について一層詳細な研究を継続し、歴史的・臨床的意義を明らかにしたい。また、すでに刊行された第1輯に続け、これらのすべてを中国で影印出版することにより故国へ還流させ、文化財の保存に役立てたいと考えている。
 

5.結論

 我々は中国内で散佚し、中国外に現存する中国古医籍に着目し、その調査研究を実施した結果、以下の結論を得た。

(1)当該古医籍を概括する用語に佚存書がある。そこで錯綜した古医籍の書誌状況に鑑み、佚存を判断するための書物概括単位として、従来の個別書数集計単位である「部」の上位に「種」を設定した。

(2)これまで佚存書の概念規定は不明瞭だった。そこで佚存状況の相違により佚存書(広義)と未詳書に類別、また広義の佚存書を佚存書(狭義)・半佚存書・その他の佚存書に類別した。同時に従来の調査研究に台湾地区の所蔵状況を加えるため、佚存書の概念を援用した大陸亡佚書の規定も導入した。

(3)大陸亡佚書は、日本の20機関に175種322部、台湾の3機関に35種41部、欧米の5機関に7種9部あった。書種の重複を除いた総計は195種372部となった。また狭義の佚存書に限定した大陸亡佚書は170種であった。

(4)佚存書は日本の18機関に156種294部、欧米の5機関に7種9部あり、書種の重複を除いた総計は160種303部となった。また狭義の佚存書のみでは143種であった。

(5)各地域にある佚存書の分析から、明代に著された書が中国で特異的に亡佚していたことが判明した。しかし、その理由はいまだ推測の域を出ず、今後の解明が望まれる。

(6)佚存書は日本に最も多量に所蔵されていた。当現象は日本が過去多量に中国書を輸入し続け、かつ政府機関が現在まで保存し続けた要因が大きい。一方、佚存書の約半数が江戸写本であったこと、それらが各時代の中国書を筆写していたこと、その相当部分が江戸医学館の学者の作であったことから、彼らが中国医学の文献研究目的で作製していたことが考えられた。

(7)当研究の一環で佚存書のほぼすべての複写を完了した。今後も研究を継続し、そのすべてを中国で出版することにより文化財の保存に役立てたいと考えている。
 

謝辞:本調査研究に古医籍資料の閲覧と複写の便宜を供与いただいた各図書館および文庫、ならびに事業資金を助成された日本国際交流基金アジアセンターに衷心より深謝申し上げる。
 

引用文献と注

[1]漢語大詞典編輯委員会『漢語大詞典』縮印本527頁、上海。漢語大詞典出版社(1997)。

[2]馬継興・真柳誠・鄭金生・王鉄策・小曽戸洋・蕭永芝共編著『日本現存中国稀覯古医籍叢書(第一輯)』全1572頁、北京・人民衛生出版社(1999)。

[3]真柳誠・王鉄策・小曽戸洋「内閣文庫所蔵、中国散佚逸古医籍の分析」、馬継興・真柳誠・鄭金生・王鉄策編『日本現存中国散逸古医籍的伝承史研究利用和発表(第1報)』7-16頁、北京・中国中医研究院中国医史文献研究所、1997(のち本稿は中国訳で真柳誠・王鉄策「日本内閣文庫収蔵的中国散佚古医籍」『中華医史雑誌』28巻2期65-71頁、1998年4月として公刊された)。

[4]真柳誠・王鉄策「日本に現存する中国散逸古医籍の分析」、馬継興・真柳誠・鄭金生・王鉄策『日本現存中国散逸古医籍的伝承史研究利用和発表(第2報)』5-15頁、北京・中国中医研究院中国医史文献研究所(1998)

[5]例えば多紀元堅(1795-1857)らは朝鮮の『医方類聚』より35種を、森立之(1807-1885)は日本の『医心方』より唐代の『医門方』『拯要方』と唐代の『外台秘要方』より『張仲景方十八巻』を、小島尚質(学古・宝素、1792-1848)は宋代の『証類本草』より仁和寺本になかった『新修本草』巻3・6-11・16を、また彼らは各種文献より『本草集注』を、さらに狩谷{木+夜}斎と森はそれぞれ『神農本草経』を輯佚している。輯佚書の『葛氏方』『范汪方』『本草拾遺』も未確認だが、森らによる作成の可能性がある。なお『張仲景方十八巻』『新修本草』『本草集注』『神農本草経』『范汪方』『本草拾遺』は、本集計の佚存書条件に合致しないので、検討対象から除外してある。

[6]台湾の公的機関に所蔵される善本古籍は、以下のURLの「善本古籍聯合目録」で検索できる。 http://nbinet.ncl.edu.tw/screens/rareintro_chi.html

[7]内閣文庫編刊(1956)の『内閣文庫漢籍分類目録』 188-239頁による。なお同『内閣文庫国書分類目録』にも1書1部の佚存書が誤入していたので、これも加えた。

[8]宮内庁書陵部編刊(1953)の『和漢図書分類目録』理学・本草(1459-61頁)および医学(1478-89頁)による。

[9]武田科学振興財団『杏雨書屋蔵書目録』(京都・臨川書店、1982)による。

[10]京都帝国大学附属図書館編刊(1942)の『京都帝国大学和漢図書分類目録』第 4冊・医学による。

[11]龍谷大学編刊(1997)の『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍分類目録(自然科学之部)』漢籍子部・医家類(35-52頁)による。

[12]京都府立総合資料館編刊(1971)の『京都府立総合資料館貴重書目録』医学(61-64頁)および京都府立京都図書館編刊(1930)の『京都図書館和漢図書分類目録 医学之部』による。

[13]九州大学医学図書館編刊(1987)の『古文書関係目録』による。

[14]大阪府立図書館編刊(1968)の『大阪府立図書館蔵  石崎文庫目録』医学(45-85頁)による。

[15]前田育徳会編刊(1934)の『尊経閣文庫漢籍分類目録』子部(248-416頁)・雑部(769-1147頁)による。

[16]早稲田大学図書館編刊(1991)の『早稲田大学図書館所蔵漢籍分類目録』医家類(180-188頁)による。

[17]東北大学附属図書館編刊(1976)の『東北大学所蔵和漢書古典分類目録  漢籍』医家類(224-242頁)による。

[18]鶴見大学図書館編刊(1994)の『特定テーマ別蔵書目録集成4  漢方と泰西医学』による。

[19]国立国会図書館編(紀伊国屋書店刊、1987)の『国立国会図書館漢籍目録』医家類(354-370頁)による。

[20]小曽戸洋・荻原幸夫・名古屋市立大学図書館田辺通分館「名古屋市立大学図書館 大神文庫古医種録」(『漢方の臨床』44巻4号491-506頁、1997)による。

[21] 国立国会図書館支部静嘉堂文庫編(1951)の『静嘉堂文庫漢籍分類目録 [正]続』医学(1112-1147・472-475頁)による。

[22]三木栄『朝鮮医書誌』(212頁、大阪・学術図書刊行会刊、1973)による。

[23]西尾市教育委員会復刊(1992)の『岩瀬文庫図種録』医学(440-450頁)による。

[24]伊丹市立博物館作成の「南野・笹山家文書」目録(手書き、未刊)による。

[25]名古屋市教育委員会編刊(1976)の『名古屋市蓬左文庫漢籍分類目録』(74-77頁)による。

[26]慶應義塾大学医学メディアセンター編刊(1994)の『古医書目録[改訂版]』による。

[27]沈津『美国哈仏大学哈仏燕京図書館中文善本書志』(312-339頁、上海辞書出版社、1999)による。

[28]屈万里『普林斯敦大学葛思徳東方図書館中文善本書志』(243-260頁、台北・芸文印書館、1974)および葛思徳東方図書館『普林斯敦大学葛思徳東方図書館中文旧籍書目』(302-373頁、台北・商務印書館、1990)による。

[29]1990年1月1-6日にParisで開催された第二回世界針灸連合大会におけるSerge FRAZINI氏 の報文 "Un texte disparu en Chine depuis le ]Ze siecle concerve a Paris, Oxford et Wolfenbuttel : le Maijue Zhengyi de Mashi" の別刷による。

[30]那g『本草学』227頁、台北・南天書局(1974)。

[31]薛清録主編『全国中医図書聯合目録』、中医古籍出版社(1991)。

[32]台北国立故宮博物院編刊(1983)の『国立故宮博物院善本旧籍総目』(20-29葉)による。

[33]台北国立中央図書館編刊(1967)の『国立中央図書館善本書目』(466-497頁)による。