同仁堂旅游部の史総経理・姚経理と明十三陵付近の施設で夕方まで医学史展示の打ち合わせをした後、さらに夕食も一緒に食べようという。私は日没後にだけ飲むノンベーだと昼食時に話したが、白酒より黄酒が好きなことを伝えた記憶はない。あるいは梁永宣さんが話したのだろうか。案内されたレストランは黄酒の紹興酒が当然ある、浙江料理の「張生記」という店だった。史さんに尋ねると、店名は経営者の名だという。マツモトキヨシみたいなもんだ。場所はたしか北4環路ぞいにあり、地下駐車場もあるビルの2階だったと思う。
しかし驚きは史さんなど中国側がみな下戸なので、わざわざ会社から上戸の人を呼んで私の隣に座らせ、二人でグビグビやるよう配慮されたこと。私は一人で飲むのに何も感じないが、梁さんに訊くと中国でそれはとても寂しいことという。やっぱり中国は面白い。で、初対面の人と飲み交わすのはどうもとたじろいだが、話すと史さん達と日本へ温泉施設の調査に行ったことがあり、飲むとすぐに気にならなくなった。どの酒にするといわれ、選んだのは8年ものの紹興酒。1本500ccの小瓶で、二人で2本を空けたと思うが、彼の速度が明らかに私より遅かったのは中国式接待なのだろうか。
それで史・姚・宮・梁・久保の各氏と私の6人で食べた料理だが、飲みながらなので全てを撮影してはいない。また料理名もメモしていないが、写真で見る限り、最低11種はあったことになる。中国は美食なのだ。
上右はご存じ杭州名物の東坡肉。さすが、これだけは一人ごとに小型の素焼き器で出た。日本の豚角煮と同工異曲だが、その紅焼(醤油とカラメルの色づけ)具合と程良い歯ごたえが根本的に違う。私も工夫してよく作るが、どうも上手く出来ない。そもそも「五花肉」と中国でいう、白身と赤身が4層以上になったバラ肉がまずない。この東坡肉も美味しかったが、アブラがいささか強い。のち11月5日夜に朱建平さんの招きで、後海南岸にある孔乙己酒楼の兄弟店という北4環路付近の紹興料理の店でご馳走になった。そこの東坡肉は完全な五花肉で、梅干菜もほどよく入っていて、ほっぺたが落ちた。
さて左写真は当店の売り物らしい土鍋麺で、どのテーブルでも食べている。かつての北京で見かけなかった美味そうな麺なので、入店するなり目についた。史さんから何か食べたいものはと訊かれ、早速あれと指さしたが、これを食べにここに来たとのだと言われてしまった。
で問題の味だが、スープ80点、麺70点というところだろう。日本のすごいラーメンとくらべるのは酷だが、トリ肉・メンマ系のスープは悪くない。麺が黄色く美味そうに見えるのはいいが、鹹水による発色にしては濃すぎ、卵入りの腰もないので、どうも何かで着色しているらしい。とはいえ、北京の普通の麺より格段に腰があり、スープも美味しく、当店の名物料理ということが納得された。
帰る時に店内を見回して思った。かなり高そうな店なのに、客のほとんどは30代から40代らしい。一部のゲストに彼らの親世代がいる。日本でこんな店なら逆の年齢層だろう。現中国発展の果実を享受しているのは彼らなんだなーと、つくづく痛感した。
後で同僚の西野先生からうかがった。50代からの中国人は文革時代の赤貧記憶があって、お金があってもこんな高級店に来ない。それ以前の世代は刹那的気分もあって、今を享楽しているそうだ。そういえば私も文革世代。高級店より赤提灯の煮込みが性にあうのはそういうこと?