北京の東北料理(2002年11月1日、北京中医薬大学付近の「大東北」にて)
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 この夜は北京の友人達を招いて食事した。数年ぶり、数ヶ月ぶりから初対面まで様々だが、およそ知り合いばかりなので、近況とか今後の共同研究などそっちのけで、いろんな話に花が咲いていた。でも私は飲み食いに専念したと思う。

  私と同行した院生の久保君のほか、集まってくれたのは中医研究院から医史文献研究所の朱建平助教授・柳長華教授と針灸研究所の黄竜祥教授、北京中医薬大学 から基礎医学院の梁{山+榮}教授と梁永宣助教授と韓国から客員できている車雄碩教授、中国科学院自然科学史研究所から廖育群教授の計9名。うち柳さんと 車さんが初対面で、途中から梁永宣さんの息子さん、さらにご主人の尤立平中日友好医院助教授も来たような気がするが、紅酒(ワイン)で酔っていて記憶が定 かでない。またいくらだったかも記憶にないが、たぶん全部で数百元だったような・・・

 この日の宴は、中医薬大学と中日友好医院の中間にあ る私の好きな眉州飯店という四川料理の店でしたかった。ところが改装中だったので、中医薬大学そばの大東北という東北料理の店になった。実は前日の夜も 昔、留学中にお世話になった黄啓助先生をお招きし、ここで食事した。しかし、あらかた食べ尽くした後に写真を撮るのに気づき、けっきょく食べかけ料理一品 を撮影しただけなので、それは省略する。

  これだけの人数が食べるとなると、どの料理にするかを決める「点菜」は本当に難しい。皆の好みもあるし、懐具合もある。とうてい外人の私には無理。それ で、このあたりをよく理解している梁永宣さんにお願いして決めていただいたのが写真の品々。料理名は梁{山+榮}さんに17品をメモしていただいた。それ によるともう二品「清蒸桂魚」「揚州炒飯」があったらしいが、撮り忘れている。写真には16品あったが、メモにないスープが一品あるし、一部はメモの料理 名と合致しているか自信がない。ともあれ10人くらいで18品は食べたらしい。まったくの美食・飽食だが、5年ほど前から食べ残しを皆で持ち帰るようにな り、罪悪感が少なくなった。

 上左はたぶん「山野菜」で、ワラビを中心としたあえもの。上右はたぶん「地三鮮」でナス主体のようだが、写真を見てもどんな味だったか思い出せない。

 下左はたぶん「大拌菜」で、香菜などのあえもの。下右は「泡菜」でキムチにやや近いが、発酵してはいない。

 下左は「肉焼豆角」で、インゲンと豚肉の炒め物。下右は「糖醋羅卜絲」で、心裏美という中心が赤い大根の一種を甘酸っぱくあえたもの。紫蘇やリトマスもそうだが、アントシアニン系色素が酸性で赤みが増すのを、この料理は利用している。
 下左は「草籾u冬瓜」で、フクロタケとトウガンの塩味炒め。淡泊な味付けにデンプンでとろみをつけてあり、これは家でも簡単に作れそう。下右は「醤肘花」で、豚肘を醤油味でトロトロに煮込んでおり、とても酒がすすむ私の好物。
 下左は「姜絲肉」で、生姜と豚肉の千切りを炒めたもので、初体験の料理だった。生姜の千切りは水にさらしているようで、さほど辛みがなかった。下右は「貼餅子」。甘そうなので食べなかったが、たぶん中国式ホットケーキで、真ん中のたぶんコンデンスミルクを付けて食べる。おまけの小皿は口休めだろうか。
 下左はメモにないスープだが、タマゴが入ってとろみがつけてある。ほんのり残る記憶からすると「酸辣湯」かも知れない。下右は「春餅巻菜」で、薄く焼いた春巻き風の皮でくるんだもの。何が入っていたか覚えていないが、シャキシャキして美味しかった。
 下左はメモにある「肉絲拉皮」かも知れないが、どうも肉絲が見えないので、別料理とも思う。クラゲ風に見えるのは、ハルサメと同じ緑豆デンプンで薄く作ったもので、つるつるしている。下右はたぶんメモにある「{テヘン+八}肘子」で、{テヘン+八}とは猪八戒にかけたブタのことらしい。柔らかく煮た豚肘を冷まし、薄切りにしている。右の辣醤を付けて食べる中国の典型的酒肴で、ノンベーの私用に注文してくれたらしい。
 下左は「麻辣豆腐」で、やや麻婆豆腐に近い。しかし四川の麻婆ほど辛くなく、豆腐は絹ごしで挽肉が入っていない場合が多い。下右は「黄発{米+羔}」という一種の蒸しパンで、フワフワとほんのり甘かった。よく食べたものだが、ますます東北料理とは何なのかが分からなくなった。 とはいうものの、中国の普通の宴会料理は案外と野菜が多く、さほど脂っこくないことがご理解いただけるだろう。
 この後、私達の泊まっていたHoliday Inn Downtown Beijingと、 梁{山+榮}さんの家が同方向なので一緒にタクシーで帰った。車中、彼女のご主人ともしばらく会っていないのを思いだし、一緒に飲もうと無理矢理押し掛け た。大変失礼だったが、とてもいい紹興酒をいただいたことまでしか覚えていない。ともあれ飽食と泥酔の一晩で、翌日は肝臓付近が痛かった。