優位性をどこに求めるか?

京都在住の方から,「なら燈花会」 というイベントのことでお手紙をいただいた時の返事から。

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優位性を保つ、あるいは差別化競争の際に、その優位性をどこに求めるか、その求めた優位性はどこまで頑健か、競争を有利に進めるためには、脆弱な優位性よりも頑健な優位性に求めるべきである、今の時代に何が頑健で何が脆弱かというと・・・・そういったことを考えました。

歴史、それも中途半端じゃない歴史を持っていることはそれだけで有利です。特に、ネット、交通の発達で、中途半端な優位性がどんどん消失していく世の中になると、独創性を確保するために,奈良の歴史のような、文明の発達では如何ともしがたい、いや、文明の発達によりますますその価値が増す優位性を自分も手に入れたいと思います。

臨床医学で,奈良の歴史に相当するものといえば,患者さんの病歴や診察だけで、その時点での結論を出す判断能力とか、その結論を患者さんに納得してもらうようにお話ができるコミュニケーション能力です.こういった能力は、文明の発達によって際だってくる頑健な優位性です。一方、分子生物学や画像診断能力のようなハイテク技術を背景にした能力は、これだけネットが発達して勉強材料とノウハウが広まりやすくなると、誰でもがプロになれる、脆弱な優位性です。文明の発達によって,職人芸が,普遍的な知識や技術になるのです.

自分の経験や文献の読み込み量だけで偉そうな顔ができた時代は終わりました.EBMに代表されるknowledge management手法と,情報検索道具の両方の発達によって,下克上の時代が始まりました.少なくとも,臨床医学の分野では,その分野をよく知っている人はいても,今まで,権威と見なされてきた人たちが,公家や没落守護大名みたいになってしまったのです.

ましてや,ガイドラインのネット掲載を拒絶したり,税金で集めた公衆衛生データで商売をするような恥さらしな真似は,そのギルドの優位性を高めるどころか,逆にギルドの品位を汚す行為になるのです.
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