治療薬ではなく、ただの血糖降下薬
ーそれが世界一売れている糖尿病の薬だってんだから


すでに5年も前に死亡宣告を言い渡したから、もうNEJMにどんなイカサマ宣伝ビラが載ろうとも、私は驚かないつもりだった。しかし、このTECOSにはさすがに驚いた。何しろ世界一売れている経口「糖尿病治療薬」が,血糖を下げるだけで,心血管イベント抑制効果が無い=糖尿病の治療薬ではないことを第一級のエビデンスが,NEJMの巻頭を飾るOriginal Articleだってんだから.

有罪率99.9%を誇る日本の刑事裁判では、無罪を勝ち取ることは極めて困難である。ましてや戦犯を裁く法廷で無罪を勝ち取り釈放されるためには、天才的な才能が必要とされる。無罪を勝ち取ることは薬についても同様に困難である。逆転有罪を食らったホルモン補充療法は言うに及ばず、Vioxxの悪夢,そしてロシグリタゾンの撤退騒動も醒めやらぬ中、2012年には世界で売上10位に入り62億ドルを売り上げた にもかかわらず、心血管性イベント増加で重要参考人となっていたJanuvia(sitagliptin)にとっても、無罪を証明するのはMission Impossibleと思われていた。しかしMSDはやり遂げた。でも、ここまでえげつないごまかしをやらねばならないのかと、(ひどく複雑な)感慨を抱くのは私だけではないだろう.

Effect of Sitagliptin on Cardiovascular Outcomes in Type 2 Diabetes DOI: 10.1056/NEJMoa1501352

Januviaの有効性(MSDとFDAによれば「安全性」とのことだが)がプラセボに劣らない。つまり効かない!!ことを証明したのが、このTECOS試験である(どうでもいいことだが,TACOSやTESCOと間違えないように).参加国38カ国、被験者数14724、平均観察期間3年の壮大な試験である.無罪を証明するためにはここまでやる必要があったのだ。

この論文が検証しようとしたのは、Sitagliptinの有効性ではなく、安全性だった。つまり、もはやSitagliptinを含めたDPP-4阻害薬には、、降圧薬やスタチンが示してきた心血管イベントの抑制という「昔日の栄光」は求められていない。もはやDPP -4には「心血管イベントの抑制」なんて期待していない、せめて心不全や心血管イベントを「増やさない」ことを示せ。そういう要望が米国と欧州の規制当局や市民から出てきていることが、心血管複合エンドポイントの「プラセボに対する非劣性」という、「新時代の試験デザイン」に象徴されている。

TECOS試験はHbA1cのコントロールという代用エンドポイントが、心血管イベントの抑制というハードエンドポイントに結びつかないことを示す非常に頑健なエビデンスを提供している。私はこれまで医学生に対して「”血圧が、血糖が下がったから、もう薬は飲まなくていいでしょう” と言う患者さんに対しては、”降圧剤・糖尿病治療薬は長期間にわたって服用しなければならない。なぜなら服用の真の目的は、心血管イベントの抑制だから” そう説明しなさい」と教育してきた。しかし、これからはTECOS試験を根拠に、私の教育を否定する学生が出てくるだろう。

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Merck 2型糖尿病薬Januviaの心血管転帰評価試験で非劣性目標達成 BioTodayニュースレター 2015年5月1日
2015年4月27日、Merck(メルク)は、心血管疾患の経験がある2型糖尿病成人が参加した試験(TECOS試験)の結果、同社のDPP-4阻害剤 Januvia(sitagliptin)治療は心血管イベント(心血管死、心筋梗塞、脳卒中、入院を要する不安定狭心症)について同剤なしの治療に劣らなかったと発表しました。また、副次転帰の一つ・心不全による入院はプラセボに比べて多くなかったと同社は説明しています。
Cardiovascular Outcomes with Sitagliptin: No Better or Worse Than Conventional Care
Merck Announces the Trial Evaluating Cardiovascular Outcomes with Sitagliptin (TECOS) Met Primary Endpoint
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MSDの営業は喜色満面でNEJMの別刷を配って回ることだろう。この論文がonline openになっているのも、MSDの宣伝になるからだ。現時点で大血管症および死亡を減少させる実証がある唯一の糖尿病治療薬であるメトフォルミン(商品名メトグルコ)の用量を1000mg/日とすると、薬価は 38円/日。一方、今回、有効性がプラセボと変わらないことが明らかとなったジャヌビアの用量を50mg/日とすると薬価は149円/日とメトグルコの4 倍となる。いくら中医協で侃々諤々で議論したところで、こんなところでザルのように無駄金が使われては、HTAもへったくれもあったもんじゃない。しかし、MSDは本当に浮かれている場合だろうか?

上記NEJM Jounrnal Watchから

The FDA has wrestled for years with diabetes drugs' CV effects. In 2013, the first large outcomes trials with two other dipeptidyl peptidase-4 (DPP-4) inhibitors ? saxagliptin (Onglyza) and alogliptin (Nesina) ? found no effect on CV outcomes. However, results suggested a possible increased heart failure risk, although this endpoint was not rigorously studied. Recently, an FDA advisory committee reviewed the trials and declined to add new restrictions, but they did recommend that the new trial data be added to the drugs' labels.

糖尿病治療薬が心血管系に及ぼす悪影響は,FDAにとって長年の悩みの種だった.2013年にはsaxagliptin (Onglyza) と alogliptin (Nesina)の二つのDPP-4阻害薬が,心血管系に対して有効性が認められないばかりか,心不全リスクを高める可能性が示唆された.このリスクは入念には検討されず,臨床試験を審査したFDAの advisory committeeも新たな注意喚起は必要ないとしたものの,これらの試験結果を添付文書に追加するように勧告した.

Sanjay Kaul, a frequent FDA adviser, pointed out the paradox of the large commercial success of sitagliptin despite the absence of any proven clinical benefit: "So, we have a drug that yields modest glycemic efficacy, is neutral with respect to cardiometabolic factors (lipids, weight, blood pressure), does not kill you or land you in a hospital, and yet is a blockbuster drug nearly five times over! What is the big news here? That it does not kill you or land you in a hospital? Or that it is a blockbuster drug nearly five times over without evidence of microvascular or macrovascular outcome benefit? Miracle of medicine or miracle of marketing?"

FDAに対してしばしば助言もするSanjay Kaul医師は、臨床的有用性のない薬がこれだけ売れる(↑上記参照)不思議な状況について次のように述べている。「血糖をそこそこ下げ、脂質、体重、血圧といった心血管系イベントのマーカーには影響を及ぼさず、入院や死亡率を減らすこともない。そんな薬が世界中で年間60億ドルも売れている。すごいニュースなんだろうけど、一体どこがすごいんだろうね。有効性がプラセボと同じだったこと?それとも有効性のエビデンスが無い薬が世界中で年間60億ドルも売れているってこと?すごいのは薬、それとも商売のやり方?」

そもそもNICEのガイダンスでファーストラインとしてのメトホルミン、セカンドラインとしてのスルホニルウレアに次いであくまで三番手に位置づけられているDPP-4阻害薬がなぜこうも売れるのか?ACE阻害薬と比べて有効性・安全性両面で何の優位性もなかったARBがACE阻害薬よりも遙かによく売れていたのを彷彿とさせる。ジャヌビアはディオバンと同じ道を歩んでいるように私には見える。

毒にも薬にもならない代物にバカ高い薬価がついて売り上げナンバーワンに躍り出る。こんなペテンが日米欧三極の「国際標準」で罷り通っている。試されているのは捏造を見破る技術ではなく、我々の医薬品リテラシーなのだ。やれドラッグ・ラグだの、世界標準の薬の承認が遅れているだの、大騒ぎしたのがこの様だ。では、見事にMission Impossibleを完遂したジャヌビアは、これからも堂々とブロックバスターの道を歩めるのだろうかというと、決して楽観的にはなれない。私がそう考える理由を以下に示す。

結局この試験は、Vioxxの悪夢の再来におびえるMerckが、FDAからの「お勧め」もあってやった試験なんだろうが、 プラセボに対して非劣性ということは、患者を副作用のリスクのみに晒すことに他ならない。確かに心血管系イベントはプラセボと変わらないことを「証明」したわけだが、低血糖はもちろんのこと、アナフィラキシー・過敏症、 Stevns-Johson、血管性浮腫、腎機能障害等、因果関係がはっきりしているジャヌビアの副作用はいくらでもある。

TESCO 試験の結果が明らかになった以上、ジャヌビアを処方し続けることは、血糖を下げるという情けないことこの上ない代用エンドポイントだけを根拠に、患者を副作用のリスクにさらし続けることに他ならない。心血管系イベントのリスクを低下させないことが明らかとなった降圧剤やスタチンを平気で処方し続ける医師にかかりたいと思う患者がいるだろうか?これぞ正に日常診療における利益相反を我々に問いかけている。

結局全ては金目当て。この種の薬はリスクも大きいから、せいぜい今のうちに稼いでおこうって魂胆なんだろう。ずっと後になって、膀胱癌みたいな思いもしなかったところで足をすくわれて、上場以来初めての最終赤字になるとも限らない。でも、この試験結果が明らかになった以上、米国ばかりでなく、各国のHTA当局や支払基金も、ジャヌビアを含めたDPP-4を当然厳しい目で見てくるだろう。我が国にも脳循環代謝改善剤の承認整理という、一部の方々はあまり思い出したくないだろうが、他の方々には大変参考になる出来事があった。

結局は、各企業と個々の医師の行動と利益相反、規制当局、HTA当局や支払基金。各ステークホルダー達の行動観察に、一層の学習意欲と楽しみを提供してくれるジャヌビアなのであった。

2015/9/20追記:EMPA-REG OUTCOME試験との比較で,TECOSの組み入れ基準を見直して,気づいたこと.1.TECOSでは(イベント数を稼ぎたかったためか??)50歳以上を組み入れている.一方,EMPA-REG OUTCOME試験では,治療組み入れ時のHbA1cが8以上と高い,心血管リスクの非常に高い集団を対象にしている.これもイベント数を稼ぎたかったためだろう.

TECOS試験が示すシタグリプチンの安全性の問題、特に急性膵炎については,別のページで説明している.

以下糖尿病治療とは全然関係ない余談:
将兵から「馬鹿な大将、敵より怖い」と恐れられ、「鬼畜の牟田口」と呼ばれていたと伝わる牟田口廉也は、戦後シンガポールで戦犯(B級?)として裁判を受けたが、1948年に釈放されている。その理由は、もっぱら拙劣な作戦指揮により帝国陸軍兵士を消耗させ、連合国軍の勝利に貢献した点が評価されたためと言われている。釈放された牟田口がその後どういう人生を送ったかは各自で検討されたい。「鬼畜米英」から無罪と認定された「鬼畜の牟田口」の運命は、今回無罪を勝ち取ったかのように今は見えるジャヌビアの今後の運命を考察するにあたって、大いに参考になるだろう。。なお再審で無罪を勝ち取るのは一層困難だが、その点については余所で散々書き散らしているのでここでは触れない

参考1→ジャヌビアのリスク
参考2→売れっ子作家
参考3→DPP-4阻害薬による心不全リスク
参考4→DPP-4阻害薬と死亡リスク
参考5→なんで2年もかかるのか?

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