野望

先日,東京大学で生物学の講義を聴く機会があった.そこでSystems Biologyシステムバイオロジーなる学問の紹介があった.なに,それほどややこしいことではない.動機は当たり前の話である.生物学にも,系統的な理論構築をしようという動きが出てきたのはむしろ遅すぎたぐらいだ.

今日に至るまで,DNAだの,たんぱく質だの,個々の分子だけに的を絞って研究していても,細胞,果ては生物の活動が一向に見えてこなかった,これは生体分子と.それらのネットワーク活動が,複雑すぎて,ブラックボックスと諦めていたから,あるいは生体分子という無数の源流の方から,川の流れ全体を把握できると妄想を抱いていたからなのだが,システムバイオロジーとは,諦めや妄想を捨てて,ブラックボックスを何とか開けて覗いてみようという動きである.

システムバイオロジーは,これまでの生物学の流れと比べると,野心的な試みではあるが,生物学以外の分野の類似の学問と比べると,はるかに立ち遅れており,道のりは長い.経験則の積み重ねがない分,スーパーコンピュータを使った天気予報よりはるかに不利だし,経験則の面でも理論の面でも,マクロ経済学の方がはるかに先を行っている.

私が高校時代から夢見ているのは,システムバイオロジーよりも更にその先,システムバイオソシオロジーSystems Biosociologyとも言うべき分野である.私が言っているのはヒトラーの遺伝子異常を研究しようなんて,そんなけちな話じゃない.なぜワイマールを経験した国民がナチを受け入れたのかを,遺伝子レベルから解明できないかという野望である.

本当の科学者は,方円の器に従う水の性質を論じる時に,水の分子から説き起こせるはずである.科学者はそうでなければならない.もしかしたら,今でも誰もその水準まで到達していないのかもしれないが,私のように少しでも科学を志した者は,その理想に共感してくれるだろう.医学は,その水準までは程遠いが,理想は同じである.

生物があるところに必ず社会がある.蟻や蜜蜂ばかりではない.植物だってそうだ.例えば,セイタカアワダチソウは,ライバルの植物が生えないように”毒”を撒き散らすという.このような植物の”行動”を遺伝子レベルから解明することを手始めにしたらどうだろう.それだけでネイチャーに何本も書けそうじゃないか.そういうところを,これから何百年もかかって築き上げていく学問の出発点にすればいい.

アプローチの仕方は,一方向である必要はない.分子生物学,細胞生物学,臓器別臨床医学,精神医学,獣医学,経済学,社会学,史学・・・既存の学問分類にとらわれていては始まらない.生体分子の機能解明は,疾患の治療への手がかり,などとけちなことばかり言っているような研究者は要らない.様々な生体分子の機能とその相互作用の解明が,個体の行動,ひいては社会現象の解明に繋がらなければ,本当に役立つ学問とは言えない.それが,Systems Biosociologyである.

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