スターリンの死因
―独裁者は天寿を全うしたのか?それともネズミと同じ運命を辿ったのか?―

●きちんと病理解剖されていたスターリン
スターリンの死因については,「脳出血と言われているが,どこまで本当なのだろうか?」と,漠然たる疑問を持ちながらも,詳細に検討したことはなかった.おそらく日本のほとんどの神経内科医も同じようなものだろう.だから,2018年のモンティ・パイソン(*)としてスターリンの葬送狂騒曲が高松の映画館でも見られると知った時も,スターリンの死を切実に願っていた連中が,いざその「夢」が実現した時に繰り広げた暗闘が,どのように表現されているのかという点に興味はあっても,いくらスコットランド人の監督とはいえ,たかがブラック・コメディで死因の謎が究明されるわけでもあるまいにと思っていた.(*モンティ・パイソンで大活躍したマイケル・ペイリンが、ヴャチェスラフ・モロトフ役で出演している)

だから,華佗を殺してしまった曹操や,シャブ中になったヒトラーと同様,スターリンがまともな医師の助言を受けられず(みんな殺しちゃったから,助言できなかったんだけどDoctors' plot, 医師陰謀団事件),脳出血で倒れても,絶対安静という名の下に,放置プレイ(*)を受けた場面を見ても,まあそうだろうなとしか思わなかった.(*正確に言うと放置プレイでなく,ヒルを8匹耳に吸い付けるという,脳出血の伝統的治療を受けたそうだが)

しかし,それから,驚くべき場面が待っていた.解剖台の上に横たわったスターリンの頭皮が,型通りに切開,翻転され,きれいにむき出しになった頭蓋骨が(図説),これも型通りに(=頭頂部の内面がお椀の底になるように),のこぎりで切られていくのである.私がかつてやっていた方法と違う点はただ一つ,のこぎりが電動ではなく,手動だったことだけだった.何てこった!!きちんと解剖したんじゃないか!!(場所はdachaの車庫だったけど・・・ Stalin’s son― who is a piece of work, deserving no sympathy― comes to the dacha and asks where his father is, not knowing that he’s already dead. He’s in the garage, he’s told. So he goes to the garage, only to find that that’s where the autopsy is taking place...(Fabien Nury & Thierry Robin: The Death of Stalin

以下,スターリンの死因とベリヤ下手人説(脳出血発症前の夕食会のワインに大量のワルファリンを仕込んだ)を考える上での参考サイト

●ネット・書籍・メディア記事はベリヤ主犯説を支持しているが・・・

スターリン その死のカルテ:出典を示していないが,日本語で晩年の病歴と病理解剖結果をざっと見てから下記のサイトを読み進めるといいだろう.

Stalin's Last Crime: The Plot Against the Jewish Doctors, 1948-1953 by Jonathan Brent,  Vladimir P. Naumov HarperCollins Publishers:2003年1月に出たこの本は,上記の医師陰謀団事件を扱っている.スターリンの死後50年経って公開された,彼の急変とその後の診療,解剖に関する貴重な情報が含まれている.しかし,この400ページ以上にわたるペーパーバックを読む余裕のある人は限られているだろう.そういう人は私と同様に,下記のサイトで概要を学ばれたし.
Study Supports Idea Stalin Was Poisoned. The Moscow Times By Michael Wines March 06 2003:
以下はこの記事からの抜粋:

解剖記録からは胃の出血を記載した部分が削除されいた

The 402-page book, "Stalin's Last Crime," will be published later this month. Relying on a previously secret account by doctors of Stalin's final days, its authors suggest that he may have been poisoned with warfarin, a tasteless and colorless blood thinner also used as a rat killer, during a final dinner with four members of his Politburo(注:マレンコフ,ベリヤ,フルシチョフ,ブルガーニンらの幹部のこと). They base that theory in part on early drafts of the report, which show that Stalin suffered extensive stomach hemorrhaging during his death throes. The authors state that significant references to stomach bleeding were excised from the 20-page official medical record, which was not issued until June 1953, more than three months after his death on March 5 that year.

ただし,これとて,重度の脳出血で,発症してから死亡まで4日間もあったのだから,卒中後のストレス潰瘍(Cerebrovasc Dis Extra 2014;4(2):156–164)であると考えた方が自然であり,わざわざワルファリンを持ち出す必要はない.

モロトフは1993年に出版された彼の回想録の中で,1953年のメーデーの時のベリヤの得意げな顔を記している
Four Politburo members were at that dinner: Lavrenty Beria, chief of the secret police; Georgy Malenkov, Stalin's immediate successor; Nikita Khrushchev, who eventually rose to the top spot; and Nikolai Bulganin. The authors, Vladimir Naumov, the secretary of a government commission to rehabilitate victims of repression, and Jonathan Brent, a Yale University scholar, suggest the most likely suspect, if Stalin was poisoned, is Beria, for 15 years his despised KGB chief. Beria supposedly boasted of killing Stalin on May Day, two months after his death. "I did him in! I saved all of you," he was quoted as telling Vyacheslav Molotov, another Politburo member, in Molotov's 1993 political reminiscence, "Molotov Remembers."(スターリンが倒れたのは1953年3月1日,死亡がその4日後.ベリヤが失脚したのは,そのメーデーから2ヶ月も経たない,6月26日,彼が銃殺刑となったのがその半年後,12月23日だった)

スターリンは倒れる前夜,4人の委員会メンバーと夕食会を持った.この時にベリヤが赤ワインにワルファリン(*)を仕込んだとの説が広く流布されているが,もちろんそれを確認する術は当時も今もない.また,下手人がベリヤであり,委員会メンバーの中でも一番先に彼がスターリンが倒れているところに駆けつけたこと,そして間もなく駆けつけた他のメンバーが医者を呼ぼうとするのを制止したという説も広く流れているが,2003年に公開された資料はそれも否定している.*経口薬ということもあり,ワルファリンは無味無臭

On March 1, 1953, Stalin collapsed at Blizhnaya, a north Moscow dacha(別荘), after the all-night dinner with his four Politburo comrades(上記). After four days, Stalin died, at age 73. Death was blamed on a hemorrhage on the left side of his brain. In their book, Naumov and Brent cite wildly varying accounts of Stalin's last hours as evidence that -- at the least -- Stalin's Politburo colleagues denied him medical help in the first hours of his illness, when it might have been effective. Why remains a mystery: One guard later said Beria had called shortly after Stalin was found, ordering them to say nothing about his illness.

More telling, however, is the official medical account of Stalin's death, given to the Communist Party Central Committee in June 1953 and buried in files for almost the next 50 years until unearthed by Naumov and Brent. It maintained that Stalin had become ill in the early hours of March 2, a full day after he actually suffered the stroke. The effect of the altered official report is to imply that doctors were summoned quickly after Stalin was found, rather than after a delay.

The authors state that a cerebral hemorrhage is still the most straightforward explanation for Stalin's death, and that poisoning remains for now a matter of speculation. But Western physicians who examined the Soviet doctors' official account of Stalin's last days said similar physical effects could have been produced by a five-to-10-day dose of warfarin, which had been patented in 1950. (下記の「ワルファリンの歴史」参照)

New Study Supports Idea Stalin Was Poisoned. The New York Times,  March 5, 2003. 上記The Moscow Timesと同じく,やはりワルファリンの大量投与による脳出血の可能性を取り上げている.
Secret documents reveal Stalin was poisoned. Pravda 29 Dec 2005 こちらはご存じプラウダが,毒殺説を支持する資料を紹介している.スターリンはかねてから高血圧症を患い,睡眠障害にも悩まされていたというのは,ベリヤ,マレンコフ,フルシチョフらがスターリン死後にでっち上げたデマであり,1947年(死亡の6年前,67歳)からのスターリンの診療録にある血圧は140/80程度であり,睡眠障害の記録もないことや,ベリアが毒殺の下手人である可能性も紹介しているが,具体的な薬物名については言及していない.

まとめ1暗殺の科学的証拠はない:ベリヤがスターリンを毒殺したという科学的証拠どこにもない.あるのは彼が下手人であると考えたい人々が言ったことが「状況証拠」として流布されている風説だけである.
1.スターリンの急変後から死に至るまでの経過は典型的な脳卒中だった.
2.死因は左半球の脳出血だったことが病理解剖で確認されている.
3.脳出血の原因がワルファリンの過量服薬だったという科学的証拠もはどこにもない.
4.ベリヤはワルファリンによる毒殺遂行に必要な情報を持っていなかった: 確かにワルファリンが経口抗凝固薬として臨床応用されたのはスターリンの死の2年前,1951年だが,FDAの承認は1954年である.つまりベリヤは, 殺鼠剤としてのワルファリンを入手することはできたが,それが,1)どんな味で,2)どんな飲み物によく溶けて,3)その飲み物の味が変わらず,さらに, 4)どの位の用量が致死量で,5)何分後あるいは何時間後に死亡するか といった,毒殺者にとって必須の知識を入手可能な立場にはなかった.こういうった 情報は今の我々だって知らないことだ.ましてやベリヤが知っていたわけがない.

まとめ2ベリヤの知識も行動もベリヤ下手人説を支持しない
1.解剖に賛成:自分が毒殺したとしたら,その有力な証拠になるはずのスターリンの病理解剖を妨害するどころか,ダーチャの車庫で解剖することに賛成している.
2.無為な3ヶ月の後逮捕され→銃殺された:スターリンの死後,速やかに邪魔な他の中央委員会委員を速やかに始末するどころか,スターリンの後継者のマレンコフの下で3ヶ月も「無駄に」過ごした挙げ句,フルシチョフが形成した包囲網により「英国のスパイ」と濡れ衣を着せられ,逮捕され,半年後のクリスマス前に銃殺されている.あのスターリンがヒトラーに向かって,誇らしげに「うちのヒムラーです」と紹介した人間とは到底思えない,明智光秀以下の体たらくである.

●学術記事わざわざワルファリンを持ち出さなくとも,スターリンの解剖所見は動脈硬化による脳出血とその合併症で十分説明できる.
スターリン剖検所見からワルファリンによる毒殺と結論づけているのが,合衆国はジョージア州の脳外科医,Miguel Fariaである.(ちなみに「ジョージア」はロシアではグルジア,つまりスターリンの出身地である)
Faria MA. Stalin's mysterious death. Surg Neurol Int 2011;2:161
Faria MA. The death of Stalin – was it a natural death or poisoning? Surg Neurol Int 2015;6:128.
学術雑誌に載った記事ではあるが,特に目新しいことは言っていない.結論も下記のように,上記Brent & Naumovの共著の考察の範囲を出ていない.
We now possess clinical and forensic evidence supporting the long-held suspicion that Stalin was indeed poisoned by members of his own inner circle, most likely Lavrenti Beria, and perhaps even Khrushchev, all of whom feared for their lives. But Stalin, the brutal Soviet dictator, was (and still is in some quarters of Democratic Russia) worshipped as a demigod ― and his assassination would have been unacceptable to the Russian populace. So it was kept a secret until now.

Fariaがベリヤがワルファリンによってスターリンを毒殺したと主張する根拠は,1953年3月7日にプラウダに掲載された解剖報告である.そこには,左半球の広範な脳出血の他に,心筋出血や広範な消化管出血があったことを以て,「動脈硬化だけでは脳出血は説明できるが,心筋出血や消化管出血は説明できない.出血傾向をきたす薬物を投与された動かぬ証拠だ」と主張している.しかし,脳卒中急性期のストレス潰瘍は古くからよく知られている(Stroke 1994;25:2146-2148).またくも膜下出血を含め,重症脳出血では,カテコラミン系を介して心筋虚血が起こることも古くからよく知られている(Korean Circ J 2012;42:216–219).(虚血心筋には出血が起こることは病理学を教わったことがあればすぐわかること).何もわざわざワルファリンを持ち出さなくとも,重症脳出血後4日間も昏睡状態のままだったスターリンの解剖所見は十分説明できるのである.
そして肝心の脳出血は左半球内に留まり,続発性のくも膜下出血や脳室穿破を起こしていたとの記載はない.つまり発症からある程度の時間(動脈硬化を原因とする一般的な脳出血の場合は通常1-6時間)までは血腫は拡大していたが,決して出血が持続していたわけではない.このことも,ワルファリンの大量投与による脳出血を否定する.さらに,病理解剖所見には消化管がタール便で充満していたという記載もない.
以上より,プラウダに記載されたスターリンの病理解剖所見は,動脈硬化による脳出血とその合併症で十分説明できる.ワルファリンによる毒殺という結論を引き出すことはできない.

●ワルファリンの歴史(なお,「ワーファリン」は,実はエーザイの商品名.日本語では「ワルファリン」が一般名称なのだ!)
誰でも読める総説として,下記の2つ.
Pirmohamed M. Warfarin: almost 60 years old and still causing problems. Br J Clin Pharmacol 2006;62:509–511
Wardrop D, Keeling D. The story of the discovery of heparin and warfarin. Br J Haematol 2008;141:757-763.

日本語では渡邊義将先生のスライドが大いに参考になる:下記はその丸写し
1920年: 米国北部の農家の飼い牛に新しい出血性伝染病?
1922年: シナガワハギ(スイートクローバー sweet clover)を食べた牛がこの病気にかかり,ムラサキウマゴヤシを食べると出血が止まることが判明.
1939年: シナガワハギに含まれる出血誘発物資として,ビスヒドロキシクマリン(ジクマロール)が単離された.
1943年: ジクマロールをもとに,ワルファリンが合成された.Wisconsin Alumni Research Foundation + coumarin =WARFARIN
1948年: 殺鼠剤として市販開始
1951年: 自殺目的にワルファリンを大量に服薬してもビタミンK投与で死亡に至らなかった事例があり,その後,ワルファリンが初めての経口抗凝固薬として臨床応用されるようになった(*)
1953年3月5日:スターリン死亡(脳出血発症は3月1日)
1954年6月8日:FDAがCOUMADIN (warfarin sodium) を承認. (New Drug Application (NDA): 009218)

おまけ:年表形式のワルファリンの歴史

ベリヤ自身の運命がベリヤ下手人説を否定している
ベリヤ下手人説の致命的な欠陥は,「うちのヒムラーです」とまで高く評価されていたベリヤが,肝心のスターリンの死を全く有効利用できなかったどころか,下記に説明するように,自分に対する最大のリスクを見逃し,スターリンの死という自分の人生の最大の危機の後,4ヶ月近くも漫然と過ごした結果,これまで彼が抹殺してきた何千何万の人々と全く同じ運命を辿ったことにある.

スターリン死後のベリヤの運命は,この映画の中で,ほぼ史実に忠実に描かれている.もしベリヤが下手人ならば,スターリンの死後に誰がどういう行動を取るかを予想し,自分を脅かす要素を徹底的に排除する計画を立てただろう.その中で最大の危険人物は,誰か?Politburo(マレンコフ,ベリヤ,フルシチョフ,ブルガーニンらの幹部)ではない.もちろん彼らはスターリンの死後に始まる権力闘争の中で少しでも油断したら刺してくる連中である.しかし,一方でベリヤの握っている秘密警察(NKVD:内務人民委員部)という,とっておきの切り札に大きな魅力を感じてもいた.だから政治局の連中は,スターリンの死後,ベリヤを亡き者にするよりは,うまく利用しようと考えいた

最も危険なのは,彼の切り札であるNKVDを邪魔だと考え,ベリヤとNKVDを一遍に始末してしまうチャンスをうかがっている人物だった.それが,大戦後,「狡兎死して走狗煮らる」の危機にあり続けていた大元帥ジューコフである.そして実際に起こったことは,以下のようである.

 1953年6月26日、自らが招集した拡大政治局会議でフルシチョフは唐突にベリヤを攻撃し始めた.「ベリヤは英国諜報機関に雇われたはスパイであり、スターリンが死んでから,様々な反党行為を犯した」。モロトフやほかの政治局員も同様にベリヤを非難するのを見て動揺するベリヤ.その即時解任の動議をフルシチョフが提案すると、マレンコフが机のボタンを押した。これを合図に隣室で待機していた赤軍軍人たちが拳銃を持って会議場に殺到した.マレンコフは「首相の資格でベリヤを逮捕するよう命令する」と言った。ベリヤに拳銃を向けて「手を上げろ!」と大声で叫んだのは,大戦の英雄,大元帥ジューコフその人だった.(ジューコフ元帥がベリヤに拳銃を向け「手を上げろ!」

第二次大戦後間もなく、ジューコフは左遷された.(決してウクライナではなく)ウラル軍管区司令官である.平和は警察と軍との対立を引き起こす.戦争が終わり,厄介者となった赤軍が,NKVDを敵視していたのは想像に難くない.実際に,この映画でも,スターリンの葬儀の際の混乱(*)を招いたという理由で,赤軍兵士がNKDVに銃を向け「お前らではモスクワの治安は守れない.こ れからは俺たち赤軍が取り仕切る」と宣言し.NKDVの警察員を,かつて彼らが粛清者の移送に使ったトラックに押し込める場面も描かれている.* 数百万の市民が参列し、混乱を避けるためにバリケードも用意されたが数十人が圧死した(スターリン その死のカルテ).

 スターリンの死後,ベリヤにとって最も危険な人物がジューコフであったことは,誰の目にも明らかである.もしもあなたがベリヤだったら,スターリン暗殺後のリスク管理計画の最優先課題をジューコフの粛清としただろう.それは何も難しいことはない.「うちのヒムラー」にとっては造作もないことだったはずだ.意識不明で小便まみれになっているスターリンの横にある,彼の机の上に,ゲオルギー・ジューコフの名前の入った粛清者リストを置けば,それで済んだことだ.何しろ朝食を運んだ召し使いの次,党員の中では一番始めにスターリンの部屋に入ったのが彼だったのだから,

ところが実際にベリヤのやったことと言えば,そのジューコフをスターリンの死後4ヶ月以上逮捕もせず,クーデターを計画できる状態に放置し,挙げ句の果てには,なんとジューコフに拳銃を突きつけられるまで,自分の運命に危機感を感じていなかった.そんな間抜けな人間がスターリン暗殺の黒幕であるわけがない.

●蛇足:映画関連のリンク
「スターリンの葬送狂騒曲」ソ連上層部に仁義なき跡目争い勃発:以下のようにこの映画の見所をよくまとめている.
『スターリンの葬送狂騒曲』はロシア語ではなく英語の映画であり、役者も実際のソ連上層部の人間にそれほど似ていない。これによって、本作は一種の普遍性を偶然獲得している。「スターリンの死をめぐるドタバタ」という一個の事例を扱った映画なのに、顔も言語も実際と異なるものを当てはめることによって、戯画性が高くなっているのだ。
だから例えば、この映画と同じような状況に「自分の勤めている会社のトップを当てはめて想像する」というようなことがより容易になっている。固有の状況を扱った映画という側面が薄くなっているからだ。似てない役者が英語で史実の人物を演じることにより、この映画は知らない時代の知らない人の知らないドタバタではなくなった。「スターリンの死」は世界のあちこちに偏在するのである(注:あちこちに偏在する→正しくは『普遍的な出来事である』.もう少し気取った表現では『時間や空間に限定されない出来事である』)
スターリンの葬送狂騒曲(映画の原作コミック)(小学館集英社プロダクション 本体3000円):この本を読むと映画を見たくなる.映画を見るとこの本を読みたくなる.どちらにしても後悔はしない.共通点と相違点の両方が,それほど興味深い.
The True Story of the Death of Stalin. By Jackie Mansky, SMITHSONIAN.COM OCTOBER 10, 2017 上記映画スターリンの葬送狂騒曲の原作.中毒であろうと病死であろうと,原因が何であれ,娘のスヴェトラーナと息子のワシーリーの二人を除いた全ての関係者が,スターリン が救命されることがないように願い,その願いの通り行動したことがわかる.
『フルスタリョフ、車を!』−−なんじゃこりゃ(汗: 私が今まで読んだ中で最上の映画評論.これを読めば映画そのものを見なくても済む.『誰だって全然理解できないのは確実だ。だからこそのこの映画は「理解しないと!物わかりの良いコメントをしてお利口さんだとみんなに思ってもらわないと!」という映画を観るものすべてが陥る原罪みたいなものから心地よく解放してくれるというわけだ。』

失敗の本質:法医学版

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