忘却とは生きる知恵である
ー記銘力障害によるジャーナリスト流健康管理


陸軍省の記者クラブの連中が,和,戦何れかの情報取りに大臣官邸に来て,大臣に面会を求めた.今迄よく知っている連中である.私をとりまいて一人が言った.「どうですか,対米交渉は.国民の間にはもう東条内閣の弱腰に非難の声が起こり出した」云々と.西浦 進 日本陸軍終焉の真実 日本経済新聞出版社

 開戦前後に首相秘書官を務めた西浦の著書には,大命降下後は一転して対米開戦阻止に全力を挙げていた東条英機首相(*)を「弱腰」と盛んに非難する「国民の皆様」の声が,歴史的事実として淡々と記されている.A 級戦犯達が国民を騙して戦争を始めたというのは,北陵クリニック事件なんぞ足下にも及ばないような壮大な虚構である.
 その虚構を創ったのはルーズベルトでもなければマッカーサーでもGHQでもない.八紘一宇を信じて鬼畜米英を叫んだ国民の皆様とその声を伝えた報道記者の記銘力障害に他ならない。記銘力障害は決して病的なものではない。むしろ精神衛生の観点から言えば、健康管理に必須のツールである。自らの恥を全て覚えていれば、ストレスに押しつぶされてたちまちのうちに命を失う。今も昔も忘却とは「ジャーナリスト」とやらが生きる知恵である。
*この点については数多くの研究・論文が既にあるが、我々一般市民にとって手軽に確認できる書物として、「昭和16年夏の敗戦」がある。
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東條についていうなら、責任はあるけど、全責任を負うほどではないと思う。
私は「近代文學」の座談会(1946年2月)での小林秀雄の発言に共感を覚えます。彼は「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と発言しています。私も東條ら一部の人に責任を押し付けるのは間違っていると思います。
開戦前、国民は日本が朝鮮半島や満州に進出するのは当然の権利だと思っていた。メディア、といっても当時は主に新聞ですが、部数を上げたいから読者が喜びそうな記事を書く。世論が「軍は何をしてるんだ」と尻を叩いて戦争に突入していったという側面もある。ならば国民やメディアにも責任はあるだろうと。
そんな戦争責任を負った者のなかで、いちばん悪質だと思う者をあえて挙げるとすれば、それは新聞ジャーナリズムです。小林(注:英雄)の言う「利巧な奴」ですね。敗戦まであれだけ戦意を煽っておいて、敗戦と同時に凄まじい東條バッシング。あれはそうしなければ「お前たちこそ日本を戦争に誘導していったじゃないか」と自分に火の粉が降りかかってきたからでしょう。ナチスに協力したドイツの新聞はすべて廃刊されていることと比較すると愕然とします。亀井宏 旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか
「利巧な奴」の出典については→レファレンス事例詳細(Detail of reference example)を参照のこと
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17歳から28歳までの11年間米国で、いわゆる留学生ではなく研学移民(学生となるための立場での移民、苦学生)としてパートタイムで生活費を稼ぎながら学び、39歳(1929年)に東京朝日新聞社を退社してからは、特定の組織に所属せず、焦土演説名高い内田康哉、長期在米経験にもかかわらず日独伊三国同盟に奔走した松岡洋右を厳しく批判した清沢洌のような孤高の言論人は、現代日本の「ジャーナリスト」諸氏に言わせれば、さしずめ「不器用な奴」なのだろう。

参考
新聞と戦争一日本の大新聞は 15 年戦争をどう報道したのか
朝日新聞の言う中庸とは:こういうツッコミを予想せず(挑発するために?)にコラムを書く奴ってのも・・・「ドイツでは敗戦後に戦前の新聞はすべて廃刊となった。ナチス協力の責任を取らされたからだ。」との記載あり。

2017/4/8追記:もっとも,このような事態を招くのは,我が国特有の国民性ではなく,時間,空間を超えた普遍的な人間の性であるようだ.
細谷雄一 「最も巨大な国益の損失」を選択したイギリス Newsweek日本語版 2017/4/3 より
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真珠湾攻撃前の日本では、一部に合理的な思考からアメリカとの衝突を回避する必要性を説く者が存在した。また、東条英機首相自体がきわめて官僚的で実務的な思考の持ち主であった故に、戦争を回避して外交的な合意に到達する可能性も皆無ではなかったはずだ。しかしながら、日本政府内には譲歩を語ることが難しい、柔軟性が欠如した空気が満ち溢れ、またイデオロギー的にアメリカの行動を批判するほうが容易かった。
硬直的なEU批判を行い、イデオロギー的に「ハード・ブレグジット」を求める姿勢が優勢となっている今のイギリス政府もまた、同じような柔軟性と合理的な精神が欠如した空気が満ちているのではないか。
それは、2016年6月23日のイギリス国民の選択の結果でもある。国民投票は、その後に国益を破滅的に損なうような結果になった際には、責任の所在が不明確である。おそらくはそのような結果になったときには、もはやデヴィッド・キャメロン前首相も、テリーザ・メイ首相も、ボリス・ジョンソン外相も、デヴィッド・デーヴィス離脱相も政治の舞台から退いており、だれもがその責任をとろうとせず、だれもがその帰結を批判するような「無責任の体系」が生まれているのではないか。
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