ドクター警部補とジンタイ検事

2016年10月 日経メディカルオンライン掲載記事

 これだけ大きく報道され社会問題になると、誰かが悪者にならなければいけないんだ

2001年に東京女子医大病院で起きた医療事故の捜査で、大学が作成した報告書の誤りを指摘する佐藤一樹氏に対し、興奮しながら“訓示を垂れていたのが、警視庁内で「医療事故捜査の第一人者」との誉れ高かった白鳥陽一警部補(当時)でした(記事1)。

警視庁捜査一課特殊犯に12年以上所属し「専門知識は医者にも負けないほど」と警視庁内で評価された結果、「ドクター」の異名を取った白鳥氏は、警視総監賞を含めて数々の表彰を受け警部にまで昇進した後、医療事故捜査資料を漏洩した罪で懲役10月の実刑を受けています(関連記2)。 

今回の「わいせつ外科医」なる空想医学物語を弄ぶ警察官達の姿が関連3白鳥氏と重なって見えるのは私だけではないでしょう。

術後せん妄状態での記憶に基づく訴えをわいせつ被害の動かぬ証拠と誤診したことを、恥じるどころか自分たちの大手柄と言い立てる。そんな傲岸不遜な警察官達の態度は、北陵クリニック事件での宮城県警の警察官達や「ドクター警部補」のような先輩達がせっかく残してくれた負の遺産から、警視庁の後輩達が何一つ学んでいないことを示しています。

ジンタイ検事
「今、検察官がジンタイと読んだのは、臍帯(サイタイ)の読み間違えではないですか。」

これは2007126日に開かれた福島県立大野病院事件裁判の初公判冒頭、起訴状朗読に対する主任弁護人の異議です。産婦人科専門医を被告人にして日本全国が注目していた裁判の公判担当検事がこの有様でした。

この裁判から10年が経とうとしているにもかかわらず、検察官達が何も学んでいないことは、彼らが私に対る藪医者呼ばわりを飽きもせずに続けていることからだけでも明らかです。

「わいせつ外科医」の勾留理由開公判に対し「検察は大野病院事件から何も学んでいない!」との怒りの声が上がりましたが、土台無理な注文というものです。そもそも警察だけでなく検察も、大野病院事件を自分達の失敗と考えるような、まともな当事者意識を一切持ち合わせていないのですから。

失敗が繰り返されるためには、失敗が忘却される必要があります。「わいせつ外科医」を起訴した検察官も自分がジンタイ検事の二の舞になるなどとは夢にも思っていません。なぜなら検察官も先輩達の負の業績など、すっかり忘れてしまっているからですこうして何度同じ失敗を重ねても、その度に全てを忘れ、十年一日のごとく脈の取り方一つ学ぼうとしない点では、検察も警察と何ら変わるところはありません。

警察と検察の葛藤
 検察というと特捜部だけが華々しく取り上げられるのが常ですが、起訴を独占する検察官の本来業務は、警察捜査をチェックして起訴の可否を決定することです。検察官を寿司職人に喩えると、警察捜査はネタに相当します。

刑事裁判は人生・命を左右しますから、寿司職人がネタにこだわる以上に、検察官には警察捜査を批判的に吟味する義務があります。ところが、検察官も警察官同様に医療に対して無知ですから、医療事故捜査の場合には、検察は警察捜査を丸呑みするしかありません。ネタから異臭がしようがカビが生えていようがお構いなしの寿司職人というわけです。

北陵クリニック事件では、橋本保彦東北大学医学部教授(当時)による誤診も、大阪府警科捜研の土橋均吏員(当時)による「世界中のどこの研究室でも再現不可能な質量分析」の嘘(関連記4)も、検察官は見抜けませんでした。検察官を騙す一番確実な方法は、医学や科学を持ち出すことです。

北陵クリニック事件から15年経った今も、警察と検察の力関係は基本的には変わっていません。「何が準強制わいせつだ。こんな筋の悪いネタで公判が維持できるとでも思っているのか!俺たちの立場も考えろ!」と啖呵を切って不起訴にする。検察官にそんな見識を期待するのは、無い物ねだりというものです。

しかしさすがに検察も腹に据えかねたのか、「わいせつ外科医」に対する公判請求(起訴)の際の公訴事実は、被疑事実を全面的に改変したものでした(関連5)。被疑事実は警察の捜査に基づいていますから、警察の捜査に対して当てつけがましく検察が駄目出ししたことになります。

北陵クリニック事件と「わいせつ外科医」の相違点

「わいせつ外科医」のシナリオを巡っては、当初、唾液が検出されたことが、あたかも動かぬ物的証拠であるかのような報道、中には唾液が医師本人のものと一致したとの報道さえありました。ところが、このような真偽不明の捜査情報の「リーク」によっても、北陵クリニック事件の時のような大々的な「確定有罪キャンペーン」は誘導できませんでした。

くしゃみのしぶきが飛んでも陽性に出てしまう「アミラーゼ反応」とやらに何の意味もない。さらに、手術後の処置を全て終えて4人部屋に戻った患者さんの胸からどう検体を取ろうとも、「犯人」のDNAを特定するのは不可能。そういう科学常識がいとも簡単に広まり、知らぬは警察・検察ばかりなり(関連記6)。そんな時代の変化以外に、「わいせつ外科医」シナリオに対して息を潜めるマスメディアの態度を説明できる理由があるでしょうか。

医療施設側の対応も大きく異なります。15年前は北陵クリニック理事長夫妻を含め、東北大学とその関連施設から20人もの医師が検察側証人として出廷し、毒殺魔守大助シナリオ作りに全面的に協力しました、一方今回はたとえ非常勤であっても、病院が敢然として無実の医師を守る決意を示しています(関連記事3)。

検察官に対する医学教育は私の独占的事業だ。そう主張できなくなる日が、すぐそこまでやって来ているのかもしれません。

目次へ戻る