ゲームオーバー

週間医学界新聞から,研修医時代の失敗談 ”アンチ武勇伝”を という依頼が来たので,その原稿から

1.今明かされる研修医時代の失敗談:
幼い頃から私は重症のひきこもり愛好症でした(と一応過去形にしておきます).母親は,この子は一体まともな社会生活が営めるのだろうかと,ひどく心配したものでした.将来は内閣府の奥まった一室にひきこもって世論操作の仕事がしたいと思っていたぐらいなので,自分が医者に向いていないことはわかっていました.ご多分に漏れず趣味はゲームで,一番得意だったのが,苦手科目克服ゲームで偏差値を上げることでした.ですから,医学部に合格した時は大喜びでした.医者になる過程でひきこもり愛好症が克服できる.キャリアをおもちゃにした弱点克服ゲーム上級編へ進めると思ったからです.

何しろ,筋金入りのひきこもり愛好症です.現場へ出るようになってからも,毎日毎日,「精進しろ」,「勉強が足りない」と,私の中に棲む審査官が,私を責め続けました.そして,いつも最後に出てくる,あの決まり文句.「医者が自分の天職だと思えないのだったら,医者なんか辞めちまえ!」彼のそんな暴言が,当初はひどく応えました.何度辞めようと思ったことか.しかし,私にも弱点克服ゲーマーの意地がありました.彼に向かって,「ひきこもり愛好症で何が悪い」と怒鳴り返して開き直ったり,「勝手にほざけ」とひたすら沈黙したりしているうちに,彼をしばらく玄関先で待たせておくと,「幻聴さん」みたいに帰ってくれることがわかりました.

自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者になり,自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者を続け,卒後30年近く経って,やっぱり自分は医者には向いていなかったと気づく.そう気づいた時に,決して愕然とせずに,ほっとしている自分を見出して,ああ,やっぱり自分は医者をやっていてよかったと思える理由は,内なる審査官による長年の拷問に耐えた英雄気取りなのか,あるいは,彼の暴言には何のエビデンスもなかった事実に気づいた喜びなのか,実はよくわかりません.

2.忘れ得ぬ出会い
はつらつとして働いている(ように見えた)お医者様達に嫌と言うほど出会って,自分はああはなれない,やっぱり自分は医者に向いていない.臨床なんてやるんじゃなかったと,来る日も来る日も医者を辞めようと思い続けながらも,なんとか辞めずに済んでいる自分との出会い.ひょっとして,こいつは大物かもと思いました.

3. あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由
1982年5月,私のキャリアスタートと同時に世に出た,匂艶 (にじいろ)THE NIGHT CLUB(桑田佳祐は私と同い年です)です.当直室で震えながら,いつになったら「下心で胸が張り裂けそうなMonday」を経験できるのかと思いながら,いまだ経験できずに三十年近くが経ってしまいました.

4.研修医・医学生へのメッセージ
医者は一旦辞めてもまた戻れます.つまり,いつでも辞められます.ですから,安心して医者を続けてください.だけど,人間は辞めないでくださいね.戻れませんので.

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