モンスターメディアによる恫喝商法
医療事故を警察に届ける心理の陰に-

いよいよ事業者に直接取材を敢行しようかと考えていたところ,上司が私に告げた.「それ,サツに情報を渡せ.サツに事件としてやらせろ」 取材で得た情報を警察に提供し,刑事事件として捜査してもらう.その代わり,捜査着手の際は優先的に教えてもらえるから,スクープとして記事を書くことができる.そんな理屈だった.(高田昌幸 真実ー新聞が警察に跪いた日ー 角川文庫)

これは著者(当時北海道新聞記者)が,不法投棄を繰り返す産廃業者を記事にしようとした時の経験談です.

  医師は自分が関わった症例の学会発表を医学部一年生に任せるようなことはしません.自分の大切な患者さんが教えてくれたことを,学会員達と共有して,同じような病に苦しむ他の患者さんの診療に役立ててもらう.そんな大切な活動を医学部一年生に任せるわけにはいかないのです.それが医師の誇りです.一方,患者さんが医薬品の誤投与で亡くなると途端に思考停止して,死因が明らかなのにもかかわらず,ロボットのように自動的に警察に通報して,診療録を読めない人々に「真相究明」を丸投げしてしまう.二枚舌そのものです.なぜこのような二枚舌が生まれるのでしょうか?

医療事故の際,病院管理者が新聞,テレビ局といった 大手メディア(以下メディア)に対して抱く懸念も同様です.管理者が事故を警察に通報するのは、死因究明のためでも真相究明のためでもなく、ひとえにメディアを恐れるからです。高濃度カリウム製剤による事故にせよ、ウログラフィン誤使用事故にせよ、すでに通報前に死因は明らかでしたから、警察への通報は死因究明のためではありません。通報する相手は脈の取り方一つ知らない警察官ですから,医療事故の真相究明とも無関係です.警察への通報が遅れれば,事故隠しとのバッシングを受ける.ならば迅速に警察に通報するのが「正しいリスクマネジメント」である.そういう判断のもとに管理者は結果的にメディアの代理人となって警察に通報するのです.

恫喝商法の犠牲者
北陵クリニック事件に見られるように,何をでっち上げようと,何を隠そうとやりたい放題のメディアは,非開示情報を全て「隠蔽」と決めつけ,その組織に「国民の皆様に対して不正を働く悪の組織」のラベルを貼って食い物にする報道を有力な資金源としてきました(郷原信郎 思考停止社会 講談社)。これがモンスターメディアの恫喝商法です.2001
9月に始まった牛海綿状脳症(BSE いわゆる狂牛病)パニックが端緒となったこの種の恫喝商法は、雪印食品(20023月従業員1000人を解雇し会社を清算)を皮切りに、赤福、石屋製菓、船場吉兆、不二家、伊藤ハム、ローソンと、2000年代半ばから後半にかけて食品企業や飲食業を次々に血祭りに上げてきました。

 元検事の弁護士で特捜批判に辣腕を振るう郷原信郎氏は、20071月のTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」での不二家に対する報道内容における捏造疑惑を追及しました.しかし,報道内容の真実性に対する指摘に対して、TBSは「取材源の秘匿」を振りかざして取材経過に関する事実を覆い隠し、 公共の電波で「無償広告」を行って報道被害を受けた側を懐柔するという卑劣な手段を使ってまで、郷原氏の追求に徹底抗戦したのです(郷原信郎 前掲書).「みのもんたの朝ズバッ!」は,いわゆる「杏林大割りばし事件」を巡って,医師らに対して誹謗中傷を繰り広げた件で,放送倫理・番組向上機構(BPO)から「重大な放送倫理違反」勧告を受けていますが,元検事の追求さえ許さない恫喝商法の被害が明るみに出たのは極めて例外的で,ほとんどは泣き寝入りとなっています.

元裁判官の弁護士である森 炎氏は死刑を「司法殺人」と呼んでいます.その司法殺人関わる最強の国家権力の代理人として振る舞うメディアの恫喝商法は,司法殺人ならぬ「報道殺人」とも言える犠牲者を生んできました.我々は1年前に笹井芳樹氏を失いました.小野昌弘氏はその追悼文の中で,「科学者の君は 殺されたのだ」としています.小野氏が敢えて犯人を明らかにしていないのは,それが誰の目にも明らかだからです.2004年の鳥インフルエンザパニックの際には,京都府にある浅田農産の会長夫妻が自殺しました.2001年からの牛海綿状脳症(BSE)パニックの際にも5人の自殺者を出しました.

 「お前も笹井と同じようになりたいのか」 そんな声にも文章にもならない恫喝が、病院管理者を警察への通報に駆り立てます.そうして末端の医療者一人を業務上過失で吊し上げると同時に,組織のシステムエラーという真相を隠蔽する。メディアは病院管理者をそんな裁判の共犯者に引き込むのです.その裁判では業務上過失という法の抜け穴から、関係者にとって不都合な真実がすべてすり抜けていってくれます.以上の経過を利用した扇情的な報道により収益を上げた後,判決が出てしまえば,メディアは全てを忘れたふりをして次の標的に向かい,全ての関係者もメディアとともに完全黙秘する.そんな状況は,北陵クリニック事件として今も我々と共にあります。

事故再発の悪循環を断ち切る鍵
こうして,事故発生メディアの恫喝警察への通報メディアスクラム真相隠蔽裁判確定判決関係者の完全黙秘事故再発という悪循環が,テレビドラマ水戸黄門のように延々と繰り返されてきました.この悪循環を断ち切れるかどうかは,一番の潜在的被害者である若い医療者の行動如何にかかってきます.
大切な部下のこれからの人生への配慮よりも,警察への忠心を優先するような管理者の下では誰も働きたいとは思いません.優秀な人材が失われ,職員の士気が低下し,事故が起こる可能性が高くなります.事故が起こればさらにまた人材を失うという全く別の悪循環の被害者になるのもまた,若い医療者です.

19825月、私が医師として働き始めた最初の日、オリエンテーションで病院長から新人研修医全員に言い渡された最初の仕事が医師賠償責任保険加入の手続きでした.今から33年前でさえ,管理者も研修医も事故に対してそれだけ敏感だったのです.ましてや,医療事故調査制度が発足する今の時代,病院管理者の事故対応は,多くの医学生にとって,臨床研修病院選択の重要な判断基準となっています.そんな彼らが,高濃度カリウム製剤による事故ウログラフィン誤使用事故臨床研修病院で起こり,そこの管理者が事故の際にどんな対応をしたのか,知らないはずがないのです.

一般市民としての医師と法