ディオバン事件における特捜の敗因分析
「相撲は負けて覚えるもの。勝って覚える相撲はどこにもない」(朝青龍明徳)

「薬害」に対して激怒する国民の皆様の声を受け、企業と癒着した大学教授を総攻撃した報道各社と市民団体が、東京地検特捜部という最強の捜査機関を動かした。「殺人鬼 安部 英」のスローガンの下で展開された、この「薬害エイズ」事件キャンペーンの構図は、「凶悪知能犯白橋伸雄」の下で展開されたディオバン事件キャンペーンと瓜二つである。判決が特捜の惨敗だったことまで瓜二つだ.

同じ失敗を二度繰り返すのは初めの失敗から何も学んでいない何よりの証拠である.元特捜検事の見解を見ると,失敗否認という検察の業(ごう)は未来永劫に止むことはないように思えるが,必ずしも私はそう思わない.なぜなら,検察が失敗から学べないのは,我々がそのように甘やかし,堕落させ,傲慢なままに放置してきたからだ.

一方,「薬害エイズ」と「ディオバン事件」大きく違う点が二つある.私にとって最も衝撃的だったのは,ディオバン事件では,どの報道機関も特捜の惨敗をさも当然のことかのように淡々と伝えていたことだった.「薬害エイズ」の時には,「殺人鬼 安部 英」無罪判決に対し,「神も仏もあるものか」とばかりに,日本中が「不当判決」を嘆き悲しんだ.(けれども,国民の皆様は怒りは口先だけだったようで,最高裁判所の看板に黄色いペンキをぶちまけるような不逞の輩は出現しなかった.)

ディオバン事件で白橋伸雄氏が逮捕されたのが2014年6月11日、起訴(公判請求)が7月1日で、初公判が1年半後の2015年12月16日だった。この間白橋氏はずっと勾留され続け、保釈されたのが初公判前とのことだから、保釈が12月1日としても勾留期間は538日。なんと「獄中記」を著した佐藤優氏の512日よりも長かった。そんな勾留期間の長さだけ考えても、特捜の苦労のほどがうかがえる。

にもかかわらず、白橋氏に対しては「長い間勾留、お疲れ様」という辻川靖夫裁判長の言葉はあっても、まさかの完敗を喫した特捜検事に対して,スクープを書くまではARBが何の略号か知らなかった医学ジャーナリスト達協会賞受賞者も,その「医学ジャーナリスト」の口車に乗って,「もしお前達が刑事告発しないのなら,お前達も悪者一味と見なす」と厚労省を恫喝し,無理矢理刑事告発させた官邸政治家も,誰一人としてねぎらいの言葉一つかけなかった。特捜は一体誰のために働いたのだろうか?

なぜ特捜が負けたのか?そういう素朴な疑問に対する説明がどこにも見当たらない、裁判の直接原因となった刑事告発の妥当性については、どこにも明快な説明がないようだ。刑事告発に、何か触れてもらいたくないことがあるのだろうか?だとすれば、判決云々よりも、そちらの方に特捜惨敗の隠された真相があるのではないだろうか。

ディオバン事件での二つの刑事告発のうち、先鞭を切ったのは薬害オンブズパースン会議の方は嫌疑不十分で不起訴となりました。

一つはいつもは悪役しか回ってこない厚労省が今回は、正義の一味に加わったことだ。「薬害」史上初のこの快挙に、日本中が沸き立った。東京地検特捜部もさぞかし心強かったことだろうが,判決は「薬害エイズ」事件と同様だった.

YOPより2ヶ月遅れて「被疑者不詳」という、極めて無責任が形ならがも、刑事告発を行いました。

被疑者を特定しないままの刑事告発は、お得意様の国税庁の告発さえ惨敗を喫した特捜を厳しく批判している、OBから丸投げと強く批判されました。こんな手抜きの告発は嫌々ながらだったことを示しています。本当は刑事告発する気などさらさらなかったのに、官邸からの圧力でそうせざるを得なかったのです。本当は誇大広告だなんて、これっぽっちも思っていなかったのです。

、国民の皆様の声を専門家の立場から担保した薬害オンブズパースン会議とYOP発足の医薬品規制の主務官庁である厚労省の応援まで得て、の力を以てしても、国際的な組織犯罪の全貌を明らかにできなかったディオバン事件。今晩も「巨悪」がすやすや眠る現実を

で一躍有名になった薬機法の「誇大広告」ですが、裁判では公訴事実として認められませんでした。

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