新薬が承認されるまで

医薬品医療機器総合機構 池田正行


ジストロフィン遺伝子の発見が20年近くたっても筋ジストロフィーの根本的な治療法が開発されていない。その理由は多々あるだろうが、疾患遺伝子発見が華々しく賞賛され、昇進、研究費、人手の原動力となるのに対し、治療法を見出すための地道な臨床研究が評価されにくい傾向と無縁ではないだろう。

日本人著者の比率は、Nature、Scienceでは年々高まっている一方、N Engl J Med, Lancetといった臨床のトップジャーナルでは、その比率が低下しつつあると言われている。その大きな原因の一つに、日本の臨床試験環境の貧しさがあげられる。実験室のベンチから、臨床現場の使用という医薬品開発の流れを考える時、特にわが国では、基礎研究と臨床現場の両端に医師が偏り、その間にある臨床試験に関わる医師が極端に少ない。しかし、今後の日本の社会状況を考えると、基礎研究だけに圧倒的に人的・経済的資源が投入される時代は長くは続かないだろう。より少ない資源を有効に使うために、また、新たな治療法をより早く患者へ届けるために、臨床開発、臨床研究へ、より比重を移す新たな流れが生まれつつある。

今回のワークショップの主題、「筋ジストロフィーを測る」は、新薬の有効性を評価する物差しであるエンドポイント(評価指標)を真正面から議論しようとする班員の意気込みを表している。対象疾患、臨床症状、病期、評価者といった診療現場に由来する因子から、その国の文化的背景まで、エンドポイントを左右する因子は多岐にわたる。それはちょうど医療サービスのアウトカム指標が多岐にわたるのと同じである。

代用エンドポイントと真のエンドポイントとの関係も重要な論点である。コレステロールは、真のエンドポイントである心臓死の代用エンドポイントとしてすでにその地位を確立したと考える向きもあるかもしれないが、それは違う。複数の大規模介入試験で、コレステロールを下げるホルモン補充療法が、心血管死を増加させることがすでに明らかになっている。

苦労して設定したエンドポイントにより有効性が証明され、安全性で大きな問題がないと企業が判断しても、その試験データは第三者機関によって、客観的、科学的に吟味を受ける必要がある。この吟味の過程、すなわち承認審査を行うのが、医薬品医療機器総合機構(Pharmaceutical and Medical Devices Agency: PMDA)であり、合衆国ではFDA,欧州ではEMEAがそれに相当する。
審査は、チーム制で行われる。獣医学、薬学、生物統計学、臨床医から成る10人前後のチームが、非臨床・臨床の試験データを吟味する。新薬の開発には、通常10年以上の時間がかかっており、その年月の間に積み重ねられるデータの量を考えれば、PMDAへの資料搬入の際の光景は、(運び出しの向きは違えど)さながら東京地検のガサ入れのごとくとなる。

世間一般には、日本は海外に比べて審査に時間がかかると言われているが、果たして本当なのだろうか?その根拠となるデータはどこにあるのだろうか?確かに、1999年までは、FDAの2倍以上の時間がかかっていた。しかし、その後審査期間の日米差は急速に縮小し、2002年の時点ですでに、FDAが15.3ヶ月に対し、日本は15.8ヶ月とほぼ肩を並べるに至った。“日本の審査が遅い”というのはすでに昔話となっている。
遅れているのは、審査ではなく、その前の段階、つまり、企業の開発である。では、日本での開発が遅れるのはなぜか?それは、冒頭で指摘したように、日本の臨床試験環境が貧しいためである。有望な新薬を早く患者に届けるために、一番効果的な対策は、臨床試験を知る臨床医を一人でも多く育成することだ。すでに循環器の分野では、学会レベルでPMDAと連携し、臨床試験プロトコールを立案できる循環器内科医の育成を始めている。神経学会も新薬の審査が遅いと見当違いの文句を言っている場合ではない。

新薬の承認審査は全てPMDAが行う。その申請資料は、臨床試験プロトコールばかりでなく、in vitro, in vivoの非臨床試験データ、臨床試験の有効性、安全性データを全て含む宝の山である。審査を担当する臨床医は、獣医学、薬学、生物統計学、厚生行政の専門家と自由に議論しながら、臨床試験の全てをPMDAで学ぶことができる。審査は、すでにすべての試験が終了した後のレトロスペクティブな吟味となるが、それよりはるか以前の第?相試験前の段階から、PMDAは関与する。臨床試験の立案・遂行について、有料で企業からの相談を受ける対面助言制度がそれである。企業に対して有益な提案を行い、相談を実りあるものにするためには、臨床試験を熟知していなければならない。対面助言の中では、臨床開発を進めていく上での重要な問題点が明らかにして、プロスペクティブな吟味を行うことになる。

日本には、今まで臨床医に対して臨床試験の何たるかを教える教育課程も教育プログラムも存在しなかった。しかし、近年、人間や人間集団を単位とした臨床研究のニーズにこたえるべく、臨床試験を知る臨床医の養成に向けていくつかの取り組みが始まっている。その中でも、PMDAは実際の新薬の承認審査という現場で臨床試験を学べる組織となっている。臨床試験を知る臨床医の養成と、教育システムを作り上げることを自分の使命と考える演者は、一人でも多くの神経内科医がPMDAへ参画してくれることを願っている。

(厚生労働省精神・神経疾患研究委託費 筋ジストロフィー治療のエビデンス構築に関する臨床研究 2005年度 ワークショップ「筋ジストロフィーを測る」 2005.8.27 全共連ビル 東京)

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