98年夏.ハイランドをレンタカーで回った.旅程などの技術的側面は別のページに掲載した.ここでは写真集のみ.手元にスコットランドの地図がある方は用意してもらうとどこを通ったかわかりやすい.ない方はこちらの地図を参照してもらえばだいたいのことはわかるはずだ.
目次
7/14;GlasgowからUllapoolへ移動:桑田と高中をかけながら
Ullapool到着
7/17:North West Skye(Trotternish)
”光が違うのよ,北では”僚友Debbie Dewarが感傷的に言った.いつも冷静な科学者である彼女をしてそう言わしめる土地へ出かけるのだ.そうさ,違うんだ.僕は誰よりもよく知っている.
曇り空,霧雨あるいは土砂降り,真夏でさえも日本の晩秋を思わせる風,巨大な水溜りからすぐさま屹立する禿山.羊か,かもめの鳴き声だけによってしか破れない完璧な静寂.そこへにわかに雲がかき消え,光が差す.そんな光が平凡なはずがない.
曇り空を侵食する禿げた山塊とそれを映す湖面と羊の鳴き声,そうでなければ,やはり曇り空を映してくすんだ色の海峡の向こうに見える島々と,かもめの鳴き声,あらん限りの視界の中にひたすらそれだけしか存在しない中で,することと言えば思索に耽ることだけ.
そんな場所では,まともな料理屋なんて車で1時間走ってもお目にかかれないので,昼食と言えば,朝方,宿を出るときに近くのスーパーマー ケットで買い込んだハンバーガー用のパンを切って,七面鳥の肉を差込み,それを頬張り,オレンジジュースを胃袋の中に流し込んで,はいおしまい.そしてま た思索に耽る.あるいはにわか雨に備えてアノラックを着て歩く.歩きながらまた思索に耽る.
要するに,巡礼,お遍路さんの旅だ.一方,建築,絵画・彫刻といった人間の手になるものは,期待すべきではない.名所・旧跡というものが全くない.これが贅沢と思えるかどうかで,あなたがハイランド旅行に適しているかどうかが決まる.
98/7/14;(A9)Glasgow-Stirling-Perth-Pitlochry(途中休憩)-Inverness-(A835)-Ullapool:桑田と高中をかけながら
出発前ホテルから見た空.まあ,天気はこんなもんだろう.
Glasgowで借りた車が,これ,Puffin Carと私が呼んでいたところのFord KAの外観.この色の取り合わせは本当にPuffinそっくり.この車で,桑田佳祐と高中正義(わざわざこの日のために日本から持ってきたのだ)をがんがんかけながらA9をひたすら走る.
Perthまでは平凡な丘と牧草地の風景なのでとくに見所はない.高中と桑田を聴きながらひた走るのみ,パースを過ぎてから,だんだんと山 が道に迫ってくる.Tay川を渡る橋の前後は私の好きな信州の風景を思わせ,A9ではなく,中央高速を走っているのではないかと錯覚させる.
A9で途中休憩したピットロッホリー:目抜き通りにはおみやげやが軒を連ね,バックパッカーの姿も目立つ.いかにも高原の有名な観光地といった町で,軽井沢を思わせる.あまりにも何のてらいもなく観光地化してしまった町には全然興味が湧かなかったのでトイレ休憩だけでおさらば.
ピットロッホリーからインヴァネスまでグランピアンの山々の中を抜けていく.やっぱり信州を思わせるが,ハイランドの山々ではない.インバ ネスを過ぎて間もなくA835に入ると車の数はぐんと少なくなる.途中まではやはり信州の高原を思わせる緑豊かな風景で,気持ちがいい.
A835沿道,Garveという小さな町を過ぎて,グラスゴーを出発してからはじめてハイランドらしい風景に出会ったので気分良くセルフタイマーで一枚.半袖で長く外にいると少し肌寒い天気.
風景は荒涼として,生き物と言えばおなじみ羊だけのように見えるが,道ばたの花々が色とりどりで美しい.黄色いのはバターカップと呼ばれる.それとお馴染み白つめ草とれんげ草.こんな小さなピンクのかわいい花も.
Inverness-Ullapool間のA835沿道,これが本当の”Inn Sign”と思えば,出口も お国言葉 (Ootはスコットランド訛で,Outの意).この宿屋を過ぎると,いよいよハイランドという感じの,特徴ある風景になった.木一本足りとも生えることを 許さず,辛うじてヒースの群生を許しているだけの荒涼たる山々の間に広大な湖面が広がり,人間の生活のかけらも感じさせない異様な風景(Loch Glascarnoch)..Lochの中の島もハイランド特有の風景.
Ullapool到着
グラスゴーを出て5時間半で,パフィンカーよ,あれがアラプールの町だ.
なんと驚いたことに,スーパーマーケットSafewayができていた.こんなところにまでSafewayとは.6年前には想像もつかなかったことだ.この国の好景気を改めて実感する.そのSafeway駐車場でも,銀行でも,ゲール語併記を見ると,ああ,西へ来たんだなと思う.
アラプールは西海岸の主要漁港だから,こんな風景も.また誇らしげに旗を立てたヨットも停泊している.
宿のArdvreck Guest HouseはLoch Broomの湖畔に建つ静かな宿.町中のB&Bには空きが目立っていたのに対して,この宿は町から離れてLoch Bloomの湖岸にぽつんと立ち,湖側の部屋からはLoch Bloomが一望できる素晴らしい位置にあり,予約は満杯だった.ここまで来るような客はやっぱりよく知っている.
部屋は内装も丁度も新品で,日本のいわゆるペンションを思わせるモダンな作りだった.バスルームには天窓が切ってあり,非常に明るくて気持ちがいい.日本だと家屋が密集していてバスルームの天窓というのは無理があるが,2階に洗面所や風呂場がある場合には天窓というのはいいと思う.
宿の裏はヒースの生える”お庭”.宿の水はこのようにピートの色に染まっている.こういうもの一つとっても,はるばるハイランドへ来つるものかなという感慨が湧いてくる.
宿の女将との話で電子メールで予約が来たのは僕が世界で初めてなんだそうな.非常に光栄な話だ.PCを入れた直後に僕のメールが来たんだそ うだ.メールで予約ができるのは本当に便利だ.女将はなんとグラスゴー出身だそうで,グラスゴー人気質,グラスゴー訛などに話がはずんだ.彼女が見ても, ここ数年,グラスゴー人は自尊心と自信を取り戻しつつあるとのことだった.確かに古い汚い場所がこぎれいなパブやレストランに変わっていたのが目立ってい た.→グラスゴー写真集へ
荷物を解いて早速外へ出かけた.すぐそこは北西ハイランド.憧れの地まで来たのだ.写真はUllapoolのすぐ北にあるBen Mor CoigachとArdmair Bayの夕暮れ.Debbieが”光が違う”と言った土地に来たのだ.
美しい景色ばかりではない.廃屋もハイランドの風物の一つである.とっくに屋根などなくなってしまった古いものから,屋根のトタンがまだ残っている比較的新しいものまで,様々.
海岸にはキャンピングカーを利用したこんな簡単なholiday cottageがあった.これなら安い値段で借りられるだろう.長期滞在にはこんな宿もいいかもしれない.人影もまばらな海岸.
ハイランドと外界をつなぐ窓口の一つ.そしてもう一つ別の窓口(この写真,気に入ってるんです.いかにもハイランドだなという風景でしょう.Local Heroの電話ボックスもさもありなん)
7/15:北西ハイランド(Assynt, Coigach):北の宿から
朝食をゆっくり食べてから,Safewayで昼食を買い込み(途中でドライブインとか,コンビニとかは無論期待できないから)出発.A835を北へ向かう.奇跡に近い素晴らしい天候.半袖を持ってきた甲斐があった.(後方はIsle
MartinとArdmair Bay),Ben Mor Coigach
北西ハイランドの名峰Stac Pollaidh(真ん中)と奇峰SuilvenともにA835より望む.この雄大な山の名前はCul Beag何とかだったと思うが・・(すいません,地図で確認しときます)
Loch Assyntの少し手前のLoch Aweという小さな湖.
廃城だが,有名なArdvreck Castle.Loch Assyntに浮かぶ朽ち果てた姿が哀愁を誘う,ハイランドにぴったりの風景.(恐らく崩落の危険があるということなのだろうが)近寄るなとの警告板は無視されて,多くの観光客が立ち寄る名所である.
Loch Assyntを過ぎて更に北へ行くとKylesku Bridgeがある.3つの湖が交わる”湖峡”にかかる橋である.この湖峡は北西ハイランドの交通のBottleneckで,かつては渡し船があった.人工的な構造物だが,景観を特別に損なっているとは思わない.むしろ橋の上からの景観が素晴らしいので,私はこの橋が好きだ.この美しい場所で,第二次大戦中は人間魚雷の訓練が行われていたという記念碑があった.ここばかりではない.Ullapoolの南方のグルイナード島は炭疽菌爆弾という恐ろしい生物兵器の実験場で,つい最近まで立入禁止だった.オークニーのスカパフローも海軍基地だったしなあ.人里離れたハイランドは軍事機密に好まれる場所でもある.
橋を造る際の切り通しを見ると,ハイランドの山が岩山であることがよくわかる.土があるのはほんの表面だけで,そこには木の生えるような余裕などない.といっても荒れ地ばかりではなく,こうやって美しい森と湖の景観が目を楽しませてくれるところもある.
この日の最後の目的地,Durnessの南西にあるスコットランドで最も美しいと言われるSandwood Bayには直接車で行けない.最寄りの駐車場に車を止めて片道7.5キロ,往復15キロ歩かないとたどり着けない.その道も簡単な道のりではない.尾瀬などよりはるかに広大な湿原をえっちらおっちら歩かなくてはならないのだ.尾瀬みたいに丸太の道ができているわけではない.靴はずぶずぶもぐるし,地面のあちこちに岩が出ていて真っ直ぐ歩けない.
それでも,はるばる地球の裏側からやってきたんだと思ってひたすら歩くこと1時間半余り.このとんでもない奥地にもかつては人が住んでいたことを示す証拠を見て,ハイランドの生活に改めて思いを馳せると間もなくSandwood Bayが視界前方に開けた.生憎雲が垂れ込めて,海の色が真っ青というわけではなかったが,かえってスコットランドらしいからいいだろう.海の浸食が作った石の奇観Old man(小さな塔のように見える).さすがに風が冷たい.観光シーズンの真っ盛りなのだが,奥地で誰もいないのをいいことに,岩の上で大声で都はるみの”北の宿から”を歌った.雰囲気はぴったりだ.ここで都はるみを歌ったのは人類史上で私が最初だろうと思うと非常に気持ちがよかった.
7/16:Ullapoolより南下
翌7/16は海岸線に沿ってA835を南下し,Gairloch, Torridonを経てKyle of
Lochalsh近くの宿までの移動だった.朝の天気はいつもの曇り空.
Ullapoolを出てからA835はハイランドには珍しく緑豊かな道で杉並木なんぞもあって日本を思わせる道だ.そのA835からGairlochへ向
かうA832は緑豊かなところ,海岸線,ハイランドの荒涼たる原野と,非常に変化に富んだ風景を見せてくれる面白い道である.以下途中のいくつかのポイン
トを紹介する.
グルイナード島:(写真奧の平べったい島)何の変哲もない島に見えるが,ここは第二次大戦中,炭疽菌爆弾の実験場だった.実験には羊が使われた.戦争が終わってからも炭疽菌は土の中に芽胞として残ったため長い間立ち入り禁止だったが,つい数年前にようやく安全性が確認されて出入りできるようになった.
昼食はGairlochの町外れの丘の上で,右手にGairlochの町,左手に砂浜を眺めながら,パンに七面鳥の胸肉をはさんで,マカロニサラダ,オレンジジュースとともにいただく.どれもその日の朝にUllapoolのスーパーマーケットで買ってあったものだ.2ポンドもかかっていない.非常に安上がりでよろしい.手前の島の遥か向こうにはあこがれのSkye島の影も見える.Gairlochの町は小さくて静かだが,駐車場,トイレ,インフォメーション,スーパーマーケットと揃っていて,観光拠点としては非常に便利だと感じた.こんなところで10日間ぐらいぐらいゆっくりしたいもんだ.
湿地と羊しか見えない田舎道D8056をひた走り,石ころだらけで人っ子一人いない荒れ地を抜け,再び次の岬の突端 (Red Pointと呼ばれる.redの名の由来は不明)へ.ここでSkye島を背にセルフタイマーで一枚.何も遮るものがなく,流石に風が強い.夏のハイシーズン真っ盛りなのだが,こんなところまでやってくる酔狂な人間は僕一人だった.例によって回りにいるのは羊だけ.
途中では,海ばかりではなく,山々や湖も素晴らしい景観を見せてくれた.Silochと(山)とLoch Maree(湖)の取り合わせは,その中でも最も優れたものの一つ.Silochの標高は980メートルに過ぎないが,恐らく海水面とそれほど高さが違わない湖面からそのまま980メートルの岩山がそびえ立っているものだから,日本のどんな山にも負けないぐらいの迫力がある.Loch Maree南西岸はハイランドの中でも珍しく緑が豊かであり,スコットランド人でもあこがれる人が多い観光地である.日本人の感覚では,蓼科のような典型的な別荘地だ.格式高いLoch Maree Hotelなんてのも湖のほとりに建っている.周囲はNational Nature Reserveとなっており,ウォーキングのコースも充実している.こんなところで10日間ぐらい泊まってゆっくりしたいもんだ.
A896はGlen Torridonを抜ける道である.両側からTorridonの名峰の数々が迫り,Glen Coe並みあるいはそれ以上の迫力がある.
Ullapoolから7時間ほどのドライブでKyle of Lochalsh近くのDornie村の宿に着いた.こんなExhibition Centreもある,のどかな村である.花が美しい田舎のコテージで,想像通り,宿帳には日本人女性の名前もちらほら.僕の部屋は平屋の母屋に建て増しした一角(日本だったら地震が怖くてとても出来ないような建て増し)にあったが,中もまた大変な部屋だった.
というのは,今はこの家にはいない娘さんの部屋らしく,調度とか内装は彼女が居たときそのままと思われた.娘さんの使っていたクローゼットには彼女の持ち物と思われる服が入っている(のぞいたわけじゃなくて戸がはじめから半開きになっていた.部屋にも母屋にも鍵はかけなかった.こういうふうに泥棒や侵入者のことをまったく考えない宿がスコットランドの田舎にはある聞いたことがあったが,自分で泊まったのははじめてだった.
また,裏庭にはタオルとシーツが干してあるのだけれど,雨が降っても取り込まない.まあ,これは英国内でどこにでもある風景だが.大体しょっちゅう雨が降っているのに,洗濯物を外に干すっていうのが間違いなんだよなといつも思うのだが,洗濯物を外に干すという,彼らの行動の意義はいまもって謎である.
洗濯物を干すという行為が重要視されていないことは物干しを見てもわかる.物干しがまったく頼りないんだな.芝生の上に鉄の棒を適当に立てて,その棒の間をヒモで結んであるだけなんだから.日本の頑丈な物干し台と物干し竿なんて金輪際見たことがない.
7/17:Skye Bridge
(以下は98年当時の記載です.2004年12月に,この橋の通行料は無料となりました.)
Skye.それはハイランドを知る人々にとって特別な響きを持った言葉である.これほど有名にもかかわらず,ハイランドを愛する全ての人々が憧れる土地を私は知らない.Dornieの宿から車を走らせて数分,海峡の向こう,視界左手にSkyeが見えてくる.
本土側のKyle of LochalshとSkyeは指呼の間である.しかしそのあいだには海峡があるので,これを渡らなくてはならない.内海だから特に渡るのが困難というわけではない.ちょっと前まではフェリーが頻回に往復していた.しかし橋ができた.この橋が問題だった.
普通車の料金がなんと5ポンド60.当時のレートは1ポンドを240円だったから,1300円あまり,数百メートルの橋を渡るのに片道だぜ.
どうしてこんなに金を取るんだ!!往復じゃない.片道だ.額は聞いてはいたが,ゲートの前に来ると改めて怒りがこみ上げてきた.憧れのSkyeに渡るために,こんなぶったくりの詐欺に遭わなくちゃならないなんて.途中に中継の島があったりして,そんなに難しい工事には見えない.100年以上も前にForth川の河口に521メートルの橋を架けちゃう腕には朝飯前に新聞を取ってくるよりもやさしい工事だったはずだ.(こちらは,橋が架かる前の貴重な写真.余計な物がなくていいねえ)
行きずりの観光客でさえこんなに怒るのだから,生活がかかっている地元の人たちはもっと腹を立てているに違いない.その証拠に通行料徴収は違法行為であると主張している地元有志の活動事務所(といってもキャンピングカー)が橋のたもとにあった.
悔しいので,Kyle of Lochalshに帰ってきてから,車を駐車場に置いて,今度は歩いて往復した.歩行者はただだからね.橋の上からの素晴らしい眺めを堪能して,少しでも元をとってやろうと思ったのだ.
昔のフェリーだってそんなに不便じゃなかった.便数は多くて車で渡るのにも予約は必要なかった.甲板に出て海の香りを楽しみながら,往路は これから向かうCuillinの山々に思いを馳せたり,帰路は,廃城を眺めながら,また来るからなあと念じたもんだ.あの時間は貴重だよ.値段は橋の半額 だったよ.往復5ポンド60ならacceptableだ.橋なら,もし金を取るにしたって,フェリーより安くするってのが道理ってもんだろうよ. CalMacよ,今は徒歩客のためにしかないフェリーをカーフェリーとして再開してくれよ.そうすりゃみんなフェリーに乗るぜ.この写真は,まだ橋ができる前の貴重な写真である.橋は写真の水道奧にできた.徒歩客のためのフェリーはLochalsh Hotelの手前の船着き場から出る.
橋の通行料金にはあきれたが,そんなものにかかわってはいられない.目の前にはSkyeがあるのだ.一日で回れる範囲は限られている.ひたすら車を北へ走らせた.Balmakaraの店で幸運にも手に入れたハイランドの歌姫,Moira Kerrのカセットテープをかけながら,BroadfordからPortreeへ向かう.はるばるここまで来つるものかなと思い,彼女の歌を聴いて感激の余りぼろぼろ涙を流した.ハイランドへ来ると私は途端に涙もろくなる.
North West Skye
さすがにシーズン真っ盛りだけあって,Portreeの混雑たるや尋常ではなかった.駐車場に順番待ちの車の列ができるなんて,日本では見慣れた
光景だが,スコットランドではやはり異様である.Portreeの町中のどこぞのスーパーで昼飯を買い込むことも考えてもいたのだが,こんなところに長居
はできない.ままよ,途中のどこかの宿でhigh
teeとしゃれこんでもいいだろうと思い直して,勝手知ったる抜け道から北Skye,
Trotternish半島へ向かう.Portreeを離れて間もなく,かなたにOld
Man of Storrが見えてきた.この尖塔は自然の造形の妙の典型だ.あこがれの地に到着して,見晴らしのいい丘からの展望はまた格別である.湿原の中に小さいながらも滝がある.
私が北Skyeを好きな理由として,Skyeの他の場所に比べて観光客が少ないこと,海岸線が美しいことを上げたい.滝が直接海へ落ちる風景とともに,Kilt Rock付近の断崖絶壁は豪快である.Bonnie Prince Charlieがこの断崖絶壁の下にある洞窟に隠れていたという言い伝えもある.Kilt RockはSkyeの中では有数の名所であり,スコットランドでは珍しく土産物やお菓子の屋台も出ていた.警告の看板には日本語もあった.わざわざ日本語で書かなくても何を言っているかはわかるんだが.
海岸線ばかりでなく,その後方に控える山々もさまざまな顔を見せてくれる.そしてこの日,何と言っても幸いだったのは天候に恵まれたことだろう..愛しの北Skyeという特別な場所で,とびきりの天気の下,St Andrewsの旗が翻っているのを見ると,無宗教の私でも,ああ神様がいるのだなあと感じる.この旗がたなびく宿,Skye北端のDuntulum Castle Hotelでスコーンを注文した.例によって山盛りの生クリームとジャムとたっぷりの紅茶がありがたい.昼飯代わりに十分すぎる量だ.断崖絶壁の上に立っているDuntulm Castleを眺めながら賞味する.水平線の上にはOuter Hebridesが見える.Duntulum Castleはスコットランドの古城のご多分に漏れず廃城になっているが,城にまつわる恐ろしい伝説と立地条件ゆえに訪れる人は多い.食事を終えて外へ出ると,城の方からパイプの音を風が運んできた.またもや幸運.正装のpiperの演奏だ.演奏の合間に交わす聴衆とのやりとりも面白い.
1990年,スコットランドの上高地,Glencoeで,谷の向こうから流れてくるパイプの演奏を聴きながら山の中腹でうたた寝をした時,白昼の極楽を感じたものだが,後方の城の上から流れてくるパイプの音を聞きながら,真っ青な海峡のはるか向こうのOuter Hebridesを見ていると今回も同じ極楽を感じた.墓をここに建ててもらうのはかなわぬ夢だが,骨をどこかの海に流してもらえれば,私の魂は巡り巡ってここにたどり着くだろう.
お気に入りのここSkyeの北の果てに来て,しばらく,真っ青な海をただ眺めてから帰路についた.やりきれない気持ちでまた5ポンド60を支払って橋を渡り,しばらくするとEilean Donnan城だった.夕日に映えるその容姿をうっとりと眺めてから宿に帰った.