仙台高裁決定に見る裁判所の驕りと科学軽視
―平気で嘘をつく裁判官に対する科学教育の必要性―


「すべて裁判官は,その良心に従い独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」(日本国憲法 第76条3項)

科学が問題の核心となる裁判に、科学に無知なまま臨む裁判官には良心が欠如していると言わざるを得ない。さらに、裁判官に対する科学教育を怠り、科学に無知な裁判官を放任するのは、裁判所自体が憲法をないがしろにしていることを意味する。

1. 科学的証拠認定能力と裁判官の良心

 供述証拠への依存を減らし,裁判の客観性・確実性を高めるため,刑事裁判における科学的証拠の果たす役割は大きくなるばかりである。そのような時代の流れの中で、日々進歩を遂げている科学的知見の成果を刑事裁判に採り入れていくことは,適正な事実認定のために是非とも必要なことである(平成25年1月 最高裁判所司法研修所 平成22年度司法研究「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」について)。
 STAP細胞問題や降圧剤臨床研究不正事件(いわゆるディオバン事件)に象徴されるように、近年、一連の科学研究不正が大きな社会問題となっている。科学研究不正がこれほどまでに社会問題化する以前は、国民は「科学者は皆、良心に基づき、研究を行っている」と堅く信じていた。しかし、今や重大な研究不正が決して例外的なものではないことが明らかとなり、刑事罰規定を設けた臨床研究法が本年4月から施行された。
 科学研究不正に対する最も重要な防壁が、科学者の良心である。科学研究不正を扱う裁判では、科学者の良心が問われることになる。一方、その裁判で良心に従い独立してその職権を行う裁判官には、科学を尊重した上で適切な証拠認定を行う能力(科学的証拠認定能力)が求められる。ところが、科学的証拠の真偽が最大の争点となっている北陵クリニック事件再審請求に対する、今般の仙台高裁による棄却決定(以下本決定)は、嶋原文雄行方美和根崎修一の3人の担当裁判官らに,この科学的証拠認定能力が欠如していたことを示している。

2. 裁判官の科学無視が招いた致命的な過ち
 後述するように、現行制度下では、裁判官が科学教育・研修を受けるプログラムは存在しない。それゆえ、科学の素人である裁判官は,良心に基づき、専門家の意見に謙虚に耳を傾けねばならない。ところが、即時抗告審の審理は,科学専門家に対して,謙虚どころか傲慢そのものだった.検察側・代理人側いずれの科学専門家に対しても、証言し、尋問を受ける機会は一切与えられなかったのである。この事実自体が,裁判官が科学に対して全くの無知である事を如実に示している.なぜならば,科学研究では,実際に実験を行い,その実験で得られたデータを前に何度となく議論を重ねて,初めて結論が得られるからである.科学の世界では,肝心の実験を行った当事者の話も一切聴かず,書面審査だけで結論を出すことなど,金輪際あり得ない.もちろん担当裁判官は,質量分析機器に触ったことさえなかった.このような,科学の素人である裁判官による科学を無視した空理空論の結果である本決定は,良心に基づいた審理の結果とは到底言えない.それどころか,科学無視の当然の結果として,致命的な過ちが含まれている。
2-1.土橋の虚偽主張を繰り返した裁判官
 土橋鑑定はベクロニウム未変化体からm/z258という信号が検出されるとしている。しかし土橋鑑定は、実は土橋自身によって否定されている。土橋は10人もの共著者とともに,ベクロニウム未変化体の質量分析によりm/z 557は検出されるがm/z 258は検出されないことを、当該分野の専門学会である日本法科学技術学会の学会誌掲載論文[法科学技術2011;16(1):13―27]で実証している.つまり、土橋自身が、ベクロニウム未変化体からm/z258が出るとの主張は誤りであったと認めているのである。
 さらに、ベクロニウム未変化体の質量分析によりm/z 557は検出されるが,m/z 258は検出されないことは、既に1989年に専門誌に掲載されたBakerらの論文(Organic mass spectrometry 1989;24:723)で実証されていた。土橋は、質量分析専門家として科学的事実と異なると知りながら、ベクロニウム未変化体からm/z258が出るとの偽りの主張を繰り返してきたのである。
 土橋の論文もBakerらの論文も即時抗抗告審に提出されている。さらに私は意見書でも土橋の主張が虚偽であることが明確に説明した。すなわち、裁判官らが、土橋鑑定が虚偽であると判断するに十分な科学的証拠が即時抗告審には提出されていた。ところが本決定は、もはや土橋自身を含めて世界中の科学者が否定している土橋鑑定を、「科学的に揺るぎない」と断定した。世界中で即時抗告審の裁判官だけが、土橋鑑定が正しいと断定する過ちを犯した。良心に従い独立してその職権を行う裁判官が故意に嘘をつくことはないとすれば、即時抗告審の裁判官らは、最高裁判所司法研修所が示した指針に反し、科学的証拠認定能力に欠けていたが故に判断を誤ったのである。

2-2. 診断でも嘘をついた裁判官
 私はA子さんに対する筋弛緩剤中毒との診断は誤りであり、ミトコンドリア病であることを、専門医としての良心に従い立証した。そして、私の診断は国際誌にも認められ、論文として公表されている(Journal of Medical Cases 2011;2:87-90)。反論一つ寄せられていないこの論文も、科学的証拠として即時抗告審に提出されている。一方、A子さんが筋弛緩剤中毒であると診断する医師はもはや世界中に誰一人として存在しない。すなわち、世界中の医師が筋弛緩剤中毒は誤診であると認めている。しかし私の診断は、再審請求審でも即時抗告審でも、書面の審理のみで全面的に排除された。その結果、世界中で即時抗告審の裁判官だけが、A子さんが筋弛緩剤中毒であると誤診する過ちを犯した。良心に従い独立してその職権を行う裁判官が故意に嘘をつくことはないとすれば、即時抗告審の裁判官は、最高裁判所司法研修所が示した指針に反し、科学的証拠認定能力に欠けていたが故に判断を誤ったのである。

3.他の判例に見る裁判官の驕りと科学的証拠認定能力の欠如
 科学的証拠認定能力を欠いた裁判官による裁判は、本決定だけではない。以下は最近の新聞記事からの抜粋である
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精神鑑定実施、地裁で差 高知拒否、大阪は自ら提案 毎日新聞2018年1月13日
 2015年8月、女性(71)は高知市内の青果店でブドウなどを万引きしたとして逮捕された。女性が事件直前、他の2店舗でも万引きを繰り返していたことを弁護人の林大悟弁護士(東京弁護士会)が不審に感じ、医師に面会させると、診断は「認知症」だった。翌年1月、林弁護士は高知地裁の公判で、「認知症で心神喪失の可能性があり、正式な精神鑑定が必要」とする医師の意見書を提出。地裁に鑑定の実施を求めた。しかし、年配の男性裁判官は「転勤間近なのに、今ごろ言われても」と顔をしかめ、検察官の意見を聞いただけで却下。地裁は2月、鑑定をしないまま、認知症の影響を「仮にあったとしても限定的なものに過ぎない」と判断し、懲役8月の実刑判決を下した。裁判官は4月1日付で、別の裁判所へ異動した。
 この裁判の進め方を控訴審は厳しく批判した。高松高裁は16年6月の判決で「認知症の有無や影響を明らかにする必要があったのに、地裁が鑑定を実施しなかったことは法令違反」と断じ、審理を地裁に差し戻した。差し戻し審では鑑定が実施され、医師が「軽度の認知症で犯行に大きく影響した」と指摘。17年8月の判決は「認知症で判断能力が低下した」として罰金50万円に引き下げた。一方、大阪地裁の対応は対照的だった。15年に大阪市内の漬物店で万引きしたとして窃盗罪に問われた男性(72)の公判。弁護側は医師の診断書を提出し、男性の認知症が事件に影響したと主張していた。裁判官は、男性が法廷で家族の年齢を間違える様子を見て「精神鑑定をした方がよい」と提案。地裁の鑑定で、医師は「認知症で行動の抑制が困難だった」と診断し、地裁は17年3月、心神喪失の疑いがあるとして無罪を言い渡した。
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 世界最速で高齢化が進む日本の状況下、上記裁判で良心に従い審理を進めるとすれば、裁判官は謙虚に専門医の意見に耳を傾けなければならない。にもかかわらず、検察官の意見を聞いただけで専門医の意見を排除した高知地裁の裁判官の判断は傲慢そのもので,良心的とは到底言えない。ただし,ここで注意すべきは裁判官により、対応が全く異なることである。
 どの裁判官も、良心的でありたいと考えているはずである。しかし、結果的にせよ、上記記事が示すように,専門家の意見に謙虚に耳を傾け,良心に基づいた判断ができる裁判官と、できない裁判官が存在する。このような差は、裁判官に対する科学教育・研修の欠如に由来する。そしてこの問題は既に国民がよく知るところになっている。何せ、良心に基づいて科学的証拠を適切に認定できる裁判官と、できない裁判官が存在する事実が,こうして新聞記事にまでなってしまっているのだから。

4.裁判所の科学軽視と驕り,そして科学教育の欠如
 最高裁判所司法研修所が「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」で裁判官に科学的証拠認定能力を求めるようになってから既に5年が経過している.しかし実際に行われている審理の中には,上述の如く旧態依然であり,科学軽視も甚だしいものがある.その原因は明白である.古畑種基の鑑定が神託のように崇められていた時代から今日に至るまで,裁判所という組織自体が,科学を軽視し,裁判官に対する科学教育を一切行ってこなかったからである.本決定の担当裁判官や高知地裁の裁判官に見られるように,裁判官が科学を軽視し,専門家の言葉に耳を傾けようともせず,書面でのみ科学的事実認定ができるかのような錯覚に満ちた驕りに陥って,誤った判断を繰り返しているのは,裁判所がそのような裁判官を黙認してきたからに他ならない裁判官に対する科学教育の欠如は,裁判所を信頼してきた国民に対する背信行為である.(*) 
 大学入学以降、一切科学教育を受けたことがない裁判官が、個人的な努力で十分な科学的証拠認定能力を獲得できるはずがないことを,本決定は示している.。現状を変えなければ、最高裁判所司法研修所が提唱する,科学的証拠を適切に採り入れた審理は画餅に留まり、本決定のような科学的な偽りに満ちた判断が横行し続けるだけである。
 既に私はこの問題に重大な懸念を持ち、医師として裁判官にする科学教育を開始している。具体的には、矯正医療に対する国家賠償訴訟で、科学的に適切な審理が行えるよう、意見書を裁判所に提出した上で、国側代理人として裁判に参加する活動を既に開始している。その活動は、訟務部付き検事(およそ半数は判事補クラスの若手裁判官)や裁判官に対する、OJT(On the Job Training実地訓練)による科学教育となっている。3年ほど前から始めたこの教育活動が認められ、本年3月には法務省矯正局高松矯正管区長より、表彰もいただいている。もし裁判所が裁判官に対する科学教育について,私に意見を求めてくるのならば,いつでもその要請に応じる用意がある.

5.結論
 仙台高裁による再審請求棄却決定は、担当裁判官らの科学的証拠認定能力欠如の表れであり,その原因は裁判所による科学軽視と科学教育の欠如にある。最高裁判所司法研修所が謳う科学的審理を画餅にしないためには、裁判官に対する科学教育が喫緊の課題である。

*オーストラリアには専門家証拠制度という、裁判官に対する優れた科学教育システムがあることを裁判所は知っており、税金を使って裁判官を派遣し研究までさせている(高櫻慎平 オーストラリアにおける専門家証拠制度司法事情 司法の窓 2015;80:24-25)。下記は記事からの抜粋。

『オーストラリアには, 専門家証拠(expert evidence)の領域に興味深い制度があります。 概要は次の通りです。
まず, 専門的知見を要する争点について, 各当事者によって選任された専門家が, 証人尋問期日に先立つジョイントカンファレンス (joint conference)という協議の場において, それぞれの意見書の内容について議論し, ジョイントレポート(joint report)という共 同名義の報告書を作成します。このジョイントレポートには,専門家らが合意に達した部分と不合意の部分を記載するとともに,不合 意の部分について各専門家がその理由を記載します。これにより,合意部分の証人尋問を省くことができ,時間とコストを削減するこ とが可能となり,また,不合意の内容を事前に理解することで,証人尋問において何を明らかにすべきかが明確になるのです。
次に,証人尋問期日では,各専門家証人を同時に証言台に並べ,同時並行的に証人尋問を行います。これはコンカレント証人尋問 (concurrent evidence)と呼ばれています。 専門家証人たちが皆で証言台に並んでいる姿 から,「ホット・タブ」(浴槽)という俗称で 呼ばれており,裁判官たちは好んでこの俗称を使っています。通常の証人尋問では弁護士 や裁判官からのみ質問がなされますが,この「ホット・タブ」では,一方の証人から他方の証人に対しても質問がなされることに最 大の特徴があり,弁護士や裁判官からの質問にある専門家証人が答えた後,それに対して意見のある別の専門家証人が自発的に発言を し,専門家証人同士が質疑応答し合うといったことが行われます。これにより専門家の意見の対立がより鮮明となり,効率的な審理を 行うことができるのです。冒頭で述べた法廷の様子は,実はこのコンカレント証人尋問の 様子でした。裁判の時間やコストを縮小するとともに,裁判所が専門的知見を的確に入手する方途として,このような制度が導入されたのです。』


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