私の世代は、いわゆる団塊の世代に対して根強い反感を持っている。角材と投石とヘルメットでの集団での暴力沙汰が世直しになる??あほか、あいつら。中学1年生の僕が見ても完全におままごとだった。世直しを言う奴はみんな馬鹿と相場が決まっている。僕の世代は、そういう史実を嫌というほど見せ付けられている。
一方、私の世代以降の人々は、世直しごっこ病に対する集団免疫がない。安田講堂攻防戦や連合赤軍の浅間山荘事件をテレビで見て、ああ、馬鹿どもが殺し合いしてると思う。そういう体験がない。だから、彼らは世直しについて堂々と語る。世直しをすると称して行動できる。自分達には私利私欲がない。世のため人のために滅私奉公すると、何の恥じらいもなく公言する。ただの馬鹿である。
私利私欲が無いなんて、自分達で宣言した時点で、もう終わってるっての。「自分達だけは特別だ=審査を一切受け付けない」ってことだろ。そういう集団を私利私欲で動いていると判断する審査員もいる。そういう審査員を攻撃し、潰して突き進むことは私利私欲そのものだ。
肉体が消失して全てが終わりというわけではない.相が変わっただけだ.死とは,存在するとは別の仕方で影響力を行使できるようになるための切符だ.
参考:礼について(内田樹の研究室)
時効
「映画監督には時効や執行猶予はないんです。監督は自分の作品にいつも責任をとらなきゃいけない」(若松孝二)
他人のことはどうでもいいんだよ.ここを読んでるあんた自身はどうなんだ?
日本という名の法治国家に住む人間はすべからく下記の対談を読むべし
(抜粋)”裁判における真実は、客観的な事実とは異なります。検察官面前調書に書かれたことが真実です。私の弁護人の1人は、最近、検察庁を辞めた人でしたが、検察庁では「事実を曲げてでも真実を追究する」「いかにして被疑者を何でも供述する自動販売機にするかが検察官の腕だ」と教えられたそうです。私を取り調べた検事も「フニャフニャの証人を3-4人揃えれば、どんな事件だって作ることができる」と率直に述べていました。”
たとえあなたはそうでなくても,”このままで日本はいいのか?”って考えちゃう人,たくさんいますよね.迷惑な話です.自分の日々の仕事さえ満足にできないのに,日本改革も何もないもんだ.でも誰でもそんなことぐらいわかってる.それでも,”このままで日本はいいのか?”って妄想から抜けられない人はどうすると思います?そう,自分では日本は変えられないから,他人に頼るんです.救世主代理人というわけです.日本を変えられるような素晴らしい人?そんな人,いるわけないのに.
もちろんいますよ,自称日本を変える人は.でも,あくまで自称なんです.その実はゴルフと接待が大好きなおじさんだったり,日本どころか自分の家庭を崩壊に導いてしまったおばさんだったりします.まあ,私生活と政治や行政の能力は別だと彼らは言うんですけど,”このままで日本はいいのか?”って考えちゃう人が頼っている救世主代理人の中には,市町村レベルの政治や行政を遂行する能力さえ全く無いたちがたくさんいます.
そういう救世主代理人達に仕事を任せた結果が、あなたが憂うところの嘆かわしい今の日本です。だから、今の日本を嘆くのは、あなたの人を見る目のなさを嘆くことになるのです。あなたのおじいさん、おばあさんも、おとうさん、おかあさんも、そしてあなたも、そうやって自らの無能さを繰り返し嘆いてきた。なんと謙虚な日本人達。
代理人達も依頼者に負けず劣らず誠実です。だってそうでしょう。自らの代理人能力を疑いもせず、無謀にも、政治家になったり、役人になったりして国民の皆様の幸せに奉仕しますと、正気の沙汰とは思えない大風呂敷を広げてしまう。だから叩かれるんですよ。なのに、叩かれても叩かれても、ご迷惑をかけましたと頭を下げ続ける。たまにマスコミが悪いと逆上する人がいますけど、あんたそりゃ恩を仇で返すようなもんでしょう。
えっ、自分はマスコミから何の恩も受けたことはないって?それだから恩知らずとか、アルツハイマー病とか悪口書かれるんですよ。根も葉もない噂であなたの政敵を叩いてくれたのは誰ですか?おたくの役所の報道発表を何の批判も吟味もせずに垂れ流してくれたのは誰だと思っているんですか?
ファシズムに代表される様々な熱狂の際に、下記の”揺り戻し”を仕組めるか? 初めから、”できない”って諦めるのは癪だ。
でも、そもそも、”スピリチュアルな体験というものが,本質的に大きな危険を伴うものだからです” ってことを認識させるのが先で、それさえできれば、自然に揺り戻しもできあがる。でも、こりゃやっぱり無理かな。そもそも熱狂の危険性を認識できるぐらいなら、熱狂に参加しようとはしないから。
そうなると条件闘争で、熱狂の勢いを削ぐとか、熱狂への参加人数を少なくするという目標設定にすべきか。
例えばグループ療法では,プログラムを通して,初対面の参加者同士のコミュニケーションを少しず
つ積み上げて行きます。他者と何かを共有することによって,自分の底から沸きあがってくるような強
いエネルギーを実感し,それを増幅していくことがグループ療法の肝であり,スピリチュアルな体験も
そのなかで生じ,それこそそれまでの人生で体験したことがないような強い高揚感を味わうこともあり
ます。
ここで注意していただきたいのは,グループ療法では,次のステップとしての「揺り戻し」が必須の
ものとしてプログラム化されている点です。高揚感から冷め,参加者おのおのの家庭,友人関係,社会
システムのなかに戻っていくための揺り戻しが必ず用意されています。
なぜ揺り戻しを行わなければいけないか。それは,スピリチュアルな体験というものが,本質的に大
きな危険を伴うものだからです。
でも、実は,私は、この寒いのに陣地取りゲームなんかでびしょぬれになって、馬鹿な連中と思っていた。あいつら,一体、自分にどんな力があると思っているのだろう、何を実現したくてやっているんだろう。どんなアウトカムを期待しているのだろう.それが全く理解できなかった.
俺はあんな役割は真っ平御免だ。小市民は小市民らしく、冬はこたつにあたってみかんを食べながら好きな本を読む生活を守るのが精一杯なのに、世の中を変えるだと?バカじゃなかろか。そう思ってテレビを見ていた。
死にもしなければ消え去ることもできない老兵の務めはただ一つ.こんな世の中を作った責任を認め,罪滅ぼしに若者のために尽くすことだ.そんな最低
限の義務さえ果たそうとしない老人の言うことに耳を傾ける必要は全くない.
▽1972年8月31日のバンカー駐南ベトナム大使とキッシンジャー大統領補佐官の部内協議メモ
あらゆる裏切り者の中でもジャップは最悪だ。中国との関係正常化を品のない拙速さで進めるだけでなく、中国の建国記念日に訪中したがっている。昨日、日本
側はこの件で鶴見(清彦)外務審議官が私と打ち合わせをしたいと面会を申し入れてきた。ロジャーズ国務長官にも同様の申し入れをしてきた。長官らがどう対
応したかは知らないが、私は審議官には会わない。
▽74年11月12日付の国務省会議録(秘密)
ハビブ国務次官補(東アジア・太平洋担当):日本の内閣は厳しい状況だ。フォード大統領訪日後に、田中(角栄)首相は辞任するだろう。
キッシンジャー国務長官:大統領訪日で何を達成するのか。
次官補:訪日自体が一つの目標達成だ。大きなインパクトがある。訪問を取りやめたら、政治的に大きな影響が出る。
国務長官:田中(首相)にそれほど関心があるわけではない。
次官補:彼が辞めても涙を流すことはない。彼は退屈な首相だった。
国務長官:日本の標準に照らしてみてもうそつきだ。
大手住宅メーカーの積水ハウス(大阪市北区)に勤務する在日韓国人の徐文平さん(45)が31日、「差別発言で傷つけられた」として、大阪府内の
顧客に300万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求め大阪地裁に提訴した。
積水ハウスは「雇用管理や社会的責任の観点から支援していく」として、訴訟費用の負担や、裁判に出席する間を勤務時間と認めるなどの措置を取る方針。原
告側代理人によると、社員が受けた差別発言をめぐり企業が訴訟を支援するのは異例という。
訴状などによると、徐さんは昨年2月、顧客の男性が所有するマンションの修理などについて説明に行った。漢字やハングルで併記された名刺を差し出すと
「北朝鮮にいくら金を送っているんだ。おまえのような人間がいるから拉致問題が起こるんだ」など、仕事と関係ない発言を約2時間繰り返された。
(共同通信) - 2006年7月31日
そんな泥棒を見逃しててくださる無知で寛大な方々おかげで、商売が続けられるからこそ、天下り廃止とか公務員削減とか、的はずれな攻撃も甘んじて受
けよう という気にもなるものだ。
時に年齢よりも若く見えると言って下さる人がいる.もし全くのお世辞でなく,実際にそう見えるとしたら,その原因はどこにあるのかと考えてみた.お そらく,他の年寄りとは違って見えるということなのだろう.では,どこが違うのか.多分,ああはなりたくないと,若い頃から思いつづけてきた結果なのだろ う.
ではどんな年寄りにはなりたくないと思っていたのか.それは簡単だ.出
来の悪い年寄りだ.私は,出来の悪い年寄りを嫌というほど見てきた.あいつらは,自分が若い頃から出来が悪く,歳をとっても
出来が悪いままだけでなく,記銘力障害も加わって,若い頃からの自分の出来の悪さを棚に上げて,”今時の若い人は”と繰り返すしか能がないバカな年寄りである.
1946-48年あるいは51年までに生まれた団塊の世代の一番の特徴は、自分達がそう呼ばれることに何のてらいもないことである。翻ってわれわれ の年代は、”ポスト団塊世代”と呼ばれると虫唾が走る。
何が”団塊”だ.ただのファッションで,ヘルメットを被り角材を振り回して遊んでいただけなのに,定年間際になってまで,昔の名前で偉そうな顔をす るんじゃない.ポスト団塊なんて、さも影響を受けたような名称をつけられるなんて,金輪際ご免被る.
ゲバ棒遊びだけじゃない,バブルの時期には土地転がしゲームに熱中し、今度は年金よこせか?今までさんざん勝手気ままにやってきやがって。冗談じゃ ねえよ。俺たちはいつもあんたがたの道楽,食いっ散らかし後始末ばかりさせられてきたんだ.もう,あんたがたに払う金なんて,これっぽっちもありゃしな い.金庫の中は空っぽどころか,破産同然なんだ.
ベトナムの子供を殺すなって言ったのはだれでござんしたっけね.あんたがたの得意な天下国家論に従えば、自分の年金なんかより,自分の子供,孫の世 代の若い人達の未来を心配してやるのが,革命家の最後の仕事ってもんじゃござんせんかね.
参考文献:林信吾,葛岡智恭.昔,革命的だったお父さんたちへ.-団塊世代の登場と終焉- 平凡社.¥740.
佐藤 優 『国家の罠』 新潮社
『徒然草』第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう)召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率(ゐ)て行きければ、資朝卿(すけとものきやう)、 一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思い出(い)で、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
私は,美学と聞くと全て胡散臭いと思っていた.胡散臭くない美学に出会ったことがなかった.日野資朝が佐渡で首を刎ねられて以来,美しく生きること は不可能になってしまった,この本を読むまでは,そう思い込んでいた.
著者佐藤は,512日間も小菅に留まった理由を,充実したムショの飯のことを含め,こまごまと説明している.しかし,一番の理由は,東京地方検察庁 特別捜査部検事 西村尚芳との交渉の美しさにあった.
この本の白眉は日露外交交渉の裏面史でもなく,国策決定に対する東京地検特捜部の影響力でもない.検察庁の職人西村尚芳対外務省の職人佐藤 優.そ れぞれの美学を重んずる真の職人同士の一騎打ちの美しさにある.交渉を繰り返すに従って,二人はお互いに職人として,この交渉から逃げてはならないと責任 を感ずるようになる.しかも,決して個人的感情に流されることなく.
自らが頼む才能と,命がけの修羅場で積み重ね,磨き上げてきた交渉力で切り結ぶ二人.美学と美学のぶつかり合いが,結果として,芸術作品となったの が,本書である.私にとっては徒然草以来の収穫である.
神学者の佐藤氏が独房生活の中で繰り返し読んだ本が3冊あった.聖書と,ヘーゲルの精神現象学と,太平記であったという.
参考文献→現
代語訳太平記
中学・高校と,”兵隊やくざ”を見て,将来遭遇するであろう組織の非条理の典型例と,その非条理に対して,自分がどう対処していくかを学んだ.田村 高廣演ずる有田上等兵と,勝新のはまり役の一つ,大宮貴三郎の組み合わせが絶妙で,見事な教育映画になっている.早熟な私は,この映画から,組織の中での 生き方を必死に学んだ.その勉強の成果が今,大本営の中でも生きている.
「俺が撮ったヤクザ映画は全部教育映画だ」(山下耕作:東映映画監督)→東映仁侠映画の教育性については,服部弘蔵の談話室を参照のこと
しかし,一方で,極めて素朴な疑問が頭をもたげた.ベトナム戦争反対運動華やかなりし頃,反米闘争に参加していた人々は,なぜ率直に大東亜戦争肯定 論を支持しなかったのか?ベトナムの人民を支援するのに,アメリカ帝国主義と戦った自分の父母や祖父母をなぜ,”あなたは強かった”と礼賛できなかったの か? その一方で,なぜ林房雄はベ平連活動家にならなかったのか?なぜ,右と左が区別できると人々は考えたのか?
そこで,思い出したのが,赤尾 敏の親米主義である.彼が,有楽町の駅頭で,いつも決まって,”私は大東亜戦争中,帝国議会で,東条英機に刃向かっ た唯一の男ですって,自慢していた光景だった.彼にとってアメリカとは何だったのだろうかと,検索したら,愛国党本部の彼の自室で,彼の肉声を取材したページに突 き当たった.独自の国家社会主義,親米主義,反共主義,反民族主義,天皇観,天皇戦争責任論・・・一気呵成,息もつかずに読みきった.そう,親米主義とは これだったんだ.吉田茂はうまく立ち回って総理大臣をやった.赤尾 敏はそんなものには興味がなかったのだろう.
しかし,当時すでに90歳だった赤尾を取材した記事から伺える彼の思想は親米主義だけではない.これを読むと,”右翼”の一言では到底割り切れな い,彼独自の思想が鮮やかに浮かび上がってくる.彼はなぜ,自分の思想信条を公にしなかったのか.自分自身が傷つくのが怖かったのだろうか.
反共・親米主義一つとっても道行く大衆には振り向いてもらえない.その上,さらに難しい理屈を振り回したら,誰も付いてこなくなってしまう.思想家 ではなく革命家を自認する赤尾は,そういった危険性を知っていたのではないか.だから,有楽町駅頭の辻説法でも,ひたすら,反共・親米主義しか訴えず,そ れ以上,天皇観,天皇戦争責任論を含めた自分自身の思想の核心には触れようとしなかった.
最近,愛国党のビラがめっきり見られなくなった.その理由も,上記の取材記事から伺える.
とまあ,そんなことを思って知り合いに手紙を書いたら,下記のような返事が返ってきた.
> 国際反戦デーが学徒出陣の日を意識して
決められたとは知りませんでした.
> そこで,極めて素朴な疑問が生まれます.当時,反米闘争に参加していた人々は,なぜ率直に大東亜戦争肯定論を支持しなかったのか? なぜ,林房雄はベ平連
活動家にならなかったのか?なぜ,右左が区別できると人々は考えたのか?
いや、支持していたのと同じじゃないでしょうか。全共闘があれ程民青を嫌い、
彼等の「敵」とは米帝以上に修正主義であったことは、その後の赤軍派の事件を
見てもよく分かります。
林房雄も赤尾敏もムッソリーニだって若いときには社会主義者、人は転向と言う
けれど実は一貫してるんです。
ナチスだって国家社会主義ドイツ労働者党、要するに神御一人の下に民草は平等
の思想なのであります。
だから三島は二・二六を讃え、駒場では「君達が一言天皇と言ってくれたら」と語っ
た。磯田浅一の獄中手記は確かに筋が通っているのであって、今回輸入解禁を企
むギョーカイのご都合主義とは相容れないものです。
三島の死にいち早く「共感」のメッセージを寄せたのは新左翼でした。
確かに赤尾敏が三島をバカだと言ったかも知れないが、少し長生きして世間を知っ
てたということであって、上の分け方では一派じゃないでしょうか。
そもそ左右とは宇宙の深遠で、「時間」とともに高校時代からの私の哲学の腫瘍
じゃなかった主要テーマです。最適の入門書であるガードナーの本
は最後にパリティの非保存へ話を持っていきますが、この楊振寧が里帰りした時、
会見した毛沢東がその内容を知ってた、なんてことがまた若いモンの心を掴んだ
りしたものです。物理学においてさえ少なくとも1956年までは、左右とはほとん
ど錯覚のようなものでした。
しかし1960年代後半の中国の現実はやはり大きな影響を与えていたと思います。
あんな事が実際に起こっていたのですから。そしてみんながソレをウットリと眺
めたのですから。
ラディカルであること、劇的な抒情、すなわち青春、の危険に気づき、これを乗
り越えて私は散文的な人生をハッキリ自覚して選択しました。
そして何故中国ではあのようなことが可能なのか、人々の心がマツリに染まるの
はどういう条件の下でなのか、を考え続けて来ました。
そのようなモノの必要は認めるけれど、実在に適用するのは危険だ。そういうも
のは芸術の世界に押し込めるべきだ。何でもありの虚構世界を認め、しかし現実
は陳腐であっても安定を第一とすべきだ、と言わば聖権と俗権の中世的楕円を構
想したのです。
> そういえば,赤尾 敏が,有楽町の駅頭で,いつも決まって,”私は大東亜戦争中,帝国議会で,東条英機に刃向かった唯一の男ですって,自慢していたのを思
い出して,彼にとってアメリカとは何だったのだろうかと,
> 彼はなぜ,自分の思想信条を公にしなかったのか.傷つくのが怖かったのでしょうか.それとも公にしていたつもりなのでしょうか?しかし,彼の有楽町駅頭演
説の内容から,彼の思想信条を読み取るのは,感受性と頭脳が一番冴え渡っていた高校時代の私にさえできなかった.愛国党のビラ,めっきり見られなくなりま
した.昔は御茶ノ水橋近辺は好発部位だったのですが.
数寄屋橋で虚空を見つめる自分に陶酔していた、ってこともないでしょうが、そ
れが彼にとっての「公にすること」だったんでしょうね。
高校生の池田君が愛国党本部を訪ねていって5時間も話せば分かったと思います
よ。
最悪のシナリオから無意識に目をそむける.起こってもらいたくないから,”そんな馬鹿なこと”が起こるわけがないと,最悪のシナリオを,思考の対象 から,無意識にはずしてしまう.あるいは,最悪のシナリオを想定したとしても,対処不可能,対抗手段がないと簡単に結論し,無気力,無為に逃げ込んでしま う.
時には,最悪のシナリオを打ち消すために,根拠のない楽観的な噂が流布し,それを信じる人が圧倒的に多数になるため,奇妙な楽観が組織全体を支配す る.一方,警鐘を鳴らす人は,少数の異端として,無視され,あるいは,秩序を乱す非国民として抹殺される.こうして多くの人々は最悪のシナリオが表面化す るまで,沈みかけた泥船からから脱出しない.
このような悲劇も,後から振り返って考察すれば,到底信じられないような馬鹿げた現象だけに,真面目に事例検討されない.こうして,類似の悲劇が繰
り返される.
「民間航空の安全すら確保できないのに、ミサイル防衛開発に巨額の投資をするのは理解し難い」。
弾道ミサイル防衛(BMD)開発に反対する米国内外の専門家の批判の主な論拠のひとつは、いわゆるRogue
States (ならず者国家)からのミサイル攻撃脅威に対抗してBMDを開発するというけれども、ならず者たちが攻撃を仕掛けるとすれば、「送り主明記」の弾道ミサイ
ルなどでなく、大都市の只中でスーツケースに仕掛けた小型大量破壊兵器を炸裂させるといったテロ攻撃である。
(”いま、なぜミサイル防衛か”
より)
上記の批判は,2002年9月11日以前にすでに存在したことが,当該ウェブサイトをご覧になっていただければすぐわかる.無意味なのは,ミサイル 防衛システムばかりじゃない.
もう,イラクで戦争が終わったって,合衆国大統領が宣言してから1年以上もたつ.でも,まだ16万人もの兵隊をはりつけたまま.しかも,毎日爆弾銃
撃騒ぎで何十人もが死ぬ.一体,どこが”テロとの戦い”なんだ.あの軍隊は,この戦争は,何かの役に立っているのか?イラクにいる16万人もの兵隊は,最
新装備を持ちながら,自分達がロケット砲の餌食にならないようにするのが精一杯なんだぜ.その彼らが,ニューヨークやワシントンDCでスーツケースが爆発
するのを防げると思うかい?誰もがそんなこと信じちゃいない.合衆国大統領を除いては.
全国病院の25%、医師不足・厚労省集計 と題して,次のような新聞記事があった.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
厚生労働省は2003年11月7日、医療法に基づき全国の病院に立ち入り検査した結果、2002年度は25.0%の病院で医師数が法定人員を満たしていな
かったと発表した。前年度より2.4ポイント改善したものの、4分の1で標準の配置基準を欠いていた。特に北海道・東北では48.0%の病院で下回ってお
り、医師不足が目立った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
医療サービスは,大切な生命に対する直接の脅威となる.その地域格差は選挙権どころの騒ぎではない.一票の重さの地域格差を憲法違反として最高裁で争って
勝訴を勝ち取れるのだから,医療格差は憲法で保障された法の下の平等に反するとして,国を相手に起こした訴訟で勝つことなど,朝飯前だろう.
それなのに,なぜ我が大本営である厚労省は,深刻な地域間医療格差を包み隠さず報道発表したのか?
理由は簡単である.自分の息子はテレビタレントにして,他人の息子をイラクに行かせるような総理大臣を選挙で当選させるような寛大な国民には,国を相手に
訴訟を起こすような気概などあるわけがないと高をくくっているからである.
人気アイドルグループ「SMAP」が出演した日本テレビの番組「スーパーテレビ情報最前線・SMAP×JAPAN」(16日午後9時放送)で、中 国・瀋陽の日本総領事館前で起きた北朝鮮脱北者の亡命事件をパロディーにした映像を流し、視聴者からの抗議電話が殺到していたことが分かった。日本テレビ は17日、同社のホームページに謝罪を掲載した。
同社広報部によると、番組冒頭でSMAPのメンバー5人が、ある国の大使館に駆け込もうとして警備員に取り押さえられる場面を放送した。番組は日本 を見限って亡命しようとした5人が説得され、日本のいいところを再発見するため旅に出るという設定で、その導入部だったという。
しかし映像は、昨年5月に起きたハンミちゃん一家の亡命事件を報道したニュース映像にそっくりで、同社には番組放映中から17日午前0時までに「亡
命者をバカにしている」など100件以上の抗議電話が相次いだという。同社広報部は「命からがら亡命した人たちの映像をまねたことは、悪意はないにせよ、
不適切だった」とし、「配慮を欠いた演出があったことを深くおわびいたします」と話している。
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”非国民”という罵声が,大東亜戦争とは全く関係なく,脈々と生き続けてきたことを,上記の出来事はよく表している.
昔,鬼畜米英,今,北朝鮮
昔,非国民,今,社民党・共産党
昔,ヒンデンブルグ,今,野中広務
昔,桃太郎の犬,今,小泉
大政翼賛会とそれを支持したメディアはいつものことながら,見事だと思ったのは,なんとその日は韓国大統領が日本を訪問した日だったことだ.有事関 連三法が可決成立した日に,韓国メディアは激烈な日本攻撃を行うどころか,何と,大統領が日本を訪問したのだ.中国もほぼ沈黙を守っていた.
60年安保は遠くなりにけり.当時の闘争は,ただのファッションとして記憶されるに相応しいかもしれない.しかし,歴史教科書や靖国神社参拝で中国 と韓国が大騒ぎしたのは,つい先日のことだ.その大騒ぎが,アニメのキャラクター商品のように移ろいやすく忘れ去られてしまう見事さ.その移ろいやすさの 原因は,米帝の意向以外に考えられない.
中国,韓国を含めたかつての大東亜共栄圏からの”ガイアツ”を見事に抑えこんだブッシュと小泉の連携プレー.ロン・ヤスの間柄どころか,小泉はまさ
に忠犬ハチ公だった.中国でさえもアメリカの走狗と成り下がった今,小泉がブッシュの尻を舐めて嬉々としている光景に,何の不思議があろうか.
いつのことかは不明だが,大阪精神障害者家族連合会が毎日放送に“その言葉によって治療が停滞し, 家族は萎縮し, 回復期にある患者にショックを与え, ひいては異常な状態をおこす一因ともなりかねないとういことが医学的にも証明されている”として抗議活動をした結果, 規制されるようになった. それが在阪各局, キー局にも広がり現在に至るという.
私は寡聞にして大阪精神障害者家族連合会の言う“医学的にも証明”に該当する事実を知らない.
そして,”精神分裂病”が”統合失調症”になって,一体,何がどう良くなったのか,あるいは悪くなったのか,検証する作業が行われているのかどうかも知ら
ない.ダムを作った後,ダムの効果を検証することが必要ないのと同じように,精神分裂病から統合失調症への改名効果の検証も必要ないのだろう.
つまり,東京の連中のために原発を居候させてやってたんだ.その居候を養うために道路を作らせてくださいっていうもんだから,新潟にも高速道路を作 らせてやったんじゃねえか.それを何だ,田舎者を乞食扱いしやがって,もう我慢ならねえ.
高速道路なんかいらねえから,原発も出て行ってくれ.東京の連中が使う電気なんだから,東京のど真ん中に作ればいいじゃねえか.安全なら,東京のど
真ん中に作ったってかまわねえだろうが.何?土地がない?バカヤロー,国会議事堂の敷地や旧都庁の跡地があるじゃねえか.国有地,都有地なんだから立退き
料もいらねえだろ.
これだけ恥も外聞もかなぐり捨てるというからには,よほど総理大臣になりたいのだろう.だからこそ,戦後の歴代首相の最も重要な仕事,つまりアメリ カ合衆国大統領の尻の穴を舐めることにも,何ら抵抗を感じないのだろう.
宮崎 学も次のように指摘している.”事態は信じられんぐらいアホらしい方向に暴走 しとるな”より
石原慎太郎が手放しで「やられたらやり返すのがアメリカであって、当然だ」とか子供だましのようなことを本気で ゆうておった。アホまるだしや。
地上最強の軍隊がアフガンなんか攻撃してどないするねんな。破壊する爆弾の費用のほうが破壊目標の建物の1
00倍はする、という地域だ。古典的な「経済危機を帝国主義戦争によって回避する」とかいう話ならともかく、これでゲリラをなくそう、というのは脳外科手
術をマサカリと金槌でやろてなもんや。「成功」したら患者は死ぬ。失敗したら世界のものわらいや。それを「さすが」ゆうて拍手してるんが石原らや。世界
の、たとえばパキスタンがアメリカのゆうことを聞いたのはそれ以外に選択肢が国家としてないからやし、西欧の国がアメリカ支持するちゅうのは建前でしゃあ
ないのや。けど石原は趣味と感動でゆうとる。政治家ではないわ。
マルクスが目指した理想郷が今の日本にあるのではないのか?お客様のためと考えて喜びを感じる日本のサービス業の人々は,人民のために奉仕する紅衛 兵ではないのか?人並みにインフレーションで散々苦しみはしたが,貨幣経済史上,類のないデフレ社会を作り出した.どんな天才経済学者も,これほど巧妙な 価格統制を思いついたことはなかった.インフレターゲットなんて,診断がはずれた藪医者の戯言に過ぎない.
高度成長時代から,バブルを経て,見事な軟着陸を果たしたのが今の日本ではないのか.失業率が高いといって大騒ぎしているが,5.4%という数字 は,実はわが世の春を謳歌している米帝と同じ.
教育程度は世界のトップレベル,長寿社会,世界に冠たる国民皆保険制度,学校だけでは飽き足らず,嬉々として塾に行く子供達.
アフガニスタンでは必死に井戸を掘っているのに,雑菌混入の水を拒否する人々.USJの冷水機雑菌混入事件は,売店でミネラルウォーター売上を増や すための陰謀か?
パンと見世物を与えられた人間は,パンと見世物にだけ注目するようになり,そのパンと見世物に限りなく注文をつけるようになる.そしてパンと見世物
以外には全く関心を示さないようになる.
バカヤローと一言言って解散しても”宰相”と呼ばれるのだから,これだけ大見得を切って解散すれば,その名は永久に不滅となるのだが,政治家として
の名誉なんぞ,全く眼中にはないらしい.
1.2001年8月13日に,在京のテレビ局は総力を上げて,ある男の神社参拝を報道した.それだけ重要なお参りだった.彼がお参りした神社に祀ら れているのは,英霊だろうか,テロリストだろうか?
2.かつて,真珠湾を空襲し,マレー沖でプリンスオブウェールズとリパルスを撃沈し,神風特別攻撃隊で多くの敵艦船を轟沈させ,銃後にあっては,銀 舎利を腹いっぱい食べることを夢見つつ,芋ばかりの毎日を耐え忍んだ.そうして鬼畜米英と戦ったのは,まさしく我々の両親,祖父母である.その我々の両 親,祖父母は”テロリスト”だっただろうか?
全く同じことをやったのに,片や英雄扱いで神社に祭り崇め,片やテロリスト呼ばわりで殺してしまえという.あなたは,このような破廉恥な人間を首相
に戴いている国の国民である.巡航ミサイルで殺されているのは,B29が落とす焼夷弾で殺された東京市民や原爆で殺された広島・長崎市民と同じ人間であ
る.
700兆円だかの借金を心配するなかれ.赤字国債はどんどん発行しなさい.そうすれば,国債も円も暴落し,めちゃくちゃなインフレになる.インフレ
になれば国の借金など消し飛んでしまう.かつてイタリアやブラジルが立ち直れたのはそのためだ.そう考えているから,政治家はあんなにのんびりしていられ
るのだ.
四十過ぎたらな,生き恥を晒しているだけの人生なんだ.そんなくたばりぞこないに,一人前の口を利く資格なんかないんだ.兼行に倣えとは言わない. でも野坂の責任感の100分の一でもあれば,若い人を非難するなんて恥知らずな真似はできないはずだ.
もちろんいつの時代にも年寄りは若者の態度を受け入れられないものであるが、日本の今日の状況は、それ以上の要因があるようにみえる。それ は、日本の若者の悲観論は、年寄りに対して過度な優遇をする経済社会的な制度から疎外され、その犠牲になっていることから生じている側面があるからであ る。しかもそれは一般によく知られておらず、メディアでも取り上げられていない。(石塚雅彦「若者が割を食う日本社会」より)→オリジナルの英文:"Young People Getting Short End of the Stick"
「金属バットは球を打つためにあるんじゃない。日本をこんなにヒドくした俺たちみたいな老人なんかどんどん殺してしまえばいい……」(野坂昭 如:2000年9月2日クレイジーケンバンドとのライブにて)
命長ければ辱(ハヂ)多し。長くとも、四十(ヨソヂ) に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
文部省へ御注進
世界史教科書の検閲にあたって,文部省は阿片戦争の記述を墨で塗りつぶすようにすべきである.なぜなら,他国民への阿片を売りつけを非難することは,すな
わち,国策会社が自国のニコチン依存症患者に発ガン物質を売りつける政策への明らかな当てこすりだからだ.このおめでたい患者たちは,国家によってにニコ
チン依存症されたという被害者意識がないばかりか,自分の自己責任で国家に余分に税金を払っているのだと,むしろ誇りに思っている.
そういえば,”買ってはいけない”というのは日本たばこの傀儡であろう.有害性が確定していない物を非難,拒否する一方で,明白な発ガン物質兼ニコ
チン依存症の原因の製造販売に対し,何らの行動も起こさない姿勢が正にその証拠である.
http://www.naturejpn.com/newnature/bionews/bionews990929/bionewsj-990929e.htm
怒りを持続する
日本には一億二千万以上の人間が住んでいるのだから,様々な人がいるわけで,”日本人”と十把一絡げにする議論は大嫌いなのだが,それでも,”日本人”て
嫌だなと思うことがある.
電車が遅れた時に,駅員に食って掛かる客とひたすら謝る駅員の光景を見る.どんな原因にせよ,改札で客に説明する駅員に電車の遅れの責任があるわけ ではない.彼に食って掛かって誰の責任追及をするというのだろうか.
それよりも,例えば,度重なる中央線の遅れによって多大な生活の損害を被ったとして,集団でJR東日本を訴えるべきだろう.しかし,そのような訴訟 を私は知らない.その場だけの感情の高ぶりのはけ口を弱い者にぶつけて,肝心の責任追及を怠るのはあまり頭のいいやり方とは言えない.困難な状況に対し, 今どう対処すべきなのかを冷静に考えられず,自分が受けた被害を分析して,同様な被害繰り返されないように,自らも行動しようとしない,愚かな者のやり方 だ.
政治家の怠慢や不正に対する”日本人”の態度にも同じ事が言える.すぐかっとなって飲み屋や井戸端会議で大騒ぎをするが,選挙までにはころっと忘れ
て,自分の税金がどう使われようが,自分や自分の子供が鉄砲での殺し合い巻き込まれようが,無関心になってしまう.駅員に食って掛かる人間は,すなわち,
誰が首相になっても同じだと言って家でテレビを見て棄権する天唾人間なのだ.
彼らは大した目的(転売,犯罪目的)もなしに,自動車を盗んでは乗り捨てていきます.サッカー場でのフーリガンになったり,スキンヘッドでネオナチ に加わり,自分たちに職がないのは外国人のせいだと叫んでデモ行進をします.同じ若者のデモ行進でも,30年前の駿河台でのそれとは全く異なる性質のもの です.
年功序列賃金が崩壊すれば,人件費が安いという若年者の利点も崩壊します.雇用者からみれば,職場の知識も技術もない,頼りないただの若者というこ とになります.企業の余裕がなければ自前で人を育てることもなく,アウトソーシングで賄ってしまう.すると若年者はあぶれる.一方であぶれた若者を救済 (立場を変えて見れば利用)しようとする組織が生まれます.
我々中高年は若い人を非難できません.自分の生活を守るのに汲々として,若い人を助けるという大切な使命を果たしていないからです.働き口がなけれ
ば,新興宗教に走るか,税金で人殺しの訓練をするかしかないじゃありませんか.
公の場で発言する時に,自分がどこの誰かを明らかにすることが必要だ.そうすることで初めて発言に責任と誇りを持つようになる.文章を書く場合には なおさらそうである.この規則は自然科学の分野では当たり前である.仕事は常に署名入りで発表されて後々まで記録に残るからこそ,いい加減なことを言った り書いたりできなくなる.だから,ガリレオ・ガリレイ,アイザック・ニュートンといった天才がとんでもない間違いを犯していたなんてこともはっきり記録に 残る.
日本に優れたサイエンスジャーナリストが育たないのは,責任を持って調査した結果を署名入りの記事にする習慣がないからだ.無記名の記事は自分の仕 事に誇りと責任を持っていないことの何よりの証拠だ.よく調べもしないでいい加減な記事を書くジャーナリストがなんと日本に多いことか.私は日本の新聞の 社説が署名入りで引用文献も掲載した記事にならない限り,日本の新聞は絶対に信用しない.
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危険なのは人間のクローンではない(99/2)
それでも,クローン人間をつくることが危険とお思いですか?ならば,八紘一宇や鬼畜米英,あるいは禁煙ファッショといったお題目
を唱えさせてクローン思想を吹き込むことはもっと危険だということもわかっていただけますね?
生きた人間はなによりも恐ろしい凶器になる.しかしただ人間という木偶人形だけでは凶器にならない.思想を吹き込んで,かつ周囲の支援があってはじ めて凶器になる.
たとえアドルフ・ヒトラーのクローンを作ったって,クルップやドイツ銀行がまた応援してくれなければ貧乏絵描きで一生を終わっちまうさ.
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しつこくワイマール(99/1)
99/1/15,吉村某が,”知的探求”(クサイ題名だぜ,もう少しましな演題にすれば騙されて来るやつもいたんだろうに)と題して仙台市の成人式で講演
したが,人が集まらなかった.話が下手なら聴くやつもいないのは当然である.なのに市
長が謝るという.謝るのは講演者の方だ.ある参加者の言葉の方が的を得ている.
”ここに来るのは友達に会いたいからで,誰かの話を聞きに来ているわけじゃない.話を聞かせようと考える市長の方が間違っている”
これだけ健全な見識を持った仙台市の新成人,その彼らと何ら変わることのない若人の集団が,かつて,救済の名の下に地下鉄で毒物を撒いて多数の人々 を殺傷する行為に走ったのはなぜだろうか.あるいは国立競技場に銃を持って参集し,整列行進して戦場に向かって行った時代はどうしてやってきたのだろう か.歴史という学問はこの問いに対して仮説(正答を期待するつもりはない)を与えるためにある.
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降る雪や安保は遠く(99/1)
またまた昔話.1973年3月,順法闘争(この言葉を知っている人も少なくなった)と電車の混雑に嫌気して上尾駅構内で通勤客6,000人が暴徒と 化した.この事件により当時の国鉄がダイヤを改訂し,混雑の緩和を行った.当時の上尾駅の通勤客はなんと純真無垢な,闘志溢れるおじさんたちだったのだろ うか.
それにくらべて,仕事をクビになったおじさん達よ,どうして国会議事堂へデモをかけて機動隊と衝突しないのか.いまさらガイドライン(まったく何て 日本語だ)策定だけでヘルメットかぶってゲバ棒持って出かけろとは言わない.今や革マルアジトの捜索が,遺跡の発掘に思える時代だ(偽のナンバープレート に富本銭がダブって見えるのでした).しかし失業や収入減は,日米安保なんかよりはるかに確実に,あなたとあなたの家族の生命を危機に陥れている.この 先,年金ももらえる見込みもない.にもかかわらず,あんたがたは新聞を読みながら文句を言うだけだ.
今のていたらくでは,かつてヘルメットをかぶり,アジ演説をして,棒を振り回し,石を投げた行為は,髪を染めたり,ピアスをしたりするのと同じよう に,単なるファッションに過ぎなかったと言われても反論できまい.あなた方は徹底的になめられているのだ.それでも立ち上がらないおじさんたちには,日本 の危機云々を議論する資格はない.
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またまたワイマール(あるいは果たせぬ復讐ゆえのくすぶった郷愁)
(98/12)
私が日本のジャーナリストに失望したのは高校1年の時,1972年7月にさかのぼる.歴史的な長期政権を誇った佐藤栄作がいよいよ総理大臣をやめる 時の記者会見だった.もう辞めるという会見の場で,積年の恨み辛みが爆発したのだろう,”新聞は嘘ばかり書く.真実を報道するのはテレビだけだ”と子供じ みたことを彼が言ったとたん,居合わせた新聞記者たちは,面白くないとばかりに全員退席してしまい,誰も座っていない多数の椅子とテレビカメラに向かって 首相が辞任の会見をするという結果になった.
幼稚園児の総理大臣と同じレベルの行動しかできない新聞記者たちに私は愕然とした.総理大臣の方は仕方がない.しかし,なぜ,その幼稚園児の最後の 醜態を,それこそ真実として報道してやろうというまっとうな新聞記者が一人もいなかったのか.多感な高校時代の私は,もうこいつらの記事は絶対に信用しな いと誓った.私の受けた心の傷は深かった.以後,ワイマールの崩壊とナチの台頭に興味を持ち,PJ Goebbelsの伝記を読んで将来は世論操作の仕事をしてやろうと思ったのは,失望させられたメディアに対する復讐心からだった.自分を失望させたにも かかわらず偉そうな顔をしている連中を蹂躙してやろうと思ったのだ.その果たせぬ復讐ゆえのくすぶった郷愁でこんな雑文を書いているのも,この高校1年の 時の原体験が大きく影響している.
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も一度ワイマール (98/11)
ワイマール体制と55年体制(終わったというのは嘘で,今も連綿として続いている),言い換えれば理想的な社会主義を築こうとして見事に失敗してしまった
例と,自分の金もうけのことしか考えない人々が寄せ集まった結果が理想的な社会主義国家を作り上げた例.非常に奇妙な対比である.戦後日本文化の最大の特
徴は,おそらくここ,理想的な社会主義国家という点にある.
官僚による統制の徹底,一億総中流意識,政府の金の使い方に文句を言わない国民,護送船団企業の横並び意識.どの点から見ても日本が理想的な社会主 義国家であることに異議を唱える人はいないだろう.ならば,日本の危機とは何か.それはかつてソビエト連邦が直面した危機と同じである.
今,世間で日本経済云々って言っているのは,かつて鎌とハンマーの旗の下で,5カ年計画を云々した議論と同じである.金融再生,銀行に資本注入とか 言っているのはコルホーズ,ソフォーズをどうやって立て直すかっていう議論と同じである.
危機というのは本当である.ただし,その危機の本質は社会主義存亡がかかっている点にある.日本は立派な社会主義国なのだ.だから我々が進む道には 二つに一つの選択しかない.すなわち,社会主義のほころびを取り繕いながら今少しもたせるのか,あるいは社会主義をきっぱり捨てて今のロシアのような,完 全な自由主義経済に移行するのか,のどちらかである.
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ワイマールを想う(98/8)
公務員は半分に削減,銀行とゼネコンは潰れるに任せる,外国の基地はいらないから,”思いやり予算”やガイドラインなんて知らないよ,気に入らなければ出
ていってくれ,
日本が本当の混乱に陥ったら,そんな政策をはっきり掲げた政党が人気を集めて政権を握るだろう.ワイマールがなぜ崩壊したのかは深遠な問題だが,そ のヒントは案外身近にあるのではないか.今の所日本よりロシアの方が先行しているようだが,いつ肩を並べるかわからない.恐いのは経済の混乱そのものでは なくて,その混乱を飯の種にしようとする人々だ.
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”精薄”で何が悪い(98/6)
精神薄弱者という言葉がなくなりつつある.”精神薄弱”という言葉のどこが悪いのか.それを”知的障害者”という言葉で置き換えて何が良くなるのか.何も
良くなりはしない.そして,辛味入り汁かけ飯なる言葉を発明した人々の直系の子孫は手ぐすね引いて待っている.そもそも障害という言葉がけしからん.学習
困難者にしろ.いや困難もけしからん,みな平等なのだから,お友達にしよう,いや尊い人々なのだから尊師かグルがいいだろう,云々.浜の真砂は尽きるとも
世にいちゃもんの種は尽きまじ.
差別は人間の心から生まれる.差別が何か悪さをするなら,その元となる人間を教育しなければ悪さはなくならない.非国民という言葉が消えても非国民扱いは消えていないのと同じように.
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断髪と断頭(98/5)
かずちゃんから,インドの世論は圧倒的にインドを支持し,パキスタンの世論は圧倒的にパキスタンを支持し,国際世論は両国を非難しているのなら,世論とは
何かと問われた.私にはすべて同じ衆愚に思えた.表現型は違っても,パンと見世物を欲する人々が,見世物の評論で騒いでいるという根っこが同じだからだ.
パキスタンの核実験を報じるのと同じ新聞が,小錦の断髪式を報じていた.11000人が集まり,ダフ屋も大繁盛だったんだそうな.相撲取りの終焉の 儀式を衆人環視の中で行うのだ.
その昔,チャールズ1世やマリー・アントワネットの死刑の時は大衆がピクニック気分で見物に出かけ,断頭台からころころと首がころげ落ちると大歓声 が上がるのだった.つい先日もルワンダでの虐殺の報復の死刑は大観衆の入ったスタジアムで行われたそうだ.断頭が断髪に変わっても,いつの時代,どこの国 でも,人間の楽しみは全く変わらないことがよくわかる.
しかし200年ちょっと前のこの断頭の風景も,50年前,当時世界最先端を走っていたドイツ医学が考え出したような,ガスの出てくるシャワー室と いった能率的な殺人装置よりは,はるかに牧歌的な光景だっただろう.
ガス室は戦略的には失敗だったな.あんなことしたから,みんなアメリカに逃げてせっせと核爆弾を作ったのだから.そしてその負債を今でも我々は払わ されている.火縄銃が核弾頭に変わっても,いつの時代,どこの国でも,人間の楽しみは全く変わらないことがよくわかる.
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目出たく手打ち式
埼玉県の公金横領25億円が奉加帳回しで全額返済となった.なんと1億3000万円ほど余ったから返すとい
う98/3/6付けの御触書が先日回ってきた.97年11月に奉加帳が回り始めてから何と4カ月足らずで手打ち式だ.一部で内部告発(例;
97/11/23づけ埼玉日報”正直者がバカを見た”.なかなか面白い記事です.)はあったが,全く混乱なく終わった.日本の役所の互助精神の完璧さを実
証する見事な事件だ.これで責任者が明らかにされず,罰せられることなく,今回の公金横領事件も忘れ去られる.
私ですか?一銭も払っていません.池田は金も払わず好きなことを言っているって,どうぞふれ回って下さい.そうすれば,みんな私を見る度に公金横領 事件のことを思い出してくれるでしょう.
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ペストは何色
当時の欧州の人口の3分の1が失われたペストがなぜ流行したのか.開墾が進み,森から狼,狐,ふくろうといったネズミの天敵が駆逐され,それまで森の奧の
中だけで連鎖していたペストが人間の生活の中に入り込んできたからだ.森の中に潜んでいた感染症が人間の世界で爆発的に広がるという筋書きは,HIVの場
合と非常によく似ている.歴史は繰り返すという諺は,こと疫病に関しては正しい.
本当に恐ろしい殺し屋というのは,もののけ姫みたいにプロレスラーもどきの隈取りをして派手に登場するんではなくて,人知れず人間の間にがっちり食
い込んで,気づいた時には手が付けられなくなっている,そういうもんだ.これは医学的な意味の病気ばかりじゃない.ペストの色は黒ばかりじゃないってこと
さ.(黒以外に何色があるのか知らない人は→こちら)
それを,やれ規制緩和だ行革だと言って無理矢理破壊しようとしている.若き日の情熱をよみがえらせて,またまたトロツキストになろうというのか.総
括して自己批判しなさい.
そりゃそうだろう,他人が横領した金を自分が払わされるのではたまったものではない.奉加帳を回して金の穴埋めだけをやって,肝心の公金横領という 犯罪行為を放置することにもなる.ほとぼりがさめれば再犯するに決まっている.管理職いくら,一般職員いくらなんてどんぶり勘定の奉加帳を喜ぶのは犯罪者 だけだ.奉加帳に名を連ねるのは,その犯罪に加担することになる.
公務員は三日やったらやめられないというのは本当だ.証券会社は1億かそこいらを苦心惨憺してひねり出して総会屋に貢いだ挙げ句の果てが社長が豚箱 入りなのに,自治体はもっとスケールのでかいことをやりながら,奉加帳を回して手打ちをやろうってんだから.
そもそもこんな大事な情報が埼玉県のホームページに一言も 載っていないというのはどういうこっちゃ.ノーテンキなことばかり載っていて,何のためのホームページなのか.情報公開っていうのはいったいどこの国の話 なのか.
公金横領という立派な犯罪は法に従って罰せられねばならない.そのためには身内同士で公平な調査ができるわけがない.外部機関に調査してもらえばい いのだ.何とか総研でもオンブズマンでも何でもいい.
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天井桟敷より;野坂昭如風
ここのところすっかり売れなくなっていたおたかさんが主役のはずが,冒頭,昔の名前で出てきた敵役が登場した途端,観客席にいた電気屋の社長が”大棟梁”
とうっかり声を掛けてしまったので,他の観客から非国民としてブーイングが飛んで睨まれるというハプ
ニングがあったが,大向こうを狙ったヤマ,つまりおたかさんがロッキードの入れ墨を見せ,龍太郎おじさんが御白州で土下座して冷や汗をかいて見せる場面で
は,型どおりの大喝采.その脇で申し訳なさそうな顔をしている幹事長さんは,邪魔くさい高崎のじいさんにあてつけができたので,実は内心ほくそえんでい
る,とは,天井桟敷のある解説者.場面転換して,悪者を成敗したおたかさんが,本会議の議長席で盗聴法案と
介護法案を素通りさせて,これにて一件落着という算段と見た.
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銭はグラウンドに落ちている,そして・・
幼少時より内閣広報室勤務に憧れていた私にとって,選挙参謀というのも面白そうな商売だった.だから,選挙を戦うにあたって,従来の泥臭いやり方でなく
て,もっと近代的なやり方があるんじゃないかと,つい素人考えで思ってしまう.
例えば,サッカーくじを推進したスポーツ議員連盟とかいうグループのメンバー表がある.これは,サッカーくじがその筋の人たちの資金源になった時に 責任をとってもらう人たちになるわけだ.もちろんその他にも住専救済,特措法,臓器移植法案への賛否とか,いろいろな色分けメンバー表ができる.そして次 の選挙の時に,そのメンバー表をインターネットで公開する.つまらない怪文書を作るより,この種のメンバー表の方がずっと効果的だと思うだが,どうだろう か.
”銭はグラウンドに落ちている”と言ったのは元南海ホークス監督の鶴岡一人だった.タクシー会社の領収書で役人をゆするだけでは,弱い者いじめの片
手落ちと言われても仕方がない.週間宝石の居眠り採点表を見るまでもなく,”ゆすり,たかりのネタは議場に落ちている”のだ.
わが国の世論操作は,明治中央集権政府発足以来,如何に非国民を形成するかということを指標に行われてきた.大東亜戦争中だけのことではない.たと えば,今風のファッショとして,禁煙ファッショがある.たばこ吸いはみな非国民というわけである.
もしもあなたが私と同じように生まれてから一本もたばこを吸ったことがなくても,こんなページを読んでいれば,あなたも立派な非国民の一人である.
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携帯電話に対する警告1
JR東日本では車内での携帯電話の使用に苦情が殺到しているので,車内放送で警告するという.僕はそんな必要はないと思う.というのは,車内放送はすでに
十分に機能しているからだ.車内放送は絶え間なく余計な音声を流すことによって,携帯電話の使用を妨害しているのである.
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末法思想大流行
”このまま行くと日本は破滅だ”,とまあ,破滅,破局の大合唱.円高でわめいたらと思ったら,今度は円安だと悲鳴をあげる.危機が大好きな人たちの何と多
いことか.古来より,末法思想はメディアの最も好む題材だ.
しかし問題なのは,末法思想の予想が当たるかどうかではなく,末法思想がもたらす結果なのだ.危機感をあおるのは,為政者が自分の都合のいいように物事を
動かすための常套手段だ.末法思想の流布で得をするのは誰かということをよく考えた方がいい.”この非常時に”というのは,うるさい奴を黙らせるのに一番
効果的な文句だ.次のステップは,ある特定の集団に危機の責任を負わせることだが,そのステップは以外に早くやってくるかもしれない.
私はこの記事を読んで唖然となった.この国の立法府の人々は法律を作ることができずに,行政府にお願いして作ってもらうのだ.それも自分たちの行動 を縛るような法律を作って下さいと,頭を下げてお願いしているのだ.政治家が官僚に馬鹿にされるのは当然だ.
新しい問題に対して規則が必要な場合(そもそも規則が必要かどうかが問題なのだが),議論を戦わせ,なるべく多くの人が幸せになるような規則を作 る.それが立法府の仕事であると,私は小学校で習った.日本は三権分立であるとも習った.しかし,肝心の立法府の人々はこの小学校の教育を受けていない幼 稚園児のようだ.だから,官僚支配打破とか言いながら,いつも官僚を母親のように慕い,母親に判断を仰ぐ幼稚園児の習いが性となっている.この幼稚園児達 の成長を,我々はいつまで辛抱強く待たなくてはならないのだろうか.待っている間に我々の生活の問題はどんどん大きくなっていくのに.
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日刊ゲンダイ考
日刊ゲンダイという,政治評論が評判の夕刊紙がある.とにかくメジャーなもの,多数派には相手構わず切りまくるので,読んでいてまことに気分がよろしい.
しかし本当にこんな評論でいいのかいなと思うことがある.政府批判,大手のメディア批判はいつの時代,どこの国でも歓迎される論調である.政治家は常に極
悪人,大手のメディアは常にそのお先棒かつぎといったステレオタイプの観点で本当に真実が見えるのだろうか.この手の政府批判の論調の発信元が実は政府内
部だとしたら,たとえば内閣広報室が日刊ゲンダイを発行しているとしたら・・・この発想は非常に突飛なものに見えるかも知れないが,理由はいくらでも考え
られる.
第一に,アドバルーンとしての役割.政府首脳が思い切った政策転換を考えているときに,日刊ゲンダイのような大衆受けするメディアを使って世論の反
応を見るのである.国民のどの部分が政府に反対しているのかを探る役割もある.第二に国民の不満のガス抜きとしての役割.大手のメディアを政府の提灯持ち
と決めつけ,自らを健全な批判精神を持った唯一のメディアとすることによって,国民の不満のはけ口にする.第三に,政府内部の権力闘争の手段としての役
割.政府見解にとらわれない自由な意見という形で,政府の中のある特定メンバーが政敵に対する国民の批判をかきたてる役割である.
人間の世話の仕方なんてえのはな,実際に現場を何年もやってないと本当のところはわからねえんだ.だから,子供も年寄りも世話をしたことがない連中 が育児や介護のサービスや会社を作っても,ちっとも商売にならないのは当たりめえなんだ.この世界はな,赤ん坊や年寄りのおしめをさんざん替えた経験のあ る人間じゃねえとわからねえことだらけなんだよ.