来英直後の仮の住いはグラスゴー大学の学生寮だった.広さは日本のビジネスホテルより一周り広い程度で風呂とトイレは共用である.朝食つきで1日2500円.しかし長くはいられない運命だった.第一に復活祭の休暇期間が終ると学生が戻ってくるので出て行かなければならなかった.第二に宿泊施設としては安上がりでも1ヵ月いれば7万5千円だ.安月給の身ではそう長くはいられない.第三に住む所が決らないと精神的に全く落着かない.これは仕事を進めていく上で大きな障害である.第四に食べ物の問題.冷蔵庫がないと食べるものが限られてくる.台所も共用なのでやはりどうしても不便だ.
そしてついにその時が来た.アパート(英国ではフラット)捜しである.実は僕は高校生の時からこの機会を恐れていた.それはある小説を読んだ時からだ.柏原兵三の小説 ”ベルリン漂白 ”は,作者がモデルと思われるベルリンに留学した主人公が,後から来る妻子と一緒に住むのに適当なフラットが見つからず,3ヵ月近く放浪する話である.内容は彼がただひたすら捜し求め,条件が折合わずに決められない,その繰返しである.
中でもはっきり覚えているのは次の様な場面である.主人公は貧乏学生であるから,安い物件に当る.ある日新聞で適当な家賃の物件を見つけて現場を尋ねてみた.アラブ人の家主であるが交通の便もよい.部屋の大きさも十分だ.日当りもよい.しかしよく見てみると奇妙な所に気付いた.トイレがないのである.不思議に思って家主に尋ねると,外に直接面している壁に開いている大きな穴を指差したという場面である.こんなことの連続で,フラットが見つからないまま話が終わってしまう.
このような悲惨な小説を感受性の強い時期に(今でも強いが)たまたま読んでしまったために,以降外国留学にはある種の恐怖感を覚えていた.しかし,当然ながら実際に自分が留学する確率は極めて低いと考えていたから,この恐怖感は杞憂に過ぎなかった.しかし今や事此処に至れり!
たとえ日本ででも,一度でもアパート捜しをしたことのある人ならば,僕の恐怖心は十分理解して頂けると思う.家賃,広さ,清潔さ,日当り,買物や交通の便,周囲の環境など極めて多数の要素を勘案しなければならない.全部に満足できることは絶対にありえないから,どこかで妥協しなければならない.多くの場合捜す期間も限られている.失敗した場合には長期間悔しい思いをしつづけなければならない.経済的な損失もしばしば伴う.かと言って,おいそれとやり直しが効かない.ああ嫌なところをあげればきりがないのがこのアパート捜しというやつだ.僕は職業柄日本国内だけでも8回引越ししたが,アパート選びの期限の1ヵ月程前になる度に憂鬱になって,ろくろく仕事にならなかった.
留学先での住居捜しでは,この上に更に悪条件がこれでもかこれでもかと思うほど重なってくる.外国で,到着直後に,語学の力が最低の時点で,精神的にも一番疲れている時に,一番重要な仕事をしなくちゃならないんだ.それも ”契約 ”ということに極めてうるさい土地柄のところで,家主と交渉しなくてはならないなんて!.
純粋な語学力以外にも相手と渡り合う度胸が必要である.日本人なので足許を見られたり,高くふっかけられる可能性はないだろうか.不安感はいや増すばかりである.企業の海外派遣社員なんかだったら,住居の用意があるんだろうになあ.僕の場合には一匹狼.何もかも一人でやらなくちゃならないんだ.サンダル一つ捜すのにさえ1日潰してしまうのに,フラットを捜さなくちゃならないなんて.本当にこんなことでこの先,生きていけるのだろうか?.怖い.本当に怖いのだ.(続く)