ワクチンファシズム
法的リテラシーの文脈で読んでみる
大切な人のためにと思って接種して万が一命を落としても「自己責任」で片付けられる国
「私の罪は従順だったことだ」(アドルフ・アイヒマンWikipediaより  ワクチン打って自由になろう! (Impfen Macht Frei)
権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける:現代版「ミルグラムの実験」で明らかに(WIRED 2017.05.26)

大崎明子 新型コロナワクチンへの妄信と強制が危うい理由 (東洋経済オンライン 2021/05/19 )より抜粋
ワクチンファシズムが広がっている
――今の大手メディアのあおり方からすると、ワクチンを打たないのは非国民、みたいな感じになりますね。医療関係者以外でも、企業などの集団でもそういう空気が醸成されていくかもしれない。「医療全体主義」と森田さんはおっしゃっていましたが、これもそうですね。
まさに、ワクチン全体主義、ワクチンファシズムです。
――驚いたのは「ワクチン接種証明」という話が出てきたことです。
僕は本当にこれには反対ですね。効くかどうかもわからない、根拠のないものに「接種証明」なんて意味がない。個人個人で体質も違います。また、同調圧力の強い日本でそんなことを言い出したら、深刻な差別につながります。日頃、多様性を認めるべきなどと言っておきながら、新型コロナに関しては多様性を一切認めていないのが現実ですからね。

こうして生まれた「GCP違反に基づくワクチン接種」元記事
Q:聞けばワクチンはまだ正式に承認されておらず、あくまで治験中とか。GCPのような大切な決まりに違反したワクチン接種が、なぜ正々堂々と白昼に、もちろん三密にはならないように十分注意しながらも(*1)、衆人環視の中で行われているのでしょうか?ましてや相手は頑是ない子どもなのに。大切な子どもを守るためには保護者はGCP(*2の何たるかぐらい熟知しておくべきだったとでも?
A:おっしゃる通り、こびナビならきっとそう言うでしょうね。
Q:なんて酷い連中!罪の意識のかけらもない!
A:そう、ないでしょうね。GCPなんて関係ないって思ってますから、連中は。
Q:えっ?どうしてですか?治験中なのに?
A:連中に言わせると治験中じゃないんです。だからGCPなんかクソ喰らえと思ってる。
Q: (゚A゚ ) (゚A゚ ) (゚A゚ ) (゚A゚ )
A:謎を解く鍵は「誰がワクチン接種を推進しているか?」です。そもそも治験の際にGCPを守らねばならないのは誰でしょう?
Q:もちろん会社・・・・・・
A:そうです。ところが今回はその会社がいない。ファイザーもモデルナもアストラゼネカも品物を売っただけ。そして契約書には免責と明記してある。もちろん「大至急で作ったから勘弁してよ。他の国と同じように国が責任を持ってやってくださいよ」ってことです。今回ばかりは企業を責めるわけにはいかないのです。それはご存知ですよね。
Q:はあ・・・(゚A゚ ) (゚A゚ )
A:GCPはあくまで医薬品製造販売業が許可された会社が行う治験を規制するための規則です。今回のワクチン接種は国がやるんですから GCPは要らない。国は万能ですから、何でも知ってますから、GCPなんて要らない。役所風に言えばそういう「整理」です。御用医師達(例:数多あるコロナ関連分科会のメンバーやこびナビのような外郭団体)や千代田区しか知らない田舎者達はみんなそう思ってる。GCPなんかクソ喰らえ状態になることは、彼ら自身が設定したシナリオだったんです。さすがハーバード公衆衛生日本支部。ワクチンに御執心だった政治家をうまく利用したのおかげで接種も順調に進んでいますよね。
Q:そんな・・・馬鹿なことって・・・
A:それが連中のやり口です。 GCPなんてクソ喰らえ=個人の尊厳なんてクソ喰らえ
Q:そんな、そんな酷いこと。絶対に許されない。復讐してやる。
A:ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。喧嘩はカッとなった方が負けだと総統閣下も遺言として残していらっしゃることだし。
Q:本当ですか??
A:あっ、いや、確証があるわけじゃありません。ただ、文書として残してはいなくても、今際(いまわ)の際にはいかにもそう言いそうでしょ。それより、
Q:それより?
A:そうです(よかった)、それより喧嘩を始める前にじっくり作戦を練る必要があります。特に今回の喧嘩は国が相手ですから周到な作戦計画が必要です。→全てはワクチン利権のために
*1 Dystopiaそのもの:三密を厳重に守るぐらいならばGCPに従うことを優先すべきなのです。決して冗談のつもりで言っているわけではありません。ワクチン接種を勧めている人たちの頭の中が如何に倒錯しているか、具体的には、子どもたちの幸せと引き替えにワクチンの接種率という数値目標を是が非でも達成することが「正義」であるとの思い込み、を如実に現している逸話です。今はとりあえず現在形で表現していますが、過去形になるのも時間の問題、そう願っています。
*2 GCP (Good Clinical Practice)は臨床試験・研究の対象になる人を守るための憲法です。守るのは身体や健康だけではありません。個人の尊厳を守る大切な決まりです(製薬協 GCPとは何ですか?)。治験中に生じた有害事象や死亡を因果関係の有無にかかわらず(医師の判断を排除し)報告することは、GCPで義務づけられています。

アイヒマンを裁いたのもまたアイヒマンだった

著者は裁判官をアイヒマンの官僚主義と重ねる。アドルフ・アイヒマンはナチスのユダヤ人虐殺の実行責任者で戦後逃亡していたものの、捕まり国際裁判にかけられた。極悪人とつるし上げられる中、彼は「私の罪は従順だったことだ」という陳述を行ったことは有名だ。総統の命令があったからやっただけであり、もし私が拒否していても、他の誰かがやったであろうと。権力を持つ大組織で合理化が進めば主体性は奪われ、構成員は代替可能な存在になる。思考停止の状態で形式的に事案は処理されていく。それは日本の裁判官も同じである。特定の裁判官が悪いわけではない。問題はむしろ根深い。(『司法権力の内幕』−絶望的な、あまりに絶望的な実態 現代ビジネス 2014/2/2

大切な人のためにと思って接種して万が一命を落としても「自己責任」で片付けられる国
全てはワクチン利権のために:「合法的な」接種後死亡・副作用隠しの実態
GCP違反に基づくワクチン接種
私の内なるアイヒマン
法的リテラシー