環境に優しくない雑誌

一部の日本の学会では,いまだに日本語の学会誌を英文化しようとする動きがある.しかし,私は,今まで,日本語の学会誌を英文化して,成功した例を寡聞にして知らない.

現行の日本発英文誌の現状はどうか?投稿者も,レフェリーも苦労して仕上げた結果が,一般の臨床医はおろか,会員さえも読まない空しい紙屑が毎月産生される醜態が繰り返されているだけだ.環境に優しいという言葉が大流行の時代,あえてenvironmental unfriendly journalという謳い文句で独創性を主張しようとするのだろうか.

何事にも先達はあらまほしきことなれ.内科学会のInternal Medicineや生化学会のJ Biochemistryといった先輩雑誌がどんなに苦労しているか,事例検討したのだろうか? これだけ雑誌間の国際競争が厳しくなった時代に,どうやって生き残るか,戦略があるのだろうか? 英文化についての数々の疑問に対する答えは誰も教えてくれない.

1.なぜ,英文誌にすることが”国際化”になるのか?なぜ,中国語ではなく英語がいいのか?日中両国が中心となって同じアジア系で情報を共有して,白人優位の学問体系にアンチテーゼを出していくという”国際戦略”が立てられないのか?

2.英文誌化によって得るものと失うものは何か?その得失差を考えた上での提案か?英文誌にすることによって,得る物は思い浮かばないが,ざっと考えただけでも,失うものはずらずら上がってくる.

    1)投稿の質が低下する:最低水準の外国雑誌でも採用されなかった屑原稿の吹き溜まりとなる.
    2)良質のレフェリーが集まらず,つまらないことにうるさいオタクがいちゃもんをつけるから,真面目な投稿者からは相手にされなくなる.
    3)したがっていい原稿はさらに集まらなくなる
    4)日本語のコミュニケーションがますます貧困化する

3.英文誌化,国際化の成果をどう評価するのか?一旦英文誌にして,後でしまったと思っても戻れないと後悔するのならまだいい.英文の紙屑をひたすら生産するだけで,そのゴミの山が及ぼす影響を評価しないのならば,普段,医者がせせら笑っている,作りっぱなしの巨大箱物公共事業を決して非難できないだろう.

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