あれがグラスゴーよ

空港で出迎えてくれたデビーの愛車,そのぼろぼろのフィアットの助手席から,ここに住むのかと,初めて見るグラスゴーの町を不安な気持ちで眺めていると,”あれがグラスゴーよ”と,デビーは高速道路脇左手の巨大な建物を指差して言った.それはもちろんその建物がグラスゴーを象徴しているという意味だったが,その情景は,大西洋を横断したリンドバーグがパリの街の灯りを見た時のように感激的なものでは決してなかった.

それは現代の廃虚そのものだった.かつては何かの工業製品の製造工場であったと思われる,大きな小学校の校舎のような単純な造りの鉄筋コンクリートの建物の,何百とある窓ガラスはおおかた割れて,クリーム色の外壁は汚く煤けていた.

”工場売ります”との看板も,もう数年前から掲げてあるように,ところどころ禿げていた.”駐車場300台分のスペースつき”なんて宣伝の唄い文句も,雑草だけが生い茂る,だだっ広い埋立地のような空間に孤立したその廃虚を売却するには何の役にも立っていなかった.”荒涼たる”という形容詞は,純粋な自然に対して用いられる時は感傷を誘うが,都市の風景に対して用いられる時は虚無感しか感じさせない.

未だ肌寒く,灰色の雲が垂れこめる三月末のスコットランドの空の下に広がるその風景を眺めながら,この先こんな陰気な街での生活がどうなるのだろうと一層不安が強くなった.

(その後,この廃虚は見事に改装されて立派な集合住宅に生まれ変わった.90年代後半からのグラスゴーの活力を感じさせる出来事だ)

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