臨床のαでありωである

以下は、脳神経外科のある若手から「症例報告を受け付けるジャーナルがなくて困っているがどうしたらいいだろうか」という時代錯誤的な相談を受けての返事です。同様の的外れな悩みを持っている方は御参考になすってください。
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臨床は症例報告に始まり症例報告に終わります。

Vandenbroucke JP. In Defense of case reports and case series. Ann Intern Med 2001;134:330-334

NEJMの一番の売り物は、MGH Case Recordsであることは誰しもが認めるところです。

大規模試験なんて、大規模にしなければ差が出ないからやむなく大規模になっているだけです。その大規模試験も、一例一例の積み重ねによって成り立っています。私は医薬品医療機器総合機構で何百ものプロトコール、臨床試験結果を見てきましたが、副作用報告例一つとっても一例一例が勝負でした。霞が関での仕事も、症例報告に始まり症例報告に終わっていたのです。

トップジャーナルが症例報告を受け付けないのは、個々の症例報告の普遍的な重要性を誰も吟味できないからです。個々の症例報告の重要性は、読者によって、その読者の仕事場の状況によって、また時代背景によって全く異なります。例えば、脳震盪時の記銘力障害に関する論文は、○○先生にとって、救急外来診療では役に立ちますが、手術室では全く興味がないでしょう。

トップジャーナルには膨大な数の投稿が来ます。そこで、論文審査と紙面の両方の効率的な使い方を考え、最大公約数的に薄く広く読者にアピールして部数がはける大規模試験の論文を優先してしまうのです。このように、症例報告よりも大規模試験の論文を優先して掲載するのは、商業的な理由によるのであって、学問的な価値判断はまた別のところにあります。”症例報告よりも大規模試験の方が学問的価値が高い”という時代錯誤的な妄想に囚われるのは他人に任せておきましょう。

では、紙面の制限がなくなり、いくつものジャーナルが症例報告をどんどん受け付けるようになったらどうなるか?さらに、誰でも自由に自分の求める症例報告を検索し、症例報告を読む読者が当事者能力を発揮してレフェリーとして機能するようになったらどうなるか?実はどうなるか?なんて、考える必要はありません。今、実際に起こっていることだからです。

ジャーナル間の競争が激しい出版業界では、実は症例報告が旨味のある分野(具体的にはオープンジャーナルにして投稿料を取り、かつ引用を増やしてインパクトファクターを稼ぐ)だということがわかってきて、ここ数年、症例報告専門誌が雨後の竹の子のように出てきています。ですから、英文で症例報告を書く人にとっては、実は書き手市場なのです。ざっと調べただけでも、○○先生が投稿可能なジャーナルはこれだけあります。

Internal Medicine(日本内科学会の英文誌です)Case ReportsやPICTURES IN CLINICAL MEDICINESを毎号たくさん載せています。

General Medicine日本プライマリ・ケア連合学会の英文誌です

なんとあのBMJ Publishing GroupsもBMJ Case Reportsを出しています。

Journal of Medical Case Reports

Journal of Medical Cases

画像分野では
Journal of Radiology Case Reports
International Journal of Case Reports and Images

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