失敗の費用対効果

臨床試験をデザインする際にはあんなにバイアスの排除lについてうるさく言われるのに、その臨床試験の根本となる研究開発の優先順位を決定する際の判断材料は,科学的,客観的だろうか?

マーケットの大きさ、お医者様や患者団体様へのアンケート調査・・・・会社の命運を左右する判断だというのに、そんなに貧しい「データ」に基づいてパイプラインの中身の優先順位を決めるような馬鹿げた真似をしていないだろうか?

常に走りながら考える開発しかできないのだろうか?開発に着手する前に実行可能性を判断し,着手の優先順位を決定することはできないのだろうか?過去の失敗から学ぶことはできないのだろうか?

かつて、多くのメガファーマが血眼になって開発していた(まだ一部では現在形だが)アルツハイマー病予防薬(あるいは根治薬)の開発を決定した因子として、「一攫千金」以外に何があったのだろうか?自分達は錬金術師や永久機関の発明者を目指しているのではないだろうか?そう思ったことはなかったのだろうか?

何を言いたいかと言うと,アルツハイマー病のように,疾患概念と病理学的所見の両方が確立して(アミロイドの存在はAlois Alzheimerが既に記述していた)100年経っても,ネイチャーやサイエンスに山のように論文が出てくるような病気の治療薬開発は,論文が乏しい病気に比べて却って成功確率が低いのではないかということだ.

論文がたくさん出てくるということは,たくさんの研究者が寄ってたかって,長年にわたって,膨大な研究費を使っても,病気の原因がよくわからない&治療薬がなかなか見つからない ことを意味する.これすなわち開発リスクが大変高いことに他ならない.

高いハードルに挑戦するのが企業の使命だというのなら,アルツハイマー病である必要はなく,マラリア,デング熱,リーシュマニア症・・・そんな病気は山ほどある.だから,結局はマーケットの大きさに目がくらんで,「墓石の下に必ず死体があるから墓石が死因だ」という,およそ科学とは呼べないような無邪気な仮説の信奉者になって,大枚をつぎ込む羽目になってしまったのだよ.

あなたの会社では,高い授業料分に見合うだけの学習ができているだろうか?

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