相手の嫌な気持ちに対する自因感 (対人ストレスの要)

まとめ

対人ストレスの実体(仕組み) = 相手を嫌な気持ちにさせてしまったように感じること

はじめに

本サイトでは、対人のストレスやネガティブな感情を、嫌な気持ち、と表記します。また、相手がこちら(自分)に対していだく嫌な気持ちを、相手の嫌な気持ち、と短縮して表記します。

わたしたちが 人から嫌われたり にらまれたり ため息をつかれたりすると 嫌な気持ちになりやすい (つまり 相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになりやすい)のはなぜでしょうか。嫌な気持ちになっているのは相手だけなのに 自分まで嫌な気持ちになるなんて 不思議ですよね。その仕組みを解明しましょう。

相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになる仕組み

相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになるときには、次のどちらかの思いが存在しますよね。

・「自分のせいだ」

・「自分は~なのに!(何でだ!おかしいじゃないか!)」

この2つの思いに共通する起源を探しましょう。

・「自分のせいだ」は、(相手の嫌な気持ちの)原因は自分だと考えていますね。

・「自分は~なのに!」は、(相手の嫌な気持ちの)原因は自分だという前提に立っていますね。

よくあるご質問 Q. 「自分は~なのに!」という思いがあると、原因は自分だという前提に立っている、と言えるのはなぜ?

(解説)
原因は自分だという前提に立っていなければ 「自分は~なのに!」と思うことはありません。雨が降る原因は自分だ(自分次第で天気が決まる)という前提に立っていなければ 「てるてる坊主を作ったのに!(何で雨なんだ!)」とは思いませんよね。

「~なのに!」は逆接の用法ですが、逆接は 因果関係(順接)を前提としているからこその[逆]ですね。なお、「自分は~なのに (その一方で)相手は…」と冷静に思うときの 「~なのに」は対比の用法です。それと区別するために本サイトでは逆接の「~なのに」には感嘆符(!)をつけています。

以上より、「自分のせいだ」と「自分は~なのに!」という思いに共通する起源は、[原因は自分だという前提]ですね。そこで、次のような概念を定義します。

自因感

ある現象に対して、その原因は自分だ(それが起きるかは自分次第だ)という前提に立っているとき、その感覚を自因感と定義します。

自因感はあくまでも感覚なので、「自分次第だ(自分が原因だ)」と考えているとは限りません。つまり、そういう前提に立っている自覚がないこともあります。

自因感がない とは

自因感がなければ、自分がどうかに関係なく(自分とは独立して)その現象は起きるのだ、と感じます。

例えば バカにされたときに、[相手がバカにしたこと]に対する自因感がなければ、「自分がバカにされたのは、(自分うんぬんではなく) 相手がバカにしたいからだ」などと感じます(→ストレスは生じませんね)。

自覚なき自因感:「自分は~なのに!」

「自分は~なのに!(何で!おかしいじゃないか!)」と思うときには その現象に対する自因感がありますが、自分次第だという前提に立っている自覚がありません

よくあるご質問 Q. 「自分は~なのに!」と思うときは、自分次第だという前提に立っている自覚がないって、本当?

(解説)
「自分は~なのに!(おかしいじゃないか!)」と思ったときに、自分次第だという前提に立っている自覚があれば、「自分次第だとすると、つじつまが合わないぞ。ということは、その現象は 自分とは独立して起きるのだな」と3秒以内に気づき(自因感が消え)ますよね。したがって、「自分は~なのに!」という思いが3秒以上続くとしたら、自分次第だという前提に立っている自覚がありません。

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さて、自因感の話はそれくらいにして、相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになる仕組みの解明に戻りましょう。

「相手の嫌な気持ちは、自分がどうかに関係なく生じたものだ」と感じたら、相手をかわいそうと思うか、何とも思わないか、のどちらかでしょう (自分が嫌な気持ちになる要素はありませんよね)。ゆえに、相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになるときには 必ず、相手の嫌な気持ちに対する自因感が存在します。

では、相手の嫌な気持ちに対する自因感があるだけで 嫌な気持ちになるでしょうか。「自分が原因で 相手は嫌な気持ちになった」と感じても、「まあいいか」 とか 「しめしめ」と思ったら 嫌な気持ちにはなりませんよね。ゆえに、相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになるときには 必ず、「自分は相手を嫌な気持ちにさせたくない」という思いも存在します。

また、相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになる、を正確に言い直すと、「相手は嫌な気持ちになっている」と思って嫌な気持ちになる、です。相手が嫌な気持ちになっていても、自分がそれに気づかなければ 嫌な気持ちになることはありませんからね。また、相手は嫌な気持ちになっていないのに、自分が 「相手は嫌な気持ちになっている」と思うこともありますからね。

以上をまとめると、仕組みとして必ず存在するもの(必要条件)は次の3つです。

A = 「相手は嫌な気持ちになっている」と思う

B = 相手の嫌な気持ちに対する自因感

C = 「自分は相手を嫌な気持ちにさせたくない」という思い

一方、AかつBかつC (A,B,Cの全てが存在する)ならば 嫌な気持ちになりますよね。すなわち、AかつBかつC は十分条件です。

ゆえに、AかつBかつC は必要十分条件なので、相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになるという現象の実体(仕組み)は AかつBかつC です。

AかつBかつC の例

例1) ため息をつかれたときに 「自分は何も悪くないのに!相手はバカだ」 「腹が立つ!相手のせいだ。ため息をつくな!」と思う。

よくあるご質問 Q. 「相手のため息の原因は、相手がバカだからだ」と思っているなら、相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)はないでしょ?

(解説)
前述のように Bがなければ 嫌な気持ちにならないので、腹が立つなら Bがあります。「バカ」は怒りのはけ口で、「相手が~だからだ」は Bに抗っている(Bを打ち消したくて自分に言い聞かせている)のでしょう。

Q. 自因感があるのに 「相手のせいだ」と思う(他責)のは、矛盾してない?

(解説)
まず、何に対する自因感なのかを明確にしておく必要があります。Bは相手の嫌な気持ちに対する自因感、つまり 「相手の嫌な気持ちの原因は自分だ」という感覚です。一方、「相手のせいだ」は 「自分の嫌な気持ちの原因は相手だ」という思いなので、矛盾はないですね。

Q. 「自分は相手を嫌な気持ちにさせたくない」という思い(C)があるのに 「ため息をつくな!」と相手を責める(他責)のは、矛盾してない?

(解説)
「~するな!」という他責は、はたからは [相手を嫌な気持ちにさせるもの]と見られがちですが、自分では [相手を嫌な気持ちにさせる]つもりはさらさらありません。自分はただ 「にらむなんて ひどいじゃないか!」と切実に訴えているだけですからね。

Q. 例1のような 「相手のせいだ」や 「~するな!」という他責が生じる仕組みは何なの?

(解説)
ため息をつかれても嫌でなければ 他責は生じませんので、他責が生じるためには AかつBかつC が必要ですよね。また、Bが 「自分のせいだ」と感じるタイプの自因感であればそのまま自責になるので、他責が生じるためには Bが自覚なき自因感(自因感の章を参照)である必要がありますね。

結論としては、AかつBかつC (ただし Bは自覚なき自因感)で、Aさえなければと感じる――これが 相手の嫌な気持ちに対して他責が生じる仕組みです。

Bの自因感からは自責がイメージされがちですが、実際には上記の仕組みで他責になること(人)の方が多いのではないでしょうか。

例2) 電車の遅延により待ち合わせに遅れて 相手に怒られたときに 「怒られる筋合いはない!自分は悪くないから謝らないぞ!」と思う。

「筋合いはない!」は相手の嫌な気持ち(怒り)に対する自因感(B)のあらわれですね。Bがなければ、自分どうこう抜きに 待たされた相手の気持ちを思いやるので、謝るなど相手をいたわりたくなりますよね。

AかつBかつC の最たるは 「利他的に行動したのに!!」

優しく(親切に)した相手に嫌な顔をされると 非常に嫌な気持ちになるのはなぜでしょうか。

そもそも AかつBかつC がなければ嫌な顔をされても嫌な気持ちにならないので、AかつBかつC は存在しますね。優しくした相手に嫌な顔をされたときに AかつBかつC があると、

・Bによって、「利他的に行動しても相手を嫌な気持ちにさせるということは、自分の存在自体がよほど悪い影響を及ぼしている」ように感じられ、

・BとCによって、「どうやっても自分は相手を嫌な気持ちにさせてしまう!」と絶望しますよね。

これが 利他的な行動を裏切られると非常に嫌な気持ちになる仕組みです。BとC がある限り、このリスクを恐れるため、人は利他的に行動したがりません。

よくあるご質問 Q. 優しく(親切に)されて嫌な気持ちになるのはなぜ?

(解説)
相手から利他的な行動をされて嫌な気持ちになる仕組みも AかつBかつC です。

・この場合のAは、「利他的に行動してくる相手は嫌な気持ちになっている」と思うことです。「自分だったら利他的に行動するのは(前述のリスクゆえ)嫌だ」と思うからですね。

・利他的な行動をされたときに 「気を遣わせてしまった」とか 「自分は頼んでない!」と思うのは、Bがある証ですね。

また、利他的な行動をされると 「利他的に行動しない自分への当てつけだ!」と感じて嫌な気持ちになる という場合も、仕組みは AかつBかつC です。「当てつけをしてくる相手は嫌な気持ちになっている」と感じますので、それに対して嫌な気持ちになるのであれば仕組みは AかつBかつC ですね。

相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちにならないためには

以下の2つが本質的です。

・自因感の概念を知り、相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)を自覚すること。

・相手の嫌な気持ちの原因(仕組み)を知っておくこと。

よくあるご質問

Q. 相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)を自覚すると、なぜ嫌な気持ちにならないの?

(解説)
「自分は~なのに!」という思いがある場合に限りますが、Bを自覚すると Bがなくなるからです(自覚なき自因感 の章を参照)。

Q. 相手の嫌な気持ちの原因(仕組み)を知ると、なぜ嫌な気持ちにならないの?

(解説)
相手の嫌な気持ちの原因(仕組み)を知ると、相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)がなくなり(弱まり)ますよね。Bがなければ AかつBかつC は成立しないので、嫌な気持ちは生じません。

相手の嫌な気持ちの仕組み知っておくと、「相手が嫌な気持ちになるのも もっともだ」(自分がどうだからではなく)と感じられます。

逆に、相手の嫌な気持ちの仕組みを知らなければ、「相手の嫌な気持ちは相手の課題だから、あなたは背負わないで」などと助言されても ピンときませんよね。これは、天気の仕組みを知らない昔の人に 「お祈りをしても天気に影響などしませんよ」と助言してもポカンとされるのと同じです。

Q. 相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)がなくなるのは 無反省すぎない? 冷たくない?

(解説)
Bがなくても、相手の(感情を除いた)意見や要望を受け止めて反省できますよね。むしろ Bがない方が、他責も自責も生じないので 適度に反省できます(他責なら反省しないし、自責なら過剰に反省し続けてしまうでしょう)。なお、何を反省すべきかというと、まずは危害や損失や迷惑を与えていないか、あとは自分が嫌な気持ちになっていないか、でしょう。

Bがなければ AかつBかつC は成立しない(嫌な気持ちにならない)ので、相手に対して穏やかです。これは 相手にとっては助かる(冷たいとは感じない)でしょう。

また、相手に無関心でBがない場合は冷たいかもしれませんが、Bなしに相手の気持ちを思いやる(自分によらない相手の事情や背景を思いやる)のであれば冷たくないでしょう。

Q. 相手の嫌な気持ちの原因(仕組み)は、いったい何?

(解説)
わかりやすくするために、[自分が相手に対して嫌な気持ちになる仕組み]を挙げていきます。以下の[自分]と[相手]を入れ替えると、ご質問への直接的な回答になります。

・AかつBかつC

たいていは これでしょう。A,B,Cのうち、BとCは自分の性質です。相手(の言動)が穏やかなときには Aさえも自分の性質ですね。

・B以外の自因感

例1) 「何でできないの?何度も言ったのに!」。これは相手の言動に対する自因感のあらわれですね。特に、親は子の言動に対して自因感をいだきやすいでしょう。

例2) 嫉妬。自因感がなくても嫉妬しますが、[相手との埋めがたい差]に対する自因感によって嫉妬は強まります。埋めがたい差なのに その原因が自分にあると感じたら、とても嫌な気持ちになりますよね。

・その他 (危害や損失や迷惑がある場合など)

Q.こちら(自分)の感情や言動に対する相手の自因感って、どうイメージすればいいの?

(解説)
自因感 = [それは自分次第] = [それは自分(がどうであるか)を反映] = [それは自分を映す鏡] と言いかえられます。すると こちら(自分)の感情や言動に対する相手の自因感は、相手がこちらを鏡だと思って 「ワタシ(オレ)の何が!」とのぞきこんでいる状態です。相手が本当にフォーカスしている(関心がある)のは、こちらではなく相手自身(の鏡像)ですね。

そのような(こちらを鏡だと思ってのぞきこんでいる)相手を 「自分を映す鏡だ」とは思えないでしょう(= 相手の感情や言動に対する自因感が弱まりますね)。

また、こちら(自分)の感情や言動に対する相手の自因感には、容易に違和感をもつことができます。例えば、落ち込んでいる自分に対して、相手が 「何で嫌そうな顔するの?ワタシ(オレ)の何が!」と言ったら、自分は 「自分には相手によらない独立性がある(自分には自分の事情がある)。そんな当たり前のことにさえ相手は気づけずに、よくもまあ自因感で…」と思うでしょう(→自分と相手を入れ替えた状況で、自分は相手の独立性を認識・尊重できるようになりたいですね)。

Q. 結局のところ、自因感って、ない(弱い)方がいいの?

(解説)
どうしても 自因感という言葉が独り歩きしがちなのですが、何に対する自因感かを明確にしない限り、その是非などを考えることはできません。相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)についてはたくさん述べたので、以下では他の現象に対する自因感を見ていきましょう。

例1) 伝えたいことが相手に伝わらないことに対する自因感

この自因感は ほどほどにあるといいでしょう。「何で理解できないんだ!自分はわかりやすく伝えているのに!」とイライラするときは、伝わらないことに対する自因感(自分次第という前提)が過剰ですよね。相手側の要因が大きいと感じれば、伝わらなくても当然だと思いますからね。

例2) 我が子の成長に対する自因感

この自因感が弱くて 「自分が育てたからというよりは、この子がいろいろがんばって成長したのだ」と感じたとしても、それが喜びなら それもいいですよね。

例3) 相手がこちら(自分)をほめたこと に対する自因感

この自因感が弱くて 「自分はほめられるほどのことはしてないけど、相手は自分を励ましたいのだな」と感じたとしても、そのような相手の思いを意気に感じるなら それもいいですよね。

例2と例3のような ポジティブな現象に対する自因感は いわゆる自己効力感に近いですね。自己効力感自体は良いのですが、[相手の言動や感情に対する自因感が常に強いがゆえに、相手の言動や感情がポジティブなときには自己効力感が高まり、ネガティブなときには嫌な気持ちになる] という人の場合は、相手の言動や感情に対する自因感が諸刃の剣ですよね。

逆に、相手の言動や感情に対する自因感が常に弱ければ、相手の言動や感情がポジティブなときには喜びなどが感じられ(例2と例3を参照)、ネガティブなときには嫌な気持ちになりませんよね。

もちろん、本サイトの内容を理解したことで 相手の嫌な気持ちに対する自因感(B)だけが弱まり、相手のポジティブな言動や感情に対する自因感(≒自己効力感)はほどほどにある、というのもバランスが良いでしょう。

おわりに

人類は、互いに 相手の嫌な気持ちに対して嫌な気持ちになる という連鎖に さいなまれてきました。

「昔はよく嫌な気持ちになったなぁ。自因感の概念を知らなかったから」――そう言える日がみなさんに来ますように。