相手が☹ (こちらに対して) だと自分も☹になりやすい ですよね。
例1) ミスした子に 親が強い口調に → 子が不満げに → 親が怒る → 子が泣く → …
例2) 「花子から悪く思われている」 と感じた太郎が ストレスを感じる → 太郎のピリピリした雰囲気を感じた花子が 嫌な気持ちに → …
相手が☹だと自分も☹になるのは あたりまえ と思われてきましたが、よくよく考えてみると ふしぎな現象ですよね。
どんな現象にも原因がありますが、☹になる原因は解明されていませんでした。
それでは、☹の原因(実体) とは いったい何なのでしょうか?
天気に対する自因感を例に考えてみましょう。 現象の原因を知らないと自因感をもちやすく、原因を知ると自因感は弱まっていくことがわかります。 ……… ♯1 「私のせいだ」 ♯2 「私の何が」 (何が悪い など) ♯3 「私は〇〇なのに!」 (○○ = 悪くない・利他的 など)くわしくは こちら
昔 わたしたちは、(日ごろの行いなど) 自分(たち)しだいで天気は変わると感じていました。
しかし、科学的な原因を知ることによって、天気に対する自因感は弱まっていきました。
→ ♯4は ♯3なしには生じません。
A = 「相手は☹だ」 と思う
B = 相手の気持ちに対する自因感
C = 「私は相手を☹にさせたくない」
A&B&C = 「私は相手を☹にさせたくないのに、私が相手を☹にさせた」
☹になるために必要なものは何か、考えてみましょう。
まず、必要なのは Aであって、[相手が実際に☹であること] ではない ですよね。
そもそも、[相手が実際に☹なのか] は知りようがありませんので。
次に、前章の♯1~4 が1つもなければ (相手の☹を、理不尽だとも 自分のせいだとも 感じなければ) 心おだやかです。
ということは、☹になるときには 必ずBが作用していますね。
A・B・Cがそろって はじめて ☹になりますね。
以上より、A&B&C が原因(あるいは しくみ・実体) だとわかります。A′= 「相手の状況が悪い」 と思う
B′= 相手の状況に対する自因感
C′= 「私は相手の状況を悪くさせたくない」
A′&B′&C′= 「私は相手の状況を悪くさせたくないのに、私が相手の状況を悪くさせた」
☆ 何かをうまくできない子に対する親の☹が A′&B′&C′ の典型例です。 ☆ 証明は A&B&C のと同様です。「何度も言ったのに」 などは自因感の証(あかし)ですよね。 ☆ A′とC′があっても B′がなければ冷静に対処できる、というのも A&B&C と同様ですね。 ☆ ☹に対して☹になるのを 互いにくりかえすときの、発端の☹の原因の1つが A′&B′&C′ です。くわしくは こちら
なお、発端の☹の原因のもう1つは、一方が実際には☹でないのに 他方が A&B&C になることです。
相手の☹の原因は相手の A&B&C(A′&B′&C′) だと知ると、
「少なくとも 相手のBとC(B′とC′)は (自分によらない) 相手の性質だ」 と気づくので、次のようになっていきます。
☆ 「私うんぬんではなく、相手が☹になるのは 理にかなっている (ごく自然だ)」 と感じます。
例) 見下されたときに 「見下したいんだな。そりゃそうだよね (私うんぬんではなく)」 と思う。
BとC(B′とC′) をもつ人は、A(A′) が生じたら最後、A&B&C(A′&B′&C′) が完成してしまうので、以下になりがちです。
☆ 自責☆ 他責
「☹になるな!」 とか 「失敗するな!」 と相手を責め、
不寛容・批判・威圧・暴力・虐待・いじめ などに至ります。
☆ 利他的にふるまいたくない
利他的にふるまったのに 相手が☹(次の☆)だと、BとCをもつ人は 「私は相手を☹にさせたくないのに、どうやっても 私が 相手を☹にさせてしまう」 と"絶望"します。
・相手の反応しだいで"絶望"することになるので、怖くて 利他的にふるまえなく なりますよね。
・わざと人に迷惑をかけて 「それでも私は許される (相手を☹にさせない) のだ」 と感じることによって、積年の"絶望"をうめあわせようとする人もいます。
☆ 利他的にふるまわれると ☹になる
「誰だって利他的にふるまいたくないはず(前の☆)。なのに 利他的にふるまってくる相手は ☹だろう」 と思う(A)と、BとCをもつ人は☹になります。
☆ その他
・人(評価)に依存・過剰な承認欲求: [相手が☹でないこと] を求めている状態
・対人の不安・緊張
・人を避ける
………………
C(C′)があるのに、B(B′)の作用によって 利他的にふるまえなくなる、という逆転現象の例を挙げます。 親切にされたとします。 自分が待ち合わせに遅れて 「相手は怒っている」と感じたとします。 会話で意図がなかなか伝わらないとします。話し手・聞き手の いずれの立場でも、【利他的なふるまいの補足】
・自因感が弱いと、自分がどう ではなく、相手の厚意をねぎらいたくて感謝を伝えます。
・自因感が強いと、相手よりも自分にフォーカスして 「私が気を遣わせてしまった。私は頼んでないのに (不満)」 とか 「親切にされたのは私に価値があるからだ」と思い、感謝は生じません。
・自因感が弱いと、自分がどう ではなく、待ってくれた相手をいたわりたくて謝ります。
・自因感が強いと、相手よりも自分にフォーカスして 「(電車が遅れたからで) 私は悪くないから」 謝らなかったり、謝るものの 反省にとどまらず自分を責め続けてしまいます。
・自因感が弱いと、☹にならずに 歩み寄り (伝える工夫や理解する努力) を続けられます。
・自因感が強いと、「私は歩み寄っているのに 何で…」 と不満(☹)になったり、☹な相手に☹になり、歩み寄れなくなります。
・自因感が弱いと、「十分にがんばったと私は思うけど、もっとがんばっていれば という気持ちなんだね」 と寄りそうことができます。
・自因感が強いと、「十分にがんばったと言っているのに、いつまで嘆くんだ」 となり、相手は 「責められた」 とか 「共感してもらえない」 と感じます。
・このホームページで ☹という記号を使う理由は、本人の心理状態だけでなく、相手に与える印象も 読者にイメージしやすくするためです。 ・[ストレス]などの語は、A&B&C(A′&B′&C′) を指すとも、A&B&C(A′&B′&C′) の結果生じた心理状態を指すともいえます。 ・自因感の強い人に 「相手の☹は相手の課題ですよ」 と助言しても 自因感を弱められないのは、 ・☹の原因は自分も相手も同じですが、相手の☹の原因を意識する (正確に相手の心を思いやる) のが効果的です。 ・C(C′)が存在するのに 利他的にふるまえない・他責的になる、という逆転現象は B(B′)がなければ起こりません。 ・「自因感があるのに他責に至るのは 矛盾では?」 という疑問にお答えします。【その他の補足】
花子にストレスを感じている太郎を、花子は次のように感じやすいですよね:
ピリピリしてる・不満げ・不機嫌・嫌っている・ため息をつかれた・がっかりされた・嘆き悲しまれた・冷たい・やさしくない など。
そのため、タイトルの[実体]は、しくみ や原因と言いかえることもできます。
また、タイトルの[対人]は人間関係などに、[ストレス]は嫌な気持ちなどに おきかえることができます。
昔の人に 「天気は あなたたちとは関係ないですよ」 と助言しても 自因感を弱められないのと同じですよね。
何に対する自因感か を確認してみましょう。Bは [相手の気持ち] に対する自因感、B′は [相手の状況] に対する自因感 ですね。
[自分の怒りや不満] に対する自因感ではありませんので、「私を怒らせるな」 などと相手を責めることと矛盾しません。
相手のおだやかな反応については、それを生じさせたのは自分と相手の両方だ と感じるのは自然でしょう。
一方、相手の☹は A&B&C(A′&B′&C′) なので、自分はあまり影響を及ぼせない と感じるのではないでしょうか。
特に、自分はおだやかで相手に圧をかけていない (あるいは、自分の状況は悪くない) と思うときに 相手が☹である場合は、なおさらです。
・人間関係・勉強・仕事などがうまくいかない人に対し、親・教師・上司などが不機嫌・嘆く・怒る。 ・怒られて怒る、怒られて傷つく、ため息をつかれて不快、不機嫌な相手に不満、などなど。 ・道ですれ違う相手の☹な視線や 道をゆずらない相手 に対してストレス。 ・すれ違う時によけない・自分からは挨拶したくない・見返りを求める。 ・攻撃的な運転をする。 ・見下されるとストレス。 ・自分はおだやかにふるまっているのに、にらまれる。 ・進路に立っている人に動いてほしい時に 「すみません」 と言えない。 ・ありがとうやごめんを言わない。 ・怒られたり失望されるのを恐れて 悩みを相談せず抱え込む。 ・手厚く対応してもらえないと 落ち込んだり怒る。 ・分かってもらえない・言うことを聞いてもらえない と☹ ・人の意見に反発・不寛容。人を批判したがる。 ・嫉妬【具体例集】
← A′&B′&C′
← A&B&C
← A&B&C
自因感がなければ、「相手が道をゆずらないのは、(私が悪いからでも、私に通る権利がないからでも なく) 相手がそうしたいから」 という感覚なので平気です。
← [利他的にふるまったのに相手が☹な場合] の"絶望"(←A&B&C) を恐れて 利他的にふるまえない。
← BとCをもつ人が、他の車の敵意や悪意を感じて(A)。
← BとCをもつ人が、敵意や嫌悪感をいだかれたと感じて(A)。
見下されたときのストレスが強い人の一部が、他人を見下すと考えられます。
← BとCをもつ相手がこちらの☹を警戒・想定している(A)。
← 自因感が強いと 「すみません」=「私が悪い」 という意味合いになるため。
← 自因感が強いと 感謝や謝罪が苦痛になるため。
← A&B&C
← BとCをもつ人が、相手を不親切(冷たい)と感じて(A)。
← BとCをもつ人が、相手を不機嫌とか冷たいと感じて(A)。
← BとCをもつ人が、意見を言われると批判された(嫌われた・怒られた)ように感じて(A)。
← BとCをもつ人が、相手からの嫌味や第三者からの落胆や批判を想定して(A)。
また、相手との差について、自分の能力や努力が足りないのが原因と感じて(B)。
← A&B&C(A′&B′&C′) による自責のくり返し。
なお、自因感が弱い人は、対人で喜んだり反省することはあっても、自分自身を特には肯定も否定もしないと考えられます。
A&B&C(A′&B′&C′) の結果生じた自責(自己否定)を埋め合わせるものとして、自尊心や自己肯定感という概念が生まれたのでしょう。
対人ストレスを減らす方法として、従来は Aに関する対策が重視されていました。 ☆ 相手が実際には☹でないときにも Aが生じやすい・「相手が☹になるのでは」 と恐れている ☆ 実際に相手の☹を引き起こしやすい【Aに関する対策】
この性質ゆえに、相手の状態によらず常に (ほぼ)A&B&C になっている人は たくさんいます。
そのような人に対して、「相手が☹だとは限らないですよ」 とか 「相手が☹になる可能性は低いですよ」 と助言しても、あまり効果はありませんよね。
自因感が強い限り、相手の☹を恐れるがゆえに、相手が☹である(相手が☹になる) 可能性を重視してしまうからです。
この性質の主な要因としては、ミスが多いこと・失礼が多いこと・☹になりやすいこと が挙げられます。
行われている対策と その問題点は以下のとおりです。
・ミスを減らす工夫をしたり、失礼のないように対人スキルを身につける。
→ これに偏ると できない自分を責めてしまいます。
・自分の☹を相手に気づかれないようにする。
→ 隠しきれないことが多いです。
・怒らないで などと相手にお願いする。
→ 火に油になりがちです。
・「ミスや失礼や☹は 私の性質 (私の側の問題) なのです」 という旨を相手に伝える。
→ 相手の自因感を少し弱められるかもしれません。内心では自分を責めないことが大切です。
☹の原因が A&B&C(A′&B′&C′) なのは、1つの見方というよりは、論理的に一意に定まるものですが、あえて他の可能性を検討してみましょう。 ・「相手に求める・期待するから」、「相手をコントロールしようとするから」 ・「自尊心が傷つくから」 ・「過敏だから」 ・「自意識過剰だから」【☹の原因は他にある?】
何を期待するのかというと、相手が☹でないことや 相手の状況が悪くないこと です。
なぜ期待してしまうのかというと、相手の☹や 相手の状況が悪いこと が苦痛だからですよね。
なぜ苦痛なのかというと、A&B&C(A′&B′&C′) です。
つまり、相手に求めたり相手をコントロールしようとするのは A&B&C(A′&B′&C′) の結果です。
自尊心は [自分が自分をどう思うか] の一種です。
「相手は私を悪く思っている」 と感じても、自因感がなければ [自分が自分をどう思うか] には影響しません。
自尊心が傷つくのは、A&B&C(A′&B′&C′) の結果ですね。
相手の気持ちや相手の状況 に対して過敏、つまり A(A′)が生じやすい、というだけでは☹になりません。
☹になるときには BとC(B′とC′)も作用していますよね。
A(A′)が生じやすくても B(B′)が弱ければ、それは おだやかに 相手に心配りをしている状態です。
自意識過剰というのは、Aの生じやすさ、またはAとBを区別せずに混同したもの を指すと思われます。
PTSDをもつ人には 恐怖の原因になりえます。
☆ 精神疾患と対人ストレス ☆ 発達障害の診断と対人ストレス【精神疾患との関係】
・統合失調症の妄想や幻聴の多くは 人から悪く思われる内容です。
・双極性障害では、対人ストレスをきっかけに うつになったり、対人の怒りをきっかけに 躁になる人もいます。
・[うつ病 ← 過労 ← 仕事を抱え込む ← 怒られるのが怖い] のように対人ストレスに起因するケースはよくみられます。
・摂食障害・依存症・不安症・強迫症などの症状も 対人ストレスから派生しているように思われます。
・「人の気持ちが分からない私は自閉症スペクトラムだと思う」と受診するも自閉症傾向はみられず、よく聞くと 「あなたは人の気持ちが分からず私を怒らせる」 と親から責められるのがつらい、と。
→ このケースの本質は、親(BとCあり)が 子に察してもらえないと冷たくされたと感じ(A)て ☹になり、それに対して子(BとCあり)が☹になる、という双方の A&B&C です。
・不注意が多くなくても、ミスのたびに親などが☹ (A′&B′&C′) になり、それに対する本人の☹ (A&B&C) が強ければ、本人も親も 「不注意による支障や苦痛が大きい。ADHDだと思う」 と訴えて受診します。
精神疾患の治療や研究においては、ストレスの発生そのもの よりも、ストレス発生前(遺伝子や特性など)とストレス発生後(症状など)の関係が重視されがちですが、それでよいのでしょうか。
例えば ウイルスなら、感染時の症状から人を[無症状型]・[発熱型]・[発疹型]などと分類した上で 遺伝子を比べたり治療をするよりも、ウイルスそのものを標的にする方が近道ですよね。
ウイルスをストレスに置き換えても同様です。
また、以下の可能性もあるので、症状や診断ごとの治療や研究は もぐらたたきの懸念があります。
・時代とともに精神症状が変化する(昔は摂食障害は存在しなかった・依存症で新たな依存対象が出現するなど)。
・精神疾患にかかる人が減っても、ストレスの影響で 癌や虚血性心疾患や脳血管障害にかかる人が増える。
・1つの疾患が治った人に別の疾患が生じる。
ストレスを標的にする方が根治的ですよね。
わたしたちは ☹の原因を知らぬがゆえに 自因感にさいなまれ、互いに☹になることをくりかえしてきました (怒られたら嫌な気持ちになるのが あたりまえ でした)。 幽霊の正体見たり枯れ尾花― ☹の原因を 多くの方に知っていただけますと幸いです。【おわりに】