対人ストレスの実体 A&B&C

はじめに

このホームページでは、
● 危害も損失もない場面だけを扱います。
● 相手に対して穏やかでないことを ☹ とあらわします。[相手が☹]とは、相手がこちら(自分)に対して穏やかでないことを意味します。
● ☹の原因、つまり、対人ストレス(などと呼ばれているもの)の実体 を解明します。

危害も損失もないのに☹になるなんて不思議ですよね。どんな現象にも必ず原因がありますが、☹になる原因は 未解明でした。以下で ☹の原因を論理的に考えていきましょう。

(補足)
・☹には、怒り・嫌だ・不快・不満・がっかり・悲しみ・傷つき などが含まれます。
これらの種々の感情の境界はあいまいです。例えば、相手に対して「そんなことをするなんて、ひどい!」と言うのは、嘆き悲しんでいるとも怒っているとも言えますよね(相手からは「怒られた」と思われがちです)。

・自分の☹も相手の☹も、同じ性質・同じ原因です。
わたしたちは、自分が☹なときも 相手が☹なときも 「つらいのは 相手ではなく 自分だ」と感じがちですが、「自分の☹は同情に値するもので、相手の☹は不快なものだ」という主張は無理がありますよね。

自因感

● ある現象に対していだく、「自分が生じさせた(自分の影響が及んだ結果だ)」・「それが起こるかは自分しだいだ」という感覚を 自因感 と呼ぶことにしましょう。
● 自因感がない とは、「自分がどうであるかに関係なくその現象は生じる」・「自分によらない独立した現象だ」 という感覚です。
● 現象の原因を知ると 自因感をいだきにくくなります。

人に限らず動物は、さまざまな現象に対して、自分が生じさせた現象なのか、自分によらない独立した現象なのか、を見極めながら生きています。
例えば、地面に落ちた木の実を食べて生きているリスがいるとしましょう。ある日、リスが木の周りを走り回っていると木の実が落ちてきました。リスは 「自分が木の周りを走ったから木の実が落ちてきたのだ」と思いました(木の実の落下に対する自因感)。そこで翌日も木の周りを走ってみましたが、木の実は落ちてきません。リスが走るのをやめてしばらくすると強い風が吹き、木の実が落ちてきました。「前に木の実が落ちてきたときも、そういえば強風だったな。どうやら風で木の実が落ちることが多いようだ。自分の行動は関係なかったのだ」と気づけば、木の実の落下に対する自因感はなくなります。
他の例として、「てるてる坊主を作ったから晴れた」というのは天気に対する自因感ですが、天気の科学的な原因を知っている人は天気に自因感をいだきませんよね。

「自分は○○なのに!」・「△△される筋合いはない」・「理不尽だ」・「何でだ!」という思いは、自因感が存在する証です。
・「自分がどうであるかに関係なく起こる現象だ」と知っていれば(自因感がなければ)、「木の周りを走ったのに 木の実が落ちてこないなんて おかしい!」とか「てるてる坊主を作ったのに 雨に降られるなんて 何でだ!」と思うことはないですよね。
・「△△される筋合いはない」は「自分は○○だから △△される筋合いはない」、「理不尽だ」は 「自分は○○なのに △△されるなんて理不尽だ」という意味なので、いずれも「自分しだいだ」という前提に立っていることが分かります。
・「自分が原因 にしては、おかしいぞ」と感じているのに 「自分によらない独立した現象だ」とは考えられないわけですから、自因感は根深いですね。

☹の原因 A&B&C

☹になりやすい次のような場面で考えてみましょう。
・相手が☹(相手から怒られる・嫌がられる・悲しまれるなど)。
・相手が不機嫌。
・相手(我が子など)が何かをうまくできない。
これらの場面の共通点は、相手を「つらそうだ」と感じることです。

相手の状態に対する自因感がなければ(「自分が○○だからだ」という思いも「自分は○○なのに!」という思いもなければ)、つまり、「自分がどうであるかに関係なく 相手がそうなっている」と感じていれば、自分は☹になりませんよね。
ゆえに、☹になるときには必ず 相手の状態に対する自因感があります。「何で返事しないの?やさしく話しかけたのに!」や 「何でできないの?何度も言ったのに!」は自因感の証ですね。

しかし、自因感だけでは ☹の原因になりません。「相手をつらくさせたのは自分だ」と感じても、「それでいい」とか 「しめしめ」と思ったら、☹になりませんからね。
☹になるからには、「自分が相手をつらくさせるなんて 嫌だ」という思いも必ず存在します。この思いと自因感が合わさると、☹になる原因として十分ですね。

ところで、相手がつらくないときに 自分が「相手はつらそうだ」と思うこともありますので、つらそうな相手に対して☹になる、を正確に言い直すと、「相手はつらそうだ」と思って☹になる、ですね。

以上をまとめると、☹の原因は次のA&B&C(A,B,Cがそろうこと)だと分かります。

A 「相手はつらそうだ」
 B 相手の状態に対する自因感
 C 「自分が相手をつらくさせるなんて 嫌だ」

(補足)
・Bは 「自分の力が足りないことによって 相手がそうなっている」という意味合いも含みます。

・Bがなければ、相手をかわいそうと思っても 取り乱さずに やさしい気持ちでいられます。
例) 「うまくできなくて大変そうだな。見守るか助言しよう」、「こちらに対して怒って苦しそうだな。刺激しないようにしよう」

・このホームページのタイトルの対人ストレスという語は A&B&Cに対する呼び方の一例に過ぎません。A&B&Cを対人の葛藤・パニック・苦悩・モヤモヤなどと呼んでもよいでしょう。

自因感がなければ起こらない現象

以下はどれも、A&B&Cの結果か、A&B&Cが完成することを恐れる(BとCをもつ人がAが生じるのを恐れる)がゆえに起こる現象なので、自因感が弱まらない限り 根本的には解消されません。

☆ 人に穏やかでない・人に寛容でない。
☆ 穏やかでない人や寛容でない人を嫌う。
☆ 怒られて怒る・怒られて傷つく・嫌われて落ち込む・悪く言われて腹が立つ・泣かれるとイライラ・ため息や舌打ちをされると嫌・不機嫌な相手に不満、 などなど。
☆ 相手から怒られて 「納得いかない。自分は悪くないのに 何でだ! 相手はバカだ!」(自因感に対抗するために 「相手はバカだから怒っているのだ」と自分に言い聞かせている)。
☆ 何かをうまくできない子に対し、親が悲しむ・がっかりする・怒る(「失敗するな!」)。それに対して子が心を痛める。
☆ 自分がうまくできないときの相手の反応を恐れて人と関われない。失望されたり怒られるのを恐れて 相談できない。
☆ 人からどう思われるかを恐れる・人(評価)に依存する・過剰な承認欲求(相手は○○すべきだと期待し過ぎる)・人をコントロールしようとする
いずれも相手の☹を恐れるがゆえの性質です。
☆ 期待した反応が返ってこなかった、などで傷ついた結果、暴言をはいたり無視をする(虐待、一部のいじめ)。
☆ 攻撃的な運転をする(他のドライバーへの怒り)。
この場合のAは、他のドライバーから向けられた怒りを感じることです。
☆ 見下される・バカにされると 怒ったり傷つく。
この場合のAは、嫌われている(つまり 相手が嫌な思いをしている)と感じることです。
☆ きちんと対応してもらえないと 怒ったり傷つく。
この場合のAは、冷たくされた(嫌われている)と感じることです。
☆ 聞き返されると 怒ったり傷つく。
この場合のAは、聞き返されると(自分の伝え方が悪いのだと)責められた(怒られた)と感じることです。
☆ 人の意見に反発・批判したがる(自分が正しいと主張したがる)。
この場合のAは、人から意見を言われると批判された(嫌われた・怒られた)と感じることです。
☆ 何もしていないのに にらまれる(相手のA&B&C)。
この場合の相手のAは、相手がこちらから嫌われるなどを想定(警戒)していることです。
☆ 自分で苦しむほどの完璧主義 (絶対に相手を☹にさせないように、自分のミスを許せない)。
☆ 「あなたはバカだ」と言われて 真に受ける。
「バカだ」という発言は怒りや嫌悪感のあらわれですよね。相手の怒りや嫌悪感に対する自因感が、真に受ける原因です。
☆ 自己肯定感が低い。
相手の☹に対して自責の念にかられることを繰り返してきた結果だと考えられます。
☆ 利他的に行動するのが怖い・意地悪をする。
次の3つを比べてみましょう。
 ① 意地悪したら 嫌がられた。
 ② 何もしなくて 嫌がられた。
 ③ 親切にしたら 嫌がられた。
③は いかにも相手の性質に原因がありそうですよね。そう感じられたら(bがなければ)気楽です。ところが、bがあると、「自分は親切にしたのに 何でだ!」と激怒したり、「親切にしたのに嫌がられるということは、どうやっても自分は(自分が)人を不快にさせてしまうのだ」と絶望します。そのため、親切にするのが怖くなりますよね。また、bがあると、②でさえ 「自分は何もしてないのに 何でだ!」と苦しむので、そうならないために意地悪をするようになります。bがあると、嫌がられた場合の傷つきや怒りは ①<②<③の順に大きくなりますからね。以下に例を挙げます。
・道ですれ違うときに自分からは道をゆずりたくない。
・電車から降りるときなど進路をあけてほしい時にすみませんと言えない。
・親切にされるのを嫌がる(ありがとうと言わないなど)。この場合のAは 「親切にしてくる相手はつらそうだ」と感じることで、Bは 「自分が気を遣わせてしまった」や 「自分は頼んでないのに」です。
利害がからまない状況なのに 互いに利他的に行動できない(相手の反応を恐れる) のはなぜか、お分かりいただけたかと思います。
なお、相手に穏やかであることも利他的な行動に含めると、利他的に行動できないことは A&B&Cそのものだ と考えることもできます:
 Aが生じると、利他的な思い(C)はあるのに、Bがあるがゆえに、☹になってしまう(相手に穏やかでいられない=利他的に行動できない)。

相手の☹の原因を知ると…

☹にまつわる現象の根本的な原因がA&B&Cであることは 前章でご理解いただけたかと思います。
しかし、A&B&Cを自覚できても Bを抑えるのは困難です。
自因感の章で述べたように、自因感は、現象の原因を知ることによって自ずと弱まるものだからです。

相手の☹の原因が相手のA&B&Cだ と知ると、次のように感じて、Bが弱まります。
☆ 「相手のBとCは相手の性質なので、相手の☹は相手の性質によるところが大きい」
自分が穏やか(かつ、つらそうだと心配される状況ではない)なら、「相手のAにすら自分は関与していないので、相手の☹の原因は全て相手の中にある」
☆ 「相手にA&B&Cがある以上、相手が☹になるのは当然だ(理にかなっている)」

Bが弱まると、
☆ A&B&Cが成立しなくなるので、相手の☹に対して☹にならなくなります。
☆ 相手の☹に対して、Cに沿って そっとしておく・やさしくするなど利他的に行動しやすくなります。
☆ 怒られたり嫌われても、相手の☹を背負うことなく、相手の意見だけを冷静に受け止められます。

相手の自因感に気づくと、次のような効果もあります。
自分が相手にいだく自因感は自然なものと感じられますが、相手からいだかれる自因感には違和感をもつことができます。例をみてみましょう。
・自分は相手への不満をこらえて笑顔でいる。それに対して相手は「私が良い人だからだ」と安心する。
・自分は空腹のため機嫌が悪い。それに対して相手は「私の何が!」と落ち込んだり怒る。
いずれの例でも 「自分は相手を映す鏡なんかじゃない。自分は独立した心をもっているんだ」と感じますよね。
自分と相手を入れ替えて考えると、自分が相手にいだく自因感にも違和感をもてるのではないでしょうか。

精神疾患とA&B&C

☆ A&B&Cは 精神疾患の発病や経過に関係します。
・怒られるのが怖くて上司に相談できずに仕事を抱え込んだ結果 過労になり うつ病を発症、というようにA&B&Cに起因するケースは多々あります。
・統合失調症の妄想や幻聴のほとんどは 人から悪く思われる(相手が☹である)内容です。
・双極性障害では 傷つきをきっかけに うつになったり、怒りをきっかけに躁になる人もいます。
・強迫症の「自分が念じないと人に不幸が起きてしまう」などの観念は自因感そのものですね。
・摂食障害・依存症・不安症・パーソナリティ障害の症状も A&B&Cから派生しているように思われます。

A&B&Cが続いた結果 発病するかしないか(何を発病するか)には 遺伝や環境が関係しますが、そもそもA&B&Cがなければ精神疾患を発病することはほとんどないのかもしれません。

☆ 発達障害と思われがちなケースでも…
・ミスが多くなくても、ミスのたびに親がA&B&Cになり(☹)、それに対する本人のA&B&Cが強ければ、「不注意で支障や苦痛が大きい」と受診します。
・「あなたは人の気持ちが分からず いつも私を怒らせる」と親から責められるのがつらくて受診するも、自閉症傾向はみられず、というケースの本質は、親(BとCあり)が 子に察してもらえないと冷たくされた(嫌われた)と感じ(A)て ☹になり、それに対して子(BとCあり)が☹になる、という双方のA&B&Cです。

☆ A&B&Cを標的にする意義
精神疾患の治療や研究の多くは、症状や診断に基づいて行われてきましたが、それでは もぐらたたきの懸念があります。理由は以下のとおりです。
・時代とともに精神症状は変化する(昔は摂食障害はなかった・依存症で新たな依存対象が出現するなど)。
・精神疾患にかかる人が減っても、ストレスの影響で 癌や虚血性心疾患や脳血管障害にかかる人が増える可能性がある。
・1つの疾患が治った人に別の疾患が生じることもある。

A&B&Cが解明されたことにより、根本的な解決が期待されます。

おわりに―知ると知らぬじゃ別世界

わたしたちは ☹の原因を知らずに、互いに☹になることをくりかえしてきました。

☹の原因を知らない限り、「相手の☹は相手の問題だよ」と言われても 自因感は弱まりませんよね。
これは、天気の原因を知らない昔の人に 「天気はあなたしだいではないよ」と伝えても 全く響かないのと同じです。

相手の☹の原因を知ることによって、相手の☹に対して☹にならなくなっていくでしょう。