自因感――対人ストレスの要――

ヒトなどの動物は、身のまわりの現象が自分の影響で起きるのか否か を感じながら生きています。
例1 ある日 リスが走っていると木の実が落ちてきました。リスは 「自分が走ったから木の実が落ちた」と思いました。そこで翌日も木のまわりを走りましたが、木の実は落ちてきません。リスは 「こんなに走ったのに」と嘆きました。走るのをやめてしばらくすると風が吹き、木の実が落ちてきました。そこでリスは気づきました。「前に木の実が落ちたときも風が吹いていたぞ。木の実は風で落ちることが多いようだ。自分の行動は関係なかったのだ」と。
例2 「お供えをしたのに 嵐がくるなんて」というように、昔の人は 自分(たち)が天気に影響すると思っていました。今のわたしたちがそう思わないのは、天気のしくみを知ったからですね。

自因感の定義

ある現象に対して 「自分の影響でそれは起きる (だから それが起きるかは自分しだいだ)」と感じる――この感覚を 自因感 と呼びましょう。自分の影響で起きるという前提に立っている(ことを自覚していない)状態も 自因感に含めます。

自因感がない とは、「自分がどうかに関係なく(自分とは独立して)その現象は起きる」と感じる状態です。

自因感の証

ある現象に対して以下の思いをいだいているときには必ず自因感があります (上の例1,2などでご確認ください)。

証1 「自分のせいだ」・「自分の何が」

証2 「自分は○○なのに」・「納得できない」

自因感がなければ、「(自分以外の要因によるものだから)その現象が起きても不思議ではない」と納得できますよね。

自因感を知ると 証2のタイプの自因感は消える

みなさんは証2の矛盾にお気づきですか? 「その現象が自分の影響によるものだとすると、つじつまが合わない」と思っているのに、「自分の影響によるものではない」と思えないなんて――この矛盾から目をそむけなければ、もう証2には陥りません(証2のタイプの対人ストレスも消えます)。証2は、自分の影響で起きるという前提に立っている自覚がないからこその思いですね。

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以下では、相手に対して嫌な気持ちになっている(ストレスを感じている)状態を ☹ とあらわします。相手の☹・相手が☹ とは、相手がこちら(自分)に対して嫌な気持ちであることを意味します。

相手の☹に対して☹になるしくみ:A&B&C

相手の☹に対して☹になるための条件を論理的に特定していきましょう。

A 「相手は☹だ」

相手の☹に対して☹になる、を正確に言いなおすと、「相手は☹だ」と思って☹になる です。相手が実際には☹でないのに 自分が「相手は☹だ」と思うこともあれば、相手が実際には☹なのに 自分がそれに気づかないこともありますからね。

B 相手の☹に対する自因感

「自分がどうかに関係なく相手は☹になる」と感じていれば、相手(嫌な気持ちになっている)をかわいそうと思うことはあっても、嫌な気持ちにはなりませんよね。ゆえに、相手の☹に対して☹になるときには 必ず自因感があります。

別の角度から 自因感の有無をたしかめるために、相手の☹に納得しているか で場合分けしましょう。

● 相手の☹に納得している場合
基本的には☹にならないでしょう。唯一の例外は 「自分のせいだ」と納得している場合で、このときは☹になりえますね。

● 相手の☹に納得していない場合
☹になりえますよね。

ゆえに、相手の☹に対して☹になるとしたら必ず 自因感の証1か証2がある、つまり、自因感があることがわかります。

C 「自分は相手を☹にさせたくない」

AとBがそろっても (「自分の影響で相手が嫌な気持ちになった」と感じても)、「それでいい」とか「しめしめ」と思ったら☹になりませんよね。ゆえに、相手の☹に対して☹になるときには 必ず「自分は相手を☹にさせたくない」という思いがあります。

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以上のように、A&B&C(A,B,Cがそろうこと)は 相手の☹に対して☹になるための必要条件です。

一方、A&B&Cならば 嫌な気持ち(ストレス)になりますので、A&B&Cは 相手の☹に対して☹になるための十分条件です。

よって、A&B&Cは 必要十分条件、つまり、相手の☹に対して☹になるという現象の実体(しくみ)です。

[相手が☹になること]を恐れるしくみ:B&C

わたしたちは BとCがそろう(B&C)ときに限り [相手が☹になること]を恐れます。Aが加わるとA&B&Cが完成してしまうからです。

(A&)B&Cの具体例など

A&B&Cの例

・○○されると △△になる (○○,△△ に入るのは… 嫌う・不快に思う・怒る・にらむ・舌打ち・ため息・落ち込む・泣く などなど)
自因感がなければ、ネガティブな感情をいだかれても平気(穏やか・寛容)ですよね。
【仮説:ネガティブな感情をいだかれたと感じたときに 暴言をはいたり無視をするのが、虐待や 一部のいじめのしくみです。】

・見下される・バカにされる・邪険にされると、傷ついたり怒る。
自因感がなければ 「見下したいのだな」と思うだけですよね。

・意見を言われて 批判された(嫌われた・怒られた)と感じたときに、怒って反発する(自分が正しいと主張したがる)。

・待ち合わせに外的要因で遅刻して 怒られたときに、
「自分は悪くないのに。怒られる筋合いはない」と思ったら(相手の怒りに対する自因感が強ければ)、謝る気になりません。
自分がどうこうではなく、待たされた相手の気持ちを思いやると、謝りたくなりますよね。

B&Cで、[相手が☹になること]を恐れる例 ・[相手が☹になること]を警戒して険しい表情になる。
・相手に(☹になるんじゃないぞと)威圧的な態度をとる。
・嫌われたり怒られるのを恐れて、人に相談や頼みごとをできない。

(A&)B&C によって形成されていく性質 ・人の感情(相手の☹)に過敏・人からどう思われるか(相手の☹)を恐れる・評価(相手が☹かどうか)に依存する・過剰な承認欲求([相手が☹でないこと]を求め過ぎる)
・【仮説:自己肯定感が低いのは、相手の☹に対する自責の念 が積み重なった状態です。】
・【仮説:自分で苦しむほどの完璧主義は、絶対に相手が☹にならないように という思いです。】
・【仮説:死にたくなるのは、生きている限り 相手が☹になる可能性から逃れられないからです。】

利他的に行動したくない からくり:B&C

人とすれちがうときに自分から道をゆずりたくないのは なぜでしょうか。論理的に解明しましょう。

みなさんは 次のどちらが嫌な気持ちになりますか?
 ① 意地悪したら 嫌な顔をされた。
 ② 親切にしたら 嫌な顔をされた。
②は いかにも相手の性質によるものでしょう。そう感じられたら(つまり 自因感がなければ)嫌な気持ちになりませんよね。ゆえに、②で嫌な気持ちになるとしたら 必ず自因感(B)があります。同時に、Cも必ずありますね(相手の☹に対して☹になるしくみ の章を参照)。B&Cがあると、②のときに 「最善を尽くしても 自分は(悪い影響を及ぼして)相手を嫌な気持ちにさせてしまう」と感じられて絶望するので、「親切にしたのに何でだ!!」と激怒したりします。一方、①なら 「自分は○○なのに何でだ!!」と苦しまずに済みますよね。このように、B&Cがあると 嫌な顔をされた場合の傷つきや怒りは ①<② となります。これは、①と②の[嫌な顔をされた]を[意地悪された]に置き換えても成立します(わたしたちは「意地悪してくる相手は こちらを嫌っている」と感じますからね)。つまり、B&Cがあると 自分と相手の行動の"利他度"の差が大きいほど 傷つきや怒りは大きくなります。だから わたしたちは(利他的に応じてもらえる確証がない限り)利他的に行動したくないのですね。

なお、②の [親切にされて 嫌な顔になる]しくみはA&B&Cです。
・この場合のAは 「親切にしてくる相手は 内心 嫌そうだ」と感じることです。そう感じる理由は、親切にするのは(②のリスクゆえ)苦痛だ と思うからです。
・親切にされたときに 「自分が気を遣わせてしまった」とか 「自分は頼んでないのに」と思うのは、Bがある証ですね。

相手の☹を背負わなくていい根拠

相手が☹になるしくみで多いのはA&B&Cでしょう。この場合、BとCは相手自身の性質ですね。さらに、自分が☹でなければ(☹だと誤解される言動もなければ)、Aも相手自身の性質ですよね。

A&B&C以外でも相手は☹になります。よくあるのは、相手がこちらに 「何でできないんだ」とか「何でちゃんと行動しないんだ」と怒るようなパターンです。この場合、相手はこちらの行動に自因感をいだいています(「何度も言ったのに」・「自分の子なのに」・「自分はちゃんと行動しているのに」など)。何かをできない人に対して自因感がなければ、感情的にならずに冷静に対応できますよね。

以上のように 相手の☹のしくみを知ると、「相手は自因感(など)があるのだから、相手が☹になるのは当然だ」と感じられます。これすなわち自因感(B)が弱い状態ですね。Bが弱いと、A&B&Cが成立しないので☹にならない(相手の☹に心を痛めない)だけでなく、Cに沿って利他的に行動しやすくなります(相手を責めずに そっとしておくなど)。

逆に、相手の☹のしくみを知らないと、「相手の☹は相手の課題だから 背負わないで」と言われてもピンときませんよね。これは、天気のしくみを知らない昔の人に 「雨ごいをしても天気に影響しないよ」と言ってもポカンとされるのと同じです。

よくある質問

相手のどんな感情や言動に対しても 自因感がない方がいいの? 何かをして 相手に喜ばれたときや、知らずに迷惑をかけてしまい 相手が困っているときには、自因感がないのは 望ましくないですよね。自因感は、現象のしくみを知ることによって自然に調整されるのがよいでしょう。

相手の☹に対して 「相手がバカだ」と思うのは、自因感がない状態なの? 人が☹になるのは バカだからではありませんよね。「相手がバカだ」と思うのは、相手の☹に対する怒り(自因感がなければ生じない)のはけ口であるとともに、自因感に対抗すべく 「自分の影響ではない」と言い聞かせているのでしょう。

自因感という言葉ではイメージしにくいのだけど… 自因感 = 「自分の影響でそれは起きる」 = 「それは自分を反映している」 = 「それは自分を映す鏡だ」 と言いかえられます。すると、相手の☹(に透けて見える自因感)は、相手がこちらを鏡だと思ってのぞきこんでいる状態です。そのような相手を 「自分を映す鏡だ」とは思えませんよね。

精神疾患と(A&)B&C

【仮説:(A&)B&Cは 精神疾患の発病や経過に関係する】 ・怒られるのが怖くて上司に相談できずに仕事をかかえこんだ結果 過労になり うつ病になるなど、(A&)B&Cに起因するケースは多々あります。
・統合失調症の妄想や幻聴のほとんどは 人から悪く思われる(相手が☹である)内容です。
・双極性障害では 対人の傷つきをきっかけに うつになったり、怒りをきっかけに躁になることがあります。
・強迫症の「自分が念じないと人に不幸が起きてしまう」などの観念は自因感そのものですね。
・不安症の多く・摂食障害・依存症・パーソナリティ障害も(A&)B&Cがなければ生じないように思われます。

(A&)B&Cが続いた結果 精神疾患を発病するか否か・どの疾患を発病するか には遺伝や環境が関与するにせよ、そもそも(A&)B&Cがなければ 精神疾患はほとんど発生しないのかもしれません。

(A&)B&Cは発達障害と診断されがち ・不注意が多くない人でも、不注意のたびに親や教師や上司が☹になり、それに対して本人が☹になれば、「不注意による支障や苦痛が大きい」と訴えて受診します。このようなケースでも質問紙の回答は高得点となり、ADHDと診断されがちです。
・自閉症傾向の少ない人でも、「あなたは人の気持ちがわからず いつも私を怒らせる」などと親や上司から責められて☹になれば、「自分は自閉スペクトラム症ではないか」と受診します。このようなケースでも質問紙の回答は高得点となり、自閉スペクトラム症と診断されがちです。

これらのケースの本質は A&B&C(怒られて落ち込むなど)です。しかし、「怒られると嫌な気持ちになるのは当然(誰だってそう)だから、怒られないように性質や言動を変えましょう」という治療方針になることが多いのが現状です。

まとめ

わたしたちは自因感を知らずに、互いに☹になってきました。

自因感の定義から以下が論理的に導き出されました。

自因感の第0定理

 自因感の定義を知ると 証2のタイプの自因感は消える。

自因感の第1定理

 相手の☹に対して☹になるしくみはA&B&C。

自因感の第2定理

 B&Cがあると 自分と相手の行動の"利他度"の差が大きいほど傷つきや怒りは大きい。

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