利他心と自因感――対人ストレスの仕組み――
はじめに
本サイトでは、相手に対してネガティブな感情をいだいている(嫌な気持ちになっている/ストレスを感じている)状態を 😠 とあらわします。相手の😠・相手が😠 とは、相手がこちら(自分)に対してネガティブな感情をいだいている(嫌な気持ちになっている/ストレスを感じている)ことを意味します。
わたしたちは怒られたり・嫌われたり・ため息をつかれたり・にらまれたりすると 嫌な気持ちになりがち (つまり 相手の😠に対して😠になりやすい)です。相手の😠に対して😠になるのは、何となく あたりまえ と思われてきましたが、よくよく考えると不思議な現象です。相手が😠である時点で嫌な気持ちになっているのは相手だけなのに、自分まで嫌な気持ちになるなんて、謎ですよね。
相手の😠に対して😠になる仕組みを本サイトで解明しましょう。
自因感
あるなしクイズをしましょう。以下の3つの話に共通する、(ア)にあって(イ)にないものは何でしょうか。
話1
ある日、リスが木の周りを走っているとクルミが落ちてきました。「そうか!」と思ったリスは再び木の周りを走りましたが、今度はクルミは落ちてきません。
(ア) 「こんなに走ったのにクルミが落ちてこないなんて!」とリスは嘆きました。
その時、強い風が吹いて、クルミが落ちてきました。そこでリスは気づきました:
(イ) 「そういえば最初にクルミが落ちてきた時も風が吹いていたぞ。クルミが落ちるのは自分の動きとは関係ないのだ」
話2
昔々、天気を決める神様がいると信じられていた村でのこと。ある日、村は嵐に見舞われて甚大な被害を受けました。
(ア) 「たくさんお供えをしてお祈りをしたのに!」と村人たちは嘆きました。
しかし、1人の村人は密かに別の思いをいだきました:
(イ) 「お祈りとか関係なさそう。天気は神様の気まぐれだ」。
話3
相手にため息をつかれましたが、身に覚えがありません。そのときの心の声(2種類)。
(ア) 「自分の何が悪いと言うのだ! ため息をつかれる筋合いはない!」
(イ) 「相手は機嫌が悪いのだろう。なるべく刺激しないようにしよう」
答え
自因感(←このあとで定義します)
自因感の定義
ある現象に対して 「それは自分の影響で起きる(それが起きるかは自分しだいだ)」 と感じる――この感覚を自因感と呼びましょう。
補足
・わたしたちは自因感があるときには、[自分]と[現象]の間に因果関係を想定しています([現象]は[自分]の関数だ と感じています)。
・ある現象に対して自因感がなければ、「それは自分とは独立して(自分がどうかに関係なく)起きる」と感じています。
・自因感は 自因 という語とは無関係です(意味の関連はありません)。
自因感のあらわれ
「自分が○○だからだ」 「自分のせいだ」 「自分の何が?」という思いは明らかですが、「自分は○○なのに!納得できない。おかしいじゃないか!」 「△△される筋合いはない!」も自因感のあらわれですね。
補足
天気に対する自因感をもたないわたしたちは 「てるてる坊主を作ったのに 何で雨なの!」とは思えないですよね。「自分は○○なのに!」は [自分]と[現象]を逆接の関係でとらえていますが、これは 自分と現象の間に因果関係があるという前提に立っているからこそ ですね。なお、自因感がなくても 「自分は○○なのに 相手は△△だ」と冷静に思うことはありますが、この「なのに」の用法は逆接ではなく対比(「である一方」と同義)です。
また、自因感がなければ 「納得できない」とは思わないでしょう。「その現象は 自分とは独立した何らかの仕組みで起きるのだな。だったら ありうることだ」と まあ納得できますからね。
自因感ボーボー
ここまで読んで、みなさんは自因感のヤバさにお気づきでしょうか。「自分は○○なのに!おかしいじゃないか!」と思ったら、「そうか、その現象は自分の影響によるものではないのだ」と考える(自因感が消える)のが自然でしょう。自因感は燃え盛る炎ですね。
補足
「自分は○○なのに、おかしい・ありえない」は 「自分の影響でその現象が起きると仮定すると矛盾する」という意味ですよね。「△△される筋合いはない(理不尽だ)」という言葉も同様でしょう。「自分の影響だとすると矛盾する」と感じながら、それでもなお 「自分の影響によるものだ」と感じ続けることができるのは、自因感の概念を知らないからこそですね。
相手の😠に対して😠になる仕組み
いよいよ 仕組みを解明しましょう。
「自分の影響で相手が😠になったわけではない」と感じたら、「相手は嫌な気持ちになって かわいそう」と思うか 何とも思わないか のどちらかでしょう (嫌な気持ちになる要素はありませんよね)。ゆえに、相手の😠に対して嫌な気持ちになるときには必ず自因感が存在します。
自因感の有無をたしかめましょう。
相手の😠に納得しているか で場合分けします。
・相手の😠に納得していない場合は、😠になりえますよね。
・相手の😠に納得している場合は、😠になることはなさそうですが、例外的に、「自分のせいだ」と納得しているときには😠になりえますね。
以上より、相手の😠に対して😠になるとしたら必ず自因感があります([自因感のあらわれ]章を参照)。
では、相手の😠に対する自因感さえあれば 😠になるのでしょうか。「自分の影響で相手が😠になった」と感じても、「別にどうってことない」とか 「しめしめ」と思ったら😠になりませんよね。ゆえに、相手の😠に対して😠になるときには、「自分は相手を😠にさせたくない」という思いも必ず存在します。
また、相手の😠に対して😠になる、を正確に言い直すと、「相手は😠だ」と思って😠になる、です。相手が実際には😠でないのに 自分が「相手は😠だ」と思うこともありますからね。
以上をまとめると、仕組みとして必ず存在するもの(必要条件)は次の3つです。
A 「相手は😠だ」
B 相手の😠に対する自因感
C 「自分は相手を😠にさせたくない」
一方、A&B&C(A,B,Cがそろう)ならば😠になりますね (すなわち A&B&Cは十分条件です)。
ゆえに、A&B&Cは必要十分条件なので、相手の😠に対して😠になるという現象の実体(仕組み)はA&B&Cです。
補足
Cは利他的な思いですが、純粋に相手の心の平穏を願うというよりは、「利他的な自分でありたい」という思いに近いですね。
利他的な行動が空振りに終わると傷つく仕組みもA&B&C
① 親切にしたら 相手が😠になった。
② ただ相手が😠になった。
多くの人にとって ストレスが ①>② となるのはなぜか、考えてみましょう。
前章より、相手の😠に対してストレスが生じるためにはA&B&Cが必要です (BかCがなければ ストレスは ①=②=0 であることをご確認ください)。
A&B&Cがあると、②では 「親切にしても 相手を😠にさせてしまうということは、自分の存在自体がよほど悪い影響を及ぼしている」ように感じられます。これは絶望的ですよね。そのためストレスは ①>② となります。したがって、A&B&Cはストレスが ①>② となるための十分条件です。
よって、A&B&Cは必要十分条件なので、ストレスが ①>② になるという現象の実体(仕組み)はA&B&Cです。
①′ 親切にしたら 意地悪された。
②′ ただ意地悪された。
「意地悪してくる相手は😠だ」と感じますので、先ほどと同じく、ストレスが ①′>②′ になる(自分と相手の行動の"利他度"の差が大きいほどストレスになる)仕組みはA&B&Cです。
おわりに
互いに相手の😠に対して😠になるという連鎖に人類はさいなまれてきました。
「昔はよく😠になったなぁ。自因感の概念も 相手が😠になる仕組みも 知らなかったから」――そう言える日も近いでしょう。