床のものを持ち上げる動作は、荷物を運ぶ時だけでなく、車いすの患者さんをベッドに移動するなど、移乗介助でもよくみられる動作です。腰への負担が大きいので、腰痛を起こしやすい姿勢でもあります。
上の剛体モデルで、Hは手にかかる荷重、MはHATの重心にかかるHATの荷重、Fが脊柱起立筋の筋力である。下肢モデルでは床反力Rに荷物と体重による力が反映される。Tは下肢の荷重である。HATのモデルの脊柱起立筋の力Fと下肢モデルの脊柱起立筋の力Fは、大きさは同じで方向が逆となる。
HATモデルに生じる力と回転中心となる第5腰椎からの距離を示しました。D1は腰椎から手の力方向に下した垂線の長さ、D2はHATの重心にかかる力の方向に下した垂線の長さ、D3は腰椎から脊柱起立筋による力の方向に下した垂線の長さです。説明が長くなるので、モーメントアームD1、D2、D3と呼びます。今、10kgのものを体重60kgの人が持ちあがると仮定します。HATは体重の2/3です。D1を30㎝、D2を10㎝、D3を5cmとします。腰椎周りのモーメントのつり合いより、時計回りの回転方向を正とすると、
-30 cm × 10 kg - 10 cm × 40 kg + 5 cm × F = 0
これを解いて、
F = 140 kg
さて、ここで知りたいのは、脊柱起立筋の力Fではなく、腰椎にかかる力Jです。
力のつり合いの式を立てて解けば、力は求められるのですが、この時に注意したいのが、どの方向の力を知りたいのか、ということです。臨床的に意味のある力の方向を考えるとすれば、それば、地面に対して水平と垂直ではなく、腰椎(の椎体)を圧迫するのか、滑らせるのかで考えた方が意味があります。腰椎を滑らせる方向の力、腰椎を圧迫する方向の力と分けて考えます。今、体幹を傾けたことにより、腰椎の椎体が床面から30度傾斜しているとします。
腰椎に対して圧迫する方向の力Jp=10(kg)×cos30°+40(kg)×cos30°+140(kg)
腰椎に対して滑らせる方向の力Jh=10(kg)×sin30°+40(kg)×sin30°
三角関数表からsin (30度)は0.5です。cos (30度)は約0.87です。よって、垂直方向の力は、Jp=8.7(kg)+34.8(kg)+140(kg)、Jp=183.5 kg となります。水平方向の力Jhは、Jh=5(kg)+20(kg)、Jh=25 kg 。腰椎の垂直方向には183.5kg(体重の約3倍)、水平方向には25kgの力が加わります。
さて、ここで体幹の屈曲や、腰椎の前弯で脊椎を滑らせる方向の力(これをせん断力と呼びます)についてもう少し触れておきます。図のように腰椎が前弯しているとき、直立姿勢をとっていても、第5腰椎の椎体は床面から少し傾いています。これにより、体幹が直立していても、脊柱には椎体を滑らせる力が生じます。この滑らせる方向の力をせん断力といい、この力は脊椎を前方にずらす力を生みます。この力は椎間関節で抑えられるので、実際には滑ることはありません。しかし、前弯が増強したり、あるいは、重いものを持つなどして椎間関節にかかる負荷が増大すると、この関節の破綻(変形性脊椎症)を来し、腰椎すべり症や分離症を悪化させる一因になると考えられます。
腰痛の人に腹筋を鍛えた方がいいよ、とか、腹圧を高めるががいいよと言われます。なぜでしょうか?腹圧を高めると、腰椎を少し広げ持ち上げる力が生じると考えられます。
次の図は坐位姿勢で腹圧を高めたときの概念図を示しています。腹圧上昇で横隔膜が持ち上げられますので、その力の中心までの距離(モーメントアーム)をL2、HATの重心までの距離をL1、背筋のモーメントアームをLとして示しています。