着床前遺伝子診断(PGD– NHS委員のための行動指針

 

1.  概要

 

着床前遺伝子診断(PGD)は、重い遺伝性障害の子供を生むリスクの高いカップルが体外受精(IVF)の技術を利用してそのリスクを回避できるようにする出生前診断の一種である。いまだ発展途上の比較的新しいこの診断法は、生殖医療の選択肢のひとつとして一定の臨床的有用性を持っている(場合によっては最良の選択肢ともなりうる)。しかし現時点では、症例によっては慎重なカウンセリングと診察を行ったうえで有効といえるが、標準的な医療行為とみなすわけにはいかない。

 

小論では、まずPGDを概観する。そしてPGDの適応を示したうえで、PGDに代わる選択肢について検討し、PGDを採用する根拠を考える。また、PGDに関する規制枠組みの概略を示し、現在の実施状況についての具体的な情報を提供する。小論の目的は、PGDについて詳細な論評を展開することではなく、PGDを実施する施設間に見られる活動水準の大きなバラツキを浮き彫りにすることである。小論は、PGDの実施許可を得ている英国内のすべての施設の代表者とNHSの委員を対象に20026月に開催されたワークショップでの討議内容をもとにしている。

 

遺伝子医療に関する諮問グループ(GenCAG: Genetics Commissioning Advisory Group)でもそうした問題について検討しており、PGDが一定の役割を果たすことを認め、個々の症例ごとにNHSの資金拠出を委員会で検討するよう勧告している。そして委員会がそうした判断を下す際に準拠すべき一連の指針を承認している(第10節参照)。

 

 

2.           PGDの定義

 

着床前遺伝子診断(PGD)は、体外受精(IVF)によって胚細胞を発生させ、その一部を使って遺伝子の異常がないかを検査し、異常が認められない場合に限り胚細胞を子宮に移植する受胎方法である。この方法を使えば、遺伝性障害のリスクのあるカップルでも障害児の出生を回避することができる。検査可能な遺伝性疾患の種類は今も増加しており、英国不妊治療局でもたとえば脆弱X症候群、筋ジストロフィー、ハンチントン病などを検査対象として承認している。

 

 

3.                      PGDの適応

 

PGDを要請できるのは、染色体連鎖障害の患者および重篤な遺伝性障害の子を産むリスクのあるカップルである。PGDの適応は今後も増えていくだろう。新生児が家族から遺伝性疾患を受け継ぐことなく、遺伝性疾患を持つ兄弟姉妹の治療のために臍帯血移植の適合ドナーになれるよう、英国不妊治療局は最近になってconcomitant HLA typing の実施を認めた。これまでに、不妊症治療のため体外受精を行うカップルに対するスクリーニング検査としてPGDを行うことを2施設が提案している1,2。また別の1施設は、習慣性流産を経験しているすべてのカップルに対する診断検査の一環としてPGDを活用できるのではないかと提起している3。このいわゆる染色体異数性のスクリーニング(染色体数の異常を検出する検査)によって、IVFを行う不妊症カップルの妊娠率が上昇するものと期待できるが、生児出生の機会まで増えるといえる根拠はない。不妊治療のためのIVFの一環としてこのような手法を採用することは、遺伝性障害の高リスクを負うカップルに対するPGDとは別途に考えるべきである。

 

 

4.  PGDに代わる選択肢

 

遺伝性障害児を産むリスクがあるとみなされる家族には、PGDのほかに以下の選択肢がある。

        子を産まないこと。

        自然妊娠に頼り、妊娠中に出生前診断(PND)を受けることである(これには羊水穿刺または絨毛膜標本採取という侵襲的処置を要する)。胎児が遺伝性疾患に罹患していることがわかったら、そのカップルは妊娠を中絶するかどうかを決断する(この点について、現行法規では規制がない)。

        妊娠しても出生前検査を受けず、遺伝性障害のリスクを引き受け、障害児が出生したら共生する(死産のリスクも引き受ける)。

        養子を引き取る、

        片親または両親が実の親とはならない補助生殖医療技術を受けることを考える。

 

 

5.  有効性の根拠

 

最近、文献レビューを実施したところ、PGDの有効性に焦点を当てた文献は、ケースシリーズ研究がほとんどで、そのほかには対照が不十分で説得力の弱い臨床試験報告が1件あるだけだった。子供を抱いて家に帰れる割合(take home baby rate)や異常所見または先天性異常による中絶率からみたPGDの有効性を他の出生前診断戦略と比較するための信頼できるデータを得ることはできなかった。ケースシリーズ研究の文献では、PGDを使った診断で遺伝子の異常を見落とした例はほとんどないと判断するに足る証拠は少ないながら見つかったものの、染色体異常や遺伝子異常を検出する検査方法の感度に関する有用なデータはまったく得られなかった。IVFを受けたカップルを対象としてPGDの有効性、安全性、および検査精度を明らかにした文献はほとんど見当たらなかった4

 

ただし、ヨーロッパ生殖医学会(ESHRE)のPGD会議が発表した最新のデータはレビューの対象に含まれていない。このデータには、共同研究に参加する26施設が1994年から20005月までに886組のカップル、1318件のPGD163件の妊娠、および162人の新生児から得た累積データが含まれている5。その内訳は、染色体異常(遺伝子転座や異数性の発現リスクなど)が約30%、X染色体連鎖型障害(デュシェンヌ型もしくはベッカー型筋ジストロフィー、脆弱X症候群、血友病など)が25%、常染色体劣性遺伝性疾患j(嚢胞性線維症、サラセミア、脊髄性筋萎縮など)が25%、常染色体優性遺伝性疾患(筋強直性ジストロフィー、ハンチントン病など)が20%程度だった。臨床妊娠成功率は、治療サイクルあたり16.5%、採卵あたり18%、胚移植あたり22%だった。もちろん、誤診も4例あった。新生児130人について先天性異常の情報が得られた。うち121人は異常なく、非致命的異常が7人、致命的異常が2人に認められた。20015月までのESHREのデータによれば、最近年の転帰改善状況は、妊娠率が採卵あたり19%、採胚あたり23%だった(過去3年間の累積データでは、採卵あたり17%、胚移植あたり22%)6

 

カップルによるPGDの受容性や需要予測についてはほとんど報告されていない。少人数ながらPGDを受けたカップルを対象とする最近の研究では、将来の妊娠を希望する対象カップルの75%以上がPGDの再受診を考えているという7”Journal of Medical Genetics”誌上に最近掲載された記事は、実用化から10年を経てなお、PGDは「技術的に困難で手間がかかり、多大の労力を要する診断法であり、専門家集団の緊密な協力を必要とする」と結論付けている8

 

 

6.  PGDに関する規制

 

1990年ヒトの受精及び胚研究に関する法律」(Human Fertilisation and Embryology Act 1990)の定めにより、体外受精を伴う治療は特別に認可された施設で行わなければならない。英国不妊治療局でも、臨床胚生検(PGDには必須)は認可された施設内で臨床プロトコールに準拠しながら標準体外受精設備を使って行うことが重要であるとしている。

 

不妊治療局は既にPGDを認可するための暫定的な指針を発表しているが、今後はHFEAと英国生命倫理委員会(HGC: Human Genetics Commission、旧「遺伝子検査に関する諮問委員会」)の共同ワーキンググループが作成した文書をもとに協議し、得られたコメントに照らしながら指針の内容を再検討する予定である。PGDを認可された施設でも、PGDを実施する対象は認可証明書に記載された疾患のあるカップルに限られるが、下記のケースについてはHFEAに追加申請することができる。

        当該施設には認可されていない遺伝性疾患の検査を実施する場合

        特定のプローブを使用することを条件に認可されている疾患の検査を、未認可のプローブを使って行う場合

        当該施設がすでに認可を得ている遺伝性疾患の変異遺伝子について検査を行う場合

        新種の染色体異常の検査を行う場合

 

認可申請に際して、HFEAから以下の情報提供が求められる。

        PGDに関与する担当者(胚生検の担当検査官もHFEAの認可を得ること)

        インフォームド・コンセントの手続きと書式

        臨床プロトコールと検査プロトコール

        遺伝カウンセリングの体制

        カップルにPGDの提案に踏み切るための意思決定プロセス

        患者に提供する情報

・ 高度な遺伝子検査を実施するという前提に立ち、IVFと胚生検のプロセスと手技、及びリスクを知らせる

・ 当該施設におけるPGDの実施経験を知らせる

        検査診断に使用するプローブの有効性と信頼性に関する情報

・ 出生前診断におけるそのプローブの使用法を熟知しているか

・ そのプローブを開発するために使われた組織と対照組織の使用経験があるか

・ そのプローブを開発するために使われたヒト胚細胞と対照細胞の使用経験があるか

・ PGDの実施担当医は、同じ胎芽から採取した他の細胞を使って検査を行い、陽性及び偽陽性の詳細を確認しているか

・ 妊娠を阻害する因子があるか、あるならばその情報を患者にどのように知らせ、助言しているか

・ 誤診発生率をどのような視点に立って今後の患者に伝えようとしているか

        疾患に関する情報

・ 既知のリスク

・ 当該症例の重篤度

・ 家族への影響

・ 遺伝様式

 

 

 

7. PGDの有用性

 

現在、HFEAは次の英国内6施設に対してPGDの実施を認可している。

· Glasgow

· Guy’s / St Thomas’

· Hammersmith

· Leeds General Infirmary

· University College Hospital(ロンドン)

· Care at the Park Hospital(ノッチンガム)

 

ノッチンガムの施設は民間病院である。NHSの治療は他の5施設で行われる。PGDの導入時期は、Hammersmith1990年(ただし研究は1980年代から行っていた)、UCH1996年、Guy’s/St Thomas’1997年である。Leeds1997年に認可を得ているが、以来PGDを実施する機会はなかった。Glasgowは最近になって認可を得たばかりだが、既に何度かPGDを実施している。

 


 

8.  現状

 

1 – NHSの診療に関する情報

 

 

UCH

Hammersmith

Leeds

Guy’s/St Thomas’

検査条件

-          単一遺伝子

の欠陥(数)

-          胎児の性別判定

-          染色体異常

 

10

 

はい

 

遺伝子の転座、挿入、逆位、T21モザイク

 

6

 

はい

 

転座、ターナー症候群、T21モザイク

 

1

 

はい

 

6

 

はい

 

転座、挿入、逆位などの再配置

照会元

-          外来遺伝科

-          本人(海外)

-          一般開業医

-          他の専門医

 

60%

20%

10%

10%

 

50%

はい

はい

25%(補助生殖)

 

 

70%

5%未満

5%未満

20%(補助生殖)

照会件数

-          合計

-          受諾

-          拒否

19972001年で

274

210件(77%

6件(23%

19872001年で

81

19972001年で

89

19972001年で

 

617

照会元

 

 

 

ロンドンとSE46%

北部イングランド6%

南西部5%

スコットランド4%

北アイルランド4%

ウェールズ1%未満

海外14%

民間病院及びNHS

ヨークシャー地方

北部地方

北西部

ウェールズ

ロンドンとSE

ミッドランド

南西部

北部イングランド

北・南アイルランド

その他(海外からの照会はなし)

コスト

相談・調査費

IVF費用

遺伝子診断料

 

 

 

£680

£22503250

£15002250

サイクルあたり£3605(治療、薬、及び検査の全費用を含む)

 

サイクルあたり£3,000(相談料、IVF/ICSIの費用、検査料、遺伝子診断費用の全額。薬代は除外)

 

 


2 - 活動状況と転帰に関するデータ

(特に指定のない限り、データは数値で示す)

 

 

 

UCH

Hammersmith

Leeds

Guy’s/St Thomas’

治療した患者数

19

81

 

90

IVFの実施回数

26

160

14

150回(128回は採卵)

胚移植の履行回数

 

119

 

96

異常胚芽数

129

 

 

527

正常胚芽数

66

 

 

 

妊娠数

6件(2件は継続中)

 

2件(1件は誤診)

31件(双胎7件、三胎2件、遺伝子異常1件)

カップルあたりの臨床妊娠率

 

33%

 

33%

カップルあたりの生児出生率

 

25%

 

28%

 

 

9.  PGDNHS医療サービスの一環として行うべきか

 

NHSの限られた資源を利用してPGDを行うのが適切かどうかを考える際には、いくつかの要素を考慮に入れる必要がある。論点をわかりやすくするために、表3PGDの利点と不利点を整理した。PGDのための資金拠出を遺伝子医療の予算や不妊治療の予算で賄うべきかについては、さまざまな議論がある。なお、PGDを要望するカップルに対するIVF施行の適否を判断する際に、関係当局はかなり厳しい基準を適用するケースが多い。ただし事情はさまざまで、そうしたカップルは、遺伝性疾患を持っているにしても子供を既に持っており、NHSの資金拠出によるIVFを受けるための年齢上限を超えていると考えられる。PGD受診患者に対してIVF承認基準を適用するべきかどうかの判断材料として、不妊治療を目的とするPGDIVFの類似点と相違点を表4にまとめておく。

 


3 PGDの利点と不利点

 

利点

不利点

生殖医療の選択肢が増える。特に妊娠中絶を容認されない場合の出生前診断に代わる新しい診断法として利用できる。

(子供を抱いて家に帰れるかという点で)成功率が低い。

新生児が被るリスクの大きさや疾患転帰が不明である場合に、一定範囲の遺伝性疾患に関する出生前診断の方法として優れている。

先天性異常児(及び現行のスクリーニング・プログラムでは他の遺伝性疾患の子供)の出生を避けるために推奨される出生前診断である。

重篤な遺伝性疾患を持つ子供を産むリスクを抱えたカップルに対して、生殖行為に積極的になるように勇気づけることができる。

心身の負担が(耐え難いほどに)大きい。

妊娠中絶の繰り返しを避けられる。

子孫に与える長期的影響は不明。

習慣流産を提言できる。

技術、転帰、受容性、医療経済学的評価の点からみて、現在のエビデンスには不足がある。

重篤な遺伝性疾患を持つ子供誕生を予防できる。

 

 

 

4 不妊症患者に対するIVFPGDの比較

 

不妊症に対するIVFPGDの類似点

不妊症に対するIVFPGDの相違点

どちらも健康な子供を産むことを目的とする。

出生前遺伝子診断の一種である。

正常な生殖ができないことによる心理的危害をもたらすおそれがある。

胎児が重篤な遺伝性疾患を持つ出産または妊娠の経験

共通の手技を使う。

遺伝性疾患のリスクを持つカップルによる負担がNHSにかかる。

-          PNDの反復±TOP

-          習慣流産

-          異常児の誕生

 

 

 

 

10.  PGD向け資金拠出の決済を下す際に適用する指針

 

遺伝子医療に関する諮問グループの会合とPGD担当委員及びサービス提供者によるワークショップで協議した結果、以下の指針が採択された。今後は、PGDの資金拠出要請を症例ごとに検討するための一助としてこの指針が推奨される。

 

1.  PGDは、現在の知見と臨床慣行からみて、一定の事情のものとで行う生殖医療の合法的な選択枝である。

2.  HFEAは、提供される医療サービスの質に関する判断を含め、PGDについての規制権限を保有し、その基準に従って、採用される手技と対象となる疾患に応じて認可を付与する。

3.  PGDのための資金拠出要請は、各症例について個別に検討すること。

4.  遺伝性疾患に罹患した子供が生まれるリスクが10%を超える場合には、優先的にPGDを認可する。

5.  カップルの女性側が高齢である場合や既に子供のいるカップルが不妊症対策としてIVFを要望している場合には、通常、厳格な基準を適用する。この基準は、妊娠不成功の既往歴が長いか重度の遺伝性疾患を持つ子供を産んだ経験があるためにPGDを受診する患者に対しては不適切であろう。

6.  患者の家族構成を考慮に入れること。健康な子供のいないカップルを優先する。

7.  資金拠出対象とするPGDの実施サイクル数を制限することは適切であろう。あるカップルに対する1回目のサイクルでは、遺伝子検査や診断プローブの開発が必要になるため費用が高くなる。2回目、3回目になると妊娠の機会が増え、遺伝子プローブの使い方にも慣れてくるので費用も安くなる。

8.  PGDを施行するための以下の要件について委員の同意を得ておくこと。

・ PGDサービスの照会経路(下記参照)― どの時点で資金拠出要請をPCTの委員に提出するかなど。

        カップルが照会経路に深入りする前にあらゆる選択肢について検討し、理解しておけるよう、遺伝子カウンセリングを受ける機会を十分に確保する。

        PGD担当医師と初期診療担当医や照会医師を含む他の医療従事者との連携をスムーズにする。

        HFEAの認可(HFEAの基準及び指針に準拠していることを意味する)。

        有効性や転帰に関する監査活動や欧州ヒト生殖会議などの学術会議へのデータ提供など、施設内外の共同監査活動に参加すること。

 

 

11.  PGDの施行に至る経路

 

20026月に開かれたPGD関係のワークショップの参加者は、PGDの照会を経て、審査、認可の決定に至るまで、スムーズで一貫性ある経路を整備することは、患者、医療サービスの提供者、及び諮問委員にとって有益であるとの認識で一致した。PGDを要望するすべてのカップルに資金が拠出されるわけではないが、NHSの患者に対する照会と診察に共通の原則とプロセスを適用すれば公平性は増すものと認識されている。付属書Aに示す経路は、どこで重要な意思決定が行われるか、そしてカップルが十分な情報提供にもとづいて意思決定を行うためには、どこでその情報を提供する必要があるかを明らかにしている(患者がPGDの内容を理解していれば手続きは容易になる)。

 

 

12.            諮問委員に対する情報提供

 

資金拠出要請書を提出したら、諮問委員がタイムリーに審査を行えるよう十分な情報を提供するべきである。具体的には以下の情報を提供する

        遺伝子欠陥のタイプと遺伝リスク

        女性の生年月日

        関連する家族歴 カップルのいずれかの出産経験や遺伝性疾患の有無など

        PGD実施施設への照会ルート

        成功の見込み

        費用全額とその明細

        適切な施療時期

        (女性側の)主治医

        郵便番号

 

費用については、照会経路全体を一括した金額を提示するのが好都合であると言われている。この一括費用には、カウンセリング料、診断検査費用、薬代、IVF施行、胚生検、遺伝子検査の費用などが含まれる。2回目以降のサイクルでは、プローブ開発費用がかからないはずなので、そのぶん割安になる(施設によっては、プローブ開発費を一部だけ計上して全サイクル一括の金額を提示することもある。

 

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