苛まれる

あなたには、青春を謳歌した時代があっただろうか?こんなところを読んでいるあなたは、否と答えるだろう。それはなぜだろうか?

青春期に来るべき老化の恐怖に苛まれる
中年期に進行しつつある老化の恐怖に苛まれる
老年期に、死の恐怖に苛まれる

と、こうやっていつまでも苛まれ続けてきたわけだ。いやはや全く忙しいこと。しかし、こんなところを読んでいるあまのじゃくのあなたは、またもや、いや、必ずしもそうではないと思うかもしれない。

若いころは確かに焦っていた。いつまでも若くはない。若いうちにやってしまわなければならないことがある。そう思い込んで必死にやっていた。でも、果たしてそれは正しかったのだろうかと、今思っているかもしれない。

そう、年を取ることは満更でもないと思っている。若い頃、何を慌てていたのかと思っている。あんなに焦ったって、今の自分を考えると、結局は焦っても、じっくりやっても、大した差はなかっただろうと思っている。それがわかった自分がいる。だから、年を取ることは満更でもないと思っている。

だったら、若い頃の二の舞は止めよう。進行しつつある老化の恐怖に苛まれるのはおしまいにしよう。暗いところで目が見えなくなれば、雨の日の夜に運転するような真似をしなくなる。運転しなければ事故を起こさなくなる。耳が悪くなれば悪口が聞こえなくなる。頭の毛がなくなれば散髪代が浮くし、風呂場での手間もなくなる。何を嘆き悲しむ必要があるだろうか。そんな老化の楽しみを、自ら手で絶つことぐらい愚かなことはない。

死は向こうからやってきてくれる。本人の老化の楽しみが、周囲にとっての老醜に転換される前に、絶妙なタイミングで向こうからやってきてくれる。そのタイミングを自分で判断しようとすることぐらい思い上がった行動はない。何様のつもりか? 三島は自分を神と信じ、自分の死の時期を自分で決めたのかもしれない。しかし、あなたは三島でもないし、ましてや神ではない。

参考→これであなたも大スター

二条河原へ戻る