あまりにも普遍的な悲劇について

前へ進むにあたって,考察とか決断とかは要らない.一方,引き返すためには,様々な障害がある.実際に引き返すためには,その障害を全て克服しなければならないが,とてもじゃないがそんな度胸はないので,前へ進みつづける安易な道を歩んで後で取り返しのつかない羽目になってしまう.個人的にも,色恋沙汰を始めとして,苦い想い出を秘蔵している人は多いだろう.まして況や,方向転換が難しい組織においておや.

下記は,日経BP社の医薬品ビジネス情報サイト,Pharma Businessの記事である.撤退が下手なのはあなたばかりではない.医薬品ビジネスばかりではない.”もうこんな馬鹿げた裸の王様ごっこは止めよう”と,誰も言えないままに,事態はどんどん深刻な方向に進んでいく悲劇の只中に,今もあなたはいるに違いない.もしそうでないとあなたが思うなら,それはただ単に悲劇にまだ気づいていないだけだ.

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製薬企業はなぜ撤退が下手なのか?(2004.4.5)

 「ある製品の開発を断念する時、もう1年早く決断していれば、と毎回のように後
悔している」――。ノバルティスで国際事業開発を担当するゲイリー・キューピット
副社長はこう嘆息する。キューピット氏は、成功しそうにない案件から速やかに撤退
できない経営体質が、製薬企業にとって大きな問題になりつつあるとみている。実
際、新薬の臨床試験には、1日約3万ドルのコストがかかる。もし承認までたどり着
けなければ、年間1100万ドルを無駄にすることになる。

 タフツ大学医薬品開発研究センター(CSDD)所長のケン・カイティン博士は、
「成功だけでなく失敗もまた、新薬開発の一部。そもそも新薬開発は、ハイリスク・
ハイリターン型のプロジェクトである。見込みのない案件に素早く見切りをつけて次
の行動を起こさなければ、画期的な新製品には行き当たらない」と語る。重要なの
は、開発を中止すること自体ではなく、いつ開発を中止するかである。

 研究開発の生産性低下を深刻に考えている企業ほど、「時は金なり」との格言を噛
みしめているはずだ。臨床試験が進むにつれ、必要なコストは指数級数的に増加す
る。フェーズ3では、フェーズ2の3倍のコストがかかる。カイティン博士は、「見込
みの薄い製品のフェーズ3試験をやめれば、より有望な製品の開発により多くの資金
を投入できる」と話す。

 CSDDの試算によると、開発期間を25%短縮すると、承認までにかかるコストを
16パーセント、金額にして1億2900万ドルを削減できる。期間を半分にできれば、
削減分は29パーセント、2億3500万ドルになる。この条件の下、フェーズ3で中止
に追い込まれたプロジェクトのうち、5%をフェーズ1で中止していたと仮定する
と、開発総コストを5.1?6.3パーセント削減できる。

 それではなぜ製薬企業は、見込みのないプロジェクトに固執してしまい、撤退のタ
イミングを逃してしまうのだろうか。
 

感情に影響される意思決定

 いわゆる「自己中心的集団症候群」が、プロジェクトから素早く撤退できない原因
の一つかもしれない。言うまでもなく、開発チームを構成しているのは人間である。
何年もの時間を費やしてきたプロジェクトが、失敗に終わるのを望む人はいないだろ
う。試験装置などを製造販売するアマシャム・バイオサイエンスのクリストフ・ハー
ゲルスバーグ副社長は、「都合の悪い臨床データは、無視されてしまう傾向にある」
と指摘する。

 患者や医師、投資家など医薬品に関係する人たちが、研究開発の行方に影響を及ぼ
す場合もある。製薬会社のレプリジェンが自閉症治療薬として臨床試験を行ったが、
フェーズ3で開発を断念したセクレチンが典型例だ。セクレチンの“自閉症治療効
果”に最初に気がついたのは、自閉症の息子に胃腸薬としてセクレチンを与えた母親
だった。すぐに大勢の親が、セクレチンを適応外で使い始めた。

 レプリジェンが自閉症で適応を得ようと、臨床試験に踏み切ったこと自体は理解で
きる。自閉症は治療薬がなく、セクレチンが有効かどうかを前もって断言できる十分
なデータもなかった。しかし、米国国立衛生研究所(NIH)が資金を提供した前臨床
試験では、セクレチンが良好な結果を示していなかったことも事実である。レプリ
ジェンの意思決定に、患者の親などからの強い要望が影響したことは明らかだ。
 

錯綜する意思決定の要因

 プロジェクトを続行するか、それとも撤退するか。これは、一見単純に見える二者
択一の問題である。医薬品の研究開発の目的も、「製造が容易で、安全性と有効性に
優れ、十分な利益を生み出す製品を作ること」と単純に表現できる。つまり、あるプ
ロジェクトから撤退するときとは、この目的を達成できないことが分かったときであ
る。

 プロジェクト全体を中止するか、臨床試験の一部だけを中止するかの判断を迫られ
る場合もある。開発業務受託機関(CRO)のPRAインターナショナルのヨアヒム・
ヴォルマー副社長は、「研究開発の中止には、副作用の発生やライバル製品の動向、
試験の不成績、ポートフォリオ戦略の変更などが原因となることが多い」と話す。判
断の基準は、どのような方策を取ればリスクを回避できるのかという点にある。リス
クを回避するのに、許容できないほどコストがかかるのであれば、すべてをあきらめ
るしかない。

 継続か撤退かの意思決定の背後には、多くの要因が錯綜している。結果として数多
くのあいまいな結論が生まれ、意思決定を明確に行うことが困難になる。明確な意思
決定を難しくしている要因は、以下のようなものだ。

研究開発の長期化:
 いかに生命科学が進化しようとも、医薬品の研究開発は試行錯誤の積み重ねであ
る。その結果、医薬品業界は石油探索や航空機設計と同様に、昔から非常に時間のか
かるビジネスのままである。たとえアイデアとテクノロジーが最先端を走っていて
も、急激な革新は望めず、長期にわたる製品開発から逃れることはできない。「人類
がいかに発展しても、病気との戦いが容易になるわけではない」とアマシャム・バイ
オサイエンスのハーゲルスバーグ副社長は強調する。

根本に潜むあいまいさ:
 医薬品の研究開発は、科学というよりはむしろ芸術に近い。試験結果が互いに矛盾
することも珍しくなく、開発の過程では常に慎重な判断が求められる。CSDDのカイ
ティン博士は、「試験結果は何かを示唆しているだけで、決して断定しているわけで
はない」と指摘する。PRAインターナショナルのヴォルマー副社長は、「ガイドライ
ンの類は参考程度にはなるが、状況が複雑なときには役に立たない」と話す。

市場理解の困難さ:
 変化が激しく、競争が厳しく、しかも規制が厳密であり、加えて顧客や競合企業、
規制当局などの利害が絡み合う医薬品市場で長期間にわたり研究開発を行っている
と、偏った意思決定を行いがちだ。大規模な投資を行う際は、バランスの取れた意思
決定が前提になっているかどうかを慎重に検討しなければならない。
 

研究開発部門の組織的問題も

 研究開発部門の組織的な問題が、素早い撤退を阻害している場合もある。

コミュニケーションの不足:
 新薬開発は、様々な学問分野の専門知識の上に成り立っている。カイティン博士
は、「社員が同じ言葉を使って仕事をし、共通の理解を基に意思決定を行うことの重
要さを分かっている製薬企業はほとんどない」と語る。

組織の混乱:
 コミュニケーションを阻害する要因は、組織のあり方が原因となっていることが多
い。シェリング・プラウではようやく最近になって、研究開発部門のトップが経営会
議に参加できるようになった。臨床試験の後期になってプロジェクトが中止に追い込
まれた場合、前臨床研究者と臨床研究者の間のコミュニケーション不足が原因となっ
ていることがある。データ分析の結果が正しく伝わっていれば、臨床試験での失敗を
あらかじめ予測できる。

慣性:
 大きな組織が内部の軋轢(あつれき)を克服するには、組織に対する熱心な支持者
が必要である。しかし、それも度が過ぎると一切の批判を受け付けなくなり、組織が
間違った方向に向かっても修正できなくなる。
 

リスクマネジメントが重要な課題に

 それでは、製薬企業はどうすればよいのだろうか。対策はいくつかある。

組織のあり方を見直す:
 臨床試験の後半では、製品の経済性か有効性に問題が生じて、開発が中止になるこ
とが多いと、CSDDは指摘する。こうした事態を避けるため、発売の2?3年前には
マーケティングと販売の両部隊を、開発プロジェクトに参加させるべきだ。これまで
新薬開発チームは、「もう1回試験をやらせてくれれば、この薬の有効性を証明でき
るのだが」と主張しがちな理系の研究員に牛耳られてきた。しかし、最近では、マー
ケッターがより早い時期にチームに加わるようになってきている。彼らは研究員より
も、プロジェクトを客観的に評価する傾向がある。

アウトソーシングを利用する:
 アウトソーシングは、臨床試験の公正さを維持するのに有効である。CROのパレク
セルインターナショナルのアルベルト・グリグノウロ社長は、「製品が発売までこぎ
着けても、CROの収入が変わるわけではない。CROは製品に対して不必要な思い入れ
を持たないので、より信頼性の高い試験結果を期待できる」と語る。

悲観論者の必要性:
 製薬企業は、自由に議論ができ、ささいな失敗を大げさにあげつらわない企業文化
をもっと大事にすべきだ。また、物事を慎重に押し進めるタイプの“悲観論者”を誰
かが演じなければならない。

判断の不正確さに注意する:
 多くの研究結果が示しているように、リスクとリターンを評価する際に、人間の直
感が誤りを犯すことは避けられない。この点は、いくら強調してもし過ぎということ
はないだろう。

 多くの人間がかかわっていれば、一人よりも正しい判断を下せるように思え
る。2003年のノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のダニエル・カーネマ
ン教授の研究によれば、正しい答えがはっきりしている場合は、グループの方が答え
を見逃す確率が低くなる。しかし、そうでない場合は、グループ全体で誤った方向に
突っ走る可能性がある。カーネマン教授は、意思決定の過程を後で追跡できるように
しておくことを企業に勧めている。

 CSDDのカイティン博士は、「リスクマネジメントが、研究開発において最も重要
な課題になりつつある。『有効性さえ確認しておけば、売れるか売れないかはフェー
ズ3辺りで確認すればいい』といったやり方は、よほど画期的な新薬で他に競合品が
ない場合以外は、もはや通用しない」と指摘する。
(Michael D. Lam = Pharmaceutical Executive)

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