ためらいの倫理学

ほら、また、自分が正しいことの証明に躍起になっている。どうして、そんなことに一所懸命になるの?誰もあなたが神様だって思ってやしない。あなたは人間だから間違うこともあるだろう。誰もが本来はそう思いたいんだ。

なのに、あなたは、自分が神であることを証明しようとして躍起になっている。えっ、そんなことないって?でも、あなたは、間違いを指摘される度に、疑問を投げかけられる度に、弁明したり、謝ったり、間違っているのは自分ではなく相手の方だって反論したりするじゃないの。それは、すなわち、自分は完全無欠な存在であるという主張に他ならない。

間違っていると指摘されたら、その指摘に対して礼を述べ、間違いであると主張する根拠の説明を求め、間違いが生じた原因について教えを乞おう。なぜなら、相手のほうが一枚上だからだ。あなたは間違いに気づいていなかった。その一方で間違いに気づいた相手の方は、間違いが生じた原因を知っているはずである。それがわからないのなら、間違いを指摘する資格がない。さらに、間違いの予防策についても、相手に説明を求める。これも間違いを指摘した相手の方がよく知っているはずである。

自分に間違いはないと考える妄想に陥らず、自分は間違ってはいけないという不安から解放され、自分の間違いの指摘を受け入れる自信を持ち、自分の間違いに対する好奇心を抱く。そんなあなたになるために、下記の文庫本は大いに参考になるだろう。

内田 樹 ためらいの倫理学 角川文庫

類書:
内田 樹 こんな日本でよかったね 構造主義的日本論 バジリコ

「寝ながら学べる構造主義」以来、彼のファンなのだが、「こんな日本でよかったね 構造主義的日本論」は出色だ。新聞を読んだり、テレビを見たりする暇があったら、この本を読んだ方がずっと効率的。なぜかというと、「馬鹿の言うことがなぜ空しいのか」を明確に言語化してくれるので、この本を読んだ後は、世の中に溢れるノイズを遮断してわずかに存在するサウンドに集中できるようになるから。

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