でしかないことへの不安

医者には,医者でしかないことに不安を感じる医者と,医者でないことに不安を感じる医者の二通りがある.あなたはどちらだろうか?

私は,学生の頃から,医者でしかない状態に不安を感じていた.医者は,もともと自尊心が高い人がほとんどなのに,常に厳しい評価,過酷な競争に晒される.命を預ける患者・家族の要求度も高いのに,努力してもいい結果が出るとは限らない.時には,悪い結果の責任を取れと攻撃を受ける.そんなストレスが多い職業に自分が耐えていけるとは思えなかった.だから,逃げ場,臨床医以外の道も,できれば複数確保しておかねばならない.そう思っていた.その結果が現在の私の姿だ.

もう少し,希望の持てる,わかりやすい表現をしてみよう.私は,臨床という名の試合場で,売店の売り子,中心的なプレーヤー,観客,ヘッドコーチ, 二軍選手,ウグイス嬢,スカウト,入場券売り場の責任者,応援団長,グラウンドキーパー,警備員,スコアラー,掃除のおじさん,壊れたベンチの改修業・・・・何もかもが面白かった.でも,まだまだ知らないところが残っている,プレーしている選手だけにしか興味がない人もいるだろう.しかし私にとっては,試合場全体がテーマパークだ.

テーマパークなんて言うと、随分楽しそうに聞こえるかもしれない。でも実は医者が嫌で嫌で仕方がなかった。辛かった。早く辞めたかった。でも医者を辞めたことがなかったから、どうやって辞めたらいいのか直ぐにはわからなかった。だから直ぐに辞められなかった。それが、ここまで医者を続けているように見えるのは、どうやったら医者を辞められるのかをあれこれ考えているうちに、医者を続けているように見せかけて実は医者を辞めている自分がだんだんと見えてきたからだ。

平たく言えば、医師免許を使って食い扶持を稼いでいるどんな人間にも、医者としての仕事は「やりたい」、「やってもいいけどできればやりたくない→今のところはやらないで済んでいる」、「やりたくないが稼ぐために仕方なくやっている」の3種類に分けられる。この3種類が一体どんな仕事で、どの程度の比率で混在しているかは個人によって全く違う。さらに問題をややこしくしているのは、この3種類の境界線が決して固定してないことだ。そしてその境界線が動くタイミングと動く幅も日内変動もあれば年周期もある。

一体何が言いたいんだという声が飛んできそうだが、何が言いたいのか、実は私にもよくわからない。要するに、出たとこ勝負、結局、わからないということになる。医者を辞めたいという自分、辞めたくないという自分、続けたいという自分の境界線が10年間固定しているという医者を私は信用しない。私にとってそいつは医師免許を持っているただの馬鹿に過ぎない。

参考文献: 週刊医学界新聞の記事 未来の未知性について 人生はミスマッチ

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