専門バカにつける薬あり

その昔,”専門バカ”なる言葉があった.卑俗だがわかりやすい言葉だった.この言葉は医者の世界以外では,まだ生きているのかもしれないが,専門医を増やせの大合唱が鳴り響く業界では,もう,そんな言葉は疾うに死に絶えてしまったらしい.

専門医の診療の質を決めるのは専門分野の技量だろうか?実は違う.専門分野以外の技量が治療の質を決める.

それは,神経内科医が肺炎を診療する技量だったり,血液内科医が下痢や電解質の管理をする技量だったりする.医者も患者もここがわかってねえんだよ.

たとえば,神経内科医なら,パーキンソン病の薬の匙加減なんて,誰でも知っているわけよ.そりゃ多少個人差があっても,この時代,一人だけの秘伝の奥義なんてないわけよ.それよりも,パーキンソン病の患者が肺炎になった時が大問題.ここはアメリカじゃないから,肺炎になったら感染症科の医者にたらい回しして,はい,また別の専門医の診療ですから別料金加算になります,なあんてえげつない商売はできないわけ.

そうなると,日本の良心的な神経内科医は,呼吸器内科病棟に自分の大切な患者さんを押し付けるような真似は絶対できないし,患者さんの方も,自分の主治医が肺炎一つ治せない医者だとは思っていない.肺炎になったからといって,呼吸器内科病棟に転科させるのは,病気を診て人を診ない仕打ちだと思っている.それはそれで結構なことであって,何もアメリカ一国主義に追随する必要は全くない.しかし,以後のプロセスに問題が出てくる.

その神経内科医が,自分できちんとグラム染色して起炎菌を決めて正しい抗菌薬を投与できるか,それともただ値段が高くて新しいだけの抗菌薬を盲滅法打ちまくるかは,患者の命に関わってくる.

だから言っただろう.専門分野以外の技量が治療の質を決めるって.

専門医ってえのは,自分の専門分野の勉強は,黙っていてもやるわけよ.何しろ,その分野が好きでやってんだから,そんなものは放っておいたって構わないんだよ.問題は,その専門医様とやらに,専門医療をやるために必須の診療常識をどうやって再教育するかだ.

この必須の診療常識は,専門分野の勉強にくらべたら,ずっとやさしいし,患者さんのために,ということは医者自身のためにもなるんだけど,周囲があまりにも専門医専門医って騒ぐと,この必須の診療常識を学ぶ余裕があったら,もっと専門分野を勉強して,他の専門医の知らない知識を身につけてやろうと思うわけ.たとえば,100万人に一人しかいないような病気の診断の専門家になろうとするわけよ.

それじゃあ,たまらん,何のために膨大な税金をを投入して医者を養成したのかって,国民の皆様は思いませんか?えっ?そう思うって?だったら,お医者さんに会う度に,”御専門は?”って聞くのはやめましょうね.

実は,専門医の中にも,医療面接,身体診察,ありふれた病気の基本的な治療を広く学びたいと思っている人はたくさんいる.それは臓器別専門医療の限界を感じたり,開業するにあたって,専門以外の診療を学ぶ必要性に改めて気づいた人たちである.こういう人たちに学びの場を提供すべく,それこそ,各分野の専門医が,活動をはじめるべきである.その活動は,決して大講堂の高い演壇から何百人もの人々に向かって催眠術まがいの御託を並べることではなく,現場で,若い人を交えてお互いに学び合うことである.

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